第7話 かくして彼は魔女になった

 ギラフはヨルノの顔に一瞬滲み出た恍惚の表情を見逃さなかった。精神的に追い詰め絶望させてから救いの手を差し伸べるマッチポンプ。その趣味の悪さ。


 ——アノールくんは気付いてっかな。そもそも今、君を追い詰めたのはその女自身だってことにさ。


 とはいえギラフも人の事を言えない程度には性格が悪いので、ヨルノのすることを止めようとはしない。


 アノールは差し出された手を取ろうと自分の手を伸ばす。


 これを止められるとしたら、ヨルノのその表情を見逃さなかった別の人間のみ。


「ダメ……よ……」


 アノールの右腕はエールに掴まれた。ヨルノが驚きに目を見張る。


 ——ギラフの毒を目に受けて動くだって!? 私だったって痛すぎて五分はのたうち回るのに!


 エールの閉じた左目からは血が流れ出ていた。ギラフが向こうの地面を見ると、眼球が一つ転がっている。それは輪郭から赤い精霊に解け、霧散していっていた。


 ——なるほど? 確かにそれなら私の能力による痛みじゃない。精霊体で耐えられるレベルだろうけど……。


 ギラフの口からは軽い笑いがこぼれた。


「はは」


 それは、圧倒されたときに出る笑い。


 ――面白い。面白いよエールちゃん。実際、私の毒を粘膜に浴びたときに有効な対処はその部位を除去することだ。精霊体ならその判断ができる奴もいなくはないが、しかしエールちゃんが精霊体を獲得したのは数分前のこと。ただの少女が自分の目を突くことができるか?


 いやただの少女ではないか。エールちゃんは戦場に身を置いてたんだ。だとすると、この村の三人の中で最も覚悟が決まっていたのはエールちゃんだったのかもしれない。


 ……もしくはまあ、他の可能性もあるとするなら……うーん。


「愛の力とか……」


 ギラフは小さく呟いたが流石に青すぎて自嘲した。


「だ、だって、おかしいもの。私たちが悪いわけ、ない! 人を殺したのは、あなたたちだし、私たちを、襲ってるのも……あなたたち! 酷いのは、あなたたちだもの……!」


 エールの手の平の温もりはアノールの正常な思考を呼び覚ました。


 ——僕は、何を言われるがままにヨルノの手を取ろうとしてたんだ。


 アノールの目に光が灯ったのを見てヨルノは舌打ち。だがまたすぐに張り付けた笑顔で不機嫌な表情を隠す。アノールの右手をパシッと取った。


「残念、この手はもう取っちゃった。アノールはもう私のもの」

「何、言ってるの? アノールは……私の、もの……!」

「キミが掴んで止めなかったならもう私の手を掴んでいるところだったのに?」

「で、でも焦って、自分から掴んだじゃない! み、惨めね、ブス!」


 ヨルノの眉がピクリと動く。


「ふ、ふふふ。言葉が汚いな。育ちが知れるよ。あ、そういえば、君の出自は聞いてるよ? 捨て子なんだっけ。通りでね」


「あ、ああ、あなたこそ、どうせ……まともな愛情なんて、受けたことないでしょ! じゃなきゃあ、そんなに性格悪く、ならないし! 私はちゃんと、この村の人から気に掛けられながら育ったんだから! あなたと違って! ブス!」


「ッ——この——」


 二人の少女は睨み合う。


「…………?」


 アノールはぼんやりとそのやり取りを眺めていた。


 ――どういう展開だ? 僕がどっちのものとかそういう問題なの?


 そもそも今の問題ってなんだ?


 ヨルノの目的は、僕をスカウトすること……だ。この村に来たのは選抜の儀式絡みみたいだけど、今は僕の方に執着してる。僕とエールにとって目下の問題はこれだ。


 僕を誘うために僕を追い詰め、自分から手を取らせた。……って、そんな必要ある? もしエールからのギラフ経由で僕について知っていたとしても、そこまでする必要はあるか? 多少僕のコンプレックスをつつくだけでスカウト自体は成功しそうだけど。


 わざわざお母さんを殺したのは……僕を焚き付けて精霊体の優位性を見せつけるためか。でもそれにしたってそんなやり方をしなくてもいくらだって方法はある。合理的じゃない。


 つまりヨルノという人間は、仕事よりも私情を優先する人間で、無茶苦茶に性格が悪い……ってことになる。


 「い、いや……」


 アノールが手を引こうとしたが、しかし両者とも放そうとしない。面白がってギラフが一石を投じる。


「やっぱりアノールくん自身にどうするか決めてもらわないとね」


 ——!? お前、何を無責任なことを!?


