アノールとキルリが物語の始まりに耳を傾けるまで

第53話 戴冠式から披露宴まで

 戴冠式、予定時刻。


 舞台は王宮付設の大ホール。大理石に最上級のカーペットが敷かれる。その儀式には二百人近くの人間が参列した。


 有力者が名を連ねる。


 貴族院唯一の女性議員、エリカ・アー・エンドロール。

 貴族越えを果たした、王国元帥、ムクル・アー・ホーク。

 一人で貴族院を手玉に取る王宮の大臣、スラアギ・バン。

 クレアムの御神体を管理する大司教、ルミネウス。


 他にも各庁の要人たち。


 そして最も重要な、この場の主役——。


 第一王子、キルリ・アー・ナイトラル・クレアムル。


 彼は今、王冠を掲げるルミネウスの前でかしづいていた。


「クレアム神の代理として、この司教ルミネウスが、貴殿に王冠を授けよう」

「得難き幸せです」

「神の御加護があらんことを」


 参列者たちが、司教の言葉を繰り返す。


「この国をいっとき与かるにあたって、宣言いたします」


 キルリが儀礼的な宣言を読み上げていく。


 続けて司教が祝詞を捧げて、キルリに王冠を被せ、儀式は終わった。


 会場は拍手に包まれた。





「……ぷはっ!」

「なに?」


 隣ではあはあと息を戻すクルミに、レオンが冷めた目を向けている。


「あ、失礼! 息止めてました!」

「なんで?」

「拙のようなものが、このように神聖な場で息をするのは無礼に当たると考えたからであります!」


 サーキットが尋ねる。


「いつから止めておったのだ?」

「十分は前からであります!」

「何回か窒息死しとるな、それ。ガハハ! 気絶しながら立っとったんか!」


 キルリは儀礼用のローブを脱いでお付きの者に渡し、大司教と笑顔を交わしながら雑談を始めていた。使用人たちがテーブルや料理を運んできて、舞台は立食パーティーの形式へと変化する。参加者らが一気に雑談を始めて会場は一気にざわつき始めた。


「サーキットさん、戴冠式って教会でやるものかと思ってたんですが。今回はこのように、そのままパーティーという形になるんですね?」

「ん? ああ。指定の教会でやるのが本来の形式なのだがな。あちらは半開放だから、護衛しづらいということで、今回は変わったらしい」


 レオンはホールにいくつかある入り口に目を向けた。どの扉の傍にも衛兵が数人ずつ立っている。今は使用人たちが忙しなく出入りしているが、ひと段落すれば扉は閉じられ、衛兵の確認無しでは出入りが出来なくなる。


「徹底してますね。キルリ様を守る立場のこちらとしてはやりやすいですが」


「ムクル殿と第三王子のガーレイド様が考えたのだと。もしかしたら、レオンの予想——ガーレイド様こそが逆賊の親玉である——というのは外れているかもしれんなあ」


「そうですか……。なら……いや、でも……ヨルノさんが魔女であると分かっているのは良かったですね。魔女も、ここに来る理由ができたってことになるし。この場面を逃せば、もう二度とヨルノさんは日の目を見ない可能性すらある」


「そういえば、件のヨルノ譲の姿が見えないでありますね! 一体どこにいらっしゃるのでしょうか!?」


 会場設営も落ち着いてきた折、ラッパを皮切りに楽団の演奏が始まった。群衆が沈黙したタイミングで、ちょうど女性が一人、入場してくる。


「いや、あれが……」


 エールが着ていたものとは比にならない程に高価なドレス。赤みがかった白いもの。使用人に片手をまかせ、優雅に歩く。それは正真正銘のお嬢様の振る舞い。それも当然、なぜなら彼女は本当にお嬢様なのだから。





 ヨルノは観衆の目を集めながら会場の前方まで歩いていき、キルリの前で立ち止まると、スカートの裾を抓んで礼をした。


「御機嫌よう、キルリ様。参上が遅れて申し訳ありません。この度はおめでとうございます」

「やあ、御機嫌よう、ミス・ヨルノ。いや、ミセス・ヨルノ?」


 ヨルノは目を逸らしてべっと舌を出す。傍で見ていたルミネウスが「ん?」と眉をひそめた。


「こらこら、そういうのやってたら怒られちゃうんじゃない?」


 ヨルノはキルリの笑いをうけて微笑みを浮かべながら、しかし低い声で聞き返した。


「誰に怒られるというのでしょうか? 晴れて王妃になったっていうのに?」

「晴れてなさそー」


 キルリはくっくっと笑っている。


「そんなことないですよ。ほら、段取り通り、やりましょう」

「そうだね」


 キルリは礼をしてから、片手を差し出した。


「オレと踊っていただけますか?」


 ヨルノは微笑みの仮面をもって手を乗せる。


「当然。そうさせてもらいます」


 キルリはヨルノをエスコートしながら、会場の中央へ向かっていった。





**





「なぜ食べられないんだ」

「ご、ごめんなさいお父様、でももう……」


 ムクルの右の拳が机に振り下ろされる。


「これ以上言わせると拳が飛ぶぞ。お前の整った顔に傷が付いたらどうする」

「すみませんお父様、でももう本当に食べられないんです」


 ムクルの拳が再び力強く振り下ろされた。ヨルノの身体がびくりと跳ねる。


 ムクルは深く深呼吸をした。落ち着いてから、使用人を呼ぶ。使用人がさらに数人の人を集めてくる。


「すみません、すみませんお父様、すみません、だからどうかお許しを」


 使用人らに抱えられてヨルノは屋敷の地下室に連れて来られた。石の床に大人ひとり分程の高さの穴がある。


 ヨルノは服を脱がされその穴に連れ込まれた。足元の枷に両足を繋がれる。使用人の一人が穴に繋がる配管を開くと、穴に水が注がれ始めた。


 三十分ほど経つと、水は胸の高さまで溜まる。みるみる顔が青ざめていく。足の先の感覚は既に無い。少しでも水に流れが生まれないように身体をできるだけ動かさないようにする。


 体が、顎が震える。


「寒くても歯を鳴らすなよ。お前の綺麗な歯並びが欠けたら誰が責任を取るんだ」





**





「はーあ。ごめんなさいねキルリ様。こんな茶番に付き合わせて」


 ヨルノは完璧な足運びでキルリについていく。


「そんなこともないよ。初めての体験ができて楽しんでるぜ?」

「あらあらまあ、いい性格ですこと。エールとはお似合いですね」

「あーおもしろ。エールと友達になりたかったの? 残念だったねー」


 会話がかみ合わないことから、勝手に記憶を覗かれているとヨルノは気付いた。


「チッ。その能力、本当に不快だな……」

「聞こえてるよ~」





**





 その晩。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいヨルノ」


 ヨルノは拷問の疲れから今にも気絶したいのに、それを母親のすすり泣きが妨げていた。


「ごめんなさい、あなたをこんなつらい目に合わせて。強く言えない私が悪いの。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 縋りつく母親を撫でて何とか落ち着かせようとする。無心で懇願する。


「お母様、お母様、ありがとうございますお母様。分かりました。分かりましたから。もう寝室にお戻りになって。お母様のお気持ちはよく分かっていますから……」





**





 エールはホール上方の窓から中の様子を伺っていた。外観の意匠に足を乗せ、背中を外壁に張り付ける。いつでも窓を割り入ってキルリを攫える。


 しかし彼女は——二人のダンスに、見とれていたのだった。


「……上手いな、ダンス。私なんかより、全然」

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