第47話 陰謀の王位継承戦、その終わり
フィオネとショットの視界からエールの姿が消えた。
「——!」
二人はお互いの死角をカバーするように背後と前方を攻撃したが、どちらも刃物は空を切った。と、同時に、二人の姿勢が滑ったように崩れる。カーペットが一気にズレたのだ。
前方を攻撃していたショット、彼女はエールを見つけた。キルリの後ろに隠れる位置に立ち、足をカーペットの端にかけている彼女を。
——搦め手……!?
キルリがショットに向かって駆けてくる。
「来るなら……!」
短刀の斬撃は当然キルリの首をすり抜ける。それどころか、キルリがショットと重なりながらクルリと回転したとき——つまり姿勢とポーズまでもが一緒に重なったとき——右手の内側から持っていかれるようにして、ショットは短刀を奪われてしまった。
——うそ。この人、慣れて——!
フィオネが振り返るのと同時に、キルリはその首筋を短刀で撫でた。
「……!!」
フィオネは自分の喉を抑えるも、出血はとどまるところを知らない。キルリはまた回転して、短刀で自分の胸を刺すようにしながら、背中からフィオネに倒れ込んだ。フィオネが彼の背中に攻撃するがすり抜けて、そのままキルリは彼女の後ろにすり抜けていった。フィオネの胸には深く突き刺さった短刀だけが残っている。
「——ク、ソ」
「っ——フィオネ!!」
「ショットごめん!」
「——!!」
ショットの身体が横から蹴られて壁に激突した。
「なあヨルノ! さっきの……あ、あのさあ!」
「ふふ。返事は後でいいよ。あーたのしいな。ほらアノール、こっちこっち!」
「ちょ……ヨルノ待って!」
ヨルノに引っ張られて廊下を走っていくアノール。嬉しいやら恥ずかしいやら、焦った表情を浮かべている。
その耳に、声が一つ、届いた気がした。
「眼福なシーンだったから見逃すけど、次は戦ってもらうから、よろしくな」
アノールは振り返ったが、既に廊下を曲がるところで、その人物の背格好しか見えなかった。
エールとキルリは急いで廊下を曲がった。そこには、人間が一人、二人を阻むようにして立っていた。
大きなシルエットでラフなジャケット。左肩には銀の腕章。緑色の古い軍帽を被る。黒い髪に黒い瞳を持つ男。
「……レオン。どうして」
レオンはチッチッと指を振る。
「俺はアノールに幸せになってもらえればいいからさー。揺れてんだよね。そう、どっちのカプリングを推せばいいのか……いやあ悩むよ」
「はっ。そういうのは幼馴染でやるな、キモいんだよ」
「いいよ、どうぞ、来な、エール」
エールは再びカーペットを引いてレオンの姿勢を崩した。
「わっ」
そして、背後に回ってその身体を蹴り飛ばす。さっきのショットと同様、レオンは壁に激突した。
——二秒巻き戻し。
ノイズ。次の瞬間、壁際のレオンの姿が消えたかと思うと、エールの首筋に冷たい刃がひたりと付けられていた。
「なっ——」
レオンはエールの背後に立っている。エールを人質にとるようなポーズ。
「今回はアノールとあの子は見逃してあげて……って」
レオンが見ると、キルリの姿がない。
——え。いつの間に姿を消した?
廊下の壁をすり抜けるようにして、レオンの側面からキルリが現れた。その距離は一メートルもなく。手を伸ばしてくる。
——避けらんないな。
レオンはエールの背中に手をつくと、キルリに押し付けるようにして距離を取った。しかしキルリはエールすらすり抜けて、レオンの腕に僅かに指先を重ねたのである。
——!?
それは一瞬だったが、キルリには十分。欲しかった情報は抜き出せた。
キルリが姿勢を崩して倒れそうになるところを、エールが手を取って支える。扇形。
「キルリ、大丈夫!?」
「お。成長したじゃんエール」
「まだダンスしてるときのような気分でいるの!?」
「そりゃあね。人生は踊りみたいなものさ」
レオンは困惑している。
「えっ、なに? 攻撃ですらない……?」
キルリはレオンに向けてさらさらと語った。
「自分だけが時間を遡ることができて、このとき自分以外の人間は、物理的に可能な限り『元と同じ行動をなぞる』。改変した自分の行動は感知されない。巻き戻せる時間は無制限だが、クールタイムはそのまま巻き戻した時間だから、下手に長時間巻き戻すのはリスクになる」
「……!!」
レオンの驚きの表情を受けて、にやりと笑う。
「そして、オレはもう君の能力を『口にした』。数秒前に遡って自分の行動を改竄し、オレに触れられるのを回避したって、オレはこれを『口にする』だろう。能力の詳細がバレることを防ぐには、オレがこれを口にする以前に殺して、『元と同じ行動をなぞらせない』しかない。しかしオレはこの国の王子。君はオレに加害できないはずだ」
「頭の回転はっや。でもまあそれくらいなら、殺すまではしなくてもいいんですよね」
ノイズ。キルリの口に丸められたハンカチが突っ込まれている。と同時に、記憶の一部がごそっと抜けた。
「んっ……ん!?」
キルリは自分の特性上、記憶という媒体について、かなり機械的に把握できている。
——あれ、オレさっき……レオンと手を重ねたよな。情報を抜いたはずだ。そのときの記憶が……ない! いや、消えた!! この数秒の記憶は……何か喋ろうとしたような気はするんだが……その内容も思い出せない!
