第3話 おおよそ全ての原因はアノールにある

 丘の向こうの草原から角笛が響く。聖戦が始まった。カリオは頭をカリカリと掻いている。


「今日中の援軍は駄目だったか」

「負傷者の救護に行軍を止めたのが効いたな」


 隊長は村の人々に、少しの間、軍を村に置くことを説明していた。彼らは今、村の教会の前まで来て、人員の置き場に困っていた。


「うーん、まずいな。妨害工作が綺麗に通った。これ、相手さんは援軍を間に合わせてるやつだよな? 落ちるぞ、砦」

「それは私たちの問題じゃない」


 カリオとオニクスは教会の人間だ。戦場に関与する義務は無かった。


「おいおい、俺たちはこの国に暮らしてんだから、問題ではあるだろ」

「そうだとしても、ここの砦は戦局においてそんなに重要じゃない。能力者がギラフ一人しか配属されていないのがその証だ」

「はあ。そう思うと、ギラフはよく一人で長いこと持たせてたなあ」


 ――ギラフの〝体液変化―毒デッドヴェール〟は決して安易に強い能力ではない。聞くところによれば、体液を口などから直接取り込んでやっと分かりやすい効果が現れるものだという。


 戦場では揮発化した汗や血を吸い込ませるのが現実的だが、それでは敵の体が痺れる程度の効果しか無いとか。ギラフに関しては味方を毒に巻き込むまいと単身で突っ込んでいくらしい。しかしそれでも、戦いが終わればいつも、血にまみれたギラフが戦場の中心に立っている。


「おどろおどろしいギラフ」の名はこの戦争が始まった直後から噂に挙がっていた。それほどの有用な駒がここで使い潰されるとは。まあ一人で半年持たせたのだから効果的な配属だったとも言えるのかな?


「カリオ、聞いてるか?」

「ああ、ごめん」

「だから問題は、敵の狙いが御神体だった場合だ」


 ——オニクスが言っているのは砦が落とされた後の事だ。そのまま敵が御神体を狙ってくるのを警戒している。


 だがそんなことをしては中央教会が黙っていない。敵国のものであろうと御神体を狙うのはご法度。そもそも今日中に砦を越えてくるのはルール違反だ。結局、自国クレアムルも敵国ハーキアも中央教会の管理下で争っているに過ぎない。もし御神体を奪って戦争に勝ったとしても、中央教会から処分が下され、どうせ戦果は全て奪われるだろう。


「念のためだ。聖戦が終わる前に選抜を済ませてさっさと前線から離れよう」

「まあ、慎重になるに越したことはないか」


 カリオは隊長と話していた神父を呼び、話の流れを伝えた。そのとき丁度、アノールとエールが戻ってきた。神父が紹介する。


「ああ、二人とも。——こちらのアノールと言う少年が、今回選抜を受ける一人です」

「えっあ、どうも、よろしくお願いします」

「へえ。もう一人は?」

「さっきまではいたんですが、またどこかに行ってしまって——」

「あ……それなら、私、が、呼んでくる……!」


 ——わ、わたし、さっきの慰めるの、凄く頑張った! よく叫ばなかった、偉い! でももう無理! 我慢できない!


「あ、じゃあ、あっちの方にいると思う。その男の子」


 オニクスが指示する。エールはおひょおおおと小さく叫びながら、そそくさと姿を消した。


 目元を赤くしたアノールはぼーっとして忙しない人々を眺めていた。


 ——兵士さんたち、だ。


「ふーん、君が選抜を受けるのか……」


 オニクスが絡みに行く。


 ——なんか来た。


「どなたですかね?」


 アノールの身長は160半ばなのだが、オニクスとの身長差は20センチ近くある。


 ——ちっさい……。


「お、今、私のこと年下って思った?」


 このセリフを聞いた瞬間に、アノールは察した。


 ——この女、めんどくさいやつじゃん。やだやだ、僕今ナイーブなの。そういうのに付き合えるテンションじゃないの。


「お、思ってないですよ……」


 オニクスはニヤニヤとうろついてアノールの顔を覗き込む。


「うーそはよくないなー。ほらほら、力比べしてみるかい?」

「それ絶対勝てないやつじゃん。やらないやらない」


 オニクスはそっぽを向いた。


「あっそ、つまんねーの」


 ——こんな小さい女の子なのに教会の制服を着てるんだから、どうせ能力者だろ。


 とはいえアノールもこれから選抜を受ける身。能力と聞くと多少興味をそそられる。


「どんな能力をお持ちなんですか?」


 ——さっきエールに何か言ってたよね。男の子がいる方向が分かる能力? そんなに限定的ではないか。そんな変態的な能力があったら神様を疑うわ。


「ああ、私? 気になる? てか知らないんだ。結構有名なんだけどな」

「す、すみません」

「これだから田舎者はさあ」


 オニクスは両手を上げて「はあーっ!」とこれ見よがしにバカにした。手が出かねないところだった。


 ——あ、あぶない。ガキ殴るところだった。


「しょうがないから見せてあげるよ。ふふふ」


 オニクスは肘を曲げて左手で物を持ち上げるような仕草をした。すると向こうで神父と話していたカリオの体が持ち上がる。手を下ろすとカリオはどさっと尻から地面に落ちた。カリオの怒声を聞いてにやりと口角を上げる。


