第57話 左の肩翼/左の冠翼/右の腰翼


「くっ……そ!」


 ショットはトランプを振っているが、レオンは未だ無傷だった。


「うっわ。『二秒』」


 正確には、当たっているのだが、全て「無かったこと」にされている。


「その能力……無敵ってわけでもないハズなのに……!」


 シワスほどの練度ではないものの、触手を使った多角的な攻撃も取り入れている。レオンのクールタイムに畳みかけるように死角から攻撃する——のだが、レオンはこのときだけ本気で攻撃を読んでくる。四肢を軽く削る以上の攻撃が通らない。


 レオンは余裕の様子で、触手の射出をまた「よっ」と回避した。飛び散る毒性の飛沫も剣で跳ね除ける。


「うーん。まさかたった二回——三回目の接敵で能力をほとんど解明ちゃったとはね。イエッタさんに思ったよりしっかり見られてたってことか」

「なんで君は……そんなに余裕なの!? 王子様が殺されそうなんだけど!?」

「そっちこそ、何をそんなに急いでいるのか? 俺の背後で何が起こってる? 魔女たちはクルミとサーキットさんに勝てそうかな?」


 ショットに与えられた役割は、レオンの足止め——更なる役割もあるものの、少なくとも今やらなければならないのは——それだけだった。しかしそうだといっても、向こうの戦況は見過ごせる状況では無かったのだ。


 ——この子を殺せるなら、殺せるに越したことはないんだけど……!!


 焦るショットを見て、レオンは口角を上げた。


「時間を稼がれてるのはそっちだって気付いたみたいだね。俺たちの立場なら、キルリ様が死んだって、代わりに魔女を一網打尽出来るなら、十分プラスになるってことだよ」


 その発言は、両翼を任せた二人への——もしくは少なくともいずれかの翼へ向けた、レオンからの圧倒的な信頼があることを示していた。





**





 クルミは手を後ろで組んで、イエッタとドミエンナがアスキアの攻撃に削れていく様を、悠々と見学していた。


 アスキアは自分の能力をフルに使って、二人に攻撃を通していく。


「おー、その瞬間移動も怪我の治癒もできる能力、強いでありますねー。どういう能力なのでありますか?」

「くっ……私の能力は——」


 アスキアは二人へ剣を振りつつ、内心悔しがりながら、自分の能力を解説した。


「なるほどなるほど~。良い能力であります。ここで捕まえてしまえば、魔女の戦力大幅減、と! レオンどのの教会からの評価も上がっちまうということで! 従者明利につきるでありますな……あ、従者はまだ自称なんですけども、へっへ」


 アスキアの突いた刃がドミエンナの首にかかった。


「くっ……」

「力任せて!」


 イエッタがドミエンナを引き倒して、斬り裂かれるところまでは回避する。ドミエンナは首筋を押さえて顔を歪めた。


「す、すみません、イエッタさん」

「ええってことよ! で、どうしたらええと思う!? アスキアたんは四肢を捥いだって治してくる! 命を奪わず無力化するって手が使えん!」


 ナイフを前方に構えるイエッタ。ドミエンナがよろめき立ち上がりながら返答した。


「いえ、それに関しては、もう手は打ってあります」


 クルミが首を傾ける。


「手? それって一体、何でありますか?」


 このとき、クルミは自分の視界を横断しているものを発見した。ふわりと漂う、細い糸のようなもの。ワイヤーが一本。


「ん?」


 先端を追って視界を回していくのだが、どこまで行ってもワイヤーの先端は見つからない。そして、周囲の糸は次第に自分に近付いてきている。


「囲われて——」


 再びドミエンナに視界を戻すと、彼女の右手には、矢じりの傍のワイヤーが——クルミの周りを大きく回ってきたワイヤーの先端が、握られていた。


「はあっ!」


 ドミエンナが糸を強く引けば、ワイヤーがクルミの首に一気に巻きついた。首の肉に食い込んで、締め上げる。


「——!」


 クルミの喉から声にならない悲鳴が出た。ドミエンナはアスキアの攻撃を避けながら、しかし糸を引き続けている。


 クルミは、短刀を抜いてワイヤーを斬ろうかと一度は思ったが——。


 ——いや……短刀はまだ抜かない! 引っ張る形で首を絞めたなら、かの御仁へ近付く形になる。そこで奇襲するのがベスト——。


 しかしクルミは次に気付いた。自分の身体がドミエンナに近付いていく気配がないことに。彼女を括るワイヤーは、自身の左右に伸びていたのだ。


 ——糸一本引っ張って、左右に引っ張る形で首が絞められるですと? どんな絡繰り?


