第52話 精霊体三分クッキング

 戴冠式まで、一時間。


「やあ、オリーブお兄様」

「ガーレイド」


 ガーレイドは王城の一室に幽閉されているオリーブの面会に訪れた。


「何読んでるの?」


 オリーブはペンを挟んで本を机に置いた。目を細める。


「……何の用だ?」


 ガーレイドは微笑んだ。


「用が無くちゃあ会いにきちゃダメ? 面会して言葉を交わすなんて、僕くらいじゃないと許されなかったんだから、もっと感謝してよね」

「俺は一人に苦痛を感じるタイプじゃない。知ってるだろ」


 オリーブは苦笑して、ガーレイドにも座るよう促した。前かがみになって膝に肘を置く。


「……考えてみたんだが、ガーレイド。お前はキルリを殺すだけでなく、王になろうとしていたんじゃないか?」


「えっ? バレてたの?」

「『俺にキルリを殺させようとした』理由を考えれば、自ずと答えは浮かび上がる」

「流石だね。優秀なお兄様」

「お前やキルリほどじゃあない。さて、本題に入ろう」


 目を閉じたオリーブは手招きするような仕草でガーレイドから話すよう促した。ガーレイドは頷く。


「要件はいくつかあるよ。一つ目。オリーブお兄様には王位を諦めて一生をこの部屋で生きてほしい」

「いずれこの部屋ではなくなるだろうがな」


「二つ目、キルリを殺す許可を頂きたい」

「元からアレの命はお前のものだ」


「三つ目、もしキルリが誘拐されるとしたら、許せる?」

「……何の話だ?」


 眉をひそめるオリーブに、ガーレイドは楽し気に広角を上げた。


「もしもの話だよ? もしも……『ヨルノに扮していたイヴの少女』が、キルリ誘拐を企んだ場合……お兄様はそれを看過できる?」


 オリーブはハッと彼女の事を思い出した。そのパッとしない表情とは裏腹に、欲張りなエネルギーを感じる彼女のことを。


「……彼女の名前は?」

「エールって言うらしいよ」

「エール。……そうか」


 エールとキルリが結ばれる未来。そのビジョンに、オリーブは——。


「フッ。許せるわけがないな」


 安易に形容しがたい、微妙な抵抗感を覚えたのだ。





 ホールを歩く人影が三人。


「レオンどの。オニクス、見当たりません。拙が力不足なばかりに、大変申し訳ありません。この失態は切腹でもって——」


 レオンは部下が取り出した小刀を取り上げた。


「やめなさい。いつもならいいけど、今はダメ。戴冠式までに治らないでしょ」

「なっ……! やめてください! 拙は切腹するんです! 刀を返してくださいレオンどの!」

「ダメったらダメ!」


 丈の短いダメージ風のシャツとショートパンツ。その上から、半透明で紫色のパーカーを羽織っている。短い黒髪の両側面にエクステを付ける。右側は紫色で真っ直ぐ伸ばしているが、銀色の左側は輪っかになるように結んでいた。銀環は雫のようなシルエットに見える。


 関節技の限りを尽くしてレオンから小刀を奪い返さんとしている彼女は、クルミ・リンドートという。〝左の冠翼〟。


「はは、レオンも手を焼くことなんてあるのだな。ふだん超然としておるから、意外に見える」

「サーキットさんはオニクスを探しに行かないんですか!?」

「おっと、吾輩もレオンからツッコミをいただけてしまった。同じ穴の狢であったかな、ガハハハ!」


 クレアムルの軍服を着崩して、制服の上着を肩にかける男性。ジャケットにはしっかりと数々の勲章が並んでいる。長く伸ばした真っ赤な髪は、毛先があちらこちらに飛び出ていて、狼の毛並みか馬のたてがみか、何らか動物的などう猛さをイメージさせた。


