2 黄泉比良坂の御扉が開く
午前中。
オレたち以外、誰もいないギザミ山公園。
町のランドマークであるにもかかわらずまったく集客力の無いオランダ風車の前で、オレたちは何故か弁当を食べる。
レジャーシートも敷かず、ただフツーに、ベンチに並んで。
早乙女は何故かオレと来生ちゃんの間に割り込んできた。
いや、正確に表現するならば、めり込んできた。
オレ・早乙女・来生ちゃんの順だ。
とにかくヤツは、オレと来生ちゃんを並ばせないようにしている。
これは……嫉妬なのだろうか?
いや、やはり、百二十パーセント、それはありえない。
仮にあったら、ものすごく気持ちの悪い話だ。
「なぁ、早乙女。やっぱりもう少しあとにしないか? いくらなんでも十時前から昼メシってのは早すぎるだろ」
「クドいな、水口は。せっかくのお弁当が美味しく食べれない」
「だから美味しく食べるためにもうちょっとあとにしないかって言ってるんだよ」
「そんなこと言ってるのは水口だけだ。ほら、来生ちゃんを見てごらんなさい」
オレは早乙女の向こう側の来生ちゃんを覗き込む。
来生ちゃんは「いただきまぁす♪」と弁当箱を開け、オランダ風車を見上げながらすでに食べ始めていた。
どうやら彼女はすぐに環境に順応できるタイプのようだ。
「うん! 水口くん、このタマゴ焼き、すっごく美味しい! これなら今すぐにでも専業主夫になれるね!」
「いや、来生ちゃん。なんでオレ、まだ高一なのに専業主夫が確定してんの?」
「どっからどう見ても役立たずだからでしょ? 神が水口に持たせた才能は、華麗なるヒモだよ」
「早乙女、あのな、お前はいつもそうやってオレをバカにするけど――」
「黙って食え。ツバが飛ぶ」
「すいません」
早乙女に一喝され、オレは草を食むヤギのように大人しく弁当を食べはじめる。
ヤツは隣で、早く食べ終えなければ電車に乗り遅れるような勢いでおかずだけを掻き込んでいた。
人間、やはりマナーは大事だ。
早乙女はたしかにスーパー美少女だが、品性のカケラもない。
しかしお前……おかずだけ先に食べてどうする?
白米は?
バランスを考えろ。
まったくお腹が空いていない午前十時の昼メシは、やっぱりイマイチ美味しくなかった。
オレはモソモソと口を動かしながら、目の前のオランダ風車を見上げる。
風車はミシミシと音を立てながら、ゆっくりと回転していた。
その動きを見ているだけでなんだか少し眠くなってくる。
「なぁ、早乙女」
「何?」
「お前、もしかしてこの風車を見て、昼メシの時間を決めたのか?」
「ほぉ。そのココロは?」
「羽根が十字だから」
「驚いた。さすがだね、水口。どんなゴクツブシにも何かひとつは取り柄があるもんだ」
「え? 当たってた? マジで? すごいな、オレ。ちょっとしたダジャレ感で言ってみたんだが……」
「偶然か。ガッカリだ。やっぱバカはバカだよね……」
「ってか、お前……それ、何してるんだ?」
「ん? お茶漬けだけど?」
「一体どこのJKがおかずだけ先に全部食べて、残ったごはんにペットボトルのお茶をぶっかけるんだよ? オッサンか、お前? どんな食い方だ」
「いいでしょ、べつに。誰が見てるわけでもない」
「オレが見てるだろ」
「水口でしょ? そこらへんのカナブンみたいなものじゃない」
「ごちそうさまでしたぁ!」
早乙女の向こうから元気な声が聞こえてくる。
来生ちゃんの方を覗き込むと、彼女はすでに弁当を綺麗に平らげていた。
「もう食べたのかよ、来生ちゃん!」
「てへへへ。私、食べるの早いんだぁ。家族の中でいつも一番!」
「そ、そうなのか……いや、オレ、まだ半分も食べてないんだけど……」
「でも水口くんって、すごいね! お弁当、すっごく美味しかった!」
「う、うん。ありがとう」
「これなら将来いつ奥さんに逃げられても大丈夫だね!」
「え……逃げ、られ……」
「私ちょっと手を洗ってくる!」
来生ちゃんがすぐ近くにある水飲み場まで歩いていく。
その後ろ姿はまるで小さな子どものようだった。
オレと早乙女はそんな彼女を静かに見つめる。
「何故、来生ちゃんは……オレの人生をなんともドス暗い方向に持って行こうとするのだろう……」
「明るい未来でしょう? 奥さんが逃げても生活が成立するんだから」
「違うだろ。そもそもなんで奥さんが逃げることが前提なんだ」
「来生ちゃんはピュアなんだよ。彼女は彼女なりに、水口に気を使ってるんだ。なにしろ水口が結婚できるっていう、なんとも無茶な設定だよ? 今どき、あんな思いやりのある子、そうはいない」
「なぁ、ところで今日のアスパラベーコン、なんか美味くなかったか? ケッコー美しく巻けたんだよ。使ってる塩もいつもの部室のやつとは違ってて――」
「ねぇ、水口。
「いや、オレ、今アスパラベーコンの話をしてるんだが……」
「何だと思う?」
「違いって……あれだろ? 音読みと訓読み」
「
「情緒って……それ、必要なのか?」
「必要だよ。いい?
