11 デビルイヤー

 翌日から、期間限定ではあるがオレの民俗学研究部としての活動が始まった。

 朝、学校に来てから放課後に至るまで、虫取り網を持って校内を巡回する。

 授業と授業の間の休憩時間まで使うので、オレはほとほと疲れ果てていた。


 昼休みになる。

 クラスメイトのみなさんが楽しそうにお弁当を食べている中、オレと早乙女は何故か校内パトロールに出かけていた。


「なぁ、オレらのメシは?」


「放課後食べなさい」


「ちょっとトイレに行ってきていいか?」


「なんで?」


「なんでって、人間、生きていればトイレくらい行くだろ」


「水口……アナタがのんびりトイレに行ってる間に、うたかた蝶が誰かに幻を見せたらどうするの? 前の二人はたまたま軽傷で済んだけど、三人目の被害者は大怪我するかもしれないんだよ? もし次にうたかた蝶が屋上に現れたら、その被害者は確実に死ぬんだ」


「いや、それはわかるんだけどさ……その、トイレくらい行かせろよ……」


「仕方ないな。ほら、虫取り網を持っててあげるから、そこらへんに――なさい」


「何が『なさい』なんだよ? できるか、アホンダラ!」


「アナタ、ホントにわがままだね……わかった。ちょっとそこで待ってて」


 早乙女がオレから離れていく。


「おい、お前、ちょっと待てよ。どこ行くんだ?」


「トイレ」


「お前は行くのかよ!」


 早乙女が三階の女子トイレに入っていくので、オレは虫取り網を廊下に立てかけ、男子トイレに入った。

 用を足す。


 早乙女は、まぁ確かに教師側との話をつけて、授業中のオレの横に虫取り網を立てかけても良いという許可を貰っていた。

 その許可をどうやってとったのか、オレは知らない。

 だが時折、先生が気の毒な感じでオレに言うのだ。


「水口くん、気分はどうだい?」

「ゆっくりでいいんだよ。キミはキミのペースでのんびりとやっていけばいいんだ」

「授業中、気分が悪くなったらいつでも先生に言いなさい。保健室に連れていってあげるから」


 めちゃくちゃ気を使った彼らの笑顔を見ていると、どうせ早乙女はロクなことを言っていない。


「なぁ、早乙女。うたかた蝶はホントにまだ校内にいるのかよ?」


 トイレを出て、パトロールを続けながらオレはヤツに言った。


「いる。私のバタフライ・レーダーがそれを感知してる」


「どんなレーダーだよ? もしかしてまた資料館でインチキくさい秘密道具でも発見したのか?」


「は? 女の勘だよ」


「すっげぇどうでもいい……」


「水口はそういう風に女をバカにしてるからモテないんじゃない?」


「そういうお前だって実はモテてないだろ? お前は性格に大いに難がある」


「付き合うまで私の性格なんて誰にもわからないでしょう? だからもうモテまくり。見てよ、これ」


 ポケットの中から早乙女が手紙の束を取り出す。

 その束はどこかしらモテない男たちの粉っぽい欲望オーラに溢れていた。


「もしかしてこれ、全部ラブレターなのか?」


「モチのロンでしょ」


「オッサンか」


「でもこういうの、どうでもいいんだよね。水口には永遠に理解できないだろうけど。モテるってね、実はそれほど良いものではないんだ」


「なぁ、ところで……」


「何?」


「うたかた蝶は本当に三階にいるんだろうな? 一階や二階に戻ってるってことはないのか?」


「あの本によると……うたかた蝶は建物内に侵入すると上昇しかしないんだ。下降することはないらしい。壁に沿って、ずっと上に昇り続ける」


「建物の窓が開いてたらどうなるんだよ?」


「それはわからない。でもうたかた蝶は壁に沿って上昇し続ける。まるで死んだ人の魂みたいにね。あの本にはそれしか書かれていなかった」


「じゃあ、やっぱ三階か屋上になるわけか。なぁ、もしかしたらすでに屋上に出てる可能性はないか?」


「その可能性は……無いとは言えないね」


「こんだけ校内を探しても見つからないんだ。ひょっとしたらうたかた蝶はすでに屋上からどっかに行ってたり……」


「……」


「んま、そんなわけで、オレらの仕事はもう終わってもいいんじゃないかな? 校内で事故が起こらないなら、オレらにはもう関係がない」


「何言ってんの、アナタ? 捕まえるまで探すんだよ」


「は? なんで?」


「うたかた蝶が他の場所に移って、そこの人々に幻を見せたらどうすんの? それこそまったく無関係な人が大ケガしたり死んじゃったりするじゃない」


「まぁ、それは、確かにそうだけど……」


「じゃあ今日は屋上を見てみるか」


 一年生の楽しそうな笑い声が聞こえる中、オレたちはさらに屋上への暗い階段を上がる。

 ドアを開け、何もないだだっ広い空間に出た。


 そこには――やはり誰もいなかった。

 屋上に棒立ちし、オレたちはただ強い風に吹かれる。


「誰も……いませんね……」


「みんな自粛してるのかな? ほら、最近二人も階段から転げ落ちてるし」


「かもしれないな。こんな時にこんなとこに来るバカは、オレとお前だけだ」


「そうだね。水口だけだ」


 早乙女が落下防止フェンスの方へ歩を進める。

