16
玄関のドアの前、鍵穴に、銀色のカギを差しこむ。金属のこすれる音の後、かちりと開く。
母を殺した犯人も、こうしてカギを閉めたのだろうか。
「カギを持っているのは、英玲奈、㓛刀、山田と土佐だったな」
見透かしたように、千石が言う。㓛刀は、
「千石さんも言った通り、カギをコピーした誰かがいるかもしれませんし」
㓛刀はそう抵抗をした。
ほんとうのところでは、わからなくもないのだ。
カギの持ち主。千石千早の名前を知っていること。英玲奈の雇い主とみられるミハイル・スミルノフが接触してきたこと。
これらはすべて、
「それらに関与していた可能性はあるけれども、どれも決定的ではない」
が、
「それらすべてに該当するのなら、疑ってもやむなし」
なのだ。
短い廊下を歩く。リビングへ向かおうとした㓛刀の袖を、千石がつんと引っ張って止めた。
「㓛刀、オマエの部屋に行こう」
もしもこれが色っぽいお誘いなのであれば、㓛刀にとってとても幸せなことだ。けれどそんな浮かれるような状況ではないことはよくわかっている。
「どうしてですか?」
「探し物だ」
「探し物?」
千石はうなずく。
「犯行に使ったのは、この家にある包丁だ。そして容疑者が絞られる個人宅。とても計画的とは言えない。遺体も放置されている。もしも『口ふうじ』として殺されたのなら、㓛刀の父親同様に、周到に隠蔽され、事故として処理されるように仕組まれたはずだ。だからこれは、衝動的なものだ」
㓛刀は黙って聞いた。
「衝動的な犯行は、だいたいの場合、被害者と、もともと何らかのトラブルを抱えている。その原因を突き止めたい」
「たまたまカギを拾った人が強盗に入ったのかもしれません」
「あのときはそう言ったが、その可能性は薄い。在宅業の英玲奈の家に空き巣に入るのは効率的ではない。それに、㓛刀もそろそろ気づいているはずだ。犯人は近衛を殺害したものと同じやつだ。ミハイル・スミルノフは、なんと言っていた? ミハイル・スミルノフが口ふうじを行ったのだとしたら、実行犯は誰だと思う?」
疑いたくない気持ちはいまだに強い。なにせ、子どものころから親戚のように付き合ってきた男なのだ。母、父に加え、山田までもが、㓛刀の知らない世界で別の顔、しかも人を殺めた凶悪犯としての顔を持っていたなどとは、信じたくない。
けれど、そろそろ直視しなくてはいけない。
もしも予想が外れていた場合の、誤解を解くためにもだ。
「わかりました。探しましょう」
㓛刀は、自室のドアを開いた。
そこに千石を招いた。
人を招けるほどにきれいに整えているわけではない。今朝脱いだパジャマ代わりのティーシャツとスウェットパンツは、ベッドの上に放り出したままだ。
「何を探せばいいんでしょうか」
部屋の真ん中で、千石は腕を組む。そうすると肩の細さが際立ち、少女らしくいたいけだ。とても血なまぐさい事件の犯人を追い詰めている姿には見えない。
「英玲奈が殺害された後も、山田はたびたびにこの家をおとずれている。ここで何かを探していると考えられる」
「仕事の資料ではなく、ですか」
「そうだ。刑事から荷物が戻ってきたら知らせてほしいという会話をしていただろう」
「証拠になるようなものなら警察から返ってこないのでは」
「殺人事件の証拠じゃない。英玲奈とのトラブルをにおわせる何か」
「漠然としていますね」
「英玲奈の書斎や寝室は、すでに山田も探しつくした後だろう。㓛刀が出かけている間も出入りできるのなら、この部屋も家探しされたかもしれないが、まだ残っている可能性はある。山田が今も探しに来ているのが、その証拠だ」
まずは机の引き出しからだ。
学習机は、小学校の入学時に英玲奈が買ってくれたものだ。当時はそれを、入学するための通過儀礼的に感じていたが、改めて見れば立派なものを買ってくれたものだと思う。家事育児は放っておかれたのは確かだが、この机に限らず、ランドセルや、制服、教科書、長じては受験料や大学の入学金、そこそこに値の張る通学定期代なども、惜しまず出してくれていた。
手をかけてはもらえなかったが、お金はかけてもらっていたのだ。そのことに、英玲奈が生きている間の㓛刀は拗ねた見方をしていたが、彼女の人となりを考えれば、それが精いっぱいの愛情表現だったのかもしれない。
死んだ者に対する、都合のいい幻想だろうか。
「何を探せばいいのか、ぜんぜんわからないですね」
