1 このオランダ風車には、オランダ人の魂がこもっています
休日はすぐにやってきた。
ビシッと早起きしたオレは、アパートで三人分のお弁当を手際よく作る。
机の上には洗濯して乾いたばかりの服がきちんと畳まれていた。
山岳帽。赤いチェックのネルシャツ。手袋。長ズボン。登山靴。ストック。
いささかビンテージに過ぎる装いだったが、これはすべて資料館に保管されていたものだ。
おそらく民俗学研究部の先輩が残していったものだろう。
お弁当を作り終えると、オレはそれに着替え、部屋の全身鏡の前に立ってみる。
七十年代くらいのFラン大・
村人たちの制止を振り切って入山したのは良いものの、三日後に自衛隊に救助されそうなルックスだった。
つまり、激ダサなうえに野暮ったい。
「ギザミ山をナメちゃダメだよ。あそこ、ケッコー険しいんだ」
そう言って、早乙女が昨日オレの分と自分の分を資料館の衣装ケースから引っぱり出してくれた。
今日はなかなかヘヴィーな一日になりそうだ。
お弁当をリュックに詰め込み、それを背負ってアパートを出る。
オレのアパートからギザミ山まで、自転車で四、五十分といったところだ。
行くだけでも十分に疲れる距離だった。
初夏のさわやかな風に吹かれながら、オレは軽快に走る。
ようやくギザミ山のふもとに到着すると、早乙女はすでにそこにいた。
ヤツの隣には来生ちゃんが立っている。
来生ちゃんはオレを見つけると、笑顔で大きく手を振ってくれた。
しかし何故だろう?
早乙女と来生ちゃんは普通の服を着ている。
早乙女は白Tにブルーのワイドパンツ、スニーカー。
来生ちゃんはビンテージルックの小花柄ワンピにサンダル。
二人ともこれからファストフード店に入ってもまったく不思議じゃない、フツーの軽装だ。
「おはよう、水口くん♪」
来生ちゃんが笑顔でオレに挨拶をしてくれる。
だが、隣の早乙女は無言だった。
それどころか、どこかガッカリしたような表情で背中を向けている。
「お、おはよう、来生ちゃん」
来生ちゃんに笑顔を返し、オレは早乙女に声をかける。
「おい、早乙女。お前、服は?」
「服って――何?」
「昨日いっしょに資料館で山岳衣装を引っぱり出しただろ? お前、あれ、どうした?」
「まったく記憶にないな……って言うか、水口。アナタどんだけ気合い入れてきたの? 一体どんな
「お、お前……まさか……」
「ほら、登るよ。二人ともついてきて」
早乙女が歩きはじめる。
ヤツが向かったその先には、一台のタクシーが待機していた。
外に出てタバコを吸っていたドライバーのオジサンが、見つめていたスマホ画面から顔を上げる。
そして「あ、もう行く?」と携帯用灰皿に吸殻を突っ込んだ。
「タ、タクシーで登るのかよ!」
「当たり前でしょ? 令和だよ? そもそもギザミ山は標高二百五十メートル程度しかないんだ。制服でもヨユーで登れるっつーの」
「登れるっつーの、じゃねぇよ! じゃあ何なんだ、オレのこの山岳部みたいな衣装は!」
「そうだね……それに関しては私、水口に謝らなきゃいけないと思う……」
「な、何だ? どうした? やけに素直だな」
「うん。騙してごめん。その……思ってたほど面白くなかった……」
「笑えよ! せめて笑ってくれよ! 責任取れよ、お前!」
顔面を赤く染めながら、オレは自転車をすぐそばの駐輪場に止める。
タクシーに向かって小走りしていると、なんだか急にものすごく恥ずかしくなってきた。
な、何だ、オレは……この格好……。
山岳部の衣装で乗り込んできたオレに、ドライバーのオジサンが「お! おにいちゃん、やる気だね!」と微笑む。
それを聞いた来生ちゃんが「やる気だよね!」と楽しそうにオレに笑顔を向けた。
早乙女はすでに飽きたのか、実につまらなそうな顔で窓の外の景色を見ている。
タクシーがギザミ山を登りはじめた。
オレは周囲の様子を眺めてみる。
道は完全に舗装されていて、山というよりはフツーの単なる坂道だった。
道路に沿ってラブホやら温泉やらキャンプ場の案内看板が見える。
つまりギザミ山はまったく厳しい荒山などではなく、単なるフツーの道だった。
特別なところがあるとすれば、勾配がややキツい、といったところだろうか?
