第51話 ギラフの展望

 戴冠式まで、あと二時間。


 アノールは建物二階の外廊下にいた。手すりにかけて、ぼーっと庭を眺めている。ここまで一時間眺めていたが、植木の迷路の方へ向かう者は一人たりともいない。


 ——ありゃあ本人が復活するまで見つかることはないな。欠損の回復はどれだけ早くても一日はかかる。今回、オニクスは脱落だ。


「それにしても、お腹減ってきちゃったな……」

「これいる?」


 隣に来た女性が、アノールにサンドイッチを差し出してきた。


「あ。ありがとうございます」


 もぐもぐ。


「……って、ギラフさん!!?」

「や。アノールくん」


 ケロッと笑う彼女はギラフ。黒髪に金のインナーと、不健康そうな猫背。


 威圧的な教会の制服ではなく、今は私服らしい。レースがあしらわれた薄地のトップスに、金の糸が光る肩ひもの付いたスカート。真っ黒。


「んっ……んぐ。ギラフさんって……スカートとか履くんですね」

「わっ。モテそうなことを言うようになったねアノールくん」

「あはは、どうも」

「お姉さん悲しいよ。こうやってみんな大人になっていくんだね」


 二人で手すりに肘をついて、サンドイッチを頬張りながら、噴水の庭を眺める。


「ふと。尋ねるんだけど」

「なんすか?」

「アノールくんは私について、どこまで知ってるのかな?」


「どこまで? ——ギラフさんが〝イヴの一家〟で、かつ教会のエージェントで? アスキアを尋問して……うーん、それくらいですかね」


「まあ、そんなもんか」

「それ以外にあるんですか?」

「いや、ないかな」

「ないんかーい……」


 ぴしゃぴしゃと噴水が鳴っている。


「いやあ。平和だね」


 アノールは苦笑しながらギラフの顔を覗き込んだ。


「……あの。なんなんですか? この雑談いつまで続くんですか? 流石に何の目的もなく接触してきてないですよね?」

「そんな、酷いなあ! 友だちと話しに来ただけなのに」

「あっ……どうも。へへ」


 ——うそ、僕ってギラフさんの友だちだったの? 嬉しい……。


「で、魔女はどうやってヨルノを取り戻すつもりなのかな?」


 ——本命っぽい質問があるじゃんか! もう!


「照れ隠しなのか真面目なのか分かんないんですよ! まあギラフさんが照れるなんて想像つかないんで後者なんでしょうけど!」

「そんな……私だってたまには照れるよ……」


 ギラフは両手を頬にやって恥ずかしそうに顔を逸らした。その顔は赤くなっているように見える。


「うそ……本当に照れてる……」

「なんちゃって。ほいっ」


 ギラフの手元のガラス瓶から、赤い液体がアノールの手元に浴びせられた。


「——う、ああああ、あああー……あー……?」

「痛くないでしょ。私いま能力持ってないからさ。貸しちゃったんだ」


 アノールの右手の血は表面から赤い精霊になって空気へ溶けていった。ギラフがきつくコルクを締めれば、瓶の中で湧いた赤い精霊は、しぶしぶ血へ戻っていく。


「……ああ。なるほど、ショットが借りてきた能力って、イヴのものだったんだ」

「一生に一度のお願いだっていうから貸してあげたよ。はあ。私も実はお姉ちゃんだからね。妹のお願いなら聞いてあげたいものなのさ」


 ——ショットが言うには〝イヴの一家〟の姉妹関係はあくまで「見立て」だって話だったけど、ギラフさんはあくまでそれに拘ろうとしてるのか……?


