番外編

馬に蹴られろ


 けばけばしいネオンをまとった、いびつで巨大な建築物があった。元の姿などもはや記憶ばかりか記録にさえ遠いほど――建物と道と時間が積み上げられたそれは、無秩序なりに層になり、電気水道の利用できる住居はもちろん、日用品食料品の店舗、飲食店、家電を売る店に修理を請け負う業者、貴金属店、スポーツジム、ペットショップ、医者に薬屋、風俗店さえ営まれ……もはやひとつの『街』だった。もちろん、どれも寄せ集めなりの必要に応じた、法的な根拠のはなはだ怪しい商売ではあるのだけれども。

 その最も高く最も深い場所、細い細い路地や急な階段を上った先に――朱塗りの二本の柱に支えられた門を模した庇を持つ、薄暗い小さな店がひとつ。ほんのりと香の漂う、狭い壁両側を整然と並んだ小抽斗に埋め尽くされたそこは、看板こそないが『薬屋』であるとして知られていて――また、店主はたいそうな麗人であると有名であった。





 さて……。

 慇懃無礼な痩躯の紳士と、やたらおべんちゃらを並べ立てる縦より横の幅の広いおしゃべり男――さほど好意的とも思えない出迎えが、ひとりの見張りを残して立ち去ると、十鹿シールゥーは無駄に豪奢な長椅子に身を預けて、胸の内でだけ首を傾いだ。


 の目的は、どれだろう……?


 ソファーや天蓋付きのベッドの装飾は成金趣味のそしりを受けかねないきらいはあるが、全体的な部屋の設えは悪くはない。飽きるほどの財産を自由にできる富豪と見るよりは、どこぞの企業の一部門を任された不肖の息子の私的な持ち物といった具合だろうか?

 どちらにせよ、金回りは良さそうに思われれば――ごく可愛らしい、営利誘拐の線はなさそうだ。


 『城』のことなら、自分で調べてみれればいいのに……。


 なにがしかのコンプレックスを抱えた跡取り息子もしくは、兄弟に後れを取るまいとする野心家なら、夢を見ることもさもありなん。十鹿の現在棲み家とする違法建築の塊は――世間からは半ば捨てられたような存在でありながら、意外なほど雄々しく存在し続けているために、都市伝説まがいの評をほしいままにしていた。曰く、人類の歴史を覆す遺跡を覆い隠している…だの、なにやら地中の神秘の力の噴出口に位置している…だの、どこやらの大国が全世界を滅ぼす威力を持った兵器の開発を進めている…だの、同じく宇宙への移民船を建造している…だの――どれも小説や映画ばりで、なかなかどのお方も想像力お逞しい。

 実際には、夢もロマンもない――過去の傷を覆い隠しているにすぎないのに……と、十鹿などは思うのだが。加えて、多少なり閲覧制限の可能性も否定はできないが――国際的に広く記録は残っているはずなのだ。記録が残っているという記憶が、歳月と世情の変動の末に途切れているだけで。


 もっとも、十鹿としては、理由がそれなら別にそれで――さっくり夢を叩き潰してどうぞ…でしかない。

 それよりも厄介なのは――彼自身が目的とされている場合である。


「……面倒くさい……」


 さらり…ぼやきに肩を落とせば、滑り降りてくる黒髪を白い指先に弾いて――十鹿は手近なクッションにもたれかかる。若葉色の長袍に包まれたすんなりとしなやかな肢体に、腰まで伸びた黒髪がわずか遅れて沿うた。

「やっぱり、出てくるんじゃなかったかなぁ……」

 柳の眉を顰め吐き出す表情は、さすがに険を隠せぬものの――伏しがちな長い睫毛の奥の黒目がちな瞳、滑らかな頬、小作りな唇……おそらく、目にする万人が万人、彼を麗しいと評するだろう。事実、不快そうな顔さえ、見る者は見惚れると想像するに難くない。

 その容貌と、性別を惑わす程度には線の細い体躯のために――困った好かれ方をされたことは数知れず。幼少期は、営利誘拐も念頭にあったようだが、長じるにつけ不埒な意図をもってしての拉致監禁未遂の発生も枚挙に暇なく。

 ただし、確かに成人男子としては華奢と形容されよう体躯であろうと、さすがに一般的な女性や子供ほど非力なわけではなく、護身を幾らか上回る程度のすべに心得のなくはない。

