第5話 それでも主人公は彼なのだから

 教会では精霊体と能力を授かったエールが教会を飛び出していったところだった。同様に能力を授かったレオンは、床を睨んで固まっている。唇を震わせる。


「……エールは軍に所属することになるんですか?」


「本人が強く拒否した場合はその限りじゃあない。あの子は若いし女の子だし、今回の選抜がイレギュラーだったのもある。だが、なにせ戦場に立つ能力者の報酬は凄まじい。忘れて生きようとしても、戦場に出れば報酬を受け取れるという可能性は常に頭に残り続けるだろうよ」


 オニクスはつまらなさそうに肘をついて、飛び出していった人間たちの様子を追っていた。


 ——あれ、アノールが動き始めた。誰かに引き連れられて。これじゃあ指示した位置にエールさんが行っても、そこにアノールはいないな。そもそもこの誰か、は何者だ?


 オニクスがヨルノにもっとよく触れようとしたその瞬間、オニクスの能力圏内に突然大量の何かが現れた。一拍遅れてそれらが人間だと気付く。


「?」


 大量の人間が、突然この村に現れた。軽く二百人以上の敵兵が。まるで瞬間移動してきたかのような。こんなことはオニクスには初めてのことだった。兵を隠していただとかそんなちゃちな話ではない。複数の能力を使った大掛かりな仕掛け。


「なん、だこれ。なんだこれ」


 少しずつ現実に焦りが追いついてくる。思わず立ち上がる。


「なにか、何かマズい! 何が……」


 異変を受けて能力の範囲を限界まで広げる。さらなる異変に気付いた。ハッと砦の方向へ目をやる。


「砦が……落ちている……!?」


 敵兵は既に砦を乗り越えて丘を越えようとしていた。目を見開く。


「おかしいだろおかしいだろ、おかしいだろ。なんでだ? 敵兵は今やっと砦に着いた頃じゃないのかよ。なんでもう砦が落ちてるんだ」

「オニクス、どうした」


 カリオに声をかけられて、自分の役割を思い出した。声を上げる。


「まずい……まずいまずいまずい! これは何年ものの計画だ! 敵の目的は御神体!」


 レオンの足元に伸びる光、それは開かれた大扉から入ってくる陽の光。そこに、一つの影が現れた。


 影を伝うようにして、その人物へ振り返る。


 彼女はそれが当然の権利かのように教会内に踏み込んできた。カツリ、と。


 マントをたなびかせる、短い金髪の女性。毛先は荒い。シャツにスカート、ショートブーツ——ヨルノと同じ格好をした、大人の女性。しかし衣装のどれも、ヨルノのそれよりかなり年季が入っていた。


 後光を受けながら、タン——と足を揃えた。一瞬の静寂の後、バッと右腕を上げたかと思うと、それを大きく回してきて、執事がそうするように、丁寧な礼をした。


「みなさま、御機嫌よう。わたくし、傭兵団〝魔女のよすが〟で頭領をしております、ルルウ・ガル・ヴァルカロナと申します。神聖な儀式の場と承知の上で、土足で失礼します」


 言い終えると、顔を上げて目を開く。途端、ギラリと鋭い宝石のような目が明らかになった。深海のような蒼色。微笑みを絶やさないままに、剣を抜き、前方へ掲げる。


「失礼ついでに、クレアムの手形、頂戴いたしますね」


 彼女の脇から、銃を構えた敵兵が、押し寄せるようになだれ込んでくる。





 並んで歩きながら、アノールはヨルノにふと尋ねられた。


「ねえアノール、一騎当千の兵を倒すにはどうしたらいいと思う?」


 あまりにもざっくりとした質問に首をかしげる。


 ——な、何を聞かれてるんだ?


「え……? えっと……同じように一騎当千の兵をぶつける?」


 ヨルノはうんうんと頷いた。


「じゃあ、敵にはそのカードが二枚あるのに、こちらは一枚しかないならどうする?」

「それなら、敵のその強いカードを相手にできるほどに、普通のカードをたくさん集めるしか……ないんじゃ、ないかな」


 ヨルノはそれを聞くと、嬉しそうに振り返った。


「そう。一騎当千の兵を倒すには千以上の兵を用意すればいいんだよね」


 アノールは、ヨルノが何を言っているのか察した。


 ——急に教会の方が騒がしくなったこと、それどころか村中の様子が騒々しいこと。全部、ヨルノの仲間のせいってことか。


 ヨルノは楽し気にアノールの左右を行き来する。


「ねえアノールー。なんで私に従ってるの? 私、悪い人だよー?」

「い、いや、ヨルノは能力者なんでしょ? なら敵う訳ないじゃん」

「へえ。いいね。思考のセンスはある。でも消極的だな」


 ——思考のセンス……あるんだ。あるの? 僕に? へへ。……って、じゃないじゃない。相手は敵だぞ。


 そんな折、アノールはおかしな光景を見た。北の丘の稜線が、人で埋め尽くされている。それらはこちらに向かって丘を下りてくる。


 敵だ。敵兵がこの村に向かってきている。


 ——あれ。


「……そっか。砦は……落ちるって話だっけ。え、でも、砦を越えてくるのは教会の決まりを破ってるんじゃ——」

「何を言ってんだよアノール。私ら傭兵だぜ? 契約が終わったらもう軍とは無関係の盗賊だ! じゃあ後は敵国の村から略奪するだけだよねぇ」


 ――そうか。それもそうか。


 アノールの足が止まる。途端に頭が醒める。身体もじわりと冷めていく。


 ——そうだよ、僕はそれを知っていたじゃないか。敵に傭兵がいるとも知っていた。だからこれからこの村は、傭兵によって襲われ、略奪され、蹂躙されるんだ。今やっと繋がった。いや嘘だ。僕はそれを知っていたのに、どこか楽観視していて、それを無視していた。これは、僕のせいなのか? 僕のせいじゃないか? なぜそのことを教会で言わなかったんだ。オニクスにその事実を言ってさえいれば、村は守れた。僕は……何をやってる?