 アノールは視線で訴えたが、ギラフからは憎たらしい愉悦の笑みが返された。


「アノール?」

「アノー、ル……?」


 アノールは手元の二人を見た。二人もアノールを見る。


「僕は――」


 ——そうか。決めるのは……僕だ。


 アノールは長く息をついた。


 深く呼吸する。考えを巡らせる。


 意を決して、エールとヨルノの間の空間を見つめて言った。


「僕は、ヨルノの手は取らない」


 エールがパッと明るい表情になるその前に。


「だけど、エールの元にも戻らない」


 エールの表情は困惑を示した。腕を振って二人を払う。


 戦火にある村の中心で。傾き始めた太陽の元。風が丘から吹き下ろす。ヨルノを見据えて、アノールは啖呵を切った。


「僕は、僕のために、お前ら〝魔女のよすが〟を利用してやる。それでどうだヨルノ。僕はお前らを利用して、お前らも僕を利用する。差し伸べられた手を取るわけじゃない。僕は自分から、自分の意志で、お前らの仲間になってやる!」


 言って、勢いよくヨルノの手を取った。


 ——レオンとは違うところへ。レオンでは絶対に来られない場所へ行くんだ。


 一瞬、ヨルノの頬が染まったのだが、それには誰も気付かなかった。





 三人の傍に、女性が二人、瞬間移動してきた。


 ——え、今、人が突然現れ……。


 一人は左腕を肩から欠損していて、すぐにふらつき地面に膝をつく。右手に持った剣は折れて、マントは真っ赤に染まっている。見れば背面部も身体を大きくえぐられている。


 ヨルノが彼女に駆け寄って肩を持つ。彼女の顔には真面目な心配の色があった。


「ガル!?」


 彼女はルルウ・ガル・ヴァルカロナ。〝魔女のよすが〟の頭領。


 もう一人の女性が口を開いた。おかっぱの白髪に青の差し色、無表情の女。こちらのマントは汚れていない。無機質で淡白な声色で。


「作戦は失敗しました」 


 ギラフはあちゃーと頭に手をやる。


「うわーマジかよ。私、この日のために年単位で潜伏したのに。いやあ残念だねーアスキアちゃん」

「あなたは雇われの途中参加でしょう。私たちはこの計画にその倍の時間をかけているのですよ。あなたの感じている悔しさとは比べ物になりません」

「相変わらず思ってもないことを言うねえ」

「……思っていますが、態度に出すのが苦手なだけです」


 アノールとエールは蚊帳の外。


 ——作戦は、失敗した? 何のことだ? 選抜会場を襲って……敗北したのか? 誰に? カリオさんとオニクスに?


「ガルが! 負けるわけ……ないだろ!」


 ヨルノが叫ぶ。ガルは口の端から血をこぼしながら、申し訳なさそうに笑う。


「は、は。すみません、みなさん。わたしの目算が……甘かった」


 ギラフはうーんと腕を組む。


「でも、まさかガルが負けるとはね。あれだけの戦力があれば勝てると思ってたけど」

「カリオは……なんとか殺せたんですけど。あの少年が、カリオに匹敵するレベルの能力者で……負けて、しまいました……本当に、ごめんなさい……」


 自嘲の鼻息が出る。


「わたしに、もっと力があればよかったのに。みなさんの頑張りを、無駄にしちゃった……」


 アスキアと呼ばれた、もう一人の方の女が繋いだ。


「このように、ガルはもう自罰モードです。私の経験上、こうなってはまともなガルは丸一日、戻ってきません。実際問題、この村の暴徒——ハーキア軍の兵と傭兵たち合わせて500人強はもうほとんどがオニクス一人に制圧されており、もはや混乱に乗じての手形の強奪も見込めません。我々も、教会からの離脱には成功しましたが、すぐに捕捉されます。今すぐこの村から退かなければなりません」


