第41話 初めての間接キス

「キャハッ! じゃあその腕見定めさせてもらおうジャン。これくらいは躱してみなあ!!」


 水球から触手が発射された。弾丸に負けない速度で数本ずつ、アノールとヨルノのそれぞれを狙う。


「——!!」


 二人ともギリギリで後方に回避。触手は石畳を抉りながらピンと真っ直ぐに張る。


「躱しっ——」

「アノールまだだ!!」


 アノールの足元、地面に穿たれた触手。その接地点の触手が突如膨らみ、丸い水球が現れ出た。更に人型の上半身が伸びてきて、手に持った氷のナイフでアノールの首を掻き切らんとする。


「なっ——!」


 アノールは間一髪で身体をひねり、喉筋をモロに突き刺されることだけは避けた。それでも太い血管をやられ、かなりの血が噴き出る。


 すぐに反撃しようとするも、人型は既にナイフごと水球に引っ込んでおり、続けて水球を斬ろうとしたなら、今度は水球自体が引っ込んでしまった。刃は細い触手のみを斬る。ねちょっと剣にまとわりつく。


「上っ!」


 アノールが顔を上げれば、水球はいつの間にか頭上の触手に移動していた。


 ——触手内は自由に素早く移動できるのか! しかも触手に引っ込まれたら見た目にはどこにいるか分からなくなる!


 水球から下向きに伸び出た水色の上半身が、逆さの頭頂部からぺたーんと粘る雫を伸ばしながら、不思議そうに腕を組んでいた。


「え? なんで上だってバレたの?」


 シワスは触手を伝ってアノールの背後に高速で移動し、すぐにナイフで刺さんとした。しかしアノールも剣を構えながら振り返っていて、ナイフは首まで届かない。アノールからの反撃はさっきと同様になんなく躱せるのだが……。


 ——背中に目がついてる? いや、ヨルノ同様〝能力を基礎とする能力〟かあ? 本体の位置が常に掴まれてるんだあ。


 ——見た目に分からなくても、僕は能力者を対象に使う能力を持ってる以上、なんとなく位置が分かるんだよね!


 まるでカーソルが吸い込まれるような感覚で。アノールには自分の周りの能力者がどちらに移動したか分かるのだ。


 シワスは内心で毒づく。


 ——やりづら。


 触手内部を高速で移動するシワスの反応。ヨルノがアノールと背中を合わせる。


「背中は任せな」


「そりゃどうも。で、なんでコイツは僕の攻撃をわざわざ躱すのか分かる? 〝能力の盗用クラック〟で能力無効化しての一撃必殺が使えないんだけど」


「分かんない。聞いてみたら?」

「すいませーん! なんで無敵の〝形態変化フレーム〟系なのにわざわざ攻撃を躱すんですか?」


 どこからか声がする。


「え? なんとなく!」

「マジかー……」

「たぶん氷のナイフは実体があって、万が一にでもアレを破壊されると困るんじゃね?」


「お前さっき分かんないって言ったよな? 助かるけどなんでワンクッション挟んだの??」

「え? なんとなくかな」

「マジかー……」


 頭上から散弾のような触手の射出が降り注ぐ。二人とも剣をかざしながら回避した。しかし一本がアノールの右の手の平を貫通した。


「うっ——」

「——!!」


 ヨルノはすぐにアノールの右腕を斬り飛ばした。右手に水球が表れてアノールの首に攻撃を仕掛けるが、これもまたギリギリで喉筋を突かれることは回避。右手が体と繋がっていたなら避けられなかっただろう。


 人型は舌打ちをすると再び触手に引っ込んでどこかへ移動した。


 アノールは左手で剣を拾いながら、右腕の欠損に顔を歪める。


「ご、ごめんヨルノ、世話かけてる」

「ホントだよ。私にアノールを斬らせるなんて、どんな仕打ちが相応しいか分かったもんじゃないな」

「ど、どうも……?」


 ——それにしても……この高圧の水の射出だけで戦えそうなのに、あくまで氷のナイフを大事にするのか。この射出は、あまり連発できるもんじゃないのかな。それならそれで、他の攻撃方法が無いのか?


