第11話 弁を弄して隙を突け

 イエッタとヨルノ、二人同時にアノールの後頭部に手を付くと、それぞれ自分も床に伏せながら思い切り引き落とした。アノールの顔面が床に激突する。


「ぶっ!?」


 三人の胸があった高さに切断が発生した。後ろの壁にザクリと深い切れ込みが入る。もし水平にそれを観察できたなら、斬撃痕は壁を貫通していることが分かっただろう。


 腕をついたアノールが見ると、アインの手元のハサミが閉じられていた。


「アノール立て! 次が来る!」


 しかしもちろんそれはただのハサミにつき、それをまた開いて、閉じることは、なんてことない動作である。


「いつまで避けられるかな」


 膝を立てた三人。


「ちょっと!!」


 イエッタが慌てて右手を前に出した。アインはキョトンと目を開くと、僅かに首を傾けた。


「なに?」


 イエッタはいびつな笑みを浮かべる。思わず早口に。


「い、いやあのちょっと、待ってくれんかな!?」

「作戦を考える時間が欲しい? ぷぷぷ、そんな姑息な手に引っかかるほどお人好しじゃないんだよね」

「ちが、違うんよ! ウチらは魔女なんかとは関係ない!」

「えっ?」


 ピーノは既に窓から飛び降りている。


 アノールがヨルノに小声で尋ねる。


「ア、アスキアは」

「首切られてないから無事だよ」

「アレでも無事なんだ……。で、イエッタが言いくるめようとしてるってことは——」


 ヨルノは焦りから詰問調になる。


「勝てるわけねえだろアイツの能力見てまだそんなこと言えんのか無茶苦茶やってんぞ? 人体を簡単に切断できるなら受けるも躱すも遮蔽も何もあったもんじゃない。戦うなんて無理だ」


「そ、そうだよな、ごめん」


 イエッタは血の海にひたるアスキアを指差した。頭頂部の方は赤い精霊となって大気に溶けつつある。逆に体がついている方、顎側の切断面には、赤い精霊がふわふわと集まりつつあった。赤いが傷口を覆っているように見える。


「その女を見てみいよ。纏う精霊は赤いやろ?」

「そうだね。クレアムの能力者なんだな」

「噂によれば、魔女のやつらって、知らん色の精霊を纏っとるんよね? 確か……」


 アインはポンと手を打った。


「白い精霊をね?」

「そう! じゃけん、ウチらは魔女なんかとは関係なくて——」

「じゃあお前ら全員が白くないか、斬って確かめなきゃいけないなあ」


 イエッタは内心、頭を抱えて叫んだ。


 ——まあそうよねー! 私だったってそうするもん! 実際アノールとヨルノは白の手形の能力者やし!


 渉外経験の多いイエッタであっても、この状況からの打開は流石に厳しかった。


「その精霊の件自体結構な機密だから知ってる時点で相当怪しいんだけどな、ぷぷぷ。じゃあ斬っちゃうよ~」

「ま、待ってくれ!」


 イエッタがおっと隣を見ると、今度はアノールが手を上げていた。アインはぷくりと頬を膨らす。


「えー? なにこれ、順番なの?」

「いや、あの、その……」


 アノールは立ち上がったものの口ごもる。


「あ、あのですねー……」


 ——まだ、何もセリフは用意できてないんだけど。


「言い訳くらいなら聞いてあげるよ。気が変わる前に早く言いなー」


 急いで頭を回す。状況に実感が追いついてきて、次第に鼓動が早くなってくる。


 ——相手の目的は、魔女を連れ帰ることだ。連れ帰る……そうだな、殺したら死体が残らないし仕事の証明にならない。能力者は捕らえなきゃあいけないんだ。


 他の要素は……立場とか状況とかか。〝四人の戦術兵器〟は僕も噂に聞いたことがある。ハーキア軍の絶対的なエースなはずだ。立場はきっと悪くなくて、多少のミスは許される……のかな。


 援軍が来る気配は無いから、もしチームで動いているとしても、緻密な連携は取っていない。なら、この場では相手の私情による独断が下される可能性がある。


「もしくは辞世の句かなあ? ぷぷぷ」


 ——ここが正念場だ。僕の魔女人生を一日目で終わらせるわけにはいかない! ここから僕の人生は始まるんだ! 頑張れ僕。頑張れ頑張れ、頑張って!