「輪廻転生……は、はぁ……」
「じゃあ次の質問。水口は日本とオランダの時差を知ってる?」
「時差? いや、知らないけど……」
「東京はオランダより七時間早いんだ。つまり日本の午前十時はオランダの午前三時」
「へー」
「しかもこのオランダ風車はオランダ人が設計してる。ってことは、この風車にはオランダ人の情緒が注入されてるんだよ」
「あの、お前さ、さっきから何の話をしてんの?」
「ウィッチング・アワーだよ。オランダでは、今ウィッチング・アワーが始まろうとしてる」
「ウィッチング・アワー?」
「魔女の時間、悪魔の時間。霊的なものの力が最も強力になる時刻。日本で言うと、いわゆる丑三つ時だね」
「なんで急に怖いこと言い出すんだよ、お前……丑三つ時って……」
早乙女が弁当のお茶漬けを一気に掻き込み、ベンチを立ち上がる。
その時、オレはそれに気づいた。
さっきまでギザミ山公園に吹いていた風がピタリと止んでいる。
晴れていた空が曇り、オレたちの周囲にはどこか不吉な黒い霧のようなものが漂いはじめていた。
な、何だ、これ?
一体どうなってる?
なんだかものすごく気持ち悪いぞ……。
ウォォォォォォォン。
次の瞬間、どこからか山鳴りのような低い音が聞こえてきた。
それはまるでアポカリプティックサウンドのように、世界の終わりをしめやかに告げているようだった。
腕時計を見る。
十時ちょうどだった。
だがその謎の現象はそれだけでは終わらない。
次に訪れたのは、のっぴきならない直接的な異変だった。
響き続ける山鳴りとともに、今度は地面まで揺れてくる。
しかもかなり激しい。
オレは弁当を置いて、ベンチにしがみつくしかない。
ちょ、な、何だ、これ?
一体どうすりゃいい?
いきなり!
地震って!
「さ、早乙女! 何だ、これ? どうした? このゲゲゲな状況! もしかして、今から山崩れでも起こるのか? マジか! ったく、お前といっしょにいると、ホントにロクなことがねぇ! 一体どんだけ運が悪いんだよ、オレは!」
「オランダのウィッチング・アワー。日本の
早乙女が涼しい顔でオランダ風車を見上げる。
「
「早乙女! お前、なんでそんなに冷静なんだよ! バカか! ほら、お前、アレだ! 机の下に隠れろ! って、机が無ぇ!」
そこでオレはハッと思い出す。
き、来生ちゃん!
オレはさっき来生ちゃんが歩いていった水飲み場の方に目をやった。
来生ちゃんは――水飲み場のそばに倒れていた。
「来生ちゃん!」
揺れる地面の上を、オレはなんとか歩き出す。
すさまじい揺れだった。
これ、震度どのくらいだ?
かなりデカいぞ!
震災レベル!
視界まで揺れる地震の中、オレはなんとか来生ちゃんのそばまでたどり着く。
ヒザを折り、倒れた彼女の体を抱えあげた。
「来生ちゃん! 来生ちゃん! しっかりしろよ! なぁ、来生ちゃん!」
オレは必死に声をかける。
だが来生ちゃんはまったく反応しない。
気を、失ってる?
な、なんで?
もしかしてこの地震で?
マジか!
でも心臓がムダ毛だらけの剛毛な早乙女ならまだしも、来生ちゃんのような可愛い女の子はちょっとそのくらいデリケートな気もする。
地震はまだ続いていた。
オレは後ろを振り返り、そこにそびえ立つオランダ風車を見上げる。
この風車、大丈夫か?
まさか倒壊するとか、ないだろうな?
