07
土佐慶子はいつも通り、昼前にやってきた。
ハウスキーパー専門の派遣会社を通して紹介してもらった、近くに在住している主婦だ。週に二回の契約で来てもらっている。
㓛刀からすれば幼少時から馴染みのある近所のおばさんだ。実の母よりもずっと面倒を見てきてもらった。そういう経緯があるので通り一遍以上には親しみを抱いているのだが、土佐のほうは、㓛刀が初めて自宅に呼んだ美女に対して、
「あら初めまして、達矢君のお友達ですか? 今からお昼ご飯を作りますが、召し上がりますか?」
と、驚くようなリアクションも、山田のような好奇心や興味も持った様子はなかった。
実のところの内心についてはわからないが、あくまで顧客に対する態度を崩さず、プライベートに対して突っ込んで聞いたりしないという節度を弁えているからなのだろう。
彼女はもどかしいほどにプロなのだ。
「はじめまして、千石です。お邪魔しています」
千石のほうも卒なく無難に挨拶を返す。
「すみません、事前に連絡を入れておりませんで。二人分になっちゃいますが、材料、足りますか?」
「大丈夫ですよ、元々数日分のおかずの作り置きができるように用意しておりますから」
朗らかに受け答えをしてくれる土佐はおそらく並のハウスキーパーよりずっと優秀だ。放っておくと汚部屋になるこの自宅を週に二度の掃除で清潔感あふれる姿に保ち、幼少から成長期を通して健康な男子たる㓛刀の食の面倒を見続けたのだ。㓛刀がこれまで生きてこられた金銭的な面はもちろん実母によるが、実際の生活においては土佐の能力による。
手際の良い室内の掃除は見る間に終わり、昼食として二人分用意されたオムライスにサラダ、スープといった家庭料理は、出来立てということもあり大変おいしかった。
「千石さんもご飯、食べるんですね」
「当たり前だろう」
「当たり前なんですかね」
二人で向かい合わせに食事を摂るのは、㓛刀にとって珍しいことだ。何せたった一人の家族が英玲奈という私生活の破綻した女だったため、孤食に慣れきっていたためだ。
千石はスプーンを手に、黄色い卵焼きに包まれたケチャップライスを口に運ぶ。柔らかそうな白いほおがふんわり膨らみ、咀嚼し、飲み込む。ケチャップのせいで赤みの増したくちびるをきゅうと釣り上げて、
「おいしい〜」
と外見年齢相応な歓声を上げた。
「これが毎日食べられるのなら、私はもうこのまま㓛刀のうちの子になってしまいたいかもしれない」
「えーっと、土佐さんのお料理目当てでうちの子になるのは、ちょっと筋が違うような気がしますけどね」
「そうなのか? 㓛刀はいつも、これを食べているんだろう?」
「そうですけども、うちの子にっていうのは……。うーん、まあいいです、つまり、土佐さんの作るごはんが、それだけおいしいってことですよね」
土佐は料理をした後のキッチンを片付けてピカピカに磨き終わった後だ。にこやかに㓛刀たちの話を聞いている。食後の食器を洗ってしまえば、本日の仕事は終了、といったところなのだろう。
そう、事件の話を聞くも何も、土佐は英玲奈と顔を合わすことはほとんどなかったはずなのだ。彼女が仕事としてこの㓛刀の自宅におとずれる時間帯に英玲奈が在宅していることはほとんどなく、いたとしても書斎に籠っていたと聞いている。
それに土佐は慎み深く、ほんの小学生だった頃の㓛刀に対しても「雇い主と、派遣されてきた従業員」という立場を保った節度のある会話と距離を心掛けていたし、それは十数年も働き続けた今でも変わらない。
だから土佐が、山田以上に、英玲奈について知っていることなど、おそらくほとんどないはずだ。
それにいかにもたおやかな壮年の女性に、殺人事件のことなんて血生臭い話を切り出すのは、㓛刀には少々難しい。
いつも通りに完璧に仕事を終えた土佐が
「それじゃあ私はそろそろ」
と退室しようとするのを見送るべく立ち上がった㓛刀に、土佐は
「そうそう、そうでした」
と、紙袋を一つ、渡した。
「これは、英玲奈さんからお預かりしていたものなんです。達矢君への誕生日プレゼントだとおっしゃっていました。自分で持っていたらなくしてしまいそうだから、預かってほしいと。こんなことになってしまいましたし、こんな形で申し訳ないのですが、お渡ししておきますね」
「あ、はい……」
㓛刀が紙袋を除くと、中には小さな箱が入っていた。中身の予想はつかない。
「ありがとうございます。すみません、預かっていただいて」
「いいえ、とんでもない」
誕生日に前々からプレゼントを用意するなんて、英玲奈らしくない。だが気まぐれな人だから、そういう気分になることもあったのだろう。
「それから、雇用契約のことなんですけどね。契約主の英玲奈さんがお亡くなりになったので、今月末で一旦終了ということになるんだそうです。もし引き続きお仕事をさせていただけるのなら、達矢君が契約主となって新しく雇用契約を結ぶことになるんだとか」
「あ、そうか、そうですね」
そういう手続きも必要なのだろうが、気が回らず、すっかり失念していた。
「会社のほうから書類を預かってきましたので、そちらもお渡ししますね。継続は任意ですので、今後の生活のことも考えて、無理のないように。もちろん私としてはお仕事を続けさせていただけるとありがたいのですけども、学生さんでいらっしゃるし……」
受け取ったのはA4サイズの書類封筒だ。おもて面の下のほうには派遣会社名の印刷がされている。
中身を見れば契約期間や日数、金額などの詳細などが書かれた紙面、それから契約主となる自分が記入することになる住所氏名や署名の欄が空白になっている書類だ。
「わかりました。母の残したお金がどれくらいあるのかまだ確認できてないので、調べてからになりますから、ちょっと後になるかもしれませんが……。でも僕も急に土佐さんに来ていただけなくなると困るので、継続したいと思います」
「ありがとうございます。私も助かります。それで、もし継続していただけるなら、ご署名は、ご本名でお願いしますとのことで、事務のほうから聞いておりまして」
「本名?」
㓛刀は、聞きなれない言葉を聞き返した。
そうすると、土佐は気まずそうな顔をして、
「ああ、ええっと……。書き方とかはですね、私も詳しくは知りませんので……。この書類にですね、事務の担当者の、電話番号が書いてありますから、そこにかけて、聞いてもらえると……」
と、そう話を切り上げたそうにしたものだから、㓛刀もそれ以上は聞かずに
「あ、はい、わかりました」
とだけ返事をした。ではと頭を下げて出ていく土佐の姿を、㓛刀もありがとうございましたと頭を下げて見送った。
結局、事件については何も聞くことはできなかった。
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