第9話 お礼参り、もしくは取り立て

 王国クレアムル最大の都市〝カイチナバク〟はよく「世界の市場」と称される。大規模な貿易港を持つ海辺の町だ。中央街から潮風の吹く方へ向かっていくと、次第に人の往来が増えてくる。街並みの向こうに大きな帆船が見えてくる頃には、人混みは避けて歩かなければならない程に。港は競りに呼び込みにと喧しく、大声が大声を呼び、賑やかと言うには騒がしすぎた。





 更に翌日、四人はその埠頭にやってきた。桟橋に燦燦と日の照らす。男たちが商船から荷を下ろしている。通りに比べればまだ人の少なめなエリア。


「こ、こここ、こんな人前に出てきていいの!?」


 落ち着かないアノール。腰を低くしてフードを深くかぶり、辺りに目を回す。誰が見ても不審者。


 ヨルノがその背中を拳で突きまくって弄っている。


「魔女だってバレたら撃たれちゃうぞ~? ほらほら、バンバンバンバンバン」

「嫌だあああああ。うわああああ死ぬうううう」


 アスキアは機械のような表情のまま、おもむろに右の人差し指を構えると、ヨルノの左目を突いた。ヨルノ悶絶。


「ぐあああああ」


 抜いた指からピッと血が飛ぶ。


「少し静かにしてください」


 悶絶は小声に。アノールはヨルノを庇うようにして背中に手を回す。


「お、お前、ヨルノ!? 大丈夫かヨルノ!! ざまあみろ!! お母さんの分まで苦しんどけ!!」

「アノールくんも同じ目に遭いたいでしょうか。同じ目になりたいですか?」

「ええ、当然、静かであります」


 ウィスパーボイスでの敬礼。イエッタはお腹を抱えて爆笑している。


「あっはっはっは!! おもろすぎる。アノールくんおもろいねえ」


 アノール、目を失いたくない恐怖から必死のロールプレイ。


「アスキア上官、して、このような衆目の中に出て大丈夫なのでしょうか!」


 アスキアは剣の柄に肘をかけて回答する。すんと冷めた顔。


「上官とは良い響きですが、私は軍人ではありません。以後やめてください」


 ——逆効果だったかあ。印象悪くなっちゃったかな……。


「質問には回答します。〝魔女のよすが〟で表立って戦うのはふつうガルだけですから、私たちの顔は割れていません。マントを共通の装備としていますが、この程度の無地のマントならどこの誰だって着ています。私たちが魔女だと疑われる可能性はありません。アノール新兵、オーバー?」


「オーバーです! アスキアさん!」


 ——相当良い響きだったみたいだなあ!! 全くもう、ビックリさせないでよね! 表情に出ないから分かんないよ!


