第56話 戴冠式決戦——会場奥


 会場、奥側。アノールの向かう先、キルリとヨルノの二人は、数メートル先で、二人の衛兵に守られていた。衛兵も何らかの能力者であることがアノールには分かる。


「アノール!」


 僅かに頬を染めたヨルノがアノールのことを呼んでいる。アノールは一旦自分の剣を鞘に仕舞って、腰に差していた二本目の剣を鞘ごと握って取ると——。


「ヨルノ! これっ!!」


 投げた。ヨルノに向かって。少し高い位置。


「えっ、え!?」


 ヨルノはジャンプしてこれをキャッチした。スカートに空気が入ってふわりと広がる。


 アノールはブレーキを踏んで右手をキルリにかざした。


「さん!」


 ヨルノは着地と同時に鞘を捨てて剣を抜いた。その表情は既に切り替え済み、真剣そのもの。アノールの呼びかけに答えつつ、目前のキルリの首を狙う。


「もうイチだ!」


 キルリは一瞬で頭を回す。


 ——カウントダウン!? ならゼロで——!!


 キルリは振られてきた剣に向かって右腕をかざした。左手は首筋を守る位置。


 ——〝能力の盗用クラック〟!!


 ヨルノが横から振った剣は、見事にキルリの右腕を肘から斬り飛ばした。しかし刃は首まで届いていない。左手首に止められてしまっている。


 傍にいた二人の衛兵は、何が起こったのかと混乱してしまっていた。その一人の背中からアノールが剣を突き刺す。


「〝能力の操作クラック〟」


 衛兵の傷口から血と同時にブホッと赤い精霊が溢れ出た。


 ——なんであれ能力をオフにすれば攻撃は通る!


 そのまま衛兵を押し倒しながら、ヨルノにアイコンタクトを飛ばす。これを受けたヨルノは突然キルリから振り返ると、自分の側面にいた衛兵の首を斬り飛ばした。こちらも〝能力の操作クラック〟で能力をオフにされている。


「えっ——首が——」


 奥の衛兵は、何が起こったかも分からないままに命を失った。


 アノールは下唇を噛んだ。


 ——向こうの人……僕が殺したようなものだな。でももう引き返せない……!!


 キルリの前に、剣を持った魔女が二人。アノールとヨルノは、キルリを挟む位置を取りつつ剣を構え直す。


 キルリはすぐに両手をそれぞれに向けた——なだめるように。とはいえ右手は無いので、アノールの方は肘だけ。


「おっと……今のはかなり危なかったよ。君たち最高だ」


 アノールは眉をひそめる。


 ——何が最高なの?


「でも、今オレを殺せなかった以上、君たちには大変な障害が立ちふさがることになる」


『ダンッ——!!』


 弾丸がヨルノの側頭部に当たり、彼女の上半身を大きく弾いた。アノールが目を見張る。


「——ヨルノ!!?」

「ッ——大丈夫! 頭蓋骨は貫通してない!!」


 二人が弾丸の方向に目を遣れば、こちらへ歩いてくるムクルが、煙を吐く銃を投げ捨てているところだった。


「……やはり銃は好かんな」


 二人は息を飲んだ。


 ——お父様。

 ——あれが、ムクル・ホーク。標的の一人。


 彼はこの混乱の加速するダンスホールにおいても、何も変わっていなかった。スーツに皺は無く、ネクタイにも乱れはない。


 一歩一歩確かめるように歩く。その様子から焦りや動揺といった心の動きは見て取れなかった。


 どこまでも、冷淡で実利主義の心理構造。いつだってバランスを整えるだけの機械。


 キルリと並び立ったムクルは、ほんの少しだけ頭を下げつつ提案した。


「護衛がご入用なようでしたら、ご助力いたします」


 キルリは緩く微笑む。


「じゃあお願いしようかな」


 ヨルノがアノールに不安そうな目を向けた。


 ——ど、どうする……?


 アノールはその視線に「ん?」と気付くと——。


「……ヨルノ。一回試しとけ! これはお前の問題なんだからな!」


 彼女に笑いかけたのだ。


 ヨルノには意外な反応に思われた。


 確かにアノールはこれまでヨルノにかなり雑で冷たい態度を取ってきた。この傾向に照らせば、ここでヨルノに、ムクルは自ら対処しろというのは、決しておかしな発言ではない。


 ないのだが、しかし。その声色と、試すような笑い方は——。


「……フッ。どうしてかは分かんないけど、私、アノールに信頼されてるな」


 ヨルノも、笑った。切っ先をムクルに向ける。


「おいムクル! 十年前の続きをさせてもらおうか!」


 ムクルはつまらなさそうに見返す。


「私に歯向かうつもりか?」

「そのつもりだけど!? 何か不都合でもある!?」

「いいや。育て方を間違えたと、改めて思っただけだ」





 キルリはアノールに向かって駆けだした。


「じゃあオレの相手はアノールってワケだ!」


 ——こっち来た!?


