06

「こんにちは〜、山田です」


 一応はインターホンを鳴らすものの、山田は合鍵を使って入ってくる。英玲奈や㓛刀が在宅していてもいなくても、どちらにしてもインターホンは鳴らすし挨拶もして入ってくる。ほとんど儀式的に、いつものことだ。


「あ、達矢君、いたんだ。あれ? 女の子?」


 ここ数年で少々体重が増えたように見える山田は、日に焼けた丸顔に人の良い笑顔を浮かべている。いつも陽気で、調子の良い喋り方をする人だ。


「わー、なんだかすごいね、初めまして、山田と申します。その髪の毛、すごい綺麗だけど地毛なの?どこの国の人? ナニジン?」

「日本人です。千石です。よろしく」

「千石さんね、よろしくね。これ、達矢君に買ってきたお土産だけど、お二人でどうぞ。薄皮たい焼きだよ。ここの、おいしいんだよね」

「どうも、いただきます」

「それにしてもめちゃくちゃかわいいね。達矢君の彼女? いつから付き合ってるの? 今までここに来たことなかったよね?」

「ちょっと、山田さん」

 㓛刀は流石に口を挟んだ。


 いつもは屈託なく多弁な山田の性質に助かってはいるが、神様を相手にそれは不敬なのではないか。


「ええ、だって、夏休みの日の午前中に、達矢君の服を着て家にいるんだし、彼女なんでしょ? 達矢君のことは年の離れた弟か親戚の子みたいに思ってるんだしさ、紹介してくれてもいいんじゃない?」

 客観的な状況を指摘されると、確かにあらぬ誤解を受けるシチュエーションだ。㓛刀は慌てたが、千石の顔色を窺えば、つるんと素知らぬ顔をしているばかりだ。気にしていないのか意図に気づいていないのか、どちらなのかもわからない。


「えーっと、山田さん、今日は母さんが借りっぱなしにしている資料を取りにこられたんですよね?」

「そうそう、そうだった。あっちの部屋のほう、ちょっとお邪魔するよ」

 言うが早いかさっさと英玲奈の書斎へと消えていった。


「……えっと、すみません、千石さん」

「構わない。というか㓛刀が言ったことでもないのに㓛刀が謝るのはおかしい」

 千石は淡々としている。

「それよりもあの調子では、英玲奈の話を聞き出そうにも難しそうだ」

「ああ、なるほど……」

 確かに千石は衆目に晒せば耳目を根こそぎ掻っ攫うような容姿だ。並々ならぬ興味を抱くのも無理はない。しかしそれはつまり相手によっては、千石が何かをたずねようにもその前に質問攻めにされるため、会話が成り立たないケースも十分あり得ると言うわけだ。現に先ほどがそうだった。


「……じゃあ、僕から、聞いてみます」

「いいのか?」

「はい。えっと、聞くことっていうのは、母さんのこと、でいいんですよね?」

 㓛刀が思いついた提案を口にすると、千石は満足そうにうなずいた。

「㓛刀にそうしてもらえると助かる」

「……わかりました」

 望まれているような受け答えができるかどうかは甚だ自信もないけれど、だからと言って見ているだけなんてさすがに、自分の母のことなのに、傍観者過ぎる。

 㓛刀は少しばかり緊張した。誰かに頼まれることも、相手が話題にしようとしないことをたずねることも、あまり得意ではないからだ。


 書斎の扉が開いた。

「いやー、やっぱ見つからないよ。警察の人が持っていっちゃったのかな。ただの昔のグルメ本なんだけどなあ。ほかの作家さんから借りたものだから、見つからないとちょっと、困っちゃうんだよねぇ。返さないといけないし、買いなおすにしたって、昔のものだから、紙で残ってなくってねぇ……」

「それなら荷物が戻ってきたら連絡しますよ」

「うん、そうしてくれると助かるよ~。よろしくね」

 㓛刀は母の書いたものを読んだことがほとんどないが、英玲奈は日本各地のグルメ記事や食文化についてのコラムを執筆しているとは聞いている。そういうものを書く際に必要なのだろう。