 再び背中を合わせながら尋ねた。


「ねえ、聞けば、ガルは〝形態変化—炎フレイムフレーム〟を好んで使うんだよね? 同じ〝形態変化フレーム〟系だけど、そっちはどういう風に戦うの?」


「そりゃ、相手を炎で焼くんだよ。両腕が伸びて相手を包んでるように見えるかな」

「それは……武器は必要なさそうだね」

「そりゃあね」


 攻撃を警戒して周囲に目を回しながら、考える。


 ——となると、武器を必要とするという事は、〝形態変化—粘液スライムフレーム〟で〝形態変化—炎フレイムフレーム〟と似たような戦い方はできないってことだよな。できそうな印象だけどな。あの水球と触手を合わせたら明らかに人間の容積より大きいから、その辺は多少融通が利くんだろう。なら〝形態変化—炎フレイムフレーム〟と同様に、腕を広げて相手を包む、みたいなことはできそうだ。いや、僕がこの能力の持ち主だったなら——。


「なあ、あの能力って、水球のまま相手に被されば、窒息死させることができそうじゃね? 精霊体相手だったとしても一旦気絶させられるし、体内からの攻撃とかにも繋げられそう」


「まあ、そうだね」

「その方が暗殺向きでもあるよな?」

「言われてみれば、確かに。外傷はない方が良いからね」


「プロの暗殺者なら、それを試していない訳がない。それでもなおそうしないというなら、相手の能力にはそれができない理由があるはずだ。攻略の鍵はそこにある!」


 また、シワスが攻撃を仕掛けようとする。


 ——もう次の射出のために必要な分の身体は回収した! 打てる!


 シワスのこの触手の高圧射出は、溜めがいるというわけではない。しかし液状触手も体の一部である以上、際限なく打っていてはいつか身体が無くなって、ある程度のラインで意識を失う。ゆえに、シワスは遠巻きの触手を水球に回収してきてから攻撃を放つ必要があった。この猶予が、アノールに思考の隙を与えてしまったのだ。


 ——死ね!


 とはいえアノールの結論はまだ出ない。今度は回避のしようもない弾幕を放つ。


 ——!!


 アノールがヨルノを押し飛ばして、一人ハチの巣に、もしくは地面に磔にされた。


「アノール!?」


 ——さっき助けてもらったからな……!


 ヨルノの驚く声がアノールの耳に届く——ものの、まるで遠くからのように聞こえる。


 ——これ……マズい、か? 想像以上に、ダメージが大きいっ……。


 触手を伝ってシワスの反応が迫ってきている。


 ——首を、捻らなきゃ。


 全身を触手に貫かれながら、それでも首筋だけは切られまいと可能な限り首をひねる。


 そのとき、ふと向こうの地面に、自分が部屋からとってきた荷物が見えた。そのカバンも貫かれていて、中から白い粉末が溢れ出てしまっている。


 ——アレは……片栗粉か? ああ、もったいない……。


 目前に水球が現れ、すぐに人型も伸び出てきた。氷の刃が振りかぶられる。


 ——えっ……片栗粉!!?


「!!」


 アノールは全身の痛みに耐えながら、思い切り顔を前に出した。氷のナイフが突き刺さるのにはもう構わず、人型の腕に噛みつこうとする。


「!?」


 すると、人型は——すぐさま触手に引っ込んでしまったのだ。


 ——やっぱ、そうか。


 アノールは地面に体重を預けた。そうしようと思ったわけではないが、もうほとんど身体に力が入らなかった。今の氷のナイフによる傷も深く、顎の下から脳まで届きそうなくらいだった。


 ——なら。


 小さいときに通っていた料理教室の一場面を思い出す。おばさん先生の間の抜けた声が妙に鮮明に記憶に残っていた。


『片栗粉の粘り気は、よだれで分解されてしまうんですよ~』


 ——まさか、料理教室に通ってたのがここで役に立つとは、人生何があるか分かんないな……。


「アノールっ……!!」


 悲痛な声と共に、ヨルノが駆け寄ってきている。


 ——〝形態変化—粘液スライムフレーム〟の粘りがそれと同じメカニズムなら、窒息死を狙えない理由も明白だ。唾液で分解されちゃうんだ。そして、その状態では能力が維持できなくなるか、物理的な攻撃を受け付けてしまうんじゃないか?


 ついにヨルノがアノールの様子を上から覗き込んだが、同じタイミングでアノールは、最後の力を振り絞って、自分の顎下の傷に指を突っ込んだ。


「えっ……え? 何!?」


 何が何だか分かっていないヨルノ。アノールは決死の表情で、自分の指を顎関節の裏側でもぞもぞさせている。


 ——た……多分、この辺にあるだろ……唾液を作るやつが!