 アノールは近寄られた分後ろに引きながら、キルリの振る腕に重なられないように回避し続ける。


「なっ……なんでこっち来んの!? 自分の命が狙われてるのに!?」


 アノールは会場中央へ引きながら、汗を浮かべて表情を歪めた。キルリはと言うと、楽しそうに笑っている。


「ハハハ! だってそんなん分かってるだろ!? 君は今、オレを殺せないからさ!」


 ホールの中央。キルリが足を止めて、左手を持ち上げて語り始めた。まるで子供がいたずらの計画を披露するかのような、この場においては異常としか言えない余裕をもって。


「さっきヨルノの記憶を読んだからね。君の能力が連続して使えないものだって知ってるんだ。数分とは言ってたけど、具体的には三分くらいかな? その間、オレは君に〝能力の盗用クラック〟されはしない。ならいくら欲張って記憶を読みに行ったって、死の危険はないってわけ」


 キルリはニヤニヤとしてアノールに迫る。


「君の記憶も気になってたんだ。ほらほら、見せてほしいな」


 アノールは、キルリの意味不明な動機に頭を痛めつつも、その内容に一部同意もした。


「……確かに、僕の能力は少しの間、キルリ様に対しては使えません」

「だよね? ここからしばらくはこのホールはオレの天下ってわけだ。能力のクールタイムは小細工で短縮できるもんじゃあない」


 ——そして、それだけあれば……エールもきっとこっちに来れるはずだ。何者かに妨害されているんだろうけど、エールはきっと勝つ。逆に、もしエールが死んだなら、それならそれでオレだって死ぬのに悔いはない。


「悪いですけど、僕も、無策で来てるわけじゃないですよ」


 アノールは後ろに振り返った。息を吸って声を張る。


「レオン!!」


 アノールが呼びかけたのは、向こうでショットの攻撃を躱し続けているレオン。


「えっ?」


 レオンはきょとんとしながらアノールに振り返った。


 レオンが見たアノールは剣を逆に握って、自分の首筋に切っ先を突きつけている。


「一分くらい前! 僕がキルリに対して右手をかざしたシーン! 僕の右手を下ろすか、体の向きを逆にしたりしてくれ!! してくれなきゃ死ぬから!!」


 アノールは剣を両手で力強く握ると、自分の首に思い切り突き刺した。口から血と白い精霊が零れるのには構わず、そのまま無理やり押し込む。


「——アノール!!?」


 アノールの頭が、首から離れて落ちる。続けて身体も脱力して倒れた。


 キルリの身体が驚愕にこわばる。


 ——えっ、なにを……。





 ノイズ。レオンの能力で現実がやり直された。





 アノールの首は顕在。彼の隣に突如として現れたレオンが、自らの剣を力強く握ったアノールの両腕を、右手一本で下に押さえていた。


 レオンの首筋には冷たい汗が浮かんでいる。苦笑。


「アノール? 人を上手く使うの止めてもらえるかな? 俺、一応キルリ様を護衛するって体で来てんだよ? 次は無いから」


 アノールはにやりと笑って返した。


「ありがとよ。お礼に、ショットを倒したら相手してやる」

「へえ、余裕あるみたいだね。色々あったんだ」

「そっちは何もなかったみたいじゃん。これなら難なく勝てそう」

「大きい口を叩けるのは今だけだからな」


 レオンは一つ笑うと、再びショットに向かって駆けていった。


 アノールも笑いながらレオンに背中を向けて、キルリに向き直った。剣を構える。


「さあ、殺させてもらいます」


 キルリの呆気に取られていた意識が、水をかけられたようにして戻ってきた。慌てて自分の右腕を見れば——肘から先が復活している。


 ——〝能力の操作クラック〟を使われた過去が……「無かったこと」になった!? だからヨルノの攻撃は〝形態変化—情報ゴーストフレーム〟で透かしたことになったのか! じゃあまだアノールは、オレに向けて一度も〝能力の操作クラック〟を使ってない……!!?


「おい、おいおいおい……」


 キルリは俯いた。しかし口角は自然と上がっていく。


 ——君たち幼馴染さあ。


「いくら何でも気持ち悪すぎるだろ!」


 顔を上げてハハッと笑いかけた。癖のある金髪を改めてかき上げつつ。


「いいぜ! やってみな!! 誰だって届かなかったオレの命に届くというなら!! 絶対に逃げ切ってやるよ!!」

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