第6話 三者ボロボロ血塗れの修羅場


 アノールの頭は、この土壇場において妙に冷静だった。


「……ああ。お前には何もしない。僕はここでは死ねないから」


 ヨルノはそれを聞くと「そう。期待外れだね」と言い残して踵を返した。


 ——今だ!!


 背を向けたのと同時にアノールが走り出す。


 ヨルノは足音を聞いて、喜びに口角を上げながら振り返った。


 ――さあどう来る!?


 ヨルノは剣が振り下ろされるのに賭けて、腕を上に構えながら振り向いた。投擲された剣がヨルノの腹部に直撃する。


「なっ……!?」


 もちろん、ただの村人が剣を投げたりなんてしても、ダメージ足り得る要素はほとんど無い。しかし相手を怯ませる程度の効果は期待できる。


 ——まっすぐ、来ないだと!?


 ヨルノがよろめいた隙にアノールは近くの兵士の死体まで駆け寄って、銃を取って構えた。銃床を肩に当てる。弾が装填されているかは賭けだったが——。


 ——見よう見まねだけど! 撃てろ!!


 撃鉄を上げ引き金を引いた。火薬の爆ぜる音と共に弾丸がヨルノの胸を貫く。


「ッ——」


 傷口から血が細く噴き出し、ヨルノは片膝をついた。


 ——まだ駄目だ! 能力者は首を斬らなきゃ死なない!


 銃を投げ捨てながらヨルノの目前へ駆け寄り——つつ剣を拾って、勢いを持ったまま頭上に持ち上げ一気に振り下ろす。ヨルノは両手を交差させて攻撃を受け止めた。


 ——剣を腕で……受けた!?


 アノールは顔に動揺が出てしまう。対してヨルノの表情は真剣。


 ヨルノはその姿勢から、自分の右手でアノールの右手首を掴んだ。それと同時に自分の左足を後ろから回し、まっすぐにアノールの股に通す。アノールから見て、右手首を掴まれ向こうに持っていかれるような形、自分の胸がヨルノの背中に付く体勢。


 ——こっ、れ。


 ヨルノはアノールの足を左腕で払い、右腕を右手で引っ張りながら、膝を使って背中でアノールの身体を右手側に押し飛ばした。受け身も取れず派手に叩きつけられる。肺の空気がカフッと音を立てて喉から抜ける。


「ハッ——ァ——」


 アノールが剣を振ってからここまで、二秒以内の出来事。


 起き上がろうにも息が上手く吸えず身体が動かせない。数秒後には首に刃が置かれていた。


 ——まっ……、負けたっ……!


 内心、悔しさが湧き上がってくる。


「はあ……はあ……」


 ヨルノも余裕とは言えないようで、大きく深呼吸をして息を戻していた。


「結構、やるね。組み立てを考える余裕があったなんてさ」


 アノールはそれを誉め言葉として受け取ることはできなかった。褒めた人間と状況もそうだが、それを抜きにしても、褒められる余地などなかった。


 ――完敗だ。膝をついたのは攻撃の方向を上からに絞って、そのまま懐に潜り込むためでもあったのか。これが実践。戦場の傭兵。力で劣る女の子に、いともたやすく投げ飛ばされた。


「お分かりいただけたかな……。これが精霊体のアドバンテージ。痛みに鈍く、傷もすぐ治る。胸の銃痕はもう塞がり始めてる。手形に触れて能力を受け取る際、してくる身体だ」


 ヨルノの胸にはもう出血が無く、白い精霊が傷口にわさわさと張り付くのみだった。


「この腕の傷が閉じるのには……まあ数十分かかるだろうけど。だから、剣をモロに受けた左手はしばらく使えないね。でも、たとえ欠損したとしても数日すれば再生する。これが能力者と非能力者の〝前提〟の差だよ」