オレがそんな風景を見つめていると、早乙女がチラッとこちらを一瞥し「うん。やっぱり面白くない……」といった表情でため息をついた。
そんなヤツの態度に、オレは手の中にあるストックを握りしめる。
許されるなら、これでコイツのケツを思いっきりジャストミートしてやりたい。
頂上付近にさしかかると、そこでようやく
レンガ造りのような牧歌的佇まい。
地元ガイドとして同行している来生ちゃんが、バスガイドのような口調で説明を始める。
「右手をご覧ください。あちらに見えますのが、ギザミ山公園オランダ風車でございます。高さは約二十五メートル。羽根の直径は大体同じくらい。夜になるとここはライトアップされて、青とか黄色になります」
来生ちゃんの説明は――それで終わった。
高さと羽根が約二十五メートルという以外、誰でも知ってそうな情報だった。
しかし来生ちゃんは「やりきったな……」といった表情でひと息ついている。
早乙女が肩をすくめ、言を継いだ。
「ギザミ山公園は一応都市公園になるの。だから運営は鶯岬町。その一角にあるあのオランダ風車は、そのまんま『オランダ風車』って呼ばれてる。基本ランドマークだから、発電も製粉もしていない。風速を計ったりもしない。つまりボーッと突っ立ってるだけの単なる張りぼてってわけ。存在としてのカテゴリーは、まぁ、そうね、水口とあんま大差ない感じ? いてもいなくても誰も困らない」
「ひどいな、お前。相変わらず。言い方」
「タイプはコカー。ポストミルで生まれた動力を下に伝えるタイプ。ラウンドハウスは確かクソみたいな展示室になっていたはずだよ」
「クソとか言うなよ、お前。うら若きJKが。マジで」
公園前に到着すると、オレたちはタクシーを降りた。
振り向くと、早乙女がドライバーのオジサンとなにやら会話をしている。
料金についての話だろうか?
まさかタクシー料金の値切り交渉をしているわけでもあるまい。
いや、あのバカなら、十分にありえる話だ。
「これが言葉を話す風車か……」
そんな早乙女を放置し、オレは七十年代のFラン大・山岳部衣装のまま、目の前の風車を見上げる。
山の頂上には強い風が吹いていて、それを受けた風車は優雅に回転していた。
時折ミシミシという音が聞こえるが、まぁ、いきなり崩れ落ちてくることはなさそうだ。
公園内にオレたち以外の姿はない。
「ほら! 水口くん、見て! 町の風景がとっても綺麗!」
来生ちゃんが指さした方向を見ると、そこからは鶯岬町全体の風景が見渡せた。
もちろんオレも思わず「わぁ~」と声を出してしまった。
まったく垢抜けてはいないが、人々が平和に暮らす町。
目を細めて、オレはなんとか鶯岬デンパ塔を探そうとする。
町の端っこ、岬のあたりにとても孤独な元灯台が見えた。
あそこがいつもオレが過ごしている場所だ。
戻ってきた早乙女がオレたちの隣に並んでくる。
「水口はここに来るの初めてだよね?」
「あぁ。初めてだよ」
「どう? この景色」
「綺麗だな。素晴らしい景色だよ、ここ」
「そっか。じゃあ良かった」
「でもここも鶯岬町なんだな。鶯岬町って意外と広いんだ」
「は? バカなの、水口?」
「お前さ、なんでいっつもオレのことバカバカバカバカ言うんだよ? オレはバカじゃないぞ。オレは、ほら、アレだ。ホントはすごいぞ? なんか、その、ものすごいぞ?」
「市と町の違いは面積じゃなくて人口だよ。市を名乗れるのは人口五万人以上から。鶯岬町は人口がそれ以下なんだ。だから面積は広いけどずっと『町』を名乗ってる」
「そ、そうなのか……お前、物知りだな。やっぱホントにインテリなの?」
「小学校の社会科で習った知識だけど?」
「……」
早乙女が肩をすくめてオレから離れていく。
ものすごくイヤな感じだった。
何だ、コイツ?
態度がめちゃくちゃ悪い。
交代するように来生ちゃんがオレの隣にやってきた。
「水口くん! ガイドをするよ♪」
来生ちゃんの身長は百四十五センチといったところか?