「そうだろうな、すまないが付き合ってくれ」
「それは構いません。というか、僕のお願いごとを聞いてくれているのは、千石さんのほうじゃないですか」
千石の真剣だったまなざしが、ふわりと緩む。㓛刀の顔を見て、のぞきこむように首を傾げた。大きな琥珀の瞳には、㓛刀の顔が映っている。
「㓛刀の感謝を忘れないところ、いいな」
「……いえ、それは、ぜんぜん、そんなことないですよ」
からかわれているのか、煽られているのか、それとも本当に「いい」と思ってくれているのかわからない。
それに、自分の不幸だけで目の前が埋め尽くされていたような状況から、たった数日で、こうしてなにかに感謝したりできるほどに心を持ち直せているのは、間違いなく千石のおかげだからだ。
「……特に気になるものは見つかりませんね」
「そうだな」
「次はクローゼットを探しますか」
部屋に作りつけの、アコーディオン式の扉のクローゼットだ。開けると中には、冬物のコートや、大学の入学式で着たきりのスーツが吊るしてある。衣装ケースの中はフリースのジャケットやニットウェアだ。
「㓛刀はほんとうに持っている服が少ないな」
「それは、すみません」
千石にもろくな服を用意できていないのだ。
千石さん、服、買いましょうか。㓛刀はそう言いかけて、口をつぐんだ。親の遺した金銭で女性に服を贈るのは、さすがに気が引けたのだ。
「それらしいものはありませんね」
「ベッドの下とかはどうだ」
「残念ながら特に何もないと思いますよ」
千石はひょいとかがんで覗いている。その姿を見て、㓛刀は、そういうところにヤマシイものを隠すタイプでなくてよかったと心底ほっとした。
「何もないでしょ?」
千石は、ふむと再び腕を組む。
「㓛刀、英玲奈から何かもらった覚えはないか。あの時計のように」
「もらったものですか」
㓛刀は斜め上を見て、記憶をたどった。
「もらったと言えば、今持っているモノは全部買ってもらったものなのでそう言えるかもしれませんが……。そうですね、ああいう誕生日だとかにプレゼントとしてなにかもらうようなことは」
進級、クリスマス、大学一年時の誕生日、と振り返ってみても、特に形の残るものを贈られたことはない。
「……直近でしたら、大学入学時にいろいろと買いそろえてもらいましたっけ」
「大学か。それだ」
千石は、目をぱっと開いた。白く長い睫毛がはばたくようだ。
「大学には個人ロッカーや私物を置くスペースはあるのか?」
「ありますよ、ロッカー。サークルや研究室に所属していたらほかにもスペースがもらえるらしいですけど、僕はサークルに参加していませんし、研究室は、二年はまだですしね」
「よし、ロッカーを見に行こう」
「……明日にしませんか」
千石は、一瞬不思議そうに首を傾げた。それから、㓛刀の部屋の窓から外を見て、ああと納得した様子で、
「なんだ、もう夜か」
と呆気にとられた声を出した。
「そうだな、明日にしよう。㓛刀、悪いが明日は、オマエの大学まで連れていってくれ」
「かまいませんが、神様、電車には乗れますか? 片道で二時間弱ほどかかりますよ?」
「それはほとんど小旅行だな。電車には乗ったことがないから、それも楽しみだ」
目的に反して千石は、好奇心を隠さず目をらんらんと光らせる。
決定事項となったらしい。
㓛刀はスマートフォンから同じ学部の者にメッセージを送った。
『明日、大学に行こうと思ってるんだけど、夏休み期間って、あいてるんだっけ?』
送った相手は、一年時に学籍番号が近いという理由で連絡先のやり取りをした相手だ。同じ学部だから同じ講義を取っていることが多く、顔を合わせれば世間話程度はする。向こうはバイトにサークルにと大学生活をエンジョイしていて、友人も多く、㓛刀のことなど数多くいる顔見知りとしか認識していないだろうが、㓛刀にとってはこういうときに質問できる数少ない相手だ。
『あいてるあいてる。じゃなきゃサークル活動できないだろ。なに? 忘れ物?』
㓛刀と違って、スタンプや絵記号などを使った賑やかなメッセージが返ってくる。こういうところにも、交流慣れしている雰囲気を感じる。
『そんなとこ。ロッカーに用事があって』
その後、数度のやり取りをした後にメッセージアプリを終了させた。
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