08
見送った後、㓛刀は、渡された紙袋と封筒を見下ろした。
「やることが増えちゃったな」
そもそも今の家計がどんな状態かもわかっていないから、土佐に支払っている給金がいくらであっても、継続できるものなのかどうか㓛刀には判断できない。土佐に迷惑をかけるわけにもいかないので、いい加減腹を括って、遺品をひっくり返し、生活できるだけの金があるのかないのか、ちゃんと確認しなくてはいけない。
そういえば数橋刑事もそんなようなことを言っていた。雑に部屋に放りこんだ段ボールの中には、通帳なども含まれていたのではなかっただろうか。
「㓛刀、プレゼント、何をもらったんだ?」
「あ、そうだった」
誕生日プレゼントやらのことを失念していた。書類のことはじっくりやるとして、プレゼントはさっさと開けてしまおう。
㓛刀は食卓テーブルの上に紙袋を置き、中の小箱を取り出した。
「誕生日だけじゃなくて、記念日とか、仕事の締め切りの日だとかも、あんまり覚えてない人だったんだけどな」
記念日だけでなく、保護者会だとか参観日、親子遠足だとか、三者面談とか、そういうものに関しては本当に雑で、まともに参加してもらえたことなどほとんどなかったほどだ。そういう性質なのだろうと早々に諦めたし、大学生の今になってはもう感情はないが、子どもの頃は嫌だった。三者面談にいつまで経っても母親が来ず、放課後の教室で担任と二人きり、待ちぼうけをしたあの気まずい夕焼けの教室だとか、そういうのはもうあまり思い出したくはない。
小箱を開けると、中身は腕時計だった。
「時計?」
「うん。誕生日プレゼントとしては定番なのかな?」
㓛刀は腕時計をつける習慣はない。時間の確認もスマートフォンで済ませてしまうタイプだ。そのことは英玲奈も知っていたはずだ。
なぜこれを選んだのかはわからないが、英玲奈のことだから無駄に高級品かもしれない。何せ、通りすがりの人間のコーディネート総額を当てることを特技としていたような女だった。
見た目では㓛刀は、これが良い品なのかそうではないのかはわからない。銀色の金属のベルトに、青いフェイスの時計だ。少々ごつめのフォルムだが、デザインがとんがっているわけでもなく、ごく堅実で、機能性重視のものだ。
英玲奈が選びそうなものではない。彼女なら、流行ブランドの新作など、そういう見栄えのするものを好む。
「なんでこれを選んだのかな」
時計を取り出してみたが、見た目よりも重厚で、頑丈そうだった。あまり似合わない気がしたので嵌めずに戻した。そのうち、就職してスーツを着るようになればこういうものも必要になるかもしれない。そのときまで封印しておこうか。
「……あれ? なんだろ」
㓛刀はそのまま蓋をしようとしたが、紙箱の二重になった隙間から紙片の角が見えていることに気がついた。
時計や宝飾品などを収める紙箱は、大抵二重になっている。㓛刀は、スマートフォンの本体を購入したときにも似たような構造の箱に入っていたことを思い出した。中のものがピッタリと収まり、ガタついて傷がついたりしないように、内箱は内容物に合わせた立体的な構造になっている。
保証書か何かだろうか。紙片の端だけが見えているということは、折れ曲がって入っているということだ。気になって、内箱をそっと持ち上げた。
「……あ」
中に入っていたのは、保証書ではなく、写真だった。
今時、現像された写真など珍しい。写真はスマートフォンやPCで見ることがほとんどで、印刷するとしても、コンビニの印刷サービスや、家庭で手持ちのプリンターを使う。
カラー写真だ。色が褪せたりしていれば年季を感じたかもしれないが、鮮やかなものだ。現像された写真特有の触り心地だけが古びた懐かしさを呼び起こす。
写真には三人の人間が写っている。
一人は英玲奈だ。まだ若々しい。今の㓛刀とそれほど年齢が変わらないかもしれない。金色の髪を優雅に巻いているのは四十を過ぎた今の姿と変わらないが、化粧はまだ薄い。それに、㓛刀が見たことないほどに無邪気な笑顔だ。天真爛漫に、なんの憂いもなさそうに、幸せそうに笑っている。
この人はこんな顔もするのだと、㓛刀は初めて知った。
もう一人は㓛刀の知らない男だ。黒髪黒目で、顔の作りもごく一般的な、近所でも出歩けばよく見かけるような中年男性のものだ。体格は特徴的で、スーツを着ていても隠せないほど鍛えた体をしている。無骨な格闘家を思わせる口は堅物そうに引き結んでいるのに、目はカメラを見て僅かに瞠っている。もしかしたら、撮影されるとは思っていなかったのかもしれない。
三人目は、英玲奈の腕に抱かれた赤ん坊だ。まだ生まれて間もないようで、髪もうっすらとしている。眠っているようだ。生まれたて過ぎて、その顔が成人の誰かに似ているかどうかなんて、㓛刀にはとてもわからない。だが、
「これ、もしかして、僕、だったりする?」
状況的にはそうとしか思えない。
あの英玲奈ならば他にも子を産んでいた過去があったりするかもしれないが、そんなものを㓛刀の誕生日プレゼントに忍ばせる意味がない。