 クルミは僅かに残った可動域を振り絞って、首と目を回した。少なくとも左方の糸は、元々会場にあったテーブルの脚に掛けられていた。テーブルの脚を経由して、ドミエンナとクルミの方へ伸びている。


 ——なるほど。家具が固定されているこの状況を利用すれば、こういう芸当も可能、と……。それなら仕方ない。


 クルミが短刀を抜いてワイヤーを斬ろうとした——ところ、空気を裂いて飛んできたナイフに右手首を斬られてしまった。力が入らなくなる。


 ——まあ、人間は首を強く締められていると、腕を動かすのにもかなりの抵抗がかかるものであります。緩慢な動作だったろうし、投擲の訓練を経ている人間なら、手に当てるくらいは造作もなかった……ということで。さてさて、ヤバい。


 ここにきて初めて、クルミは敗北の可能性に至った。既に白くなっていた顔には、汗も浮かばない。彼女の自律神経にはもう、汗腺なんかに構っている余裕は無かったのだ。なにせ命の危機なのだから。


 ——ヤバイヤバイヤバイヤバイ!! 何がヤバイって、「命令を口に出せない」!!


 もう気絶してしまうという数秒前、クルミは右手をプルプルと上げた。三人がいる方向へ向けて。


 イエッタは、アスキアの身体を蹴り飛ばしながら、クルミのその動作に驚いた。


「まさか、声に出さんと指示できるん!?」


 アスキアが慌てて顔を上げる。


「いえ、それなら最初からそうしているはずです! イエッタ危ない!」


 「攻撃しろ」と呟く声がする。


「えっ?」


 イエッタの首の周りを、矢じりがするりと回った。締まる前にアスキアが斬り飛ばす。とはいえ、首の近くのワイヤーだけを斬り飛ばすのは咄嗟のアスキアには無理だった。イエッタの顔に決して浅くない縦傷が入る。


「っ——!?」


 アスキアがイエッタの腕を引いて、二人はドミエンナから距離を取った。ドミエンナはというと、困惑した様子で、ワイヤーを浮かばせている。


「す、すみません、お二方……」


 イエッタは続けてクルミにも目を向けた。


 クルミは地面に両手をついて、肩を揺らしながら呼吸を戻していた。周りの床には、振り解かれたワイヤーが散らばっている。


「カハッ……はあ。でも……能力は発動できるのであります。そして命令するまでもなく、『奴隷』が『主人』の命を奪うことは、できませぬ」


 ワイヤーが二人に襲い掛かる。しかし、刃物を持った二人なら、すぐに致命傷になることはない。


 クルミは膝を立てながら、右手をアスキアに向けた。


「では、三度。——〝政体の回転についてミストルティン〟」


 アスキアの動きが固まった。イエッタとドミエンナはそれぞれ絶望の表情を浮かべる。


「そん、な——」

「無茶苦茶——」


「『攻撃しろ』」


 アスキアは、〝保存と読み込みラプラスヒューマン〟でドミエンナの目前に瞬間移動して、彼女の胸に剣を突き刺した。イエッタが叫ぶ。


「ドミエンナさんっ——!!」


 ドミエンナは床に倒された。


 アスキアは、剣を引き抜きながらイエッタに振り返った。無表情のまま、ぼそりと呟く。


「私こそ、すみません、本当に」


 イエッタは溢れんばかりの感情に声を荒げた。


「こんの、能力——いくらなんだって気分悪いわあ!」


 イエッタはアスキアの振り下ろす剣を回避して、自分のナイフをアスキアの首に思い切り突き刺した。そのまま引き裂く。


 ——ごめん……!!


 イエッタには手加減する余裕は無かったが、しかしアスキアは首の皮一枚、まだ辛うじてつながっているようだった。ばたりと倒れた精霊体が霧散する様子はない。


 髪を乱しながら振り返って、クルミを睨む。クルミはと言うと——やはり先ほどの首絞めは応えたらしい。余裕の気配は引っ込んでいた。真面目に構えている。


「しかしこれが拙の能力であります」

「ホンに……いい能力やわ」


 クルミは遂に腰の短刀を抜いた。


「そして、この一対一となって、貴君の勝ち目は無くなりました。格闘戦に置いて、貴君が拙より強いということはない。ここまでの観察で、確信しているであります」


 イエッタにはふと疑問が浮かんだ。それは、会話する程度の思考の余裕が生まれて、やっと生まれた疑問。もっと早く気付けていればやりようがあったかもしれない——。


 ——なぜ、このタイミングまで抜刀しなかった?