 ヨルノは腰を曲げて剣を地面に置いた。ふとアノールの頭に疑問が浮かぶ。


 ――あれ、そもそもこいつの目的は何だ? わざわざ僕を煽って、不利な状況で戦った理由は一体。僕に敗北感を与えるためとしか考えられないんだけど。


 考えるアノールの視界が陰る。ヨルノに上から覗き込まれ、その黒髪がまた顔をくすぐった。髪の毛を滴って血の雫がアノールの頬に落ちる。


 その切ない微笑みは血を浴び、汗もかき、お世辞にも綺麗な顔とは言えなかった。しかしアノールには不思議と、それも魅力的に見えた——ような気がした。


「ねえアノール、私は——」


 そこまで言ったとき、別の誰かが二人に声をかけた。


「あーヨルノ! 久しぶりー! ——って、あれ? それ、アノールくん?」


 セリフを中断されてため息。腰を曲げたまま首を回す。


「ギラフ……遅えよ。早く教会に行けよ」


 ギラフは目を丸くして両手をあわあわさせた。


「いやいやだって、私は兵士さんたちを先導しなきゃいけなかったからさ」


 現れたのはもう一人。アノールの姿を見つけてブレーキをかける。砂埃が上がる。


「アノール……? アノール!」


 ギラフはヨルノに、エールはアノールに近寄ろうとして、二人ともその足を途中で止めた。両者ともお互いに驚きの表情を向ける。


「ギ……ギラフさん!? な、なな、なんでここに……!?」

「……そうか。まさか、エールちゃんもか」


 言い終えて、ギラフはエールに笑顔を向けた。口が裂けたようにカパリと開いたその不気味な笑顔は、呼び名に違わない醜悪さだった。


「い、生きて……え? どうして、生きて、ここに……」


 エールは顔面蒼白。それはギラフへの疑問なのか、自分自身に問いかけたものなのか分からなかった。ギラフは嗤う。


「嗚呼。エールちゃん。この期に及んでまだ私を信じようとしているなんて、いじらしいよ」

「じゃ……じゃあ! ギラフさんは、最初から……ぜ、全部、知ってたんですか!?」

「そんなもんじゃないさ。積極的に加担しているよ」

「……それは、どういう」

「そう。砦を落としたのは私。だって、味方に毒を飲ませるのは簡単だからね」


 ギラフは軽く両手を広げて語った。エールは戦慄のあまり口元を押さえて数歩たじろぐ。


「じゃあ……砦の皆さんは……」

「死んだよ。全員」


 砂埃。ギラフはエールに蹴り飛ばされた。鈍い音を立てて地面にぶつかり転がる。今までギラフがいた位置には肩で息をするエールが立っている。


 体を動かせず、首だけ上げて二人を見ていたアノールには、何が起こったのか理解できなかった。まるでエールが瞬間移動したかのように見えた。ヨルノもほー、と声に出す。


「脚力強化か。出力もかなり高め。やっぱりいい能力を貰えたね。いい色をしていたからそうだと思った」


 ――エールが……能力を授かったってことか!?


 地面に倒れたままのギラフに向かって、エールが吐きつける。しゃっくりに詰まりながら。


「なんで……なんで! なんで、なん、ですか!!」


 ギラフはガハッと血を吐いた。顎を真っ赤にして体を起こし、腰を下ろしたまま、蹴られた横腹をさする。


「ダメ……じゃ、ないか……狙うなら首だよ。頭を蹴り飛ばせば……勝ちだったんだ。精霊体はそれでしか殺せない。斬撃ならともかく、打撃や射撃は効果が薄い」


 エールは激しい動悸の中、かすれ声をなんとか絞り出す。


「だから……! 私はそういうんじゃ……そういうのを聞きたいんじゃ、なくて……!」


 ギラフは立てた右膝に肘をかける。余裕綽々の薄ら笑いは依然崩れない。


「いーや。偶然だったとしても君はその力を手に入れてしまったんだ。容易に人を殺せる力をね。そしてそれを私に向けた。これはもう殺し合いの世界だ」


 エールは自分のすねに残った感覚を意識して、言い返せずただ悔しそうに睨んだ。


 ギラフはよいしょと立ち上がって、腕を組んでうーんと背を伸ばした。背骨の関節がバキバキと鳴る。のっそりとした動き、長身に長い四肢。血まみれの腕を広げながら迫ってくる。


「さあ、私を殺せるかな?」


 エールの背筋に悪寒が走った。


 再びの砂埃。しかし、こめかみを狙って振り上げたその右足はギラフの左腕で止められた。腕にはめり込みに曲げたものの、頭までは届いていない。


「えっ!?」


 エールが着地して距離を取るまでの寸秒。ギラフは右腕をバッと振って自分の血を飛ばした。エールはパタタと顔に浴びる。


「いっ……目に……」


 ギラフから離れたエールが左目を抑えている。


「攻撃、遅くなったね。今度は私の目にも動きが追えたよ。地面を蹴ってみるまで体の痺れには気づかなかったかな? 私の風下で息を荒げすぎたね」


「目が……目がから………え?」


 途端、エールはうずくまった。


「い、いた、痛い。痛い、痛い痛い痛い痛い」


 アノールは居ても立ってもいられず、よろめいて立ち上がり、ふらつきながらエールに駆け寄っていく。


「エール!? エール大丈夫!?」


 とはいえ彼女には痛み以外のことなんて。アノールのことも強く押しのけてしまう。


「痛い痛い痛い……」


 アノールはその異常な光景に、つい数歩引いた。


 ――これは……これは、何だ? 一体全体どうしてこんなことになってんだ?


 不気味で恐ろしい。ともかく触れるべきではない。非現実の残酷なファンタジー。それまでの彼の日常には無かった景色。


 迂闊にも彼の目指した世界。


 遅れて歩いてきたヨルノが大げさっぽく言った。


「ああ、彼女、可哀想に。アノール、君にもっと信仰心があって能力を手に入れられてたなら、彼女を守れたかもしれないのにね」


 ——僕が? 僕の信仰心が足りなかったから? そうだ、僕には信仰心以外に何もなかったのに、それで能力すらも手に入れられなくて……。


「ちなみに精霊体に適合するかどうかに信仰心は関係ないんだけどね」

「——は?」


 ——何を、言って。


「手形に適合するかどうかは生まれつきのものなんだ。そういうシステムなんだ。神なんて、いないんだよ」


 じわじわと、ヨルノのセリフが頭蓋の中に沁み込んでいく。次第に目がぐるぐると回り始める。


 ――適合するかは生まれつき? じゃあ僕が今までしてたことは? 教会で祈りを捧げて、教えを学んだあの時間は?


 レオンに唯一勝っていると誇らしく掲げていたものは一体? それだって最後の最後に追いつかれて……違う違う! だから意味なかったんだって。


 意味……ないのか。意味がない、僕のしてきたことは、全て……。


「そんなアノールに話があります」


 返事などしないつもりだったが。


「私たちは、キミに適合する手形を所持しています」


 そんなことを言われては目を上げてしまう。


「アノール。〝魔女のよすが〟においで」


 人のよさそうな笑みと共に、アノールの前に右手が差し出された。

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