「シワスもフィオネも、能力貸しちゃったらしくて。まったくみんな、姉妹に甘いよね」


 ——ふつうにみんな優しいだけだったか……。


「え? じゃあ、もしかして〝イヴの一家〟って——」

「うん。もしこの後、戦闘が起こったとしても、参加できない。一応それぞれ精霊体があるし、会場の近くにはいるけどね。ただ……これが何を意味しているかというと……」


 アノールを僅かに前にのめて尋ねる。


「ムクルは、自分の護衛はつけていない?」

「そう。だからもしも君たちがキルリ殺害ヨルノ奪還に飽き足らずムクル殺害まで目論んでいるならば……多少は楽になる、と、お伝えしておこう」

「あ、ありがとうございます」


 ——な、なんでよくしてくれるんだ? 下心があるのかな。


「でも当然、キルリとヨルノの前には〝銀の鶴翼〟がいるよ」

「レオンとオニクス、そして〝右の腰翼〟と、〝左の冠翼〟ですね?」


 ——オニクスは退場したから、あと三人。


「そうそう。よく調べてるね。対策は練ってる?」

「あー」


 アノールはばつが悪そうに目を泳がせた。


「レオンはショットに任せて……後は、流れ? かなー……?」

「おいおい……。そもそも、会場にはどうやって入るんだい? 入った後は? 会場の中はともかく周囲にはかなりの数の衛兵が控えてるぞ。能力者も結構いる」


 アノールは手すりから離れて大振りのジェスチャーをした。


「い、いや!? そこまで言うのは流石に! 無理ありますって!」

「それもそうか。私がまだムクルと繋がっている可能性はありうるからね」

「そ……そうなんですよ! それが接触してきてるのは不気味なんです!」

「友だちにアドバイスしにきただけだったんだけど……」


 ギラフは残念そうに肩を落としている。アノールは頭痛に額を押さえた。


 ——本気……なのか?


「……あの。まあ僕も、あまり疑ってはないですよ? この状況で、もうイヴの役割は終了してますからね。ただ……『ギラフさんの目的』が分からないんです!」


 ギラフはパチクリと瞬きをした。


「私の?」

「はい。ギラフさんは一体、何がしたいんですか? ギラフさん個人の目的が分かれば、何を話して良くて何を話しちゃダメか、分かりますから! そうじゃなきゃあ、何も言えないんですよ」

「ふむ。確かに……それも、そうか」


 ギラフも手すりから離れて、猫背のまま、右腕だけを広げた。にたりと笑う。その妖怪のような笑みは、アノールのいつかの記憶を思い起こさせ、彼の背筋に僅かな悪寒を走らせた。


「私の欲しいものはいくつかあるよ。とはいえそれは——カネ、地位、名誉——そういった、なんてことない卑しいものだけれどね。だから、暗殺の仕事も教会の仕事もコツコツこなす。ただ——ああ、そうだね。もっと根源的な目的と言うならば、私は——何かおっきな事を成し遂げたいんだ。とびきりおっきいのを」


 ギラフは両腕で大きな丸を作った。アノールの力が抜ける。


「えっ……なんですって?」


 ギラフは照れくさそうにはにかんだ。


「いやあ、はは。恥ずかしいよね。こんな薄ぼんやりとした、子供みたいな目標を掲げててさ」

「い、いや! 気持ちは分かりますよ。歴史に名を残したい……みたいな感情ですかね?」


 ——暗殺者がそう思うってのは奇妙に感じるけど。


「そうそう! ——たださ、私、そういうの向いてないみたいなんだ。今回も一度は黒幕ぶってみたけど、結局失敗したし。私自身、人に使われてる方が楽しいってところもある。だから……そう。私は『時代の寵児を導いた存在』として、歴史に名を刻みたい、かな」


「は、はあ。なんというか、弁えた……名誉欲、ですね」


「『時代の寵児』には——世界のルールを書き換えるくらいやってもらえれば、とても満足だ。中央教会を倒す、これだけじゃなく、更に、更に先を目指してほしい」


「中央教会を倒して……更に、先……?」


 アノールには途方もない話だった。


「既にアッカラ村の事件は〝アッカラ村の襲撃〟という言葉で語られるようになった。こんな大きなうねりに巻き込まれた以上、私だってガルに負けないくらい大きな事を成し遂げたいと思うのは、決しておかしなことじゃないだろ?」


「それは……確かに。いい夢ですね」


 アノールはギラフの目的に理解を示した。まるで少年少女が抱くような夢。口にしたってバカにされること請け合いの無謀な挑戦。だというのに恥を忍んで口にしたその決意に、アノールは敬意を抱いたのだった。


「アノールくんには分かってもらえると思ってたよ」


 ギラフは廊下の方に目を遣った。


「そろそろ行こうかな。構ってくれてありがとうね」

「あ、え? 暇だったんですか?」

「うん。時間潰してただけ」

「そうだったんだ……。こちらこそ、サンドイッチ、ありがとうございました」

「いいってことよ」


 ギラフは不健康な猫背のまま、パラパラと手を振って去っていった。


「話せて楽しかったよ。次に会うときは敵か味方か分からないけど。またねー」


 アノールは苦笑しながら手を振り返した。


「はい、また」


 アノールはギラフが消えていった曲がり角に、少し長く手を振り続けた。


 ——友だち、か。


 微笑みを浮かべつつ、その場を離れたのだった。

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