アノールがアッカラ村の因縁とケリをつけるまで

第55話 戴冠式決戦——会場手前


 二百人近くの参加者たちがみな我先にと、いくつかある扉に殺到している。


「キャアアアア——!」

「なんで扉が開かないんだ!」

「押さないで! 潰れるわ!」

「早く窓を割れ! 何をやってるんだ、早くしろ!」


 喧騒の中、会場の奥を見据える魔女の面々に、立ちふさがるのは三人の銀翼。


「ひええっ! 数で負けておりますよ!? 大丈夫なのでありますか!?」

「クルミはこういうのが得意でしょー」

「数で勝ってるに越したことないのでありますよお!!」


 弱音を吐くクルミに素っ気ない対応をするレオン。異議は無視してサーキットの方に目をやる。


「サーキットさん、真ん中の男の子は俺が貰うんで、他の何人かサクッと殺しちゃって——」


 レオンがそれまでサーキットに向けていた印象と言うと、「合理的、しかし楽観的」というものだった。合理的に選択肢を考えつつ、その中で楽観的なものを選択する——それは決して頼りないという訳ではない。ある意味で常に余裕があり、頼りになる存在なのだ。


 だから、このときサーキットが浮かべていた表情は、レオンの余裕をも削ぎかねなかった。


「ん——あ、ああ。分かった。吾輩が殺してこよう」


 彼の冷や汗が。彼の目線を追えば、そこには褪せた金髪の低身長がいる。


 既に魔女たちは駆けてきていた。


 ——ともかく。


 レオンは自分に向かってくるアノールを見据えた。もう数メートルの距離。


 ——やっぱりアノールは、俺に向かって来てくれる。


 レオンは上に、アノールは横に、それぞれ剣を構えた。


 あと一歩。


 レオンの全身にぞわりと走るものがある。武者震い。彼の世界には二人だけしかいない。


 あと——。


「はっ!!」


 目の前まで迫ったアノールの頭。そこに振り下ろした剣が、直前で透明な壁に当たったかのように止まった。


「悪いなレオン! お前の相手は僕じゃない!!」


 アノールはレオンの胸を横に切り払う。傷は深く、バサッと扇のような出血が起こった。


「——は?」


 呆気にとられたままのレオンを横切って、アノールは会場の奥へと走っていった。


 レオンは一度倒れそうになったが、しかし後ろ足で踏ん張って持ち直した。胸からダクダクと血を流しつつ、呆然と立ちすくむ。


「アノール……?」


 ——アノールが、俺を無視した?


 ただ足元を見つめる。


 ——あんなに、毎日飽きもせず俺に突っ張ってきた、アノールが?


 レオンは据わった目のまま、おもむろに自分の身体に剣を突き刺そうとした。しかしその剣も直前で止まる。


 ——透明な壁がある訳じゃない。俺自身が、俺自身の筋肉が、剣を止めたような感覚。そういう能力をかけられている。


 目を上げれば、向こうに一人、こちらに駆けてきていない魔女がいる。金髪のツインテール。彼女はレオンのこの突飛な行動に、受け入れがたいような表情を浮かべていた。


「お前か」


 レオンはショットをはっきりと見据えた。息を吸って、頭を冷まし、口を開く。


「——二十秒」


 レオンがそれを宣言したならば、時間が止まる。そして、一秒とかからず、全ての人間の動作は二十秒前まで巻き戻った。胸の傷も塞がる。


 目の前には剣を振らんとするアノールがいる。


「悪いなレオン! お前の相手は——」

「……はあ」


 レオンはそれを素直に回避した。背後に走っていくアノールは一旦無視して、ショットに向かって駆けていく。


 ——邪魔しないでもらおっか。


 気だるげに、しかし素早く。四秒でショットの眼前まで駆け着く。


 ——首から貰う。


 レオンは勢いそのままにショットの首を斬り飛ばした。しかし水面を切ったような感覚。首は斬ったところから繋がってしまう。剣にはねちょりと粘性の液体が張り付いた。


「——〝形態変化フレーム〟!?」


 レオンは一歩引きつつ頭を回す。あと十五秒。


 ——十五秒後には無防備になるぞ。一旦隠れてやりすごすか? その後は? 何十分も巻き戻して、能力攻略に使えそうな材料を集めてくる? それだとアノールと戦うのに能力を使えなくなる……。


 剣に着いた粘る液体を、布越しに拭き取りつつ。


 ショットの方は、先ほどと同様に度し難い表情を浮かべているところ。以前の行動をなぞっている。


 ——それよりも、もうクルミを連れてきて——って、は?