「あと、山田さん」

 そのまま出ていきそうな勢いの山田に、㓛刀は慌てて声をかけた。

「母のこととか、ちょっと聞いてもいいですか? あの、思い出話ってわけじゃないんですけど、その、山田さんの知っている、母のこと、いろいろ聞かせてもらいたくって……」


 山田は一瞬不思議そうな顔をした。それから、母を失ったばかりの子だと言うことを今更思い出したような素振りを見せ、人の良い笑顔で了承した。

「構わないよ。ボクが知っていることならね」

「ありがとうございます」

 当たり前のことだけれども、故人の話だ。千石の存在にテンションを上げていた山田も流石に神妙に、そして誠実に話をしてくれた。


「そうだなあ、出会ったころのことから話そうか? 彼女、日本には留学で来ていてさ。初めて会ったときは、えらい美人がいたもんだと、びっくりしたもんだよ」

 山田と英玲奈の付き合いは、元々、英玲奈が学生だった頃にまでさかのぼる。海外からの留学生だった英玲奈が綴っていた個人ブログが、当時のランキングサイトの人気上位の常連になっていたころからだ。

 外国人留学生が独自の目線で日本各地の文化をレポートする、今ならありふれたテーマだが、二十数年前の日本ではまだ物珍しがられて、そこそこにウケた。出版社が声をかけて書籍として出版することになった際も、著者が金髪の美人現役大学生というところも含めて、ちょっとしたヒット作となったのだ。

「彼女の写真を帯に入れたら部数がだいぶ伸びたんだよね。有名ブロガーとか、美人過ぎる新人ライターとかで持ち上げられちゃって、インタビューを受けて雑誌に載ったり、テレビの取材もあったりしてさ。それで本人の露出が増えたら、また本が売れて。学生にしちゃいい金額の印税が入ったものだからね、彼女すっかり日本に定住する気になっちゃって。まあそれはこっちとしても、また本が出せるしありがたい話だったんだけれども……」

 連載原稿をもらうだけの間柄だったはずの山田だが、あまりに彼女が『だらしない』ために成り行き、移住や就職、納税やらその辺りのことまで面倒を見るようになってしまったのだという。


「いや、ほんと、ご面倒をおかけしました……」

「いやいや、子どもがそんなこと気にすることないよ。昔の話だしね。それに、家の手配やら、いろんな手続きやらをやってみて、ボクも勉強になったよ」

 㓛刀はもう今年で二十歳になるのだが、山田からするとまだまだ子どものようだ。


「それに英玲奈さんも楽しい人だったからね。達矢君も知っているとおり、困ったところも多い人だったけど、その分、魅力的だったよ。美人で言動も派手だからパーティのたびになんかやらかしていたけど、それも面白かったしねえ」

「……『やらかしてた』の内容は、あまり知りたくないですね……」

 実の母の放蕩などあまり耳に入れたいものではない。が、そもそも今日はその母の素行も含めて聞き取りをしたいのだったと、あっと気づいて、もうそういう知らぬふりする状況ではないのだと、

「いえ、その、『やらかしてた』……つまり、男性関係ということですか?」

 と㓛刀にしては思い切ってたずねた。


 山田は目を丸くして、手を横に振った。

「いやいや、流石に最近はそんな、そんな。精々酔っ払って騒いだりとか、そんなもんだよ、大丈夫、大丈夫」

 まさか突っ込んで聞かれるとは思っていなかったとばかりの焦りようだ。

「例えば複数の男性と関係を持ったり、家庭のある人と交際したりすれば、刺されるほど恨まれることもありますよね……?」


 山田は眉を顰めて、ふうと息を吐いた。

「達矢君、英玲奈さんを殺害した犯人を探しているのかもしれないけど……少なくともボクの知っている範囲では、英玲奈さんは、人に恨まれるようなことはしていなかったと思うよ。そりゃ彼女の素行のすべてを知っているわけじゃないけれども、明るい、カラっとした人だったしさ」

