15 ペロ
「でもお前、なんで自転車なんだよ!」
「自転車でこのあたりをパトロールしてた! そしたらうたかた蝶を追ってるあのお婆さんを見つけたんだ! 水口こそ、なんで走ってたの? 健康?」
「授業を受けてたら、うたかた蝶を見つけたんだよ!」
「何? もしかして授業をサボったの? サイテーだよ、水口!」
「お前がそれを
芦川先生とうたかた蝶がさっきより近くなってきた。
捉えた!
彼女たちとの距離がぐんぐんと縮まってくる。
「やったぞ、早乙女! もうすぐ追いつく!」
「え? マジ? ヤッバ!」
「どうした?」
「あれ! あれ!」
早乙女が焦った声で前方を指差す。
それを見て――オレは言葉を失った。
芦川先生とうたかた蝶の先……つまりデンパ塔のフェンスの前に、一台のバイクが止まっていた。
バイクのオジサンは岡持ちを手に、フェンスのカギを開けている。
「ちょ、ちょっと待て! なんでラーメン屋が勝手にカギを開けてるんだよ!」
「私がお昼ごはんを頼んだんだ! カギはフェンスの下側に置いときますって!」
「朝メシは今朝も作って置いといただろうが!」
「あれは朝ごはん! お昼はどうすんの!」
「なんで美少女JKが昼にドスンとラーメンを食うんだよ! サラダだろ! 昼はフツー、サラダだろ!」
来々軒のオジサンがよっこらしょとデンパ塔のフェンスを開けた。
絶妙な流れで、芦川先生とうたかた蝶が一気にそこを突破していく。
来々軒のオジサンは「え?」とあっ気にとられ、それを見送った。
「ちくしょう! どこまで行く気だよ、芦川先生!」
「水口! もっと速く漕いで! もぉ激マジで! とにかく頑張れ! チョー頑張れ!」
「これで全力だよ! 限界ってもんがあるだろ!」
「早く追いつかないと、あのお婆さんの命が危ない!」
「はぁ? 命ぃ?」
早乙女に言われ、オレはハッとそれに気づく。
一人目、二人目の被害者は、うたかた蝶に幻を見せられて、階段から転落した。
三人目の被害者は、同じように三階の教室の窓から落下した。
ってことは――。
鶯岬デンパ塔の下の海がその激しい波音をこちらまで響かせてくる。
この先は……フェンスが無い……単なる崖だ……。
「くっそ! 早乙女! しっかり摑まってろよ!」
オレの足もそろそろ限界だったが、さらに腰を上げて全力でペダルを漕ぎ出す。
早乙女も中腰になり、なんとかオレの後ろに隠れて風の抵抗を抑えた。
デンパ塔に侵入した芦川先生は、まっすぐに資料館横の広場に向かっていく。
赤いリードを引きずり、まるで愛犬といっしょに戯れるかのように。
広場には早乙女が描いた陣があった。
だがそこで呪文だが念仏だかを唱えるはずの祓い屋・早乙女は、今オレの後ろにいる。
ようやくフェンスにたどり着いたオレたちは、風のように来々軒のオジサンの横を通り抜けた。
「オジサン、ごめん! ラーメン、そこ置いといて! お代は鶯岬高校の桜庭先生まで!」
「へ、へい……毎度……」
呆然とするオジサンを残し、オレたちはデンパ塔までの細長い坂道を疾走する。
ようやく芦川先生のすぐそばまで追いついた。
だが……芦川先生はうたかた蝶に導かれるように広場を横切り、崖に向かって真っすぐに進んでいる。
「ヤバいぞ、早乙女! これはマジでヤバい!」
「水口! お婆ちゃんの横に並んで!」
「横? どうすんだよ、お前!」
「いいから並べっつってんだよ!」
「は、はい!」
オレはさらに激しくペダルを踏み込む。
そして芦川先生に並んだ直後――急に自転車の後ろが軽くなった。
「早乙女!」
急ブレーキをかけて、オレは自転車を止める。
早乙女は後部座席からジャンプし、まっすぐに崖に向かう芦川先生に飛びついた。
二人揃って、崖ギリギリのポジションまで転がっていく。
早乙女は芦川先生の頭部を守るようにしっかりと抱きしめていた。
「だ、大丈夫か! 早乙女!」
自転車から飛び降りて、オレはヤツに叫ぶ。
早乙女は芦川先生の無事を確認すると、資料館横の広場を振り返った。
「水口! うたかた蝶は?」
逆に叫ばれ、オレは周囲を見回す。
すると、すぐそばの陣の中に虫取り網が転がっているのが見えた。
網の中で、うたかた蝶が元気に羽を動かしている。
「やったぞ、早乙女! うたかた蝶は虫取り網の中だ! おまけに陣の範囲内に転がってる! 芦川先生を助けて、同時にうたかた蝶を捕まえるとか、お前マジですげぇよ!」
「オッケー! このままの状態でうたかた蝶を幽世に戻す!」
「了解だ!」
その時、早乙女の腕の中で、芦川先生が弱々しく手を伸ばした。
その先には、虫取り網の中からなんとか脱け出そうとするうたかた蝶の姿がある。
「あぁ……うたかた蝶が……うたかた蝶が……」
芦川先生の言葉に、オレと早乙女は「え?」と顔を見合わせた。
ちょ、ちょっと待って……。
な、なんで芦川先生がうたかた蝶って名前を知ってるんだ?