 不意に走る、凍傷にも似た激痛。レオンは、左手に持っていた剣を拭うための布巾を、床に落としてしまった。


「な、なんだ、この痛さ」


 自分の左手を凝視する。布越しに、粘る液体の付着した手の平を。


「ウソだろ。まさか……!」

「めの、まえっ——!?」


 顔を上げれば、目前のショットが慌てつつもしかし、指に抓んだトランプを振らんとしていた。その眼は明確にレオンの事を認識している。


 既に時間経過は能力発動のタイミングに追いついていた。


 ——しくっ……た!


 レオンは一瞬、剣で受けようか考えたが、しかし能力戦の前提で「剣がトランプに適う訳が無い」と刹那で判断し、後ろに一歩引くことを選択した。とはいえいずれにせよ、完全に避けきるのは不可能。


「貰った!!」


 ショットのトランプはレオンの左手首を斬り飛ばした。レオンはそのまま数歩下がる。


「うん、こうすれば痛くない。リカバリ、よし」


 ショットはレオンの冷静さにふと疑問を生じたが、それをどうと考える前に、レオンがまるで純真無垢な子供のような目をして尋ねてきた。


「ねえもしかしてさ! 液体化みたいな〝形態変化フレーム〟系と、ギラフさんの〝体液変化—毒デッドヴェール〟を併用してる!?」


 続けて彼は、嬉しそうに頬を上げた。


「なるほどなるほど。そしたら全身を体液と判定することが出来て、全身毒人間が完成するわけだ。これは面白い。能力の効果時間中にダメージを負ったのは初めてだ」


 ショットは息を飲んだ。しかし動揺を表には出さない。


「……理解が早いね! そう、今の私ったらマジで無敵だから覚悟して!?」


 クイっと指さし、歯を見せて笑いかけた。


「改めて——〝終われる運命ランデブー〟、セット! 完全無欠な最強お姉さんが遊んでやるぜ!」


 〝終われる運命ランデブー〟。それは人間二人を対象に取る能力で、このとき一人が「カンパネラ」、もう一人が「鐘撞」のロールを得る。「カンパネラ」には何の行動制限もないが、「鐘撞」はというと——。


 能力が解除されない限り、「カンパネラ」以外の人物を攻撃できなくなるのだ。


「いいですね。意外と楽しくなってきた。まあ、俺とアノールを阻む障害なら、なんであれ殺しますけどね」


 ショットを殺せば、当然、能力は解除される。





 会場、左サイド。


「それで、拙の相手が……」


 クルミは辺りを見渡した。三人の人間に囲まれている。


「ふっ……拙如きに三人がかりですか? おいおいちょっと待たれよ。おかしいとは思われぬか? レオンどのとサーキットに一人ずつなのに、拙に三人がかり? いやいやいやいや——」


 イエッタとアスキアが、それぞれ剣とナイフで斬りかかった。クルミは軽い身のこなしでいずれも躱し、天井から振ってきた剣も、片手を床に着きつつ逆立ちの形から蹴り飛ばした。


 軽いステップを踏んですぐに両足を着く。改めて魔女の三人に目をやると——イエッタとアスキア、そしてドミエンナが、それぞれ苦い顔をしてクルミのことを睨んでいた。


 まだ武器を抜いてすらいないクルミ。大仰な仕草で訴えかける。


「天井に仕込み武器まであるし! 凄く入念に準備しておられるじゃあありませぬか!! それをどうして拙のような弱小なコマにあてるのか!? サーキットに使うべきでありますよ、あっちこそ歴戦の武将だっていうのに! それと比べて拙は何の経歴もない、ただの流れの詐欺師であります!! そんな人間に、消耗性の手札を裂いてまでの三人がかり!? 愚策と言わざる他ありませぬ!」


