ヨルノが暗殺者をお揃いにするまで

第40話 ぺたぺた、スライム

「キルリ様、お客人です」

「客……?」


 応接間にてキルリは、オニクス、レオンの二人と対面した。最初に口を開いたのはオニクス。


「初めまして、キルリ王子。私たちは〝銀の鶴翼〟の筆頭、私がオニクス、こちらがレオンと言います」

「初めまして」

「ああ、お話には伺ってるよ、お二方。で、何の用?」

「それが——」


 オニクスは〝魔女のよすが〟が王子暗殺を企んでいる件をキルリに伝えた。


「……え、イヴの一家じゃなくて? 魔女?」

「イヴ?」

「ああ、いや、なんでもない」


 ——〝魔女のよすが〟がオレらを狙う理由ってなんだ? ただのテロか? 誰かに雇われてる可能性があるとしたら? オリーブの二の矢? それよりはガーレイドの方が有り得る話だが……。


 もしそうだとしたらどうなる? オリーブと〝イヴの一家〟、ガーレイドと〝魔女のよすが〟。オレは二つの組織から命を狙われてるってことか?


「それで、私たち〝銀の鶴翼〟が王子の護衛をさせていただければと訪問した次第です。とはいえ虚偽の情報の可能性もありますから、取り急ぎ私たち二人だけで参上いたしました」


「ですねー。オニクスが今言った通りです」

「君……」


 ふと顔を上げたキルリ。彼はレオンの顔を見て——。


「レオン!?」


 思わず立ち上がったのだ。


「え? は、はい、レオンですけど?」

「あ……いや、いやそうだよな。失礼、さっき名前を聞いてたわ。何を驚いてんだろうなオレは」


 オニクスとレオンは二人でポカンとしている。キルリのことを奇行キャラと認識する一歩手前の顔だ。


 ——エール、レオン、そしてアノールも来る?


 キルリはにやける口元を手で隠しながら、努めて深刻そうな声で返答した。


「いや……そうだな。オリーブには話を通しておこう。オニクスはオリーブについてくれるか? レオンはオレの護衛に着いてくれればいい」


「? 構いませんが、何か理由が?」

「いや……なんとなくだ」

「はあ。では……?」

「今から、王子の護衛を受け持ちます、改めて、レオン・メイソンです」

「ああ、よろしく、レオン」


 ——おいおい、これを知ってるのがオレだけって酷すぎないか?





**





 そのままキルリのお付きとなったレオンを置いて、オニクスは一度、駐屯地に戻ってきた。


 折に、門兵が声をかけた。


「ああ、オニクスさん、お帰りのところ、申し訳ありません。拘置所の方へ向かっていただけますか?」

「……?」


 駐屯地の拘置所、その簡素な事務所の手前、パーティションで区切られた応接スペース。そこに彼は座っていた。客人側ではなく——歓迎側に。大きく足を開いて、組んだ手に額を付ける男。


「……来たか、オニクス」

「これは……ムクル元帥ではないですか」

「久しぶりだな。こちらに、座ってもらおうか」


 オニクスは小さく座った。膝を揃える。


「何か、御用でしたか?」

「ああ。数日前に、ここに収容された魔女——アスキアと言ったな。ソレを、貸してもらいたいのだ」


 オニクスは眉をひそめる。


「申し訳ありませんが、私たちはクレアムルの法規に縛られる存在ではありません」

「……改めて言おう。『貸してもらいたい』」


 ——それくらいは承知の上ってことか。


「もちろん、こちらとしては協力したいところです。しかし、いったい如何なる目的があってのことでしょうか?」


「当然、こちらの軍でも拷問にかけてみたい、というだけだ。それ以外にあるのか?」


 ——なにも怪しくはないし、断る理由もない。ただ、懸念するのは……ムクルが拷問マニアとして有名である、というところか。もしかしたらアスキアが返ってこないかもしれないんだよな。


「失礼、少し考えてよろしいですか。大司教の意見も仰がなければ」

「……それもそうだな。早馬を用意しよう」

「助かります」


 ——なんの他意も……ないよな?





