第39話 氷漬けの記憶
「よっ、元気?」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
ヨルノ扮するエールは、何度か舞踏会に足を運んでいたのだが、そのたびキルリに捕まっていた。
「今日もオレと踊ろうね~」
「ひや、ひよおぉぉぉ……」
エールを引っ張っていくキルリを見て、辺りの貴族たちが噂する。
「おいおい、またキルリ様がホーク家の娘と踊るみたいだぞ」
「あの遊び人のキルリ様が、あんなに一人の娘に執着するなんて、初めてのことよ」
「まさか……まさかなのか?」
ホールの中央まで来た二人。キルリはニヤニヤとしてエールを見下ろす。
「じゃあ今日も、君がどれだけ上手く踊れるようになったか見てやるよ」
「あ、あのぉ! 舐め、ないでもらえます……!? くっ、今日こそは——」
——体のどこかに針を刺してやる!
曲が始まって二人は踊り始めた。
——今だっ!
——はい回避。
キルリはエールの思考を読める以上、エールからの攻撃に当たる訳が無い。
——あっ。
力むあまり体勢を崩したエールを、キルリが引っ張って助けた。
「おいおいおい、全然上手くなってないじゃん。この二日間、何やってたんだよ」
「は、ああ!? 練習してきたし!? 上手くなってますけど!?」
「じゃあギア上げていい? もうこの程度だと退屈でさ」
「ふん。付いてってやる、わ!」
どんどんステップを早く複雑にしていくキルリに、エールはなんとかついていこうとする。余裕綽々なキルリと、なにくそと睨むエール。
そんな二人を見るフィオネは、会場の脇で額を抑えていた。
「あの、バカ。また乗せられてる……」
ショットが適当に返す。
「たはー。でも楽しそうじゃん? これから殺す相手だなんて意識してないんだろうね」
「それ……お前が言うと、冗談じゃなくなるんだけれど……」
「えー? なんのことかわかんなーい!」
**
キルリは今回で、〝アッカラ村の襲撃〟の記憶を体感し終わった。
「あー……面白かった。こりゃ確かに、ヨルノを殺したくなるわ」
言ってくつくつと笑う。草原に立って、惨禍の村を見下ろした。
「いやあこりゃ凄い。凄い体験だな。ビックリ、マジでスリリングだし緊張した。面白かったー」
エールが血涙でヨルノの殺害を宣言している。
「ヨルノは魔女だったのか。ならオレは、どうにかして魔女に接触する必要があんのかな」
キルリが軽くジャンプすると、着地せず地面を貫通して世界の裏側に落ちた。同時にドプンと深層意識の海に戻ってくる。頭上にはさっき見た気泡がある。
——さて……もうヨルノ関連で掘り出せそうなことはないんだよな。つまりもうエールは用済み……。
キルリは身体を返して、深いところを目指し始めた。
——ともいかないよな! あんな記憶を見ちゃったら、エールとアノールの出会いくらいは見とかなきゃ、すわりが悪いぜ!
キルリは海の底を目指す。しかし意識の底とは、ただ掘り返そうとするだけで暴けるものではない。記憶領域を活性化させて、古い記憶が現れる下地を作る必要がある。
彼は幾度ものダイブの中で、既に彼女の深海へ至る最短ルートを発見していた。新しいものから古い方へ遡るように効率よく気泡を辿っていき、海温を高くしていく。
そして彼は、海の底に辿り着いたのだ。
——ダメだ、溶けてない。
一面が氷に覆われた、陽の光の差さない深海に。氷の中にはいくつもの気泡があるが、どれも何メートルも奥で、手が届きそうな気配はない。
——はあ。絶対にこの氷漬けの記憶が関係してるはずなんだけどな。意図して封印したにしたって固すぎる。思い出したくない記憶? それとも、それだけ他人に見せたくない感情なのか。
キルリは仕方なく海上まで戻ってきた。
「ぷはっ」
頭上には太陽が輝いている。現実の何倍も大きい太陽。まるでこの世界の唯一の熱であるかと主張せんばかりに、キルリの顔を焼きつけていた。
「この、太陽の熱量も、海の温度の低さも、どっちも異常だ。海面近くは、あの太陽のせいで沸騰するほどに熱い。けど深海はあの氷板のせいで凍える程に冷たい。どっちも極端だ。ちょうどいい温度なのはアッカラ村関連の記憶だけ。それより前も後も——思い出すには不快感が勝る」
**
踊り終えて、ふうと息をつく。
「で、今日もこの後遊んではくれないの?」
踊り終えたエールは、息を上げつつも、以前ほどテンパってはいなかった。
「ふん。私、安い女じゃないんで。私と遊びたかったら、もう少しイケメンになって、出直してきなさい!」
「おおー。大きな口を叩くね」
「じゃあね!」
エールは何故かプンプンと怒りながら戻っていった。
「俺に『じゃあね』なんて口を効くのは君だけだよ」
苦笑しながら、思索に戻る。
——手で握ってるだけじゃあアレを溶かすのは無理だなあ。相互流入なら勢いのままにカチ割れそうだけど、それは元も子もないし。地道に周りの記憶から溶かしてくしかねえかなー。
**
別日。会場でモグモグ食事を食べているエール。彼女は場数を踏み、食事を楽しむ余裕が生まれていた。
——うーん、40点! この、隠し味の、酸味? 要らない!