 アスキアはギラフを見る。


「一緒に行かれますか?」

「いや、私は私の仲間が迎えに来るからいいよ」

「そうですか、それでは。行きましょうヨルノ」

「……分かった。行こう」


 ヨルノはようやく、アノールの方を見た。彼女の目には——。


「ついてきてくれるんだよね、アノール」


 アノールは彼女の目に涙が浮かんでいるのを意外に思った。


 ——仲間のために、泣けるんだ。コイツ。


「あ、ああうん。いくよ」


 そんなアノールの裾が掴まれている。振り返ると涙目のエールが、縋るようにアノールの様子を伺っている。


「ア、アノール……ねえ、なんで……? 私、何か、気に障ること……した……?」


 彼女の訴えを受けて、アノールの胸にも、ぐっと感情が込み上げてきた。


「エール……エールは、悪くないよ。悪くない」


 アスキアがヨルノから簡単に事情の説明を受けている。


「や……やだ、アノール、待って……!」


 アノールは唇を強く結びながら、申し訳なさそうに目を逸らした。


「……ごめん」


 伸び来たアスキアの手を取る。


「歓迎しますよアノール。共に、偽りの神を打ち倒しましょう」


 瞬間、魔女の一団とアノールは姿を消した。





 その場には、ギラフとエールだけが残された。ぐすぐすとうずくまったエールの背をギラフが撫でている。


「うんうん、アイツら酷いやつだよな。分かるよ」

「う、うう……ひっく……ギラフ、さんも……でしょう……」


 ギラフはエールの肩を抱きながら申し訳なさそうに微笑みかける。


「ごめんね、私は確かに、酷いやつだ。でも、ウチは暗殺一家でね。仕事だったからさ」

「あん、さつ……?」

「うん。人に頼まれて人を殺すんだ。誰だって、何人だって殺す」


 エールの顔が上がる。ギラフはその表情に、確かな「怒り」を見とった。


「エールちゃんにはさ、誰か殺したい人が、いるかな?」


 エールの涙が、少しずつ引いていく。


 ——やっぱりこの子は、泣き止む子だ。なら、資格があるかもしれない。


「お金……ない、けど」


 次第に目に力が入ってくる。彼女の眼光は鋭い。金髪に黒目の彼女には、確かな覚悟がある。


「出世払いでいいよ」


 質素だった無地のワンピースはいつの間にか血まみれ。左の頬には血の涙が一筋。顎まで伸びて、一粒、ぽつりとつま先に落ちる。


「じゃあ、あの女を——ヨルノを。殺したい」


 静かに、しかし力強く呟いた。


「いや、私がこの脚で、殺す」





 数時間後。もう日も暮れる。


 村人は多くが命を落とし、無事だった者も家財などは失われていた。


 わずかに生き残ったクレアムルの兵士は、死体を地面に並べて整理していた。アヤメの死体もレオンから兵士に預けられる。


 レオンはアヤメの顔を撫でてから、その場を離れた。


 彼女は教会の跡地に佇んでいた。そこは激しい戦闘のせいで、更地となっていた。


 佇むオニクスの寂しげな背中には、声がかけづらかった。


「オニクス。俺の……お母さん……の、死体は、見つかったよ」

「ああ……レオン。そう、よかったな。……よくはないか、ごめん」

「カリオさんの死体は……」


 オニクスはああーと目を宙に向ける。


「精霊体は死ぬと精霊に解けて空気中に溶けちゃうんだよな。だから、まあうん。墓に埋めるのは、この服くらいかな」


 彼女の足元には、彼の来ていた教会の白い制服がある。


「そうじゃなくて……大丈夫?」

「何が? 私は大丈夫。お前こそ大丈夫なのか? 幼馴染二人の方は見つかった?」


 レオンは目を細めて脇を見る。


「見つからない。死体すら、ない」

「じゃあどっかで生きてるだろ。傭兵に攫われたりとかしたのかもな」

「それなら俺は、二人を探し出す義務がある」

「そう。なら、頑張れー」


 オニクスはぶっきらぼうに手を振る。しかしレオンは突然、オニクスの前でバッと土下座したのだ。


「頼む!」

「な……なに……」

「オニクスの力を、人を探すために使わせてくれ! この通りだ……!」


 ——私の力を、人探しに……?


「どうか……お願いします……!」


 訴える。切に。


 オニクスは考える。彼女は天涯孤独の身。親身になって接してくれていたのはカリオのみ。教会に属していたのも、カリオと共にいるためと言うところが大きかった。


 だから彼女にはもう、何もない。


 つまり断る理由が無い。


「別に、いいけど。でも代わりにさ……」


 レオンは顔を上げる。オニクスはじとりと暗い目を浮かべた。


「お前がいるなら、カリオの仇も取れるかも、しれないな」





「そういや、この帽子、落ちてたけど。どうする? 置いてくか?」


 レオンはオニクスからアノールの軍帽を受け取った。古い軍帽、側面を見ると弾丸の貫通痕がある。アノールの父親の死因となった銃痕が。


「……そうだな。借りるとするよ」


 内側にはアノールの名前がある。レオンはクスッと微笑むと、友人の親の形見を自分の頭に被った。





「そういえば、アノール」


 馬車に揺られる折、ふとヨルノが手元を上げながら隣のアノールに話しかけた。


「これ、指輪、落としてたよ。さっき慌てて立ち上がったときにさ。一応お母さんの形見なんでしょ?」

「あ、ありがとう! ……って、お前、情緒ヤバくね。そのお母さんを殺したのお前なんだけど」

「フッ。ここで今からやる?」


「……しばらくは殺さないでおいてやるよ。あとこの指輪は僕のお母さんの形見じゃない。レオンの母親の形見だ」


「へー! そりゃ大事なもんじゃん。無くさないようにしないとね」

「そうだな……つけとくか」


 アノールは右の小指に、指輪をはめた。

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