**





 王都入りした魔女たち。各々、状況を見つつガルの指示を待つ。


 アノールとヨルノはというと、以前ドミエンナから借りていた部屋に、私物を回収しに来ていた。ヨルノは歯ブラシやコップみたいな、ちまちましたものだけを取りに来るつもりだったのだが……。


「アノール、なんでそんなに大きなカバンを持って来てんの? 何を持っていくモンがあんの?」

「え? だって、お酢とか油とか、砂糖塩片栗粉なんかも、全部持ってかなきゃいけないじゃん!」

「全部お前の私物だったのかよ……」


 二人でカバンを背負って部屋を後にした。裏路地に入り、尾行を警戒して回り道していく。


 アノールがガーレイドに思いを馳せる。


「ガーレは作戦通りやったかな」

「やってくれてるだろ。ただ問題は——」

「問題?」


 アノールは会議の内容を思い出した。


 キルリは〝イヴ〟が殺してくれるのに任せることになった。〝よすが〟が狙うのはオリーブ。しかし〝銀翼〟がオリーブの守護をする場合、正面からの突破は難しい。


 なのでまず盤面を荒らす目的で、事前準備としてオリーブとキルリの対立を煽った。その一手がガーレイドの一言である。暗殺の情報はオリーブ→ヨルノに扮した暗殺者→キルリと伝わるはずなので、キルリは何らかの対策を講じるだろう。


 キルリがオリーブの手札を出来るだけ暴いてから死んでくれるのが好ましい。守護に着いた〝銀翼〟をオリーブから奪い取るような形になれば理想的だ。


「計画のどこが問題なの?」

「『イヴの暗殺が絶対』を下敷きにしてるとこかな。その前例が、私だからさ。気にはなっちゃうな」

「……ねえ、その話さ——」


 アノールはこの機会にヨルノの過去を尋ねようとしたのだが、曲がり角の向こうにあった奇妙な光景が彼の意識を奪ってしまい、それは叶わなかった。


「ん?」


 アノールに続いてヨルノも顔を上げる。


「あ?」


 背の高い建物が密集した、人通りの少ない路地。頭上では、建物間に吊るされたロープに洗濯物がかけられている。


 そのロープの中に、水色の透明なロープが混じっていた。直径三センチほどの太いもの。それは水色の粘液を滴らせながら、歪んだ光の影を地面に落としていた。二人の足元に、まるでプールの底のような光がチラついている。つまり、ロープ——のような液状のもの——が、縦横無尽に頭上に張り巡らされているのだ。


 ヨルノは荷物を捨てて剣の柄に手を賭けた。とはいえまだ状況を掴みかねている様子。


「……イヴ? なんで」


 アノールは少し前方の上空に、能力者の反応を発見した。目を向ける。


「吊られた……水?」


 そこには水球があった。粘性の水球だ。直径一メートルほどで、宙に浮いている。アノールには「吊られている」ように見えた。なぜなら、それは張り巡らされた無数の水のロープと結ばれていたからだ。粘る水の紐に吊り下げられたそれは、まるで枝間に糸を張った蛹のようでもあった。


「あ、アレが、能力者……?」


 間違いなくその水球はアノールには能力者として認識されていた。人の形をまるでとどめていないソレは、間違いなく「人間」だ。ならば、「吊られた」という表現が誤りであったと分かるだろう。この粘液の包囲網の主がアレ——いや、彼女だというのなら、それらのロープは彼女を「支えている」のだ。身体を支えるものとは? 当然、手足である。ならばこのロープは、彼女の手足——触手なのだ。


 水の触手はいつの間にか、アノールとヨルノの背後にも張られていた。二人はもう、彼女の手中にある。


 アノールも荷物を地面に投げて、剣を抜いた。


「能力者!? な、何者だ!」


 アノールの声を受けて、水球がプルプルと震える。すると、上半身と思しき部分と下半身と思しき部分が、ぬるりと形作られ伸び出てきた。とはいえ、それらはそれぞれ水球の反対側から出てきたので、ひと繋がりのものには見えず、まるで切断マジックで身体を離された人間かのように見えた。人間——というには、水色だけで構成された半透明のそれは、輪郭以外は人間らしく見えなかったのだが。