 故に、たびたび無駄に乱闘まがいの騒ぎになり――いい加減、嫌になって、所有者の一族である特権でもって、辺境に討ち捨てられた建築物の一角へと引き籠るに至ったしだい。法の息のかからない場所柄、後ろ暗い過去を持った逃亡者やならず者も多く住みついてはいるもの……ごく初期の段階で釘を刺して以来、下手なちょっかいをかけてこようとする莫迦者は激減し――また、新参者にも彼らの牽制が伝わるのだろう……おかげで、快適な日々を過ごしている。

 とはいえ、外界と完全に切れているつもりもなく――かつての生薬の師が、さる企業の後援する医師や薬師の集まりに招待され、付き添いを請われて出向いてみれば……の顛末である。何も知らなかったのだろう師を暗に盾にされては、に応じないわけにもいかず。

 ひとまず、車に乗せられ――出迎えのふたりに引き渡されるまで、連行に関わった三人の男については、身体に触れる手が気持ち悪かったので、最低限の礼儀を見せろとばかり出迎えに苦情申し立てして退場させた。

 今、扉のそばに緩く壁にもたれて立っている男は、急遽交代としてよこされたらしい――先の三人と同様、仕立ての良い黒いスーツをお仕着せられているが、若干毛色が違って感じられるのは漏れ聞こえたところ、雇われてここ半年もない新人とやらであるせい……としておこうか。

 男は、呼び込まれてからこちら、一言もなく黙っている。かといって、十鹿に注意を払っていないわけではないだろう。視線とまで言わないが、意識を向けられている気配は感じる――ただ、その気配が煩わしくはないことに、気付けば少しばかり驚いた。

 ひとしきり不貞腐れ――ともかくは、自分を連れてこさせた主人あるじとやらと会ってみるしかない。存外、『城』について知りたがっているだけのお莫迦さんの可能性もなくはないのだし……肚を決めれば、待つだけの時間は手持無沙汰。好奇心のついでと、室内の設備を薙いだ視線の続きに、扉際の男を眺めやる。

 背は高い。おそらく隣に並べば、頭半分違うだろう。身長なりの肩幅――きっちりサイズの見合った、それなりの仕立てのスーツの下は、筋肉の厚みを匂わせるが、巨漢と形容するほどとも思われない。引き締まった肢体は、スマートかつシャープに整っている。

 逃げようとすれば、体術でもって抑え込まれるのは――試みるまでもなかろう。

 短めに整えられ、軽く立ち上げられた黒髪。男性らしい直線的な額と頬のラインと揃いのように通った鼻筋――眉も鋭利に思われれば、全体として堅苦しそうな印象でもある。

 それは、目元を覆うミラーグラスの無機質な輝きとも呼応して、人間味からいささか遠い。

 けれども引き結ばれた薄い唇は正しく血の色を透かし見せていて――温もりと柔らかさを思わせた。


 目を見てみたいかな……。


 唇に感じたものを瞳にも期待したくなる。

 ミラーグラスは、なにがしかの加工を施されているのだろう――肌との隙間なく目元をすっかり覆ってしまっているが、埋め込まれているわけでもなさそうだ。

 思ううち――ふと…男の唇が震えた。


 え……?


 瞬いて、懐いていたクッションから身を起こすと――それは、わずか笑みを形作り、今一度、無音のままに同じ言葉の繰り返される。

 曰く――。


 逃がしてやろうか?


「そんなことして、いいの?」

 思わず、噴き出した。

 釣られたように、ふっ…肩を震わせた男は――ふらり…緩やかな挙動で凭れていた壁を離れる。大股に数歩、十鹿の身を預ける長椅子の元まで歩み寄ると、いくらか芝居がかった大仰さでもって片膝をついた。

「まぁ、良くは無いだろうな――」

 自嘲じみていながら楽しそうにも聞こえる声は、深く低い。

「だが、雇われの身ながら……あんたをこのまま、道楽息子に引き渡すのは気が咎める」

 いや違うか……しかし、するりと訂正の必要を訴えた男は、ほんの数拍を置いて跪いた位置から口元に眩し気な歓喜を浮かべて十鹿を見上げてみせる。

「あんたがアレに触られるかと思うと、不愉快だ」

 嫌悪を吐き捨てる語尾に、男の体温を覚えた気がした。

「ありがとう。口説かれてるみたいに聞こえるけど……いいの?」

 褒めたたえる言葉にも、気を持つ視線にも慣れている――しかしながら、男から向けやられる熱にばかりは、不思議と刺激された気恥ずかしさ。

「それを理由におれを逃がしても――君に、それ以上のメリットがあるようには思わないけど?」

 そわり…浮き立つ気持ちを抑えてしまうのも、もったいなく思われて――疑問符を重ねていたのは、もう少しばかり男に言葉を重ねさせたかったから。

「不愉快な思いをしないで済むうえに、あんたのような美人に感謝されるなら、まず上等ではないか?」

「欲はないの?」

「そうだな――礼に、キスのひとつももらえるなら…くらいの下心はあるかな」

 さすがに、この程度で抱けるとは思ってはないさ……ことによっては失礼この上ないことをさらりと言ってのけながら、おどける口調のわりに声色はいたって真摯な響きを保っていた。