「あ……あっ!!」


 アノールは自分の唾液腺を千切り出した。


 ——後は頼んだ……。


 そうしてすぐに、出血なり神経異常なりで意識を失ってしまった。


「……!!」


 ヨルノはアノールの意図にすぐ気づいた。剣を両手持ちの包丁のように構えると、そのスポンジ状の小さな臓器を自分の剣で丁寧に開いていった。刃の全体に唾液——アミラーゼを含んだリンパ液が渡るように。


「……頼まれたよアノール」


 ヨルノは立ち上がるとアノールから離れて、ゆっくりと歩き始めた。その足取りは、何かに酔っているか、もしくは楽し気な妄想に浸っているかのようだった。


「あーあ。アノールったらまったく。ヒロインを守るナイトみたいだったのに、最後を任せて寝ちゃうなんてさ。まだまだだなあ……」


 セリフの内容に反して声はとても満足そう。


 触手間を移動しているシワス。彼女には奇妙に映っただろう。アノールが倒れたというのに口角を上げるヨルノの姿が。


 ——なんだ? 何をした? 何か話してたよね。まさかシワスの能力の秘密に気付いちゃった? だとしたら速攻決めなきゃ——。


 ヨルノはおもむろに剣を振った。触手の一本を切断する。すると頭上から声がした。


「いたっ」

「あは。効いてる」


 シワスに悪寒が走る。


 ——マズい。逃げ——ッツ!


 また、シワスの痛覚が反応した。ヨルノが手当たり次第に触手を斬っていっている。


「ほらほら、出て来いよ」


 ——嘘じゃん嘘じゃん……!


 ヨルノの見上げる頭上、そこに現れた水球に、全ての触手が吸い込まれるように回収された。支えを失った水球は地面にぺちゃっと落ちてくると、そこで人の形を取った。次第に色がついて姿がはっきりしてくる。


「わ。久しぶり、シワス」


 ヨルノは彼女にやさしーく微笑みかけた。


「キャハー……笑えなーい……」


 水色の短い髪、淡い赤色の瞳。目つきは細い。ゴシックなミニスカートで、首にはチョーカー。左右非対称にデザインされたブーツを履く。


 羽が装飾されたミニハットのつばを抓みながら苦笑いしている。既に手の指が何本か失われているようだった。


 ヨルノは自分の剣の刀身を食みながら尋ねた。


「で、私をどうするって?」


 シワスは目を泳がせている。


「あのー、そのー、見逃してもらえたりとか……」

「私の性格を知っててそういうなら、おめでたいことだね」

「じゃあ死ねぇっ!!」


 シワスが右手を前に出せば、手首の辺りから高圧の水のレーザーが発射される。しかしそれはヨルノの剣に当たった瞬間にパシャリと弾け、サラサラの液体になってしまった。


「ああ……今の、私とアノール、どっちの唾液で弾いたんだろ。ハッ、唾液を交換したってことなら——これが初めての間接キスになるのかな……!」


「ならねーよ! 死ね変態女!」


 シワスはそう言い捨て、踵を返して走り去ろうとしたが、ヨルノにすぐに追いつかれ、地面に引き倒された。


「ひいーっ。許して許し——」

「ほらよ」


 ヨルノの剣がシワスの首を貫いた。


「あああああっ!!」


 シワスは断末魔のつもりで叫んだのだが——。


「あれ……生きてる」


 ヨルノの剣が斬ったのは、あくまで首の外縁だった。精霊体の致命部は避けている。


「ほいっ」


 今度は右の手の平を貫かれる。


「キャアアアアッ!」

「そんな痛くないでしょ? 痛くないよね?」


 ヨルノが剣先を回しながら微笑みかける。


「そ、その……グリグリされると痛いんですけど……」

「ほいっ」


 次にヨルノは右肘から先を斬り飛ばした。


「いっだーい! やだやだこんなんやだ!」


 シワスは隙を突いてスライム化し、爆発した様に触手を四方に伸ばすと、それを辿ってヨルノの後ろに回り込むよう高速で移動した。その左手には氷のナイフが握られている。


 ——死ねっ!


 次の瞬間、斬り飛ばされていたのはシワス自身の左手だった。ナイフを躱されただけでなく、反撃まで貰ったのだ。


「そんなっ」


 ヨルノの右の黒目が万華鏡のように回っていた。


「お前が触手を伝ってどっちに移動したかなんて、丸わかりだよ。見た目に分からなくとも、私の〝下品で汚れた色眼鏡レインボーワールド〟越しなら、色の移動が見て取れるんだから」


 ——ヨルノの能力のこと……忘れっ……てたー……。


 つまりこの戦いにおいて、シワスの「相手の死角に素早く移動できる」というアドバンテージは全く働いていなかったのだ。


 ヨルノにドンと押されて腰を着く。両手が無いのであえなく地面に背中を打った。


「あーあ、左腕も切っちゃったのか、お揃いにしたかったのに。でもま、いっか。そんな細かい美意識でやってるわけじゃないし」


「お揃い……?」


「そうだよ? アノールとお揃いにしてあげる。全身穴だらけにして、顔の裏側をくちゃくちゃするところまでやるからね?」


「そ、それ、シワスがやったんじゃな——」

「ほらもう文句を言わない。ほい、ぐさっと」

「あああああ。や、やだぁ。やだあああ——」


 ヨルノはかなりの時間をかけてじっくりとシワスの身体を抉っていった。


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