ギィィィィィィィ。
その時、何かが軋むような音が聞こえた。
それはオランダ風車の羽根や地鳴りの音とは違う、もっとよく知っている音だった。
そう。
例えば古い日本家屋の扉が開くような……。
『ねぇ、どっちにするの?』
不意に、どこからか野太い声が聞こえてきた。
それは古いアニメ映画かなにかで、道に迷った主人公にやさしく話しかけてくる森の精霊みたいな声だった。
どことなく太った、
『ねぇ、どっちにするの?』
もう一度、その声は言った。
驚愕の表情で、オレはオランダ風車を見上げる。
この声の近さ、聞こえてくる方向。
これはもしかして……この風車が喋っているのか?
やがて――信じられないくらいあっさりとその地震が終わっていく。
なんとか鎮まった大地を確かめるようにして、オレは来生ちゃんをベンチまで運んだ。
その場に仁王立ちしたままオランダ風車を見上げている早乙女の横に並ぶ。
「早乙女、今の……」
「うん。たしかに喋ったね。ウワサ通り、このオランダ風車は言葉を話す」
「お前、ひょっとして、オランダ風車が十時に話し出すことを知ってたのか?」
「は? そんなの、モチのロンでしょ」
「だからオッサンか」
「水口。アナタの人生、最初で最後の大仕事だ。来生ちゃんをお姫様抱っこして運んであげなさい」
「は? このままここで気がつくのを待った方がいいんじゃないのか? あるいは救急車を呼ぶとか。っつーか、オレが女の子をお姫様抱っこするのはこれが最初で最後なのかよ?」
「ここで来生ちゃんが意識を取り戻したらそれこそちょっと厄介なことになる。鶯岬デンパ塔に運ぶんだ。あそこなら、ここよりまだ安心だよ」
「デ、デンパ塔まで? マ、マジで? こっから?」
「行くよ、水口。リュックを背負って。一刻も早く、ここから立ち去るんだ」
「立ち去るってお前、それこそどんな荒行だよ? タクシーを呼んでくれ。さすがにこっからデンパ塔まではかなりの距離がある」
「行くよ」
「ちょ、ちょっと待てよ、おい!」
仕方なくオレはリュックを背負い、来生ちゃんをベンチから抱えあげて早乙女のあとに続く。
一人で淡々と歩き続ける早乙女になんとか追いついた。
「代われよ、お前? 絶対に途中で代われよ? デンパ塔までこの状態って、オレは絶対無理だからな!」
「うるさいなぁ、水口は。もっと、こぉ、お姫様抱っこの幸せを存分に噛みしめなよ。いい? アナタこれ、人生ラストのお姫様抱っこだよ?」
「だからなんで確定してるんだよ! オレはもぉ、これからものすごいぞ! お姫様抱っこしまくりだぞ! それどころか、ものすごい数の女の子が森のカブトムシみたいにオレに群がってきて――」
そこまで言って、オレはその場に立ち止まった。
ゑ……な、なんで……。
どういうことだ?
ギザミ山公園の入口に、一台のタクシーが待機していた。
ドライバーのオジサンがさっきと同じようにタバコをくわえ、スマホ画面をジッと眺めている。
オレたちに気づくと、「あ、もう行く?」と携帯用灰皿に吸殻を入れた。
「あ、あの人、あれからずっと待ってたのか?」
「当たり前でしょ。備えあれば憂いなしっつってね」
「お前、ひょっとして……来生ちゃんがこうなることがわかってたのか?」
「最近このあたりで頻発する事故。オランダ風車が言葉を話す。来生ちゃんはこの一連の出来事の最重要ファクターなんだ」
「き、来生ちゃんが……」
オレは自分の腕の中で眠る来生ちゃんを見つめる。
こ、この子が……明るくて、元気で、食べるのが家族で一番早い、この子が……この一連の出来事の、最重要ファクター?
「水口」
「な、何だ?」
「キスは禁止。気を失ってる子に勝手にキスするのは、人間としてサイテーだ。死んでしまえ」
「しようともしてないだろ! オレがいつそんなことをしようとした?」
「状況が状況だからね。体は、まぁ、さりげに触っても可」
「オレは今、すっげぇ運びにくくなってる!」
オレたち三人はタクシーに乗り込んでいく。
車が走りはじめて、オレは後ろのオランダ風車を振り返った。
オランダ風車は、その回転を止めていた。
十字の羽根の中の一枚が頂点をわずかに過ぎた地点で止まっている。
これは……さっきの来生ちゃんの話を信じるならば、過去や悲しみを表している状態なのだろうか?
しかし――さっきのは何だったんだ?
黒い霧も不気味で、地鳴りもゲゲゲで、地震もかなりアレすぎた。
だがオレの耳になにより残っているのは、あの言葉だ。
森の太った精霊のような、オランダ風車の声。
『ねぇ、どっちにするの?』
あれは一体、どういう意味なんだろう?
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