舌感覚は庶民のままではあった。
——それにしてもキルリ、遅いな。今日も来るって言ってたのに。お仕事でもできちゃったのかな。
「失礼。もしお暇でしたら、自分と一曲、踊りませんか」
高身長の男が声をかけてきた。
「ん……むぐっ! あ、はい。大丈夫ですよ。よろしくお願いします」
差し出された手に右手を重ねた。二人で中央へ向かう。
「オリーブと言います。よろしくお願いします」
長方形の眼鏡が印象的で、固い表情もあってインテリな印象を受けた。女性顔負けの長い黒髪を後ろで結んでいる。
——この人もイケメンだあ……みんな顔面強いなあ。
「エールです。よろしく願いしますっ!」
歩み寄って、指を交わした。曲に合わせて二人は回り始める。
「それで、暗殺の調子は順調ですか?」
——え?
「ん? その様子だと知らないようですね。私が暗殺依頼の元の発注者、第二王子です。私の治世でのホーク家の優遇を約束する代わりに、暗殺一家への伝手として使わせてもらったのです」
「な……るほど。いや、なんとなく、私たちの上には、キルリとは別の王子様がいるのかな? とは、思ってましたけど……」
「理解が早くて助かります。キルリは手強いでしょう」
「そう、ですね。付け入る隙が、ない。針、全然、刺さんないし」
「ええ。まさしく王の器です」
——?
エールは不思議に思って彼の顔を見た。彼は足さばきに汗を掻いているようだった。
「失礼、少しスピードを落としていただけますか」
「あ! ごめんなさい」
オリーブはホッと息をつく。そして、ぽつぽつと、不思議なことを語り始めた。
「この国の未来を思うなら彼に王をやらせた方が良いのだと、頭では分かっているのです。私のような世渡りの苦手な人間よりも、彼の方がよっぽど向いているのです」
「……? でも、殺したい? 悩んでるって、ことですか?」
「ええ。悩んでいたのです。ずっと昔から……彼のことを殺したいと思ってきた。しかし、そうして彼を殺して、自分が王になって、もしも国営が上手く行かなかったなら——それはとてもとても恐ろしいことです。下手したら私のせいで何千、何万の人間が餓死するかもしれないわけです。そのとき私は思うでしょう。『優秀な兄が王になっていたならば、こうはならなかったのに』と。しかもそれを殺したのは当の自分である——そういった風に想像してみたら、とても怖いと、思いませんか?」
「それは……確かに」
——王様、だもんね。国のことって……凄く大きな話だし。
「だから……私はこの期に及んで、キルリを殺すことを躊躇していました」
「仕方ない、ですよ」
オリーブは何か昔のことを思い出しているようだった。
「彼と共に選抜を受けたあの日から、私たちは殺し合う運命にあったというのに……」
「……選抜? あの、いま選抜って言いました? 一緒に受けた……選抜を!?」
エールの目が驚きに見開かれる。
「えっ! じゃあ王子様、もしかして——」
オリーブは苦虫を噛み殺したような顔で、目を逸らした。
「はい。茶番に付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。キルリは能力者です」
「そ……れは。本当に、凄い茶番。私たちのこれ、何の意味も無かったんだ」
「はい。これは直接謝らなければならないと思い、こうして出向いた次第です」
「そう……でも、私は楽しかったよ」
申し訳なさそうなオリーブの手を、エールは優しくギュッと握る。
「私、乞食の貸し子だったの。そんな生まれだから、こんなドレスを着られるだなんて、夢にも思わなかった。ありえないと諦めちゃってた」
動きの固いオリーブの腕を、リードするようにして引く。
「だから感謝してる。ありがとう、オリーブさん」
言って、控え目に、微笑みかけた。
「……!」
