5 恋のヒストリーはいつだってミステリー

 ムリヤリ幼稚園児と資料館を出て、灯台までの広場を横切る。

 その広場は結構広く、フットサルくらいならフツーにできそうだった。

 ただしシュートを外せばボールは全部海に落ちる。

 落下を防ぐフェンスのようなものは無い。


 灯台は、目の前で見るとそれほど大きくはなかった。

 ムリヤリ幼稚園児が塔下部のドアを開ける。

 ここにはカギがかけられていないようだ。


 冷たい海風とともに塔内に入ると、一階はガランとしていた。

 軽自動車くらいならギリギリ二台は入るスペース。

 その隅に二階まで続く黒い螺旋階段が見える。


「じゃ、キミ。先に上がって」


「え? オレがですか?」


「階段があるでしょ? 私が先に歩くとスカートの中が見えちゃうじゃない」


「あぁ、そうでした。すいません」


「キミね、もう高校生なんだから、女の子に対するそういう配慮をきちんと覚えなきゃダメだよ」


「はい。勉強になります」


 彼女に頭を下げ、オレは灯台の螺旋階段を上っていく。

 灯台の二階は――ちょっとしたアパートの一室のようだった。


 シンプルな台所、ソファ、中央に大きなテーブルがある。

 部屋の隅には冷蔵庫や炊飯器、食器棚まで揃っていて、たった今からでも入居可能な状態だった。


「あの、先輩……」


「何?」


「ここ……まだ鶯岬高校ですか?」


「そうだけど?」


「フツーに、生活できそうな空間ですが……」


「展望台に出てみる?」


 ムリヤリ幼稚園児が展望台へのドアを開けてくれる。

 彼女に導かれるがまま、オレは海風が強い展望台に足を踏み入れた。

 人と人とがすれ違えないくらい狭い通路に立ち、手すりをギュッと握りしめる。


「コーヒーを準備するね」


 彼女が中に戻り、キッチンにマグカップを並べはじめた。

 それはまるで一人暮らしの女性の部屋に遊びに来ているかのような光景だった。

 目を細め、オレははるか彼方の水平線を見つめる。


 ここが……高校の部活動の……部室……。

 何だって学校側は、こんな離れの灯台を民俗学研究部なんかに与えたんだろう?


