第54話 電光石火
その日もヨルノはいつも通りムクルから虐待を受けていた。ホーク家が所有している庭に連れて来られる。庭と言ってもかなりの広さ。月明りすら通さない深い森のど真ん中。不安から闇に獣の眼光を錯覚する。
しかしその日は、ヨルノだけではなく姉も連れて来られていた。
「ここで反省していろ。明日の昼には迎えに来る。間違っても自分の身体にかすり傷などつけるなよ」
ヨルノと姉は夜の森に放り出された。少して姉は歩き始めた。ヨルノは付いていく。
「お、お姉さま、どこに行かれるのですか」
「静かに。声を出すと動物に見つかる。来なさい」
ヨルノはこのとき初めて彼女から話しかけられた。これまでヨルノは彼女から関心を向けられることは無かった。ヨルノにとって彼女は、ムクルの指示をただ忠実にこなす機械のような人間という認識だった。
ヨルノはただ純粋に、姉が言葉をかけてくれたことを嬉しく感じていた。
**
戴冠式の一週間前。魔女のみなが眠りに着く中、居間にはランプが灯っていた。席に着いているのは二人。
ショットからここまで聞いて、アノールはうーんと考え込んだ。
「やっぱり、似てるな。エールの昔の話と」
「エールちゃんと? 似てんの? ヨルノは貴族だけど?」
「いや、そう、まったく境遇は違うんだけど……なんか雰囲気が似てる。『寒さに歯を震わせる』とか『夜の森』とか、ミクロな状況が共通してるからかな」
アノールには一つの可能性が思い浮かんでいた。もしヨルノが、過去のエピソードを聞いたとき、アノールのことを好きになったというのなら……。
——間違いない。ヨルノはエールの過去のエピソードをギラフから聞いたとき、エールに自分を重ねながら聞いたんだ。
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ヨルノの姉は足を止めた。ヨルノも追いつく。そこには枝葉で作られた簡易的なテントがあった。
ヨルノはパッと明るくなって中に入る。中には毛布やランプなどもあった。
「ここなら動物は来ない。多少は声を出してもいいわ」
そう言って遅れて入ってきた姉は、右手に持った木のバットでヨルノの後頭部を殴り飛ばした。吹っ飛び、地面に顔をぶつけて鼻から血が出る。
ヨルノは訳が分からないままに顔を手で抑えた。鼻が熱い。起き上がろうとしたところを上からまた叩かれる。ヨルノには何が起こっているのか意味が分からなかった。
ヨルノの肋骨が砕けた頃に、続く殴打はやっと止まった。姉はバットを捨てると、今度はハサミを取り出した。
「私は待ってたのよこの時を。あなたを傷だらけにできるこの日を。お父様の大事なものを壊してやれる日を。消えない傷を作ってあげる。全身の穴と言う穴をズタズタに切り裂いて、ぐちゃぐちゃにしてあげるわ。お父様はどんな顔をするでしょう」
ヨルノはただひたすらに「ごめんなさい」と謝り続けた。
神を祈った。助けを呼んだ。しかし何も無かった。
世界は非情にも、当然のように残酷だった。
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「そうだな。ヨルノがエールに自分を重ねながら聞いたんなら、エールが僕に助けられたと聞いて——」
アノールは長い息をついた。ランプの火に目を遣る。
「不公平だと思った、のかもなあ」
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姉からヨルノへ振るわれた暴力。
キルリはつい目を背けた。キルリですら——目を背けたのだ。殴る蹴るといったシンプルな暴力だったならともかく、そこで行われた行為はあまりにも生々しく——グロテスクだった。
キルリは早回しでその場面を飛ばす。すると、朝には、テントは黒い燃えカスとなっていた。
——え?
キルリは慌てて巻き戻す。
朝焼けの時間。ヨルノは目を覚ました。彼女は、自分の隣で毛布を纏って丸くなる姉を見た。
涙はもう枯れていた。痛みはもう慣れていた。
動く関節を使ってズリズリと地面を這う。
マッチを擦り、ランプの蓋を取って、順番に姉に投げた。姉はゆっくり起き、理解すると汚い悲鳴を上げた。パニックのまま自分についた火を消そうとする。どたばたするうちに辺りに火が移り、瞬く間にテントは燃え落ちた。姉は叫び声を上げて燃え転がった。
ヨルノは這ってそこから離れながら、しかしその様子から目が離せないでいた。地面を転がりながら燃え上がる自分の姉の姿。人体を燃料に燃え上がる炎が、強く網膜に張り付いた。
「ヨルノ!」
ホーク邸に戻りベッドで寝かされているヨルノ。彼女に母親が駆け寄って、ベッドに縋りついた。
ヨルノは母親に微笑みかける。
「お母様、私に抱き着いてもらえますか」
「え、あ、あなたそんな傷で力をかけては」
「お願いします、お母様」
母親は言われるがままに抱き着いた。
そして動かなくなった。胸にはガラスの破片が突き刺さっていた。
ヨルノは覆いかぶさる母親の死体をどかしてガラスを抜き取った。力ない身体でベッドから崩れ落ち、包帯でぐるぐる巻きのまま立ち上がると、ふらふらと部屋を出た。足を引きずって血の跡を引きながら廊下を進む。
「後は……お父様を、殺せば……」
**
会場奥の扉から、大臣スラアギが出て行こうとしていた。衛兵に確認を取っているところを、ムクルに声かけられる。
「スラアギどの。お帰りですか」
「ん、ああ。もう式典は終わったようだし、キルリにもさっき声はかけたし、帰る。この度はおめでとう」
「ではな」と言い残してスラアギは去っていった。衛兵によって内開きの両扉が閉じられる。
横目でその様子を見ていたエリカは決心した。
——これで有力な能力者はもうほとんど出て行った! これ以上は待てない! ここが作戦決行のタイミングですわ!