「でも現に、僕の父親もどこの誰かも知れない人なんですしね」

「あー……」

 山田は困り果てたとばかりに自分の頭をさすりはじめた。


「いや、ボクは英玲奈さんが達矢君を産んだときにはすでに仕事仲間として一緒に仕事をしていたわけなんだけどね。確かにボクも、達矢君の父親が誰かは知らないよ。仕事仲間の彼氏が誰か、なんて、そんなこと例えば今みたいにばったり会う機会でもあるか、向こうから紹介してくれるのならともかく、いちいち詮索するものでもないしね。根掘り葉掘り聞いたりなんかしたら、いくら当時でも、セクハラ扱いされるよ。でも少なくとも、ボクの見ている限りは、彼女は誰彼構わず粉をかけるような人でもなかったよ。……気位が高いってのもあったけどね」

 最後は少しおどけて言ったのは、場を和ませようという山田なりの気遣いなのだろう。

「まあ、とにかくね、達矢君がそんな心配をするほど英玲奈さんはめちゃくちゃじゃなかったよ。これは出版社主催のパーティや取材旅行にも何度も同行したボクが言うことだから、ちょっとは信憑性あると思ってくれないかな? それに知っての通り強かな人だから自殺でもない。だからボクはね、やっぱり強盗なんじゃないかと思うよ。金銭目的のね。英玲奈さん、服も車もお金をかけてたから、悪いやつに目をつけられちゃったんじゃないかな」


 山田は、そろそろ次の仕事があるからと、

「じゃ、また来るよ。遺品整理とかも手伝うし、連絡ちょうだいね。千石ちゃんも、またね。あ、そうだ、千石ちゃん、どこか事務所、入ってる? どこも入ってなくて芸能界に興味があったら紹介するから。これ連絡先。じゃあね」

 とあわただしく帰っていった。


 千石は、渡された山田の名刺を胡乱な目つきで眺め、

「私はどうやらあの手合いは苦手なようだ」

 としみじみ呟いていた。

「あー、うーん」

「ああ、㓛刀、わかっている。悪い人間ではないどころか、英玲奈に対しても㓛刀に対しても親切で、世話を焼いてくれ、心配もしてくれて、その面ではきっと、いいやつなのだろう。だが私に対しては、最初から最後まで『顔』にしか興味を持たなかったな」

「それはもう、なんていうか、可愛い女の子を前にした男としては、どうしようもないと言いますか、ファーストインパクトがすごいと言いますか」

「他者を前にして終始顔面にしか言及しないのは、人間性の否定だろう」

「えーと、そこまで考えてのことじゃない、かなぁ。褒めているつもりですし、ちょっとはしゃいじゃっただけっていうか」

 山田の名誉の回復については、次回の課題としよう。


「ところで㓛刀は母親と違って金髪ではないんだな」

 千石がじっと頭のてっぺんあたりを見つめてくるので、なんとなくその辺りを両手で隠す。

「子どもの頃は茶色っぽい髪の毛でしたし、ハーフみたいってよく言われていました。けど、今は見ての通り真っ黒ですし、ハーフだなんて言われることもなくなりましたよ」

「そうか。じゃあ㓛刀の父親は日本人かな」

「……なんとなく、そうかなって思っています」

「ああ。日本への留学中に妊娠し、日本で出産し、そのままここに住み続けているのなら、相手の男は黒髪で、日本に在住している、つまり日本人と考えるのが自然ではないだろうか」

「……それって、相手の男と同じ国に住み続けることを選んだってことになりますか? もしかしたら、僕が知らないだけで、今でも母さんとは、連絡を取り合っていたってことでしょうか?」


 㓛刀は口には出さなかったが、疑惑を抱いた。

『英玲奈が㓛刀の知らない誰かに合鍵を渡していた可能性』

 これは千石が口にしたセリフだ。

 この『誰か』に、会ったことのない父親が、含まれるのではないだろうか。

 今まで一度も会うどころか名前すら聞いたこともないのは、英玲奈との間に何かしら確執やトラブルがあったからと考えるのが妥当だ。

 もうすっかり縁が途切れていると考えていたが、そうではなく、㓛刀が生まれてからの年月である二十年分もの間、『何か』の感情の積み重ねがあったとしたら、人を殺すほどの動機が存在してもおかしくはない。

 母親を殺したのは、父親なのだろうか。

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