だが早乙女は芦川先生から離れ、その場で静かに目を閉じる。
何か呪文のようなものを唱えはじめた。
直後――陣の内側から光の柱のようなものが一気に突き上がっていく。
まるで空に向かって伸びていく筒のように。
それと同時に、美しい黄金色が広場全体を照らしはじめた。
陣の中に入ろうとする芦川先生をなんとかして引き止め、オレはその眩しさに目を細める。
その光の中をピンク色した粉のようなものが霧雨のように漂っていた。
オレと早乙女、それから芦川先生はその粉を全身で受け止めるしかない。
そして気がつくと――オレと早乙女はいつの間にかまったく別の場所にいた。
こ、ここは……どこだ……。
そこら中がなんだか懐かしい感じのオレンジ色に包まれている。
ゆ、夕方?
まだ昼前だぞ?
オレは昼メシすら食ってないし、そもそも授業終了のチャイムだって聞いてない。
風が、吹いていた。
どこからか波の音が聞こえる。
その中で、数人の男女が思いっきり広場を走り回っていた。
ものすごく楽しそうに。
オレと早乙女は呆然とそれを見つめる。
アイツら、一体何をやってるんだ?
鬼ごっこか何かか?
で……何がそんなに楽しい?
振り返ると、そこには鶯岬デンパ塔があった。
前方に見える資料館は、なんだかいつもより小綺麗な感じがする。
走ってはしゃぎ回ってる男女は、みんなオレと早乙女くらいの年頃だ。
オレはこの光景を見たことがある――。
もしかして、これ……資料館で見つけた、あの写真の中の場所?
ってことは、コイツら……オレたちの先輩?
みんな格好がちょっとダサい。
ひょっとしてオレたちは今……あの時代の鶯岬デンパ塔に来ているのか?
しばらくの間、オレと早乙女は棒立ちのままそんな彼らを見つめていた。
すると、向こうから一人の少女が近づいてくる。
その少女は雑種犬を連れていて、首には古いカメラをぶら下げていた。
雑種犬は赤いリードに繋がれたまま、ハッハッとオレたちを見上げている。
オレたちの前にやってきたその少女が、とても愛想の良い笑みを向けてきた。
それは可愛いというか何というか、とにかく品のある表情だった。
「アナタたち、新一年生? もしかして民俗学研究部に入部希望なの?」
「い、いえ、あの、オレたちは……」
「なぁんだ。違うの? でも何かやりたいことを探してるんなら、ウチの部に入らない?」
「は、はぁ……」
なんとも間抜けな返事をするオレに、彼女は再び笑みを浮かべた。
彼女が握ったリードの先で、雑種犬が友好的な尻尾振っている。
だがすぐに少女のスカートの裾をくわえ、『もう行こうよ』と引っぱりはじめた。
「もぉ。わかってるよ、ペロ。私はどこにも行かない。いつまでもアナタといっしょにここにいるよ」
ペロという名の雑種犬に引っぱられ、少女がオレたちの前から歩きはじめる。
帰り際、立ち止まり、少女がこちらを振り返った。
「アナタたちがここで過ごす三年間はきっと素晴らしいものになると思うわ。勉強に、恋に、人生に、しっかりと頑張ってね。想い出はいつだって、アナタたちの心が帰る場所になるんだから」
『芦川』という名札をつけたその少女は、オレと早乙女にそう言った。
その言葉が合図だったかのように、周囲の風景が再び黄金色に塗りつぶされていく。
オレと早乙女は風景が元に戻るまで、少女と雑種犬の後ろ姿を黙ってジッと見送っていた。
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