 ベルトの右側に銀の腕章をぶら下げて景気よく笑う彼は、サーキット・タッタ。〝右の腰翼〟。


「レオンどの! 小刀返して! ああああああ」

「煩い煩い! そろそろ諦めなさい!」

「ガハハハ! まったく面白いのお!」





 茶髪のウェーブに仮面のメイド——イエグはこの会話を聞きつけると、会場設営から抜け出してアノールを探しに向かった。





「アノールさん」


 イエグはアノールを、会場裏の影で見つけた。


「イエグさん?」

「何をされているのですか?」

「えっと……この会場の壁に、目に見える穴なんかが無いかチェックしてるよ」


「それは……ガーレイド様と私が確認しましたが」

「あ、ごめん、仕事を疑ってるわけじゃなくて、時間をちょっと持て余しちゃってね」

「時間を持て余して、オニクスを処理したというのですか? 流石ですね……」


 アノールは頭を掻く。


「偶然だけど。レオンたちに気付かれた?」

「はい。ですが、〝銀の鶴翼〟はあまり積極的に捜索を行っているわけではないようです」


「まあそうだろうね。死んでなくとも、精霊体を大きく損失してるだろうと想像はつくだろうから……合理的じゃない。戴冠式が終わるまで、本格的に探しはしないと思う」


「やはりアノールさんがオニクスを処理したのですね? では、お願いがあるのですが」

「……? なんですか?」


 イエグは両手を前で揃えて、頭を下げた。


「オニクスの身体を貸していただいのです」


 アノールは首をかしげる。


「いいけど……それは、〝能力の模倣コピーキャット〟のためってこと?」

「はい。〝能力の盗用クラック〟で使いたいと考えていましたか?」


「それも考えてはいましたけど。でも、〝触覚拡張サイコキネシス〟なら、ドミエンナのをコピーすればいいんじゃ?」

「私は会場の外でガーレイド様と一緒にいる予定です。壁を挟むと、私の能力ではコピーできないのですよね」


「そうか、そういう話でしたね。じゃあ、案内しますよ」

「ありがとうございます」

「あ、でも袋とか……」

「持ってきています」


 イエグは分厚い麻袋から、物騒な鉈を取り出して見せた。


「おっ……用意が良い……」

「どうも」


 イエグは少し自慢げな様子で、袋を胸の前に握った。


 ——そういえば……イエグさんと二人きりってのは初めてだな。なんか話した方が良いだろうか……。


 植木の迷路に向かいながら、隣を歩くイエグに尋ねてみる。背はアノールより僅かに高いくらい。


「えっと……イエグさんって、ガーレイド様と長い付き合いなんですか?」


 イエグは「ん?」と聞き返した。


「気は遣わないていただいて。ただの使用人ですから」

「い、いや、普通に気になるだけです」

「そうですか? それでは……長い付き合いと言えば確かに、長い付き合いです」


 迷路の袋小路に辿り着いた。二人でオニクスを引っ張り出す。


「私が五歳の頃です、ガーレイド様と出会ったのは。サヘンという街で」

「サヘン……!」


 アノールはその名前に聞き覚えがあった。クレアムルとハーキア、そしてツイネックの国境に位置する自治都市で、独自の法を敷いている。


 中央教会の教えでは子供を労働力として搾取することが禁じられているのだが、この街では平然とまかり通る。地理柄、大国三つから緩衝地帯として優遇されているのだが、教会からは定期的に労働状況の視察団が派遣されていた。


 ——僕が司教様に着いていって、エールを見つけた街だ!


 二人でオニクスの身体の解体を開始する。


「私は、あの街には腐るほどいる、奴隷だったのです。それを拾い上げていただいた……そうですね、それくらいです。ありふれた、奇跡的なお話です」


 顎の上を摺り落とし、身体の方は鎖骨より下を身体の端から切り離していく。


 アノールはイエグの手際の良さに驚いていた。目の前で行われているのは猟奇的な行為のはずなのだが、まるで家畜か魚の解体を見ている気分で、なんなら爽快なくらいだった。


「そう……なんだ。じゃあ、イエグさんも結構、大変な幼少期を過ごしてたんだ」

「そうですね……当時の私は、それを大変と思う頭すらなかったわけですが……」


 イエグはふと、自分の顔の右半分を覆う仮面に手をついた。


「そうですね。はい。ですから私は、ガーレイド様に、感謝しているのです」


 サヘンの街の乞食は、他の街のそれとは別物だ。ただの仕事を持てぬ者ではなく、マフィアに子飼いにされている。これが何を意味するのか。彼らは意思決定権を持たない使い捨てなのだ。


 イエグの顔を覆う発疹は病気によるものではない。もっと前、人に焼かれたものである。これも——貸し借りされる赤子のように——乞食としての収益を上げるための悪辣な知恵。いかに可哀想な子供になれるか。腕を折り顔を焼き、見た目を悪くする。ダメになれば捨てればいい。


『綺麗な顔だね』


 イエグは、古いやりとりを思い出して、僅かに微笑んだ。


『あなたの方が綺麗です。とても、とても可愛い』


 オニクスの首の肉を剥ぎ、骨だけを引きずり出して、背中側のトゲトゲした部分を叩き落としていく。


「こんなに小さくできるんだ」

「コツは頭側も少し残しておくことです」

「なんだか料理みたいな言い回しだね」


「え!? あ、いや、別に、普段の料理からこのノウハウで行っているわけでありませんよ!?」

「そんなこと言ってないよ」


 勝手に汗をかいて勝手に落ち着くイエグ。恥ずかしさに頬を染めながらコホンと咳をする。


「——個人的な所感ですが、『頭と首が繋がっている』という認識が無理にでも通用している限りは、いかに傷つけても復活できるようです。頭蓋骨を上手く使えば、多少荒く扱っても大丈夫な切り出し方が出来ます」


 首と切り離されたオニクスの身体は、既に急速に霧散していて、かなりの量の赤い精霊が宙に舞っていた。赤いもやが広がり、それらは外縁に近付くにつれ、透明になる。


 イエグはオニクスだったものと鉈を麻袋に仕舞って、口をキュッと締めた。ドヤ顔。


「これで終わりです。どうですか、さっぱりでしょう」

「さっぱり……? あっさり、とかかな……?」


 苦笑するアノール。あまりのスムーズさに、何の手伝いをする余地も無かった。


 ——イエグは能力柄、精霊体を「最小限」にする経験も一度じゃないのかな。能力柄……。


 アノールはぼんやりと考えた。


 ——能力柄って言うなら……僕も他人の脊髄をいくつも持ち歩けば。それこそオニクスのような能力者をいくつも所持すれば……。


 しかし、その思考は慌てて振り払った。その絵面は、常人が受け入れるには余りにも人間の尊厳から逸脱していたからだ。


「ともかく、これでガーレイド様の身を多少は守れると思います。ありがとうございました」

「うん。じゃあ、また」

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