miroku
@tororokonbunokokor
第1話
大いなるものは、時の流れに身を任せ覚醒の時を待っている。
大いなる者には記憶が。経験が。感覚が。糧となり蓄積されて行く。
ある時は太古の記録を、そしてある時は未来からの伝承として。
「平助、陽がおちちまう前に芋がら始末、しとけよ。」
「わかったよ、お父っあん。」
「おらは、庄屋さまのとこに呼ばれってから。」
平助と呼ばれた若い男は、節くれ立った手のひらをうなずく代わりに父親の方に見せ、黙々と作業を続けた。その行為が、彼の人生の全てであるかの様に。
収穫が終わった芋畑で平助は落日の刻を、絡み合った芋蔓と格闘している。掘り返された土にくるぶしまで埋まり、平助は深々と冷え込んでくる外気の変化など気にすることなく、断末魔の抵抗をする蔓を手繰り寄せていった。
立ちのぼる青臭さが振り落とされる土の香りと混じり合い平助の鼻腔をくすぐるが彼にとっては慣れたもので、作業の手を緩める口実にはならなかった。
続く戦さのせいで、村の働き手は平助ぐらいになっていた。平助は小僧の時、柿の木から落ちた傷で片足が不自由であったので、村に残されていたが。敗色濃厚な足軽大将から動ける者全ての徴用が、村々の庄屋に告知されたのであった。
「んなわけだ、平助。お前も槍もって、イクサバ出張れってて言うことだ。」
芋がらを干し魚と共に鍋で煮込み、味噌玉を一つ砕いて入れながら平助は父親に初めて不満をぶつけた。
「俺みたいな奴まで、イクサバに行かなきゃならねぇて。こりゃ、負け戦だなぁ。」
「平助、デカイ声で、メッタなこと言うんでね。」
自暴自棄になったのか、公然と領主への不満を口にする息子に戸惑い、父親は諭そうとしたが…。
息子は踏ん張りがきかない右脚に、節くれ立った拳を叩きつけながら、心の叫びを絞り出す。
「こんな俺様だって、槍を振りまわせば大将首、とれるかもしれないもんな。」
平助は、更に拳を右脚に振り落としながら続ける。
「イクサバでは、何が起こるか分かりゃしない。こんな俺だって、こんな俺だって…、役に立つんだ。イヤ、手柄を立てるんだ、絶対に!」
彼はこの台詞を吐きながら、散るであろう命の儚さと、彼より先に戦で散っていった村の若い衆にこれで引けを取らない存在になれると言う安堵感に満たされ、感じたことのない高揚感に包まれていた。
平助の繰り出した槍は馬上の武者に軽くいなされ、振り下ろされる太刀が彼の身体深く食い込んだ。灼けるような絶望感に苛まれながら太刀を離すまいと鋼の塊に手をかけたが、平助のぎこちない抵抗に武者は無慈悲に足蹴を食らわせ、次の獲物に向かっていった。
深々とえぐられた傷から見たことない量の血潮が吹き出ていた。太い動脈が断裂されたのだ。脳に送られるはずの血流が確保できなくなり、糸が切れたように戦場の踏み固められた荒野に崩れ落ちる平助。寒気と共に遠退く意識の中で平助は、芋畑で嗅ぎ慣れた土の香りがするような気がした。
「俺は…、畑にいるのか…。芋がらを…。」
破壊されていく脳細胞が奏でる最期のストーリーは、母親との幼い時の記憶でも、村娘に恋い焦がれる自分への憐憫の情でもなく、見慣れた畑の光景だった。
平助の人生のすべては畑であり、畑こそが平助が存在できる場所であったのだろう。
無念さもなく、ましてや誰を恨むことなく、無垢のまま平助の命は絶たれた。
最期の記憶。
それは、大いなる者にとってこの上ない甘美なもの。
大いなる者は羊水のような甘露で満たされた次元の狭間で、産湯につかる赤子のように身じろぎすると。もぎたての記憶を嬉々として啜りあげる。
大いなるものは、次々と届くギフトを。様々な記憶を。貪る様は貪欲で、さながら夢を食い尽くす貘のようであった。
たった一人で消えて行く魂とは反対に、家族に囲まれ、静かにその生を全うする魂もある。
しかし、その送られ方が死にゆく者にとって理想であるのかは、死の淵にいる当人以外理解出来ないものである。
「お義父さん、皆さんおみえになっていますよ。」
「お父さん、聞こえる?来たよ。」
「父さんわかる…、父さん…。」
病室の白い空間で男は、最期の時を迎えていた。
病との永い闘いの末、召されようとする男の感情は周囲の騒がしさとは裏腹に冷めきっていた。無に帰す自己の意識の行方になど、男にはなんら興味はなかった。人がどこから来て、何処に行こうが、消えゆく事には変わり無く。人生を振り返ってどうこう考える気もなかった。
しかし病室で演じられる、逝き遺る「家族」と呼ばれる連中の鬱陶しさが醜く。最期になっても機能し続ける聴覚に、恨めしさを感じずにはいられなかった。
元気であった頃には寄り付きもしなかった自称家族どもが、不治の病に蝕まれていると分かった途端に馴れ馴れしく擦り寄る様に、辟易としていた男は。醜い亡者どもに手痛い仕掛けをしてあった。
奴らが狙う財産の全てを、既に難病を支援する施設に全額寄付した事を認めた遺言書を、顧問弁護士に預けてあるのだ。
このアイディアはきつい薬の作用が弱まる寛解期に練られたもので、弁護士からこの提案を受けた時彼は小踊りして喜んだ。
「こいつはイイや。あいつらの驚く様を直接見れないことは少々残念だが。亡者どもの「開いた口が塞がらない」という表情を思い浮かべつつ逝くのも一興だよ。」
気力を振り縛り署名を終えた男の心は、春の陽を浴びているように朗らかになった。
「お父さん、お父さんの容体が良くないって聞いたもんだから、飛んできたんだ。次男の何某だよ!」