 目線を下ろして一つ深呼吸。手首に爪を立てて体の震えを抑える。


 血が滲んだ。


「僕は——」


 ハサミを構える正面の女に真っ直ぐなまなざしを向ける。かと思うとアノールは、フッと鼻で笑ったのだった。


「僕は、魔女じゃない。こいつらは魔女だけど」


 それぞれ、その言葉を理解するのに少しの時間をかけた。イエッタは呆然。


 ——え、もしかしてウチら、売られる?


「あ、アノールくん、まさか裏切るんとちゃうよね……?」


 アノールは両手で壁を作りながら仰々しく驚いた。


「裏切るとかいうとまるで仲間だったみたいじゃん! やめてくれません!?」


 アインが眉間に皺を寄せながら尋ねる。


「じゃあ君は誰なの?」

「僕はアッカラ村の生き残りです」

「アッカラ村の?」


 アインの表情に、確かな驚きが表れた。


「ええ。アッカラ村での選抜に落ちた人間です。だから僕は、能力者じゃあありません。死体が残る、人間です。だからあなたが僕を傷つけたらきっと、この街に——この国にバレてしまう」


 アインの目つきが僅かにだが険しくなる。


「あなたは多分、一般人は傷付けられない。敵国に潜入している兵士さんなんですもんね。国際問題になっちゃうから。ましてやそれがアッカラ村の生き残りなら? そう、ハーキアの兵士がアッカラ村の人間を殺すことには、ただ一般人を殺す以上の意味が生まれてしまう」


 アノールはしれっと「傷つける」を「殺す」に差し替えた。物事を極端にするために。


 アインの舌打ち。


「まあ確かにね。まるで、やましいことがあるから殺したみたいだ。つまり——」


 ヨルノがハッと気付いた。驚きに口元を抑える。


「それは『ハーキアには明らかになってほしくない真相を村の人間が知っている』ことを意味している! ハーキアにとって知られたくない事実で、村人が知っているかもしれない真相と言えば……!!」


「もちろん疑いに過ぎないだろうね。けれど——」


 ビシッと。アノールはアインを指差した。


「あなたが僕をここで殺したら『ハーキア軍が積極的に魔女に加担していた』という疑惑が生まれてしまうんだ。それを村人は知っているかもしれないから、口封じに殺したんだって推測が立つ!」


 されどアインはここで切り返す。


「でもそんな、回りくどくて薄い線、起こるかも分からない疑惑を想定して、お前を見逃すとでも?」


 勝負どころ。ここで怯みはせず逆に攻める。


「いいや、薄くなんてない。審問会がもう行われたのかは知らないけど、ハーキアの立場はかなり悪い。凄く微妙だろ。なんとかギリギリ魔女に責任をなすりつけられたってところで、下手したら全てハーキアのせいにされてもおかしくなかった。ならきっと、少しハーキアが不利になるだけで、教会から下される制裁は十年でも二十年でも増える」


 アノールは「疑惑が起こる可能性が薄い」を「疑惑の及ぼす影響は薄い」にすり替えたのだが、まだアインには気付かれていない。文面ならともかく口頭だ。「疑惑」が起こりうる可能性の低さを、上手く議題から引きずり下ろした。


 アインはムッと頬を膨らませる。


「むー、笑えないな。小癪すぎて。私の責任を重くしたな? この一手で国の将来が決まるってんなら、そりゃあ躊躇もする」


「僕は事実を述べただけだけど?」

「私はお前の身体をみじん切りにして身元を証明できなくすることもできる」


「僕のことを追ってる家族がいるんだ。僕が『この街で消息不明』になって、それでもしあなたも『この街にいた証拠』を残してしまったなら、彼らは教会にその繋がりを報告するさ。あなたは痕跡を全く残さずに国を出れる自信はある?」


 ——まあ実際は、僕のことを追ってる人なんていないだろうけどね。


 二人に追われているのだがそれはまあ一旦置いておいて。


「うーん……」


 アインは天井を見上げて考える。


 ——どうする。コイツはきっと魔女に違いない。主張も苦し紛れだ。けれど、万が一を考えると、あり得なくはない。実際、ハーキアの十年二十年が私の責任になるのは嫌だ。魔女を捕まえるまで帰ってくるなと言われているわけでもない。むしろ観光気分なくらい。