 オレは虫取り網を持ったまま、ヤツの隣に並び屋上からの風景を見つめた。


 鶯岬高校の周囲を取り囲む豊かな緑たちが見える。

 この角度から学校周辺を見るのは初めてだった。


 ここが今、オレが生きている場所。

 そしてこれから少なくとも三年間は過ごす場所。


「うむ。我ながらなかなか上手く描けてるな」


 海側を見つめながら、早乙女が言った。

 オレはヤツが見ている方向に視線を向ける。


 海風が吹き荒ぶ岬の先に、鶯岬デンパ塔が見えた。

 その横の広場に、巨大な円形の白い模様が描かれている。

 ヘリコプターでも着陸できそうなサイズだ。


「何だ、あれ?」


「陣だよ」


「陣……」


「今朝、石灰で描いたんだ。あれが現世と幽世の出入口になってる。あそこからうたかた蝶を幽世に戻すんだ」


「オレはまた宇宙人でも呼び出すのかと思ったよ。ベントラ・ベントラ・スペースピーポー」


「アナタ、ちょっとあの陣の中に入ってきなさいよ。私がアナタを幽世へ追放して、そのあと二度と陣が描けないようにヒマワリの種を植えてあげる」


「なぁ、少し質問してもいいか?」


「何?」


「お前、なんで祓い屋なんかやってんだよ? それともう一つ、なんでお前のような新一年生があの鶯岬デンパ塔をいきなり部室にできた?」


 オレが訊くと、早乙女がオレから視線を逸らし「ちっ。まるっきりのバカじゃないのか……」と小声で呟いた。


「思いっきり聞こえてるぞ、それ……」


「マジか。耳までデビルイヤー……」


「お前、内緒話できないだろ? ほぼ地声なんだが?」


「それは、まぁ、そのうち教えてあげるよ。追々おいおいね。追々」


「ま、この件が終わればオレも解放される。だからべつにどうだっていいんだけどな」


「あ、そうだ。水口、これ――」


 そう言って、早乙女がオレの前に拳を突き出した。

 「ん?」と、反射的にオレは自分の手のひらを出す。


 そこに置かれたのは、一本のカギだった。

 少し錆びついていて古臭いが、とにかくカギだった。


「何だ、これ?」


「デンパ塔のフェンスのカギだよ。一応、水口には渡しとく」


「いらねぇよ。オレの部室じゃねぇし。今回限り手伝ってるだけだ」


「じゃあ今回限りでもいいから持っておいてよ」


「なんで?」


「これから何が起こるかわからないから」


「何だ、お前? ビビらすなよ」


「もし水口が私と一緒じゃない時にうたかた蝶を見つけたら、すぐにデンパ塔のあの広場まで誘導してほしいんだ。そして私に連絡して。番号はこれ」


 早乙女が折りたたんだ紙をオレに手渡してくる。


「これは?」


「これはって……私のケータイ番号に決まってんじゃん」


「うわぁ、マジか。ありがとう」


「売らないでね」


「ちっ」


「うたかた蝶はあの美しさに反してとても危険な蝶なんだ。あの蝶の鱗粉は人の心をもて遊ぶ。たとえ蝶に悪気がなくても、あの子はこの現世にいてはいけない。間接的に人を傷つけていく」


「直接的に人を傷つけまくるお前が、まさかそれを言うとはな……」


 そう呟き、オレは屋上フェンスの下を覗き込む。

 やはり校舎三階、かなり高さがあった。

 ここから落ちたら、どう考えてもただでは済まないだろう。


 この鶯岬高校は歴史ある学校だ。

 校内に植えられた樹木の数は多く、そのほとんどが古木だった。

 常緑樹、落葉樹、その他様々な植物がアチコチに伸びている。

 その中に桜が含まれているので、この季節、地面はピンク色に染まっていた。


 オレたちの眼下には一台のバンが止まっている。

 剪定せんてい業者の車だ。

 商売道具をひとまず置き、彼らは桜の花びらが散る地面を掃いていた。


 そしてオレはふと、すぐそばの古木の下でなんだか神妙に話しこんでいる二人の姿を見つける。

 一人は、担任の桜庭先生だ。

 もう一人は――なんだかどこかで見たことがある中年男性だった。


「痴情のもつれか……桜庭も、恋に仕事に大忙しだね……」


「男同士、しかも双方オッサンだが?」


「今どきは何でもありっしょ?」


「オレ、桜庭と話してるオッサン、どっかで見たことあるな……」


「元カレ? ったく、覚えててあげなよ。一度は愛し合った仲でしょうに」


「お前さ、これ以上オレにどんなキャラをつけようってんだ? 虫取り網を机の横に置いとくだけで、そりゃもうなかなかな激ヤバキャラなんだぞ?」


 その瞬間――下からいきなりドン! という重々しい音が響いてきた。


「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 続いて、ありえないほどかん高い女子生徒の悲鳴が聞こえる。

 その声に、オレと早乙女はハッと顔を見合わした。

 二人揃ってフェンスに顔をめり込ませ、全力で下を覗き込む。


「し、しまった……」


 早乙女が血相を変えて、一気に屋上を走り出す。

 当然オレもヤツに続いてその場をダッシュした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る