 アスキアは目を閉じて頷いた。


「よろしい」





 四人は埠頭の建物の一つに訪れた。石造りの三階建て、その三階の事務所へ。


 アスキアが先頭。カツカツと入ってすぐ声をかける。


「ジェイグ、お久しぶりです」


 奥の机に座っていた、ジェイグと呼ばれた男は、アスキアの顔を見て椅子ごとぶっ転げた。


 青髭が濃く、頭の側面はかなり深く剃り込んでいる男。机に手をかけて震えながら顔を覗かせる。


 ——風貌のいかつさに対して表情が怯えすぎでしょ……。


「あ、アスキア。それに——」

「イエッタちゃんもおーるよ!」

「イエッタちゃんまでいる!!」


 ジェイグは頭を抱えて天井を仰いだ。


 事務所にいた数人の職員のうちの一人が、そろりそろりとアノールの脇を抜けて入口から出て行こうとしている。


 職員とアノール、ふと二人、目が合った。数秒の謎の沈黙。


「え、あなた、あの……」

「あー、すいませんちょっと、お手洗いに……」


 男性職員はノブに手をかけるも、しかし回らない。彼以外の誰も扉に触れてはいないが、しかし動かない。


「あ、あれ、あれ」


 ジェイグが立ち上がってその職員を怒鳴りつけた。


「お前!! 社長を置いて逃げようとすんな!!」

「いやだって、社長!? ウチら返すお金無いですよ!?」

「はあー? 無いのー?」


 ヨルノがにやりと口角を上げる。


 アノールはなんとなく状況が分かってきた。


「ねえヨルノ、これってもしかしてアレだったりする? 取り立て」

「ズバリそうだね! これから全部差し押さえるよ!」

「そうだったかあ……」


 ——僕が所属することになった組織、バチバチに悪だわ。いや、分かってたけどさ。


「クソ、しょうがない! やるぞお前らあ!!」


 ジェイグが拳銃を抜くと、それぞれの職員も机の傍に立て掛けられていた銃を構えながら立ち上がった。


 ——えっ……?


 アノールは生まれて初めて、人に銃口を向けられた。


 途端に体に緊張が走る。四方から覗く銃口。逃げ場はない。


「大丈夫だよアノール。撃たれたって死なないからさ」


 不揃いな複数の銃声。返事をする前に、アノールの右の腹を銃弾が貫通した。血が噴き出す。


「いっ——たく、ない!?」


 ただ足を一歩引いただけで、体勢は崩れていない。身体に伝わった運動量と想定した痛みが一致しなくて混乱する。


 ——いや痛いんだけど、なんというか、既知の痛さだ。ちょっと膝を擦りむいたくらい。


「ね、耐えられるでしょ」


 ヨルノの方を見ると、「どう?」と余裕そうに両手を見せている。


 頭部に射撃を受けて、一瞬額を抑えたアスキア。しかしすぐに目線をジェイグに戻すと、腰の剣を鞘から抜きつつ、彼に歩み寄っていった。いつもと変わらない、能面のような表情のまま。淡白な——もしくは冷淡な声で。


「面白い冗談ですね。どういった返答が相応しいでしょうか」


 ジェイグは狼狽しながら後ずさる。椅子の脚に引っかかって尻餅をついた。


「お、おかしいだろ。精霊体だって脳を攻撃すれば気絶するハズじゃ……」


 アスキアの額には、そもそも出血自体が無い。


「数秒前の私の身体の状況を読み込みました。今の私に攻撃の痕はありません」


 アスキアの能力、〝保存と読み込みラプラスヒューマン〟。自分の身体のステータスを保存して、いつでも読み込むことが出来る。


「覚悟は宜しいですか?」


 後ろ手を突いたジェイグの肩に剣を置いた。ジェイグは恐怖に過呼吸を起こしながら、ひたすら懇願する。涙まで浮かべながら。


「や、やめろ。やめてくれ。頼む、俺が悪かった……」


 当然ながら、とてもだが面白そうには見えない。


「……すみません。力不足で。冗談は苦手なのですよね」


 アスキア、内心しょんぼり。


 ともかくジェイグはもうダメ。彼の劣勢を見て、男性職員は逃走を決意した。必死に扉を押し開こうとするものの、しかしどうやったって開かない。


「ク、クソ、なんでだ!」


 それなら壊してしまおうと近くの椅子を持ち上げようとしたが——その椅子も、動かない。その位置に固定されている。力の強さ如きではどうにもならない。


「な、なんだ!? なんなんだよ!」


 その背中にイエッタが声をかける。


「ウチの〝密室殺人現場保存モデルルーム〟やね~。インテリアは固定されとる。この部屋から出たかったらウチを気絶させてみてな? ゼロンさん?」


 男性職員は慄きながら振り返った。


「な、なんで俺の本当の名前を知ってんだ……」


 イエッタは指を唇に当てて宙を見上げる。


「娘さん、大きくなってきたみたいやね。直接見て来たよ? 可愛かったわあ」

「ッ——」


 二人の状況を見て、他の職員はみな銃を置いた。その場に充満していた雰囲気は、怒りや焦りというよりは、案の定な落胆だった。みな、元から本気で敵うとは思っていなかった様子だ。


 この事務所は制圧された。イエッタとアスキアの指示で、職員たちはすごすごと資料を纏めたり金庫から貴金属を出したりする。


「今日はこんな感じで挨拶回りに行くよ」

「嫌な挨拶回りだなー……」

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