「これが私の能力。〝触覚拡張〟。〝サイコキネシス〟とも呼ばれる。体から離れた位置にも触れて、力を加えられるっていう能力なのさ」


「……それで、レオンの位置が分かるんですか?」


 ——いまいち分からないんだけど。


「まあおそらくは。ここから見えない位置にいる村人をさらさらっと触っていって、男の子っぽいのを見つけたから多分そうだろうと思っただけだよ」


 ——なるほど。なんかこの能力、結局破廉恥じゃね?


「それにしてもそんな遠くまで分かるんですね」

「軽く触れるだけならもっと遠くまでいけるよ。例えばあの丘の向こうで行われている聖戦の様子も分かる」

「えっ?」


 ――草原までは徒歩で10分以上かかる。それほど広い範囲を個人が観測できるって言うなら、コイツ——オニクスの戦術的価値、みたいなものって、計り知れないんだけど。そりゃあまあ、御神体の護衛にも就くわけだ。


 オニクスは聖戦の状況を分析し始める。


「うん……敵の数が多い。聞いてた話だと敵の戦力は100人くらいだったらしいけど、今日はその3倍はいる……。敵は草原を進んでるけど、こちらの戦力はまだ砦か。引きこもって籠城するつもりなのか。最初からそのつもりで構えているなら、あるいは粘り切れるか……?」


 不穏な報告。


 ——敵が多い? 敵の数が倍になっていて、こちらの援軍は遅れてしまった。


 ポンと合点がいった。


 ——なるほど。これは、敵軍の計略か。そういえばヨルノは傭兵を名乗ってたな。ってことは、彼女は敵軍に雇われた傭兵だったんだ。だから聖戦の前に、丘の上から戦場を観察してたってことね! へえー、繋がるもんだなあ。


 アノールは点と点が繋がった快感に気を取られ、その事実の事実らしい部分に気付かなかった。つまり、砦が落ちて、ギラフを始めとした兵士たちが死ぬか捕虜にされるという現実に。


 レオンがエールを伴って、軽く駆けてきた。


「すみません、待たせました」


 カリオが声をかける。


「じゃあちゃっちゃとやっちまうか。準備はできてる。二人とも教会の中に入ってくれ」


 カリオとオニクスが先に行って、レオンとアノールが続く。


 アノールはその折にふと、辺りの村人の中に、彼の母親を見つけた。


 ——あ……お母さん。


 アノールの母親——アヤメは彼に向けて、悲しみと誇らしさの混じった、複雑な微笑みを向けていた。





 アヤメはこの村の出身だが、しばらく街に住んでいた。若いころ街で出会った男性に見初められて結婚したのだ。それから六年後、その相手が戦争で亡くなった。男は兵士だった。


 子供を連れて村へと帰る途中、物乞いの少年を見かけた。


 物乞いは珍しいものではなかった。しかしそれは街中でのことだ。街道を行く人間は馬車に乗っていることが多いし、そもそもの人通りが全く違う。物乞いが期待できるとは思えなかった。不思議に思いふと足を止め、結婚指輪を外して渡した。


 物乞いの子はそれを一度手に取ったが「受け取れません」と返そうとした。街に行けば換金できると言ったが、問題はそこでは無いとのことだった。


「僕の宝物も指輪だから、もらえません」


 アヤメは雷に打たれたような衝撃を受けた。物乞いがこのような清廉な精神を持っていることに驚いた。物乞いと無意識に侮っていた自分を気付かされ恥ずかしく思った。


 言葉を失っていたところ、息子が前に出た。ぶかぶかの軍帽のつばを指で持ち上げて、物乞いの子を見下ろす。


「君、賢いね。なんでこんなところで物乞いやってんの?」

「ここの方が恵んでもらえる可能性が高いよ。他の物乞いがいないから」

「ふーん、じゃあ、物乞いなのになんでそんなに物事を考える頭があんのさ」


 物乞いの子は少し考え込んだ。


「こないだまでは物乞いじゃなかったから」


 ――思えば息子はこの時既にその発言を引き出して私に聞かせようとしていた。


「戦争?」

「そう」


 物乞いの子は戦災孤児だった。夫の姿が――すぐ帰ると残し笑って出て行った夫の顔がフラッシュバックする。アヤメの中で何かが弾けた。気付けば少年に抱き着いていた。服は汚れていたし臭いも相当したが気にはならなかった。


 声を出して泣いた。泣き続けた。その子は村へと連れて帰った。運命だと思った。





 それ以来、これまでレオンとアノールは兄弟の様に二人で仲良く育ってきたのだ。今日までは。


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