5章 〝王国クレアムル争奪戦〟編
アノールが各組織のボスと対談するまで
第50話 オニクスのメンタルヘルス
アッカラ村の襲撃から、一か月と二週間後。
後の世の記録では、〝魔女のよすが〟と〝銀の鶴翼〟が、初めて全面的に衝突した日。他にも数々の重要な出来事が起こった、歴史の分水嶺。
キルリ・アー・ナイトラル・クレアムルの戴冠式。
舞台にはこの国で最も大きなホールが選ばれた。前回キルリとエールが踊ったのと同じホールだ。縦横それぞれ40メートルはある会場。
「会場の設営は言われたとおりにやったよ。仕込み通りに出来てる」
礼服を纏ったガーレイドが、使用人姿のアノールに話しかけた。
「ん。ありがとうガーレ」
ガーレイドはアノールの顔つきがふと気になって、足を止めるとじっくり見つめた。
「なんか……一皮むけたんじゃない?」
「え、そうかな。そんなことないよ」
アノールは照れくさそうに笑った。ガーレイドも微笑む。
「ふふ。会場の外は、ボクに任せてくれればいいからね」
戴冠式が始まる三時間前。午前十一時。
——ヤバイ。緊張からめっちゃ早く現場入りしちゃったけど、凄い暇だ。
じっとしていても落ち着かないので、アノールはなんとなく、会場の外の庭を散歩してみることにした。かなり広い庭で、噴水を中心として、植え込みやモニュメントが幾何学的に配置されている。背の高い植え込みが迷路のようになっているところもあって、アノールは少年的好奇心からそこに迷い込んでいった。
角を曲がる。植木の迷路、行き止まりのベンチ。そこに、一人の少女が座っていた。
「えっ……!」
オニクスはアノールの驚いた顔を見て満足そうに口角を上げると、ポンポンッと自分の隣のスペースを叩いた。
「まあ、座りなよ」
「え、ええー……?」
「嫌ならいいけど?」
「え。嫌だったら逃げれる可能性があるんですか!?」
アノールはチラリと隠すようにしながら目を回す。
「レオンはいないよ。私一人だ。アノールと話に来ただけだから」
「ええー……連れてこられてたら、僕の負けだったんだけどなあ」
「そうだったの? じゃあ運が良かったじゃん」
「い、いやそれはマジで。運が良かったよ、おかげさまで」
アノールは彼女の隣に座った。
「フフン。それでいいんだよ。素直なやつは嫌いじゃないんだって」
鳥が鳴き、噴水の水音が遠くから届く。陽は温く差して、緑が香る。
選抜以来の再会。
愉快な様子のオニクスに、アノールは恐る恐る尋ねた。
「……で、なんで僕がここにいるって分かったの?」
オニクスは自分の右手を上げながら、自慢げな様子で語った。
「ああ。私さ、なんでレオンと組んでるか分かる?」
アノールはイエッタから聞いた話を思い出す。
「あー、えっと、確かイエッタは……レオンが、僕ら幼馴染を探すためにオニクスを頼ってるんじゃないかって考察したらしいね。そしてそれは正解だったって」
「そう。だから、私は、お前——アノールと、エール——この二人の身体の形は頑張って覚えてるんだ。私の能力圏内に入ったら、それが二人だってすぐに分かるくらいにはな」
「本当に凄いな、オニクスの能力」
「ふふん。凄いだろ。凄いよな」
褒められてオニクスは鼻を上げた。
アノールはオニクスの機嫌がよさそうで安心した。逆上させたら瞬殺されてもおかしくないのだから。
「でも——」
しかし彼女の表情は、すぐに曇っていったのだ。
「レオンは、もうお前らを見つけてたんだよな」
「……?」
オニクスは自虐的な笑みを浮かべる。
「なあ。その、アスキアって魔女を捉えたときの話だ。式典の日」
「う、うん、分かるよ」
「今、イエッタって言ったっけ? 逃げた方の魔女。その魔女ってさ、その場で『アノールが魔女になっている』と、レオンに漏らしたんじゃないか?」
アノールは眉をひそめた。
「え……? そりゃそうだけど」
「はは。やっぱりね。ちなみに私は今この瞬間まで、アノールが魔女だって知らなかったよ」
「——!?」
——え!? それって……え!?
失言したという現実と、オニクスがなぜそれをレオンから教わっていないのかという疑問が同時に襲い来た。
「もう一つ。私は、一週間前のパーティーまで、エールが〝イヴの一家〟に入ってるって、微塵も知らなかった。けどレオンはさ、知ってる様子だったよ。たぶんギラフから聞いてたんだろうな」
——レオン……お前、なにやってんの!?
「なあ、私さ。いつの間にかお役御免になってたんじゃないかな」
オニクスは、さっき調子よくもち上げたはずの右手を、今度は力なく見つめていた。
「私……この人探し……何か月とか、何年とか、そういうずっと長い期間かかるものなのかもなあって思ってた。そしたらさ。いつの間にか私の知らないところで終わってたんだ。無力感と言うか……人の形を覚えるのってちょっと頑張らなきゃいけないし、毎晩寝る前に体つきを思い出すようにしてたりさ……」
——やっぱり破廉恥な能力に聞こえるんだよな……。
「能力の範囲を広げるのも疲れるけど、人が多いところとかだと頑張って広げるようにして、一生懸命探してたんだ……でも、なんか、何の役にも立てなかった」
アノールは相手が敵だということなど丸きり忘れて、慌てて慰め始めた。
「い、いや!? それはさあ、仕方ないんじゃない!? だってレオンって、ほら……滅茶苦茶優秀じゃん! まあ……しょうがないんじゃないかな!?」
アノールに背中を撫でられて、オニクスは寂しく笑った。
「ありがとう……でも……優秀な人なら、優秀じゃない人には興味ないんじゃないか……?」
「オニクスが優秀じゃなきゃ誰が優秀なんだよ! 最年少で御神体の護衛をやってたじゃん!!」
——なんでオニクスほどの人間が自分のことを卑下してんだ!? レオンは何をやってんの!? マジで!!