 水球から生えてきた人型は、四肢をブンブンと振りながら、辺りより少し凹んで造形されただけにしか見えない口で、人間然として言葉を発した。


「えー!? シワスの名前を知らないの? 失礼な奴なんだあ!」

「えっ……す、すみません?」

「キャハハ! 知らなくて当然だよぉ! 君、バカぁ!?」

「え!? 酷い! 不当だ! この人、不当に僕のことを馬鹿にした!!」


 ヨルノがくいっと顎を上げる。


「……シワス。ふざけてるの? 何のつもりだい?」

「ヨールノちゃーん! ひっさしぶりジャーン! こんな再会になって、とっても残念だよぅ……なんちゃって!! ウッソでーす!! キャハッ」


 水色の彼女は、両手を顔の辺りにやって笑った。仕草だけで表情の想像がつく。


「ヨルノ、もしかして知り合いか? やっぱこういうやつと仲良しなのか? 類友って言うしな」


 ヨルノは舌打ちで返す。


「知り合いだよ。コイツはシワス・イヴ。言うまでもなく〝イヴの一家〟さ」

「……!」


 アノールは改めて驚きを浮かべながらシワスの事を見上げた。


「イヴが、このタイミングで、接触してくる……!?」


 ——何か、目論見があるのか!?


「そこのチミィ、何か疑ってるみたいだけど、たまにはシンプルに考えてみよ?」


「アノール、相手は〝形態変化—粘液スライムフレーム〟。〝形態変化フレーム〟系だ。何らか特攻の攻略が無ければ、首を斬っても意味が無い。斬ったところから繋がってしまう」


「今回の件ってサァ……計画の外から見てみたら……ヨルノの位置が分かってるって側面があるわけジャン? かなりの確率で、ヨルノがこの街にいるのよ。普段、ガルの情報操作によって巧妙にその位置を隠されてるヨルノがよ? しかも当のガルはこの大仕事にかかり切り! ね、みんな気付いてないんだあ……」


「そして、私はシワスの能力の弱点を知らない」


 人型はケラケラと笑う仕草をした。


「ヨルノを攫うのにこんなに適した環境って無くない!? 一獲千金の財宝がノコノコと歩いてるんだあ。なら拾うに決まってるよね!! キャハハ!」


 アノールはある日のガーレイドの言葉を思い出した。


『ヨルノを、チップ三十枚で買おう』


「……ああ。そう言う手合いか」


 ヨルノはもしやアノールは自分を売るのではないかと危惧したが——。


「悪いけど、コイツはあげらんないな」


 アノールは剣を抜いてイヴの尖兵に向けた。その頬はにやりと上がっている。


「ア、アノール? どうしたの……?」


 頬を染めるヨルノ。


「悪いついでだ、教えてやるよ水女」


 アノールは、会議に集まった日のことを思い出す。会議終わりに、ガルと二人で話したとき——。





 空いた部屋の一つで。二人座って話す。


「アノールくん、能力、貸してくれてありがとうございました」

「いいよ、全然!」


「それで……もう大丈夫ですから、能力を戻して大丈夫ですよ。わたくしが借りた能力を取り戻す権利は、いつでも『貸した側』にあります。アノールくんの意思で、いつでも能力を取り戻せます」


「いやいや!? 僕は能力無しで大丈夫だよ。ガルが持ってた方がきっと便利なんじゃない?」


 そう言って遠慮するアノールを見て、ガルは——。


「こら」


 ピシっとデコピンしたのだ。


「えっ……」


 ——そんな。デコピンなんてされたら好きになっちゃうー……。


 唖然とするアノールに、ガルは微笑みかけた。


「わたくしはあくまで一人しかいません。アノールくんは頭が回る方ですから、この意味が解りますね?」

「……? それはまあ、確かに? そうだけど」

「フフ。しょうがないですね、じゃあ、直接、言いましょうか」


 ガルはアノールの両肩に手を置いて、耳元に口を寄せた。心臓がびくりと跳ねる。


 囁く。


「ヨルノのことを、頼みましたよ」


 それは、ガルからアノールだけに課された密命。


 ガルはアノールから離れると、頬を僅かに染めた彼に柔らかく微笑みかけた。


「アノールくんにしか頼めないことですから。よろしくお願いします」





 アノールは煽るようにして笑った。


「——僕は、ガルからヨルノのことを預けられてんだよねえ!」

「ガルのためなのかよ! 私のために戦えよお!!」

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