ならばこの赤ん坊は㓛刀だ。
そして、この男が、㓛刀の父親なのだろう。
㓛刀は、他にも何か入っていないだろうかと、小箱を丁寧に分解した。けれど、時計以外にはこの写真が一枚きりだった。
写真の裏を見てみたが、何か記入されていたりはしなかった。
再度写真を確認してみたが、背景は白い壁紙が写っているばかりで、場所の特定はできそうにない。
「㓛刀、これ」
千石が指差した先を見て、㓛刀も気づいた。
「この時計ですね」
男のスーツの袖から垣間見える腕時計は、今この場にあるものとよく似ているのだ。
まさかと改めて検分すると、確かに新品とは思えない、細かな傷が付いている。これはおそらく、この男から譲り受けたものなのだ。
㓛刀は男の顔を凝視する。
今まで一度も見たことがない。こんな厳しい仏頂面の男なら、幼い頃の自分が出会っていればおそらく無闇に怯えただろうし、忘れないはずだ。
㓛刀は、どう思っていいのかわからなくなった。
「母さんは、誕生日プレゼントにこれを用意して、どうするつもりだったんでしょう」
ほとんど独り言のつもりだったが、千石は首を傾げ、相当迷った末に
「まあ、㓛刀に父親の話をするつもりだったと考えるのが、妥当だろうな」
と口にした。
「英玲奈がそう思ってこれを準備していたのなら、ますます、自殺ではあり得ないだろう」
冷静な分析をする千石とは対照的に、㓛刀は混乱していた。
父のことなど顔も知らない。それで納得していたはずなのに、いざこうして写真を見て、実在を感じ、これが父親なのかと実感もわいてくると、ふつふつと腹の内が熱い。指が勝手に震えはじめた。
僕のことを捨てて、どこかで勝手に、気ままに暮らしているだろう男。
怒りとも悲しみとも、恨みともつかない、生まれたての感情が、体のうちから破裂し身を突き破ってしまいそうだった。
「この男が母さんを殺したのか?」
気がつけば口からこぼれていた。
「待て、なんでそうなる」
「だって母さんは、僕にこいつの話をしようとして、このプレゼントを用意していたんじゃないのか? それが嫌で、僕に会いたくなくって、ああそれとも、世間に隠し子がいるってバレたくなくて、それで……」
「待て、落ち着け。それはまったく筋が通っていない」
㓛刀は歯をかみしめ、口を閉じた。何か喋れば感情のままに墓穴を掘る戯言を口にしそうだったからだ。
父親が殺したのでは。
それはなんの根拠もない、㓛刀の妄想だ。
どこの誰かもわからず、今もまだ連絡を取っていたのかどうかもわからない。英玲奈を殺したいとまで思う動機だって不明だし、殺害を決行したとして、それなら出入りしたこともない㓛刀の自宅で実行する合理的な理由もない。
わかっているのに疑念がふつふつと湧いて消えないのは、少なからず憎いと、㓛刀は思ってしまっているからだ。
二十年間、㓛刀がどんな状況のときでも、放置してきた男だ。英玲奈が死んだ今になっても、顔すら見せない男だ。英玲奈がいなくなり、天涯孤独な身の上となる㓛刀を、今もまだ放ったらかしにしておくつもりなのだ。
そんな駄々っ子のような感情で、こいつが怪しいと、恨み半分で決めつけているのだ。
「すみません、神様」
「お、『千石さん』じゃなくて『神様』、か」
飄々とした千石の調子に、㓛刀はホッとした。
「千石さん。ちょっと取り乱しました」
「かまわない。神の前で取り乱す人間は多い。まあ手を合わせて祈るときまで格好つけることなどないから、大いに取り乱せばいい」
「あー、参拝のときですか?」
「そう。しれーっとした顔して手を合わせて、頭の中は取り乱しまくってる。そんなことも、よく見る光景だ。みんな、そんなもんだ」
話しているうちに少し落ち着いた㓛刀は、少々気恥ずかしくもなってきて、
「いい年して子どもみたいなことで取り乱してしまって」
と自嘲してみたが、千石はけろりと
「まあ恨んで当然だろう」
とすんなり認めた。
㓛刀はそれが意外だった。内心、ショックを受けるほどに、だ。『子どものわがまま』として黙殺してきたのがこの二十年ほどの人生だったからだ。
何せ世の中では、親に対する不満は、言ったほうが『悪』『大人気ない』と扱われるのだ。
「当然ですか」
「まあこの現状ではそうだな」
「神様が、恨んで当然と言うんですか」
「何を言うか。『綺麗な感情しか認めない』と言う偏屈は、神の中でも一部のものだけだぞ」
「そうですか」
「だがまあまずはこの男がどこのどいつか、今何をしているのかを調べねば、恨むに足るかどうかすらもわからないな」
「そうは言っても写真一枚しか手掛かりがないですしね。なにからどう調べていいものか」
㓛刀は改めて写真を見た。
この男は、いかにもクソ真面目そうな顔つきをしている。そのくせ、これまたいかにもわかりやすく女くさい英玲奈に手を出し、子供を産ませておいて、素知らぬ顔をしているのだ。
㓛刀は時計を箱にしまった。使うことはないだろう。
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