12 ルックスしか取り柄がない女

 階段を駆け下り、一階に到着すると、オレたちは剪定業者のバンに走った。

 そこにはすでに何人もの人たちが駆けつけていて、深刻な顔をした桜庭が近くの生徒たちに状況を聞いている。


「誰だ? 誰が落ちたんだ?」


「由紀恵です! 工藤由紀恵!」


「工藤が? なんで? なんで落ちたんだ!」


「さっきまでいっしょにお弁当を食べてたんです! そしたら由紀恵が急に窓に向かって走り始めて――」


「と、飛び降りたのか?」


「は、はい……」


 駐車してあるバンの天井から、うめき声が聞こえてくる。

 それを聞いた早乙女が戸惑う剪定業者のオッサンたちを分け、そのまま上部に飛び乗っていった。


「工藤さん! 工藤さん! 大丈夫? アナタは一体何を見たの? アナタは一体、誰を引き止めようとしたの?」


「お、お母さん……」


 工藤由紀恵の答えが、オレにも聞こえた。

 早乙女がオレにアゴを突き出す。

 それに頷き、オレは心配そうな顔でバンの上を見上げている彼女の友人らしき人たちに声をかけた。


「あの、すいません」


「何? 見てわかんないの? この虫取り小僧! ウチら、今アンタと虫の話をしてる場合じゃないんだよ!」


「いや、そうじゃなくて! 今、工藤さんがお母様の姿が見えたと言ったんだ! だから、その、工藤さんのお母様は現在ご存命なのか?」


「由紀恵のお母さん? 去年亡くなってるわよ。何なの、それ? 由紀恵がお母さんを見たって言ってるの?」


「とりあえず、サンキュー!」


 オレはそいつから離れ、早乙女同様、バンの上に飛び乗っていく。

 工藤由紀恵は、背中からバンの上に落下していた。

 体が天井をへこませ、出血は無さそうだったがそれが逆に怖い。


 だがどうやら意識はあるようだ。

 おそらく飛び降りた際にすぐそばに立っていた古木がクッションになったのだろう。

 バンの天井に落ちたのも、かろうじて幸運だった。

 保健室の先生が駆けつけて、オレたちと同じようにバンの天井に上がってくる。


「早乙女。うたかた蝶だ。間違いない。この人のお母さんは去年亡くなっている」


「水口、あれ!」


 早乙女がそう言って、上を指差す。

 すると――そこにいた。

 校舎の外、三階の窓から飛び出したデカい蝶が、空に向かってヒラヒラと舞い上がっていく。


「うたかた蝶!」


 オレと早乙女はバンから飛び降り、その一頭の蝶を追う。

 だが軽量のうたかた蝶は、あっという間に風に乗り、どんどんオレたちから遠ざかっていった。


「ダメだ、早乙女……もう追いつけない……」


「諦めるな! まだうたかた蝶は見えてる! 高度さえ、高度さえ下がれば!」


「無理だ! 前を見ろ! ぶつかるぞ!」


 前方を確認せずに突っ走っていく早乙女の腕を掴み、オレは思いっきり手前に引き寄せる。

 早乙女は間一髪で、学校敷地内を囲むフェンスへの衝突をまぬがれた。


「なんで止めるのよ、水口!」


「だから前見ろっつってんだろ! お前、今、フェンスに顔面ぶつける寸前だったんだぞ!」


「ぶつかってもいい! うたかた蝶を捕まえなきゃ!」


「バカ! お前が大ケガしたら何にもなんないだろうが! 気合だけじゃどうにもならないことだってあるんだ!」


 オレが怒鳴ると、早乙女はオレの腕を思いっきり振りほどいた。

 しばらく二人で睨み合う。

 やがて早乙女があきれたようにかぶりを振った。


「水口……アナタやっぱダメだね」


「何がダメなんだよ?」


「私の助手にはなれないってこと」


「いつオレがお前の助手になった?」


「もういい。うたかた蝶は私一人で探す」


「いや、ちょっと待てよ。何だよ、お前? あんな蝶を一人で探すって、絶対無理だろ」


「無理じゃない。一人でできる」


「できるわけないだろ。自分を過大評価するな。お前はルックスしか取り柄がないんだぞ? そんなヤツが一人でって、絶対不可能だ。現実を見ろ」


「アナタ、もう退部でいいから」


 そう言うと、早乙女はオレの手から虫取り網を奪い取った。

 オレを振り切るようにして歩き出す。


「おい、早乙女! 待てよ! おい!」


 早乙女は結局、一度も振り向かずにその場から立ち去っていった。

 オレも、そんな早乙女を追わなかった。


 な、何なんだ、アイツは?

 一体どんだけ自分勝手でわがままなんだ?


 途方に暮れるオレの背後で、救急車のサイレン音が鳴り響く。

 結局……この鶯岬高校において、被害者は三人で終わった。


 一階の階段から落ちた中田良美さん。

 二階の階段から落ちた神崎嶺二さん。

 そして今回、三階の教室から飛び降りた工藤由紀恵さん。


 たった今、オレと早乙女が目撃した通り、うたかた蝶はこの鶯岬高校から立ち去っていった。

 だが早乙女が言っていたことを信じるならば、あとは外部に被害が移ることになる。


 ここじゃないどこかで、オレたちの知らない人が、うたかた蝶に幻を見せられる。

 その人はたぶん大ケガをしたり亡くなったりするのだ……。

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