「そう」

 キス…という単語に誘われるまま――そろり…手を伸ばす。指先で触れるか否かに男の唇をなぞれば、大きな手に捕らえられて爪の生え際へとその温度を知らされた。

 思った通り、熱いほどに温かい。

「ね――」

 今一度、先ほど覚えた欲求を思い出す。

「それ、外して――君のが見たい」

 ミラーグラスの表面は、油膜のような虹色に揺れていて――透かし見るどころか、覗きこむ十鹿の顔さえ写し込まない。

「わかった」

 短く応えて、目元に手を触れる――チー…微かな電子音と、かちり…開錠に似た機械音、印象としてはあっけなくそれは男の手の中に外れ落ちた。


 見惚れる…という言葉を十鹿は、久しぶりに思い出す。


 くっきりと二重を刻んだ涼し気な目元――縁の青みがかった黒い瞳は、期待通りの熱を孕んで感じられた。ただし、左目のみが。

 右の目尻からこめかみにかけて、現れたのは肌と地続きに埋め込まれた金属質の鈍い光沢――そして、右目の濃い睫毛に縁どられるのは、やはり同じく血の巡りの気配など皆無な銀灰色の機械眼球だった。

 けれども、確かな視線――その温度。

 身体にサイバネティックス加工を施すこと自体は、それほど珍しいものではないが――見入っていた自分に、十鹿はこぼれてしまう笑みを禁じ得ない。


 これじゃ、まるで……。


「目元に、触れても――?」

「好きに」

 諾を得て、今度は、その皮膚と金属との継ぎ接ぎを為すこめかみへと指を触れる。

 さすがに内部になにがしかの機器を備えていれば、まったく冷たいわけではない――しかし確かに、触れて分かる程度に斑な温度。くすぐったいのか、男は数度瞬いた。

 生身の目と機械の目を等分に見つめやってから。

「お礼の先払い――」

 返事は、先に塞いだ。



 名を訊けば、一馬かずまと名乗った。

 わざとらしくはぐらかした振りをしつつ、さらに口を滑らせた振りをして答えてくれたところでは、生身の右目を失うまでは――傭兵として小国同士の紛争の前線にいたという。

 この屋敷の主は、某モーターメーカーから発展した大企業の会長の何人目だかの孫娘の息子であるらしく、経営手腕はそれなりに高くはあるそうだが、横車を押すことも多ければ、一族としては少々問題児でもあるらしい。

 一馬は負傷後、傷の癒えぬ間に――もともとその父親、つまり会長の孫娘の婿のサイバネティックス機器開発部の被験者として半ば買い取られるような形で移送され、右目を与えられたのち、その男の元で用心棒他諸々の要員として雇われていたのだそうだ。

「買い取り……?」

「平たく言えばな――まぁ、取り引きだ」

 国が立ち行かずに放棄された彼の育った施設を引き受け――維持管理を条件に私兵として所有権を引き渡した……と言うのだ。

「君が納得してるなら、おれが口を出すことじゃないけど――」

 そういう条件のもとにあるのなら――なおさら、十鹿の逃亡に手を貸すのはよろしくないのではなかろうか……?

「かまわん。ちょっと面倒な事情で、問題ある息子に貸し出されているだけで、飼い主はその親父の方だ」

 それに、息子の方には元より好かれてなどいないのだし……と、一馬は肩を竦めた。

「俺を気にくわないらしいから――あんたの細腕を見誤って油断した…とでも、無様な痣のひとつも作って土下座でもしてやれば、気がすむだろうよ」

 安いものだ…と笑い飛ばす――いささか投げやりな表情いろの見え隠れする横顔に、十鹿は意識するより早く足を止めていた。

 カチン…と、きたのだ。

「前言撤回――外部にアクセスできる機器を貸して」

 振り向いた一馬が目を見開いただろう様子が、ミラーグラス越しにも確信され――それに愉悦を覚えながら、十鹿は微笑むように宣言する。

「おれが、を買う――」



 どたばたばた……!