キルリは口枷を外しながら、しかしまだ余裕をもって笑った。
「本来のセリフと繋ぐなら……『いずれにせよ』がいいかな? いずれにせよ、君の能力は、多少は見当がついたぜ」
「なるほど。流石の第一王子、キルリ様」
「天才なもんで」
「とはいえ——能力が多少バレたからって——俺は動じませんけどね」
剣を構えるレオンを前にして、エールとキルリが息を飲む。そのとき——。
「待って待って。それ一旦ストップ」
廊下の奥の方から来たギラフが、三人に声をかけた。教会の白い制服を纏っている。
「ギラフ!?」
「ギラフさん?」
「……この人が、ギラフ」
「三人とも何を楽しそうにしてんの? 私も混ぜてよ~……と、言いたいところだけど。私はこれから仕事があるからねー。面白い場面になるだろうから、みんなホールに戻りな?」
エールが廊下の先に目をやる。
「いや、私はヨルノからキルリを助ける方法を聞き出さなきゃ……」
「ん? キルリ様はもうそれは分かってるんじゃないの?」
「え?」
エールの視線を受けて、キルリは頷いた。
「うん。さっきショットと重なったとき、記憶も読み取ってきたからね。ヨルノの暗殺者であったショットの記憶を読めたなら、ヨルノが暗殺を免れた理由だって分かるさ」
「え、あ? そうなの!?」
「君がヨルノを追いたい気持ちも理解できたから、この数分、付き合ってたけども。ギラフにレオンも立ちふさがったとあっては、ヨルノを今追うのは無理だ。元々、今は殺せないって話だったしさ。ドンマイ」
「ううー……、悔しい。アイツー……」
わなわなとこぶしを握るエール。キルリはその様子に微笑みかけてから、改めてギラフに目を向けた。
「では答え合わせ。イヴの暗殺を免れる方法——そしてヨルノが助かった方法とは——『依頼人が暗殺依頼を取り下げる』ことだ。そうだよな、ギラフさん?」
「その通り」
「い、言われてみれば……確かに。それは、中断せざるを得ないよね」
ギラフはそこで、口角を広げて笑った。
「ええ。ということで——キルリ様に。ムクルどのから交渉です」
「……!?」
キルリは衝撃に目を見開いた。今のギラフの一言で現状が一気に見えてきたのだ。それほどまでに、その発言は現状の本質を表したものだった。
「まさか……ムクルはここまで見越していたって言うのか? イヴは一枚岩ではなく!? 全ては、このオレに交渉を持ちかけるためだと!?」
「……? ねえレオン、どういうこと?」
「えっと、多分……ムクルさんは、暗殺依頼を取り下げることを条件に、キルリ様に何か要求しようとしてるんだと思うよ。エグいマッチポンプだね。エールはそのために利用されたんじゃない?」
「えっ?」
「初めからそのつもりではなかったんですよ、私も、ムクルどのも。ただ……あまりにも、キルリ様とエールちゃん——ああ失敬、ヨルノ譲が仲良さげだったので——こちらのサブプランをメインプランと差し替えたのです」
「……で、ムクルの要求はなんだ」
ギラフは楽し気に口の端を広げていく。——おどろおどろしく。
「ああ、はい。ムクルどののメインプランはオリーブ様でしたが、つまりサブプランはキルリ様、あなただということです」
「——まさか。ヨルノに扮したのは、それを自然な流れにするため……だってのか」
このキルリのセリフでレオンは察したようだが、エールにはまだ分からない。
「え……で、結局、要求は……何なの? キルリへの暗殺依頼を取り下げるには、いったいどうすれば……?」
表に出たアノールとヨルノを出迎えるのは、エリカの馬車のはずだった。
しかし実際にそこにいたのは、氷のナイフを人質の首に突きつけるシワスと、四肢を万力で捻り潰され抵抗の意志を徹底的に潰されたアスキアだった。
「す、みま……せん……」
「アス……キア……!?」
ヨルノが驚く隣で、アノールも絶句する。
——どういう、ことだ。
シワスはヨルノに真面目な口調で話しかけた。
「ヨルノ。コイツを殺されたくなきゃあ、ホーク家に戻ってこい。交換だ。お前さえホーク家に戻ってくれば、コイツはお前らに返してやる」
「クソ……認めるよ」
キルリは完敗を悟った。
——完敗……いや、そもそも、勝負の目線が、次元が違った……。
悔しそうに口にする。
「オレがヨルノと結婚すればいいんだろ」
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