オリーブの顔は、豆鉄砲を喰らったかのようだった。
「ほら、せっかくなんだから笑顔で踊ろう? こんなに楽しいこと、あんまりないよ。スポットライトを浴びて、曲に合わせて踊るんだ。みんなに見てもらって、褒めてもらえるよ」
「……こんなもの、二人だけで密談するための形式的なものでは?」
「なんて考え! もったいない。私が教えてあげる。ほら、もっと私の腰を引いて?」
「え? あ、はいっ」
「わっ、上手いじゃないですか。凄い凄い、流石王子様ですね」
「あ、ありがとうございます……」
それは、二羽の小鳥が噴水で遊んでいるようにも。
エールが汗を溌剌とさせながら、オリーブに尋ねる。
「ねえ、でもどうして、決心がついたの? 何か、きっかけが?」
「あ、ええ。きっかけはありましたね、それは……」
オリーブは今朝のことを思い出す。
『オリーブお兄様。ちょっと話があるんだけど——』
少し無言になったのを見て、エールが覗く。
「どうかした?」
「弟のガーレイドに、キルリの能力を教わったのです。それがきっかけです」
「へえ。弟さんは、知ってたんだ」
「はい。あの二人は一時期付き合っていたので、知っていてもおかしくはありません」
「……いま、ものすごくインモラルなお話が聞こえた気がしたけど……スルーするね」
「推奨します」
「じゃあ……まるで、背中を押されたみたいだね。凄いタイミングだ。クレアム様が、オリーブさんを応援してくれてるんじゃない? 私は五神教、信じてないけど」
「そう……なんですよね。背中を押されたよう……これは……」
——まさか、な。偶然だろう。
「キルリの能力は、『自分の身体を、物理的な干渉を全てすり抜ける状態にする』ものらしいです。それ以外には何もできない。しかしそれゆえに無敵、と、ガーレは語っていました」
「つ、つよいね。不意打ちじゃないと殺せなさそう」
「ええ。重ねて、よろしくお願いします」
舞台脇に戻ってきた二人。
「ありがとうございました、エール……失礼、ヨルノさん」
「はい。ありがとうございました。オリーブさん」
「あの……もしよければこの後——」
「おい! おいおいおい!」
慌てた様子のキルリがどたどたと走ってきた。
「お前オリーブ! 俺に仕事押し付けて何してるかと思ったら、ヨルノにちょっかい出してたんかよ!」
オリーブは嫌味な雰囲気でキルリのことを睨む。
「今まで俺が押し付けられていた分を、清算してもらってただけだ」
——あの量を、この時間で捌いてきたのか。やはりキルリの優秀さは……俺なんかとは比べ物にならない。
「あっそ。まあいいや、こうして間に合ったわけだし?」
キルリがエールの腰を抱き寄せた。
「ひや!? キルリ!?」
「エールは安い女じゃないからさ。釣り合うのは俺くらいってことよ」
エールには聞き捨てならない言葉だったようだ。
「は、はあ? キルリにすら、釣り合う女じゃあ、ありませんけど??」
「へーえ。じゃあお嬢様に見定めてもらおうかな。踊ってくださいますかね?」
「ふ、ふん。いいわよ、厳しく採点してあげる」
「はは。じゃあ行こうか」
——そして、オリーブと何を話してたのか教えてくれよ?
エールはキルリに連れられて中央へ行く。
——でも、そうか。もう私がキルリと踊る理由は……。
エールの眼中に、既にオリーブは無かった。
二人の背中を呆然と眺めるオリーブ。自分の左手を見れば、エールの温もりが僅かに残っていた。
さて、エールは帰った後、フィオネたちと作戦を練るだろう。キルリの能力の特性上、不意を突いて殺すことになる。不意とは当然、就寝時。
エールがキルリの寝室に入ることは——あまりにも容易いことなのだから。
暗殺の決行は、次の舞踏会。その日の夜である。
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