「このタイミング……」


 ——なぜ、能力の対象を自在に操れるのに、「自害しろ」の命令で処理していかなかった? それを言うなら、なぜ「攻撃しろ」だなんて曖昧な命令しか使わなかった? もしやでは……ない?


「……そんな。あと少しで……攻略、できそう、なのに……」


 既にイエッタの胸にはクルミの短刀が突き刺さっている。イエッタもナイフを突いていたものの、いともたやすく腕の内側に潜り込まれたのだった。


「きっかけさえあれば、貴君らが勝てた可能性もあったであります」


 クルミが短刀を引き抜けば、イエッタは力なく床に崩れる。


「それは、一分にも満たない可能性でしたが」


 クルミは、床に倒れた三人の魔女を見下ろした。





**





 クエスリィも状況は苦しく、防戦一方だった。予備動作から次の動きを読んでも、なおそのアドバンテージを踏み倒してくるスピードとパワーがサーキットにはある。そして、クエスリィから通る攻撃もない。こうなっては〝目にも留まらぬ早業クレプトマニア〟に活躍の余地はない。


 全身をやけどに襲われ、ケロイド状になった皮膚が袖と溶け合っていた。


 ——なぜだ。


 サーキットは圧倒していたはずだった。


 ——なぜ四肢の一本も持っていけない。


 力に任せ、腕を横から振る。一瞬当たった感触があるが、しかししっかりした手ごたえがない。クエスリィはまた、衝撃を逃がす形で宙を回って、手をつきつつ着地していた。


「ガアァッ——!!」


 間髪入れず炎を吐きつける。クエスリィが両手をかざした隙に側面に回って、五十キロはある尻尾を叩きつけた。しかしこれも、クエスリィはサーベルを顔の傍に構えながら、一歩横に逸れ、なんとかギリギリ攻撃を受け流すことに成功していた——。


 残像を作るスピードも伴って、すさまじい重さになっていたはずの、逆立つ鱗で刃物の塊のようでもあるこの尻尾を——サーベルの薄い刀身で受け流したのだ。


 ——なぜあのサーベルは刃こぼれしない。


 サーキットは両腕を地面に着いて、フーと炎の息を吐いた。牙を開く。


「にゃんこ隊長、何を待っているのです」


 クエスリィは息を戻しながら、首を傾げた。


「にゃあ……? そりゃあ当然、反対側の戦いを片付けた仲間が増援に来ることにゃ」

「なるほど。一人で吾輩に勝つつもりはない、と……」


 サーキットは少しだけ視界を広げた。すると会場の反対側では丁度、クルミがイエッタの胸に短刀を差したところだった。


 サーキットの口角が僅かに上がる。


「どうかにゃ? オイラの勝ち目はありそうかにゃ?」

「いいや、無さそうであるな」

「そうかにゃ。じゃあ、これが最後の攻撃だにゃ」


 クエスリィは少し腰を下ろして、左手を前に、右腕を後ろに構えた。サーベルは横向き。突きを狙わんとする形。


「ふむ。いさぎよし」


 サーキットは両腕を床から持ち上げると、鏡写しのようにクエスリィと同じ形を取った。


 数秒の読み合い。


「——にゃっ!!」


 クエスリィが素早くサーキットの懐に飛び込んだ。しかしまだ、クエスリィもサーキットも攻撃していない。


「——にゃ!?」


 サーキットの左腕が、上に構えられている。


 ——一発撃たせてからのカウンター狙いなのは丸見えなのだ!!


 サーキットの本命は左腕の振り下ろしだった。クエスリィの意識が右腕の方に向いていたなら、これは絶対に回避できない。


 超速で振り下ろされた竜の左の掌底。クエスリィに回避されたそれは、床を大きく貫通して地面までめり込んだ。


 ——!!?


 サーキットの体勢が崩れる。気付いたときには首の逆鱗からサーベルが差し込まれていた。


「やっと首を下ろしたにゃ。その自慢の牙で攻撃してこない時点で、ビビってんのが丸見えだったにゃ」


 竜の逆鱗。鱗の向きが変わる、鎧の隙間。


「な……どこから、このつもりで……」


 サーキットはクエスリィとのやり取りを思い返す。


 ——会場左側で魔女が倒れたのを伝えたのは……〝床や壁を保護する能力〟の持ち主が倒れたことを伝えたのは、吾輩かっ……!


「ならば、最初から……」

「もう話してる時間はにゃいのにゃ」


 クエスリィは上に構えたサーベルを引き抜いた。サーキットの巨躯はドスリと緩やかに倒れ、するするとその身体は縮んでいった。


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