 イエッタはもう思いっきり舌打ちをする。


「ああもうこの人、ホンに癇に障るわあ! ゆうゆうと避けながら弱いとか言わんといてもらえるかなあ!」

「全くです。今の身のこなしで何の訓練も受けていないと主張するのは無理があるでしょう」

「というか、今の剣の落下攻撃は完全に虚を突いたと思ったんですけどねえ。初見で避けられるなら、どうやって当てればいいのか見当がつかないんですけどお……」


 クルミは、三人に考え直す様子が無いと見て、こめかみをトントンと指で叩いた。口はの字。


「仕方ありませぬ。けれど今の問答で、誰が一番強そうかは把握できたであります」


 クルミ・リンドート。レオンの「牢屋人事」で檻から出てきた元犯罪者の一人。経歴が明らかにされておらず、能力者かどうかすらも不明だった人物。


「〝政体の回転についてミストルティン〟、セット。拙が『主人』で——」


 クルミは、アスキアに向けて、右手をかざした。


「貴君が『奴隷』」


 能力不明の計算外、ゆえに多人数で当たったのは正解だった。なぜなら彼女と戦うなら——。


「『奴隷』の君よ、『主人』の命令であります。『その二人を攻撃せよ』」


 三人で向かってやっと、互角なのだから。


 アスキアが謝罪の言葉を口にしながら、イエッタに斬りかかった。





 会場、右サイド。クエスリィも、自分が倒すべき銀翼に相対する。


 前傾姿勢で地面に着いた巨腕はその長さだけで人丈はある。首も同じくらいに長く、それをぶるぶると振るう仕草はまるで動物のそれだった。


 前身を覆った赤い鱗が逆立っている。トカゲの瞳に炎の息を吐く。垂れた尾。肩から伸びる翼は、片翼のみで人間を五人は包めるほどに大きい。


 竜をそのまま人にしたものが、クエスリィの前に立っていた。


 〝特性獲得—竜ドラゴンモチーフ〟、サーキットはクエスリィのことを見下ろしつつ、交互に噛み合わさった刃物のような牙を開いた。


「グルル……隊長。まさか、こんなところで——」


 クエスリィはサーベルを抜いた。


 ——懐かしい響きね——っと!


 無言のまま一歩踏み込み首筋を突かんとしたが、サーキットはバサバサと羽を振って後ろへ下がり回避していた。一歩踏み込むだけのごく僅かな時間に三メートル近くの距離を取られている。


 ——速い。


「吾輩は、隊長がいなくなってから——」


 次の瞬間、サーキットの巨体は目の前に現れた。巨椀が振り下ろされている。


「にゃっ——!!」


 クエスリィは横に回避しながら、一秒のうちに、その腕に数百回の斬撃を打ち込んだ。


 爪にも鱗にも、傷一つついていない。キラリと艶めいている。


 ——かってぇ。


 続けて横に振られた腕はのけぞって躱す。鱗が額を撫でて、頭蓋骨までのおでこが抉り取られた。


 数歩距離を取ったところ、放射された炎に視界が奪われる。灼熱に超速の尻尾の振り払いが来る——ものの、これにはタイミングよく手をついて、尻尾の上を転がるようにして回避した。


 鉄板のように熱された床。床に着いた左手が火傷に張り付くのには構わず、すぐに目を上げる。


 くるりと尻尾を戻したサーキットが、両腕を引きながら胸を張り、炎を吐いて景気よく笑っていた。


「吾輩は今や、将軍になりましたぞ!! ガハハハハ!!」


 クエスリィは額だけでなく、背中からも激しく出血していた。まるで巨大なムカデが走ったかのような傷。尻尾の上に転がるように接触したとき、逆立つ鱗が彼女の背中を削ったのだ。


 身体の前面の方には、当然、かなりの火傷痕がある。露出していた手足の皮膚には、既に形を失い始めているところもあった。


 それでも、クエスリィは全く普段と同じ調子で、なんなく立ち上がった。左手は床からべりっと音を立てて剥がす。


 そして再びサーベルを前に構えた。


「にゃー。まさかキットにゃんがオイラの後釜とはにゃ」

「そうである!! ガハハ! ここでにゃんこ隊長を殺して、名実ともに最強の将軍を名乗らせてもらおうではないか!!」

「晩節を汚した後悔をする覚悟はいいかにゃ?」


 にゃんと笑うクエスリィを前にして、サーキットは両腕を勢いよく床についた。ほこりが浮かび上がる。イエッタの能力が無ければ、床には二つの大穴が開いていたところ。


「ガハハハハハハ!! 吾輩の輝かしき栄光の一つになる覚悟はできているようであるなあっ!!」





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