「どぉ? 綺麗な景色でしょ!」


 そう言いながら、ムリヤリ幼稚園児がマグカップを差し出してくる。

 風が強いので、彼女は叫ぶように喋った。

 オレは会釈とともにそれを受け取り、同じように大きな声で返す。


「なんかすごいです! ここが部室だなんて、信じられません!」


「ここに入れるのは民俗学研究部の部員だけなんだよ! だからキミ、超ラッキー!」


「ありがとうございます!」


「コーヒー! 飲んで! すぐに冷めちゃう!」


「はい! いただきます!」


 ムリヤリ幼稚園児に頷き、オレはコーヒーをひと口飲む。

 それはとても美味しいコーヒーだった。

 彼女を向きなおす。


「先輩の他に部員さんは何人いらっしゃるんですか?」


「いないの! 今は私一人!」


「そうなんですね!」


「何? 入部してくれるの?」


「いえ! オレ、運動部に入ろうと思ってるんですよ! だから文化部は無理です!」


「そっか! 残念!」


 少しさみしそうな顔で、彼女が海を見る。

 強い風が早乙女先輩の青いスモックと紺色のミニスカートを揺らした。

 オレはなんだか申しわけない気持ちになりながらも、陽光に照らされた彼女の横顔を見つめる。


 とても――綺麗な人だった。

 造形もさることながら、オーラがなんだか人を惹きつける。

 ちょっとアレな気もするけど、この人はきっとモテるだろう。


「ねぇ、キミ! そういえばまだ名前を聞いてなかったね!」


「水口です!」


「え? 何?」


 海風がさっきよりさらに強くなる。

 彼女の長い髪が何かのデザイン画みたいに美しい曲線で舞い上がった。


「ミ・ズ・グ・チ、です!」


「ごめーん! よく聞こえなーい! ちょっとここに書いて!」


 彼女が肩掛けバッグからペンとメモ帳を取り出す。

 オレはマグカップを手すり部分に置き、そこに『水口』と記した。


「水口くん! 水口くんっていうんだね!」


「はい! 水口です!」


「下の名前は?」


「トオヤです! 水口十日夜!」


「書いて!」


 オレは頷き、そこに『十日夜』と書く。

 それほどキラキラはしていないが、一発で誰にも読んでもらえない名前だった。


「これでトオヤって読むんだ! ねぇ、何組なの?」


 その質問に頷き、オレは『1年1組』と書く。


「風が強くなってきたから、中に入ろ!」


 満足そうに頷いた彼女が叫び、屋内に入っていく。

 オレもそれに続いた。

 灯台内に戻って窓を閉めると、海風の激しい音はすぐに止んだ。

 もしかしたらこの部屋は、何かしらの防音設備が施されているのかもしれない。


 カップをテーブルに置き、部屋の隅っこにある全身鏡の前で、彼女が手櫛で髪を整える。

 振り返ると、オレに微笑んだ。


「さて。それじゃあ私は色々とやることがあるからそろそろ帰ろう。今日はコーヒーに付き合ってくれてありがとう、水口くん」


「あ、いえ。コーヒー、ごちそうさまでした」


「じゃ、フェンスのカギも閉めなきゃいけないから、いっしょに戻ろ」


「あの、先輩」


「ん?」


「先輩の、その、お名前は?」


「あぁ、私? 私は、早乙女さおとめ沙織さおり


「早乙女、沙織さん……」


「ねぇ、水口くん。ウチ、なかなか素敵な部室でしょ? 良かったらまた遊びに来なよ。コーヒーをご馳走する。なんなら運動部との兼部でも幽霊部員でもかまわないよ」


「はい。あの、考えときます」


 オレと早乙女さんは鶯岬デンパ塔を出て、来た道を戻った。

 フェンスにカギをかけ、校舎の方に戻ると、昇降口のあたりにパトカーと救急車が止まっているのが見えた。


 何人かの生徒が警察官の質問に答えている。

 おそらくさっきの階段転落事故における事件性の有無について情報を収集しているのだろう。


「なんか大ごとになってますね……」


「だね」


 それを横切り、オレたちは校門までの道のりを歩く。

 その時、友人に支えられた例の良美先輩が出てくるのが見えた。


 まだ病院に行ってなかったのかよ! とオレは思ったが、彼女の横には救急隊員が付き添っている。

 おそらく錯乱した彼女の精神状態が落ち着くのを待っていたのだろう。

 しかし良美先輩は、相変わらずさっきと同じように取り乱していた。


「ホント! ホントなんだよ、メグ! 明夫が! 明夫が階段のすぐ近くを歩いてたんだ!」


「うん。わかってる。わかってるから良美、少し落ち着こう? とりあえず、病院で手当てを受けよう?」


「大丈夫! 私、頭は打ってない! 落ちる時、手をついたから!」


「頭は打ってないけど、足がものすごく腫れてる。私もついていくから、とにかくまずは病院で――」


「なんでメグまで信じてくれないの? ホント! ホントなんだ! あれはホントに明夫だったんだよ!」


 良美先輩をなんとかなだめ、関係者全員が彼女を救急車に乗せていく。

 後部ドアが閉まり、救急車が発進していった。

 オレと早乙女さんはけたたましいサイレン音の中で、静かにそれを見送る。

 救急車が去ると、警察や生徒たちもまばらにそこから離れはじめた。


「意識はハッキリしてるし、元気はめちゃくちゃある。念のために頭部MRIを撮って、足は骨折あるいは捻挫ってとこかな。んま、大事に至らなくて良かったね」


「まぁ、良かったですね」


「でも彼女、どうして階段から落っこちたりなんかしたのかな?」


「明夫って人が立ってたって言ってましたよね。でもさっきの人たちの話だと、明夫さんは去年の終わりに亡くなっている……」


「まったく……恋のヒストリーはいつだってミステリーね」


「何ですか、それ?」


「それじゃあ、水口くん! 私、こっちだから!」


 軽く手を上げて、早乙女さんがオレから離れていく。


「また部室に遊びにきてね!」


「あ、はい! あの、コーヒー、ごちそうさまでした!」


「うん! じゃあね! バイバイ!」


 そう踵を返し、早乙女さんが歩きはじめる。

 ちょっとヘンだけど、去り際が美しい人だった。


 最初はものすごくアレな人かと思っていたのだが、意外と、フツーなのか?

 いや……フツーじゃない。

 彼女はあのムリヤリ幼稚園児のコスプレのまま、校門を通り抜けていった。

 マジで、あれで帰るつもりなのだ……。


 でもたぶんあの人、あんな感じだけど、きっと育ちが良い。

 所作の一つ一つに品性がある。

 かすかだが、お嬢様の気品も漂っていた。


 早乙女さんを見送ったあと、オレはその場から歩きはじめる。

 高校生活の初日。

 なんだか不思議な一日だった。

 でもなんとなくこれから楽しくやっていけそうな気がする。


 もちろんその時のオレは完全に間違っていたけれど……。

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