「あまり大きな声お話しされると、お義父さんがビックリされるから。何某さん、お抑えください。」
「!オレは。オレは、今までお父さんが体調を崩しているなんて知らなかったんだ!」
「まあ、お知らせしなかったのは、私のせいだと言うのですか。」
「オレは、そんな事を言ってるんじゃない!でも、義姉さんが、そう言うんなら、そうなのかも知れない。オレが今まで父さんと満足に話せなかったのは、義姉さん!あんたの所為だ!」
「何某!言葉がすぎるぞ!!それに、お前も親父の耳元で厭味を口にするなんて。親父が静かに逝けないだろうが。」病室での場違いな二人のやり取りを納めようと、初老の男が言い争いに割って入った。
「あなた…、すみません。私が口出すような事ではありませんでしたわ。皆さん、お許し下さい…。」
女性はあたかもシナリオがあるかのような見事な引き際を周囲にアピールした。だが、弟は早々簡単に矛を収めるわけにはいられなかった。積年の怨みが、彼の口をついてでた。
「あ…、兄貴。あんたはいつもそうなんだ。わけ知り顔で、冷徹で。もう我慢できない!今日は言わせてもらうし、親父にも聴いてもらいたい!オレが今まであんたら夫婦にどんなふうにあしらわれていたかを!」
醜い口論を聞きつつ男の魂は召されていった。
男にとって、長男であろうと次男であろうと、彼らの連れ合いであろうと孫であろうと。彼らのしでかした過去の様々な悪行に対しての答えが、自分の死と引き換えに明らかされる小気味良さに満足しつつ、無に期して行った。
痛快な経験。
それは、大いなるものにとってこの上なく興味深いもの。
大いなるものは身体を造る総てに、悲喜交々な体験、阿鼻叫喚な試練、様々な経験が満たされている。
大いなるものが、止めどもなく流れ込む人生を、人々の経験を、受け止めるさまは悠久の時の中で救済のため修行するもののようであった。
長年蝕まれていた心疾患のために受けた移植手術から半年、バスルームの姿見で胸に刻まれた縫合の跡を改めて観ると、彼女の心に一抹の不安がうまれた。
「私は新しい心臓と、上手くやっていけるの…。」
臓器工場から提供された心臓は、機能上も安全性も折り紙付きで、申し分ないものであるのだが。彼女の中に芽生えた医療工学への不信感は、日々増していった。
「この心臓は本来誰のものだったんだろう。」
過去の脳死者からのドナー提供は、人々の善意によって支えられていたが。現在行われている臓器移植は、人工臓器を使うので、倫理性は担保されていると聞かされてはいたのだが。
体内で新しい臓器が鼓動を刻み始めると、彼女の心は生を謳歌する自分に罪悪感を感じずにはいられなかった。それ程、術後の経過が良かったのだ。
「私は、いま…。生きているのだろうか。それとも、生かされているのだろうか。」
定期検診の時、医師に疑問をぶつけてみたが…。
「移植後、劇的に症状が改善される心疾患の場合。戸惑われる方は、貴方だけではありません。むしろ、そのような感覚を持たない方の方が問題なのです。」
医師は彼女が訴える不安を肯定的に受け止めてくれたが、敏感過ぎる彼女の言動に薬物投与を提案した。
「少し緊張状態が続いていられるようなので、お気持ちが楽になるお薬を処方しましょう。辛い時、1日1錠、飲んでみて下さい。筋肉の緊張もほぐれるので、肩こりも楽になりますよ…」
医師はBZD受容体に作用する抗不安薬を使う事を決め、彼女の疑問にはそれ以上応える事なく診察を終えた、彼女の心を置き去りにして。
「確かに私はいま、息をしている。」
「確かにいま私は、ここで生きている。」
「心臓が鼓動を刻み、命をつないでくれている。」
「でもそれは、元々私に与えられていた命なのだろうか。」
「私の命はもう既に、自然の摂理から逸脱してしまったものなのでは。存在すること自体が、禁呪なのでは…。」
医師の処方する薬をいくら飲んでも、彼女の心は堂々巡りの疑問に囚われ、出口の見えない迷宮を彷徨うばかりであった。
「私を生かし続けるのならば、その証しが欲しい。」
「私を生かしたいのなら、その答えが欲しい。」
「でも、何処にも答えが見出せない。」
彼女は睡眠薬を呑み慣れないアルコールで流し込むと、ガスの元栓からホースを抜き、ベットの上に静かに横たわった。生を放棄することに恐怖はなかった、生きていかなければならない義務が無くなるいま、彼女の心は喜びに似た感覚に満たされていた。
「私は無に帰る…。もう何も感じなくて良いの…。」
大いなるものは異質な感覚を気取り、凡ての事象を敬い奉る表情が動いた。
「私は生という呪縛から逃れることができたのでしょうか?」
大いなるものの律動を乱した小さな存在が、呟いた。
「私は平安に過ごせるのでしょうか?」
小さきものは続ける。
「私はこの後…。」
大いなるものは小さな疑問などひと思いに飲み込むこともできたが、小さきものの問いに答えた。
「あなたは、私は…。」
大いなるもの言葉は慈愛に満ち、小さきものを大いに震わせた。
「私が、あなた…。」
「そう。過去で、現在で、未来で。旅立つあなたが、全て私…。そして私が、あなた。」
小さきものは大いなるものの真理に触れられたことに満足したのか、自ら進んで大いなるものの一部として万古不易な循環の中に取り込まれていった。
終わり
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