2 桐山くんは思わせぶり

「本当に大丈夫! 気持ちだけで!」


 この雨の中、私まで一緒の傘に入ったら、桐山くんは濡れてしまう。それに、そんな小さな空間の中に二人でいるなんて、やはりとても堪えられない。


 桐山くんは肩をすくめて、また小さくため息をついた。そして、なぜか傘をとじて私の隣に戻ってきた。


「どうしたの?」

「雨弱くなるっていうなら俺も一緒に待とうかと思って」

 そういう桐山くんは、意地悪な笑みを浮かべていた。


 きっと、私が何か言ったところで帰らないんだろうな、と思う。


「書類整理、早かったね?」

 戸締まりの確認をするくらいの時間しかなかったような気がする。


「うん、俺、仕事早いから」

 桐山くんが言うと、まったく冗談にも嫌味にもならない。だけど、

「もしかして、私が帰りやすいようにそう言ってくれた?」


「…帰ったと思ったらいるんだもんなあ」

 私の問いには答えずに話をすりかえた。否定しなかったということは、そういうことなんだと思う。桐山くんはそういう人だから。


 桐山くんは困っていると助けてくれるヒーローみたいな人だ。いつも気にかけてくれて、手を貸してくれる。


「今日はどうしたの? また何か巻き込まれた?」

「え? 巻き…? また?」

「残業。またなんか押しつけられた?」

 またって…。桐山くんの中の私の印象がひどい。


「押しつけられたわけじゃ。南さんのミスのフォローしてただけで」

「フォローしてるうちに押しつけられたんだ」

「なんか言い方…」

 桐山くんの中で私は押しつけられがちな人で、自分でも否定しきれないところはあるのだけど。


 だから、桐山くんが私に手を差し伸べてくれるのはただの優しさで、特別な意味など少しもない。絶対に、勘違いなどしてはいけない。


「気をつけないと、西野がやるのが当たり前になっちゃうよ」

「う…気をつけます」

 自分でも薄々感じていたことを予言されて耳が痛い。


「何かできることあったら言って? それとなく課長に言っとこうか?」

「ううん、大丈夫。そこまで大げさなことじゃないし」

「そ? がんばりすぎんなよ」

「ありがとう」


 桐山くんはみんなに優しい。この優しさに甘えてはいけないし、私が彼に感じているのは、ヒーローに対するあこがれみたいなものだ。恋じゃない。間違ってはいけない。


 雨は、弱くなる気配はない。揶揄していた桐山くんはそのことに触れることもなく、そして帰る様子もない。


 私たちは雨音をBGMに、ポツポツと話をした。仕事のことや同僚の小さな笑い話、休みの日に出かけた店の話。すごく盛り上がるということはないけれど、会話が心地よい。


 ふと会話が途切れ、雨音だけが耳に響く。雨の落ちてくる夜色の空。


「西野、帰ろう?」

 桐山くんは優しいから帰れない。だけどこんなときさえも優しいから、うながすだけで強要しない。これ以上は彼を巻き込めないから、好意に甘えるべきだ。


 返事をしようとして、それでもためらう。一緒に帰れば、きっと桐山くんまで濡れてしまう。


「しょうがないなあ」

 ため息と、心底呆れたような声。いくら桐山くんだって、いい加減怒ったに違いない。思わず彼を見ると、苦笑してこちらを見ていた。


「まったく西野は頑固なんだから」

 桐山くんは鞄のチャックを開けて、中から何かを取り出した。


「え⁉」

 桐山くんが出したものを見て、思わず声が出た。彼は今しがた鞄から出したを、私に差し出した。


「ほら、帰るよ」

 折りたたみ傘を私の手に握らせると、桐山くんは傘を広げて一歩雨の世界に出て私を振り返った。一緒に帰るのは決定事項らしく、私が傘を広げるのを待っている。


 私は混乱と戸惑いの中、カバーを外して傘を広げる。もう一つ傘を持っていたならどうして。どうして私の馬鹿につきあったりしたのだろう。どうして最初から傘を貸してくれなかったのだろう。


「え、なんで? 桐山くん?」

 私も雨の世界に出たのを見て、桐山くんは歩き出した。数歩進んでから振り返る。


「わかるでしょう?」


 桐山くんは私をからかうように、かすかに微笑んでいた。


 わかるはずない、と思いながら鼓動が早くなるのを感じた。桐山くんを追いかけるために早足で歩きながら、鼓動の高鳴りに気づかないふりをした。



(了)

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雨が降っても〜西野さんと桐山くん〜 りお しおり @rio_shiori

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