「はは。そうだな。優秀に見えるらしい。でも私って、レオンがいなかったらもう二回くらい死んでるんだよ。その程度なんだ。今思えば、御神体の護衛の任に着いてたときだって、きっと知らないところでカリオに助けられてたんだろうな。それを未熟な私は、何も気付かなくて……」
「いやあ!? そんなことないと思うけどなあ!?」
オニクスはアノールのツッコミに小さく笑っているが、次第にその頬に涙が流れ始めた。
「う……あ、ごめん……」
——え!? ヤバいヤバい。え? は? なんで僕はこの大事な日の午前中のこんないい天気の元で敵の大将のことを慰めてんの? なんで? それもこれもレオンのせいじゃん! おいレオン出てこいよ! 出てこられたら困るんだけど!
「あ、あの……大変だったねオニクス。それは確かに誰にも相談できないや。僕にしか——」
——そう、か。そんなことを相談できるのは、僕だけか。
アノールは改めて、優しくオニクスの背中を撫でた。
「よく頑張ったよ……本当に。その気持ち、凄く分かる。アイツの隣にいるのって、しんどいんだよな。否応なく劣等感と申し訳なさを植え付けられるんだ。いや……本当によく分かるわ。心の底から。思い出してきた……」
「ふふ。やっぱり、アノールは分かってくれると思ってたよ」
「あ、元気出てきた?」
「ちょっとはね」
オニクスは涙を袖で拭うと、立ち上がって伸びをした。へへっと照れ隠しに笑う顔は、まるで身長相応、小さな少女のものに見えた。
「ああ。泣いたらすっきりした。これからも定期的に私の話、聞いてくれよ?」
「えっ……嫌ですけど……」
「はは。この照れ屋さんがー!」
ぐりぐり。
——いや、心臓が持たないから。もうずっと歪な笑みを浮かべてて表情筋が痛いから。
オニクスはアノールの手を取って立たせた。
「じゃ、どうするアノール? ここでやる? 後でやる?」
「……一応聞いとくけど、何をやんの?」
「そりゃあ、戦闘を」
オニクスはにやりと口角を上げた。いつものガキっぽい表情である。
「え、え!? さっき『これからも定期的に話を聞いてほしい』って言ってなかった!? それって、見逃してくれるってわけじゃなかったの!?」
「そりゃあ、牢屋の中でも私の話は聞けるだろ?」
「ああーなるほど。天才的なアイデア」
「さ、どうする?」
オニクスは両手を持ち上げてアノールに迫る。
「今は私一人だけ。でもアノールに勝てるかな? 戴冠式でなら私にはレオンがいるけど、アノールにも仲間がいる。好きな方を選んでいいよ」
「そりゃあ——」
「そりゃあね。レオンが私の味方するかなんて分かんないもんな。フッ。私一回アイツに斬られてるし」
隙あらば自虐。
「レオンってどうして私を助けてくれるんだろうな。惰性? 私はアイツに何もしてあげられてないのにさ。そりゃ斬られたって文句言えないよ。でも……私のことを大事にしたり、裏切ったり……。どっちかにしてくれたら、もっと——」
オニクスは見る見る間に曇っていく。
「あっ、あっ! じゃあ今で!!」
「ほう。それでファイナルアンサー? 気は遣わなくていいけど?」
「うん。元からそのつもりだったよ」
「そうか、分かった」
オニクスは最後に、少女らしくはにかむと、ふわりとムーンサルトしてアノールと距離を取った。
着地と同時に、重い雰囲気が空間にズシリとかかる。
「——っ」
それは彼女から発せられる圧による錯覚か、それとも彼女が無意識にかけた重力か、判別がつかなかった。
とはいえ確かなこともある。それは、オニクスはもうアノールの隣で泣いていた少女ではなくなっているということ。
そこにいるのはクレアムル〝最強〟。若くして教会に引き抜かれ、最年少で御神体の護衛に着いた者。
目を細めて右腕をアノールに向ける。
「じゃあ、覚悟しろよ」
アノールは無言で頷いた。
二人の視線が交差して、数秒。オニクスの眼がキッと開かれる。右手を力強く開くと、続けて思い切り握りつぶした。
オニクスの頭頂部がギュッと潰れた。血を吹き出して地面に倒れる。
「わっと」
アノールは反射的に血しぶきを避けて後ろに跳ねた。そして、ほっと息をついたのだった。
「本当に運が良かった。僕はオニクスとのタイマンなら絶対に負けないんだよな。〝
辺りを見渡す。オニクスの仲間が出てくる気配はない。
「本気で捕まえに来てたなら、逃げようがなかったな……。それに免じて首は切らないでやるよ。まあ、そうじゃなくても……あんな話聞いたら、不憫で殺せないしさ。はあ」
アノールはオニクスの身体を植木の根元に隠してから、その場を去った。
「レオンは一体どうしてこんなにオニクスから入れ込まれてんの? あの日の教会で一体何があったっていうんだよ……」
アノールは最後に振り返った。
「二人でなら、何回だって話聞いてあげるよ。またね」
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