 足を止めたアノールの手を引っ張り、気持ち大きく足を上げてヨルノは歩いていく。


 数十秒後、ヨルノが足を止めたのは、アノールの家の前だった。





 村は混乱の最中にあった。一目散に逃げ出す者はともかく、荷物を纏めて逃げようとする者は荒くれの傭兵に襲われ略奪される。国の兵士が村人を守ろうと戦っているが、数で敵わず袋叩きに遭っている。


 ——凄い、光景なのに……動揺してない……。


 アノールは自分の震える右手を睨んだ。身体は震えているのに、脳が付いてきていない。


 ——僕は、頭がおかしくなったのか?


 自分の家の前に兵士と村人の死体が転がる様を見ても、それが現実味を帯びたもののようには思えなかった。


 ヨルノはアノールの家の扉に手をかける。


「おじゃましまーす」


 中を覗くと、中のアヤメがちょうどこちらに目を向けたところだった。


「アノール……?」

「お、母さん」


 アヤメは家から出てきてアノールに駆け寄る。


「アノール! 無事でよかった!」


 母親に肩を掴まれ、アノールは思わず涙が出た。


 ——あ、あれ、なんで、なんで。


 それが何の涙なのかは分からなかったが、しかし涙が止まらなかった。アヤメはその様子を見て、ポンポンと肩を叩き微笑む。


「ほらほらシャキッとしなさい。とにかく早く、逃げないと。教会の方はどうなったの? レオンは? エールちゃんは?」

「あ……教会は。えっと……」


 アノールは何をどういったらいいか言葉に詰まる。


 アヤメの背後、ヨルノは腰の剣を抜いて両手で持つと、アヤメを背後から刺した。


「…………?」


 突然の事だった。一瞬が長く感じられる。視界の外縁が歪む。


 初めに目に付いたのは剣が突き出している母親の胸。次に目が向いたのは自分の胸をつつく剣先。最後に母親の顔。唖然として自分の胸を見下ろしていた。血が服に滲み、赤色はすぐに広がっていく。


 ヨルノは思い切り剣を引き抜いた。


 吹き出した血がアノールの視界を染める。呆然としたまま手を自分の顔に当てると、ぴとりと僅かに粘性のある液体を感じ取れた。


 アヤメが膝から崩れ落ちる。そのまま前に——アノールの足に倒れ込んで、縋りつくような形になり、そうして、力なくズルズルと地面まで滑っていった。


 アノールはただ眺めていた。背中からも血が湧き出ているのを見て、「ああ、背中から刺されたんだな」などとぼんやり考えていた。


「アノー……ル……」


 ——!?


 眠気に水をかけたように。その声を聴いて、ハッと意識が現実に帰ってきた。視界が広がって、母親の全貌が明らかになる。


「お、お母さん!? お母さん!!?」


 慌てて膝をつき、アヤメの頬に手を敷いてこちらに向ける。


「レオンに……これ……を……」


 アヤメの指から、何か小さなものが転がり落ちた。きらめく、銀色の。花と蔓の意匠。


 ――こ、れは。レオンの親の形見の……!


「……うん。レオンに必ず届ける。届けるから……」


 指輪を拾い上げる。涙腺が決壊する。


「あ、あ……お母さん……」


 彼女の安らかな微笑みに手をやろうとして、でもそうはできず、地面に手をついて泣きじゃくりながら——。


 泣いて泣いて、目元を拭ってまた瞼を開くと、眼前に剣が迫ってきていた。


「——!!?」


 刹那の判断。思い切り上半身を引いてそれを回避した。ヨルノが地面から振り上げた剣は額を掠めるのみで宙を切った。


 母親の死体からすぐさま離れる。ヨルノは剣をアノールの方へ投げた。


 ——!?


 そのそぶりを見て、驚いて両腕を前にかざしたが、しかし剣は投げつけられたわけではなく、足元、一歩か二歩先のところに落ちた。


「ねえアノール、これでもまだ私に抵抗しないの?」


 ヨルノは悲哀と軽蔑の混じった表情でアノールを見る。


「ここまでされてなお、キミは消極的でつまらない選択肢を選ぶのかな」


 アノールは自分が現実にいることを思い出した。現実の中心にいる。悲鳴と剣戟、発砲の音が響く村の中心で。五感が冴えて、世界の輪郭がハッキリしてくる。


 意識が自分に集まってくる。地面を踏んで立っている。足元には母親の死体。向こうには、その仇。


 涙は自然と引いていた。


 ——殺す。

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