キルリたちのダンスを眺めていた貴族——隣に並んでいた彼の肩に、エリカは体重をかけた。ふらついたような演技で。
「おっと!?」
彼の持っていたワイングラスが床に落ちてパリンと割れる。
「す、すみません。少し眩暈がして……」
「大丈夫ですか。どこかで休憩をなさった方がよろしいでしょう」
「ええ。そうですわね」
「誰かつけましょう。おい誰か——」
彼が使用人を呼ぼうと目を回したとき、不思議なものが目に写った。
目の前の観衆たちの中——会場手前側のこのエリアに、五人の人間が瞬間移動してきたのだ。
「〝
アスキアを中心として、フード付きのマントが五人。
「〝
すかさずイエッタが能力を敷いた。ドミエンナとアノール、ショットの三人が続けて銃の引き金を引く。
——〝
照準は当然、会場中央で踊っているキルリ。
『ダッダダン——!!』
弾丸は一度、キルリの胸を貫通したように見えた。しかし次の瞬間、視界にノイズが走り、弾丸は全て剣一本に弾かれていたことになった。——射線上に瞬間移動したレオンの剣によって。
レオンは両手で剣を支えつつ、舌をペロリと舐める。
「来たなアノール」
遅れて誰かが悲鳴を上げた。
途端会場はパニックに陥った。悲鳴が悲鳴を呼ぶ。みな手に取ったグラスを捨て、我先にと会場から出ようとする。
「にゃ、入り口に人が殺到したにゃ。銃声はいい効果あったにゃあ」
「うん。そして引いて開かないなら押すはずだ。もし外の衛兵たちが中の異常に気づいても、力の差で開けられない」
「ここまでは狙い通りやね。外部からの干渉は少なくとも数分は無いはず!」
銀の鶴翼の二人がレオンの傍に駆け寄っている。キルリとヨルノは衛兵に引っ張られて会場の奥へ。そちらにはムクルの姿もある。
アノールは長い息を吐いた。剣を抜いて、前を見据える。
「よし。作戦——開始だ! キルリ、ムクルは僕がやる! 他は任せた!」
「了解!!」
「いたぞ! 逆賊だ!」
中の状況の一変、それに呆気に取られていたところ、エールに死角から銃弾が飛来した。
——!?
何発か被弾するが許容範囲内。慌てて窓から離れて追撃を回避する。
——撃ってきたのは……会場の外を守っていた衛兵たち!?
足元の地面には数人の衛兵の姿があった。すぐにそれぞれ蹴り飛ばして無力化する。
しかし。
「囲まれてる……」
会場裏、木の植えられているエリア。エールの周囲には囲うようにして衛兵が構えていた。その数から、会場外の護衛に当てられていた衛兵のほとんどがここにいることが分かった。一部の者は羽が生えていたり、輪郭がおぼろだったり、腕が巨大化していたり——能力者であろうことが見て取れた。
一人、前に出てエールに声をかける。
「こんにちは、エールさ——」
「ガ、ガーレイド様、それは知らない体でないと——」
「あ、そっか。じゃあえっと、暫定暗殺者さん。改めてこんにちは。お日柄も良いね」
ガーレイドとイエグの二人。
「え……、ガーレイド……様……!?」
ガーレイドの右手にはマスケット銃が握られており、左手からは〝
既にガーレイドの後ろには、百丁近くの銃が浮かんでいた。
「一応確認しておくね。君はキルリの誘拐に……やってきたのかな?」
「そ……」
エールは一度は言い淀んだが、しかし改めてガーレイドを見据えた。
「そうです! ガーレイド様と、オリーブ様のために! キルリを、攫いに来たの!」
「そっか、ありがとう。でもそれは——ボクを退けてからにしてね!」
壁と見紛う弾幕がエールに襲い掛かった。
ここからクレアムルの次期国王が決まるまで十分もかからない。電光石火の作戦が幕を開ける。
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