 とはいえ、せっかく見つけた魔女を逃がすのは流石にもったいなくて。目に見えた結果が無いと国民の不満が溜まるわけだし、後々、負担になる。コイツは逃がしても別の魔女は捕まえたいところだけど……。


「って、あれ?」


 アインは気付いた。アノールが主張しているのは、自分の安全だけだということに。


「もしかしてお前、自分だけが生き残れるならソイツらはどうでもいいって思ってる?」


 きょとんとした顔で返す。


「最初からそう言ってるけど?」


 ——なら、色々考えると、コイツ一人を逃がすのって……。


 アインはポンと手を打った。


「逃がし得じゃん!」


 イエッタは悔しさに歯を軋ませる。


 ——上手い、上手いよアノールくん。いくつかの嘘と大胆な詰め方で窮地を脱して見せた。私たちを見捨ててでもお逃げ。きっとガルも認めてくれるわ。


「わ、私は」


 それは不意に。


「?」


 ヨルノが声を上げた。アノールとイエッタ、そしてアインも彼女に目を向ける。


「私はそんなの……認められない、けど……!?」


 ヨルノの目元には涙が浮かんでいた。今にも決壊しかねない。それは失望が半分、もう半分は怒りの感情によるもの。


「一人で逃げるつもり? ゆ、許さ、ない……!」


 アノールはヨルノを見下ろすと鼻で笑った。


「何言ってんだお前? 僕のお母さんを殺したくせして仲間ぶりやがって。いい気味だ」


 ぶわっと溢れる。


「アノール!! お、お前……!!」


 アノールに詰め寄ろうとしたヨルノの腕をイエッタが引く。もう一歩前に出ればアインのハサミが閉じられるところだった。


「じゃあ僕は逃がしてくれるってことでいい?」

「うん、いいよ? ぷぷぷ、お前笑えるよ。性格悪すぎて」


 アインは笑いながらしかし、ハサミの照準をアノールから外しはしない。


「早く出て行きな」

「そうだな。そこの窓から飛び降りることにするよ。表は人が多くて嫌なんだよね」


 なんか変なことを言い始めるアノール。真顔で聞き返す。


「……ど、どゆこと?」


「そっちの入り口から出ると、他の魔女も一気に出て行きやしないか心配だろ? いやそれに、僕は田舎者だからさ。表は本当に人に酔うんだよ。あと、僕って男の子だから、窓から飛び降りるのにロマンを感じるんだよね」


 アインは首を何段階かに分けて傾けながら考えた。


「えっ? ええ? 男の子ってそうなの? そ、それなら、仕方ないのかなあ」

「じゃ」


 返事を待たずに書斎机の裏に駆けていき、そして窓を勢いよく閉めた。


「……あん?」


 アインはポカンと分からないまま、ハサミを閉じる。チョキンと切断するが、しかしアノールはすぐさましゃがみ、机の陰に隠れて回避した。


 ——いやそれごと斬るだけだけど。


 ハサミを少し大きく開いて、机を射角に捉えると、すぐに閉じる。


 しかしそのハサミの刃は——途中で止まった。ほとんど閉じることすらできず、まるで間に何か固いものを挟んだかのようになってギリリと固まる。


「は、はあ!? なん、だこれ」


 ——あの書斎机が、斬れない!?


「私の能力で斬れないものなんて……」


 瞬間、背後からの殺気を感じ取った。僅かな空気の切れる音。


 慌てて頭を引くとナイフが投擲されてきていた。間一髪で躱す。


「いい、度胸……!!」


 身体を翻すと左手のハサミを向けて、投擲元のソファを切断した。しかしそれも、ソファの輪郭のところで切断が止まってしまう。


「ああ!? なんで!?」


 ソファの陰に隠れたイエッタは次のナイフを構える。


 ——私の意識がある限り、この部屋の家具は絶対に動かんし、傷つけることだってできん。

 〝密室殺人現場保存モデルルーム〟の発動条件は満たされた。この部屋は密室になり、インテリアも全て固定される。


 書斎机の裏で膝をつきながら、アノールは剣を抜いた。


「さあ、遮蔽はできたぞヨルノ。これで戦えるよな」


 イエッタとは反対側のソファの陰に隠れながら、ヨルノも剣と拳銃を抜く。


「ばかアノールがよお……」


 ぐすぐす鼻をすすりながら。


「やってやんよ」

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