第26話  2泊め ミスホル博士のサナトリウム

 アーフェン王子一行の旅は、1日めで早くも問題が発生した。属国サーシェルの第6王子ルッキオが、落馬して記憶喪失になったのだ。

 

「次の宿泊場所は療養施設サナトリウムです。ルッキオ王子の症例に対処できるかもしれません」

 片メガネの側近、イスゥは、馬車の真向いの席に座っているアーフェン王子に持ちかけた。


「そこの所長の専門は、過敏反応アレルギーじゃなかったか?」

「まぁ、相談してみましょう」



 そんなことを言っているうちに、木立の向こうに鋳鉄ちゅうてつの黒い柵が見えてきた。

 かなりな広範囲を、人の背丈の倍はあろうかという柵で囲んである。柵の間は腕が入るくらいの感覚で、見通しがきくから閉塞感はない。

 馬車は柵に沿って徐行した。

 柵の向こうの広い芝生の庭では、棒切れをふり回して遊んでいる子供たちが見えた。


 ルッキオも馬車の中から、それを見ていた。白い建物も見えた。

「今日の宿は、あそこかな。ナーソーさん」

 真向いに座っているキノコ頭の従者に問いかける。


「旅のしおりの4ページをご覧ください。それから、わたくしのことは呼び捨てでけっこうです」

 答える従者の白シャツは、へんなところに呪いのようなしわが寄っていた。干し方に難があるのだろう。


「でも、年上の人を呼び捨てにするなんて申し訳ないよ」

 ルッキオは困ったように眉尻を下げた。


「王子とは思えぬお言葉……」

 ナーソーは、ちいさな目をしばたいた。



 2台の馬車が白い建物の馬車留ばしゃとどめにとまると、施設の下男らしい魔人たちが、ぱらぱらと集まってきた。


「ひー、ひー、くしょん!」

 そして、療養施設サナトリウムの所長の一声は、それだった。

「ひーくしょん!」


 マスクをした白髪、度の高い分厚い眼鏡をかけた背の低い壮年の男が、ふくらんだ袖の引きずりそうな白シャツに、元は白かったのかなというズボンの出で立ちで、一行を迎え入れた。 


「おまえの専門は過敏反応アレルギーではなかったか。それで本人が、その状態とは、まったくのやぶ医者と言っているようなものだな。ミスホル博士はくし

 アーフェン王子は、容赦ない言葉をあびせた。


「重症から、ここまで治癒したのです。ミスホルは名医にございます」

「名医は、自分で名医などと言わない」

「今どきの名医は自己プロデュースが必須なのです。悩める患者に、あまねく届くためにも——」

「では、患者を連れて来てやった。記憶喪失だ」

 アーフェン王子は、ミスホル博士の口上を聞く気がない。


「まったくの専門外です」

「名医なんだろ。対応しろ」

「無理やりは、さすが魔王アラスタインの第6王子でございますなぁ」


 ふたりは旧知の仲なのか。それとも、犬猿の仲なのか。

 そのまま、施設の応接間兼診察室、白一色の部屋に通された。


 壁際に種類や年代もバラバラなソファーや、ひとり掛けの椅子が並んでいたので、まず、アーフェン王子がソファの真ん中に、どっかりと腰を下ろした。

「ここには1泊の予定だ。それでサーシェルの王子の状態が改善するとは、誰も期待していない。その記憶が戻ろうが戻るまいが、魔王国こちらには、いっさいの利益も損失もない」


「左様ですか。して、その得も損もない患者は、そこの少年ですか」

 ミスホル博士は、部屋の入り口で立ちっぱなしのルッキオを見た。

 

 ルッキオは、ぺこりと頭を下げる。

「はじめまして。サーシェルの第6王子でルッキオ・へクス6番めと申す者らしいです」

 あやふやな自己紹介だ。

 なにせ、今、ルッキオはサーシェルの王子としての記憶がないのだ。


「はい。よろへくっしょい! 」

 ミスホル博士はマスクを下にずらした。自分の着ている白シャツの左袖の手首のゴムを伸ばして右手を突っ込みティッシュを取り出すと、鼻をかんだ。

「ルッキオと申す者らしいくん

 そして、その鼻をかんだティッシュは、今度は左手で白シャツの右袖口の手首のゴムを伸ばして、袖のふくらみの中へ入れた。


(それ)

 ふいに、ルッキオの頭の中に浮かんだ。

(そのまま洗たくに出したら、まずいことになるやつ)


(ぼくは王子なのに、なぜ、そんなみみっちいことを考えた?)と気になったが口には出さなかった。それより。


「——ぼくは、どうやら魔王国と人間国の懸け橋となるように期待され、遣わされた使者なのです」

 目の前にいる魔人との交流が、最大優先事項だ。


「なるほど。少年よ大志アンビティオを抱け、ですな。結構、毛だらけ、猫、灰だらけ」


「ねこ、はいだらけ、ですか?」

 はじめて聞く言葉にルッキオは心を奪われた。

は猫ですよね。灰だらけとは、暖炉の灰にでも突っ込んだということでしょうか。結構、毛だらけということは、暖炉の前の安楽椅子に、猫のあるじである少年が座っていたということでしょうか。猫の名前が大志アンビティオだったという解釈で、よろしいでしょうか」


「くどい」

 ミスホル博士はアーフェン王子にふりかえった。

「これは記憶喪失後の症状ですかな」


「さぁな。くわしくはルッキオ王子の従者に聞くとよい」

 ここで、部屋の扉の外にひかえていたナーソーが呼ばれた。

「発言を許す。ルッキオ王子は、もともと、こんなにくどい性格だったか」


「まぁ、そうでございますね。いくぶん、くどさの色合いはちがいますが、前のが青汁とすれば、今は柑橘系果汁を混ぜた青汁と申せましょうか」

 なぜ、青汁で例える。


「なるほど。参考になりました」

 ミスホル博士は、わかったらしい。

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