オレよりちょっと低いだけの早乙女なんかより、よっぽど可愛げがある。
どことなく男のロリコン魂に火を点けてくるタイプだった。
「このオランダ風車には、オランダ人の魂がこもっています」
後ろの風車を振り返り、来生ちゃんがいきなり解説を始めた。
「は、はぁ……」
「この風車自体は日本で作られていますが、その設計にはオランダの風車名人の魂がこめられているのです」
「風車名人、ですか……」
「でもこの風車、実はよく止まります」
「風がやんだら、そりゃあ止まるんじゃない?」
「ううん。風が吹いてても止まるの」
「ダメだろ、それ……」
「うん。ダメだよ」
「その、鶯岬町の管理者は、メンテナンスとかしてないのかな?」
「してるよ。でも止まるの。管理の人にも原因がよくわからないみたい」
「うーん」
「でね、こっからが本題なんだ。オランダの言い伝え!」
「オランダの言い伝え……」
話が長くなりそうなので、オレはすぐそばのベンチに来生ちゃんを導く。
二人並んで腰を下ろした。
町の風景に背を向け、オランダ風車と対面するようなカタチだ。
「風車の羽根は通常反時計回りなの。つまり時計とは逆の方向に回転する」
ベンチに座ったまま、オレはオランダ風車を見上げてみる。
たしかに、羽根は反時計回りに回転していた。
「ホントだ。逆だ」
「例えば今、あの羽根が止まったとするでしょ?」
「うん」
「すると羽根の中の一枚が、わりと頂点近くで止まることになるよね? 十字だから」
「うん。なる」
「オランダではね、その一枚の羽根が頂点に差しかかる直前の位置で止まった場合、それは未来や希望を表すんだ。つまりポジティヴな意味合い」
「へぇ。それは何? 占いみたいな?」
「まぁ、そんな感じ」
「未来や希望か……」
「でね、逆に、その羽根が頂点を過ぎていたら、それは過去や悲しみを表すの」
「そうなんだー。すごいなー。勉強になるなー」
「水口くん。それ、全然思ってないよね? もしかして興味ない?」
「いやいや、興味はあるよ。マジで。ありまくるよ」
「ホントかなぁ? で、こっからがさらに本題なんだけど――」
「うん」
「このオランダ風車が止まる時……一枚の羽根が絶対に頂点を過ぎてるらしいんだ」
「それはつまり……風車が過去や悲しみを表してるってこと?」
「そう。そしてその時に、このオランダ風車は何か言葉を話すらしいの」
「過去を悲しんで、言葉を話す……つまり、愚痴か……何をやっても上手くいかない中年のオバサンみたいなヤツだな、この風車」
「もぉ、水口くん! せっかく教えてあげてるのに、さっきからふざけてばっか!」
「でも中年のオバサンって、そういう人多いだろ?」
「まさにウチのママだよ」
アハハハハハとオレたちはなごやかに笑う。
だがすぐに何か殺気のようなものを感じ、ハッと後ろを振り返った。
いつの間にか、オレたちの背後に早乙女が立っていた。
昭和ひと桁生まれのように頑固一徹な腕を組み、ベンチに座るオレたちをジッと見下ろしている。
「ど、どうした、早乙女? 顔が高齢者のオッサンだぞ?」
「水口。そろそろお昼ごはんにしよう」
「はぁ?」
オレは腕時計を見る。
九時四十五分。
まだ……十時前だった。
「何言ってんだ、お前? 来たばっか。おまけにまだ十時にもなってない。早すぎるだろ。どっちかっつーと、まだ朝ごはん寄りの時間だ」
「いや、今食べなきゃダメだ。今がその時。これを逃してはならない」
「その、風車の調査とやらは?」
「お弁当のあと。まずは腹ごしらえをしなきゃ」
「小腹が空いたのか? だったらオレが今イチオシのチョコレートを――」
「昼ごはんを食べるっつってんの! これは部長命令! 来生ちゃんも!」
早乙女のあまりの剣幕に来生ちゃんがビビる。
オレはため息をつきながらリュックを開け、中から弁当箱を取り出した。
ダメだ、この顔……。
もう絶対に何があっても考えを変えない時の顔だ……。
何だろう、この女……。
もしかしてオレが来生ちゃんと仲良くトークしてたから、それにジェラシーでもしたのだろうか?
いや、それはありえない。
コイツはそんな一般女性のような、ちょっと可愛らしい側面は耳かき
たぶん、コイツはフツーにお腹が空いたのだ。
な?
だから言っただろう、来生ちゃん?
キミはこんなヘンな登山になんか参加しなきゃ良かったんだ。
コイツはホント、マジでロクな人間じゃないぞ。
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