 贅沢で豪華な設えに似合わぬ、あたふたと余裕に欠ける足音が近づく。

「貴様、なにをした――!?」

 ばたん!…派手に扉を叩き開けて、有名ブランドのオーダーメイドと思しきスーツを身に着けた美丈夫が飛び込んできた。上背もあり学生時代にはスポーツマンとして人気者だったであろうバランスの取れた体躯、映画俳優にもいそうな整った容貌、今は乱れているブロンドヘアをきちんと撫でつけて取り澄まして立っていれば、パーティー会場の女性の視線を一身に浴びると思われるがしかし、今、彼は憤りに目を血走らせ荒ぶる呼吸に小鼻が拡がり、慌てて走ったせいだろうスーツの襟も肩も乱れ、残念な姿を晒していた。

「『貴様』とは、いいご挨拶……」

 長椅子にくつろいでいた十鹿が、煩わし気に眉を顰めるのもかまわず――ズカズカとカーペットの長い毛足を踏み荒らして歩み寄り、彼は見下ろす角度で仁王立つ。

 状況的に、彼が件の不肖の息子であることは間違いなかろうが――十鹿としては、さて先の集まりでも顔を見た覚えはない。ただ、丁寧に整えられた姿であれば、先ほど美術画廊奥のライブラリーを利用して連絡を取ったまたいとこが探し出してくれた資料で確認してはいた。

 ともかくも、名乗ることも忘れるほど取り乱すとは――やり過ぎたつもりはないので、自身の地位に見合うだけの度胸が、彼には実は足りていないのかもしれない。

 またいとこに頼んで、企業と関係する事業を洗い出してもらった先は、ごく単純明快だ。目の前の彼が強引に吸収合併を繰り返した手口そのままに、件の開発部を含むさらにふたつみっつ上位の組織からまとめて買いたたいた。そのうち幾らかはさすがに、よくよく審議の上で売りに出す可能性はあるが、人質をとられるような形で傘下に加わっていた小企業のいくつかと開発部については、敢えて一族の要たる祖父に願い出て名義を借りた。

 別に、喧嘩を売ったつもりなどは、ない――息巻くドラ息子は、売った喧嘩を買われたと思っているかもしれないが。

 クッションにしだれかかる姿をどう見ただろう――二度三度、唇の端を震わせた彼は、数拍ののち思わぬ勢いで十鹿へと飛び掛かる。

 とっさ振り払おうとした腕が捕らえられ、ソファの背に抑え込まれる。

 が――。

 追及をかいくぐったもう一方の手が、彼の耳に添えられる。

 気配を殺して見守っていた一馬の腕が伸び、彼のうなじを確保する。

 それらは、同時だった。

 ただ、十鹿の指で瞬間煌めいたそれは、一馬を再び驚かせたようだったが。

「動かないで。誤って刺してしまうかもしれない」

 半ば彼の外耳道に差し込まれかかっているため長さは判別できなかったが、十鹿の指に構えられたそれは、ストールピンほどの針だった。

「おれはただ、惚れた男がくだらない理由で土下座だなんて――願い下げだっただけだよ」

 わかるよね?……歌うように目を細めてささやく。

 しばしを置いて、腕を戒める力が抜けた。





 けばけばしいネオンをまとった、いびつで巨大な建築物があった。元の姿などもはや記憶ばかりか記録にさえ遠いほど――建物と道と時間が積み上げられたそれは、無秩序なりに層になり、電気水道の利用できる住居はもちろん、日用品食料品の店舗、飲食店、家電を売る店に修理を請け負う業者、貴金属店、スポーツジム、ペットショップ、医者に薬屋、風俗店さえ営まれ……もはやひとつの『街』だった。もちろん、どれも寄せ集めなりの必要に応じた、法的な根拠のはなはだ怪しい商売ではあるのだけれども。

 その最も高く最も深い場所、細い細い路地や急な階段を上った先に――朱塗りの二本の柱に支えられた門を模した庇を持つ、薄暗い小さな店がひとつ。ほんのりと香の漂う、狭い壁両側を整然と並んだ小抽斗に埋め尽くされたそこは、看板こそないが『薬屋』であるとして知られていて――また、店主はたいそうな麗人であると有名であった。

 麗人は最近、番犬と自称する男を手に入れたらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒龍と熊猫 若月 はるか @haruka_510

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