03

 㓛刀の自宅であるところのマンションの一室には、ふわふわと宙に浮かぶ少女がいる。明け方の神社で拾ってきた『神様』だ。


 室内は特に珍しいつくりではない。ありきたりな真っ白な壁紙に、ありあわせで購入したまま長年使い続けているような、洒落てもいない食事用のテーブルセット、掃き出し窓にはホームセンターで並んでいるような、既製品のカーテンがかかっている。


 ちっとも凝った内装ではないそこに、空中に、美しい少女が寝そべっている。真っ白な、大輪の菊の花のような髪の下にある小づくりの顔はまだ幼さが抜けきっていない。人形のように大きく透き通った瞳は、いつまでも見ていられそうだ。まるで宇宙から見た地球の映像を見たときの理屈のない憧憬や、遠いサバンナの雄大な夕焼けを胸を焦がして魂を奪われるような、それらに似た感動をもって見つめてしまう。

 そんな稀代の美貌を持つ少女が、不可思議な巫女服を着て、さも当たり前のように浮遊している。


 背景とはあまりにも不一致で、いまだ目の前に本当に存在しているのか確信が持てない。


 しかしそうはいっても時間が経てば少々の冷静さも取り戻す。思考力を復活させた㓛刀は、ひとまずこの少女の超常性は認めざるを得ないものの、扱いに対しては非常に困惑していた。


「神様……なんですよね?」

 㓛刀がたずねると、女は何もない空中で寝転がり頬杖をつくような姿勢のまま、

「ああ、そうだ」

 と無愛想な口調で答えた。

 宙に浮くという不可思議な力を、怠惰のために使用している。


「願いごと、叶えてくれるんですよね?」

「そう言ったはずだぞ」

「犯人を捕まえてくれるんですよね?」

「正しくは、犯人が捕まるようにする、だな」

「その差はちょっとよくわからないですが、あの、神様なら、こう、神通力みたいな力でパッと犯人がわかるとか、そういう感じですか?」


 㓛刀の想像するところの神様ならば、捜査や推理などの泥臭い作業など必要とせず、すべてお見通しで、犯人を言い当てるような、そんな存在だ。

「私は生まれたてだからな、神力はほとんどない」

 しかし、一蹴された。

「生まれたてって、あの神社の神様じゃないんですか? あの神社なら相当昔からありますよね?」


 由来ぐらいは㓛刀も知っている。神社境内に建てられている看板からの知識でしかないが、創建は確かではないものの少なくとも戦国時代より前には祀られていたらしい。その後、この土地の大名が寄進して今の神社の形になったとか。


「先代の神様は、『卒業』なさって高天原に帰られた。こっちの世界でたくさんの信者を得れば多くの神力を得る。そうすれば神格が上がって、神としては次のステージに向かうことになるんだ。先代は今朝方、無事に神体が熟して高天原にお行きなさった。私は、まあ謂わばその転生体。今朝、先代から別れて生まれたばかりの神様なんだ」

「生まれたての神様ですか。それで、『神力はほとんどない』と」

「そういうことだ。これから信仰を集めていけば神力も自ずとついてくるが、今は不本意ながら無力。オマエの母親を殺した犯人というのも、神力でぱぱっと見つけるというわけにはいかない。だからとりあえず、まずはその母親が、どういう死に方をしたのか教えてもらいたいものなんだが」


 㓛刀は少々頭を抱えた。

 見た目にはどう見ても神性溢れるお姿だ。眩く輝くような美しい女性の姿で、重力から解放されてふよふよと浮いている。

 ただし、見た目だけ。例えば遠く離れたところでも見聞きできたり、人の心を覗いたり、過去や未来を見通したり、そういった一般的に神様らしいと想像されているような力はないということだ。

 能力的には人間と大差ないのならば、犯人を見つけるといった㓛刀の願いごとは、むしろ警察のほうが役に立つのではないだろうか。警察ならば関係者への事情聴取だとか、殺人現場の遺留品を調べたりだとか、現実的な捜査ができる。被害者・当事者である㓛刀自身よりも断然に手に入る情報が多いはずなのだから。

 うっかりまるっと神様だと信じ、願いごとを叶えるという申し出をありがたく受け取ったものの、これは厄介ごとを増やしただけにならないだろうか。

 母を殺した犯人が捕まるまで。そんな、不確かな、明日にでも達成されるのかそれとも㓛刀が生きている限りなされないのか、それもわからない期間、人ならざるものと交流を持つ。それはその場の勢いで決めるには、少々早まった決断だったかもしれない。

 元来の警戒心と心配性から、㓛刀はこの事態をどうしようかと煩悶した。


 そこで㓛刀は差し当たっての危機に気がついた。

 今日、その警察が自宅にやってくる予定なのだ。すっかり忘れていた。

「あー、えっと、神様?」

 どう呼び掛けたものか悩んで、神様と呼んだが、

「なんだ?」

 と無事に返答はあった。

 けれど、とても愛くるしい見た目で、大変横柄な態度だ。

「実は今日はですね、午前中に警察が来る予定なんです」

「それは都合がいいな」

「そろそろ来る頃なんです。神様の、その姿を見られてしまうと、少々問題かと思うのですが」

 薄く発光し宙に浮く白髪金眼の美少女など、なかなか問題だろう。

「あ、他の人には神様の姿が見えないだとか、そういうことならいいんですけども」

「見えないようにもできるが、それじゃ私が警察から話が聞けないじゃないか」

「聞くんですか?」

「当たり前じゃないか。犯人を探すのだろう?」

「あー、いえ、神様が直接お話をされることもないかと思いまして」

 神様は、音もなくフローリングの床に降りる。緋色の短い袴から覗く玉子の形をした膝小僧は、太陽の光に一度も晒したこともないように白く、華奢だ。

「その服装も、何とかなりませんか」

「そう言われても、姿を自由に変えるほどの神力は今はない。何か貸してくれ」

「何か、と言われましても……」


 女性ものの服ならば母のものがあるだろうが、㓛刀はあまり気が進まなかった。

 この家では母が書斎と寝室に二部屋を使い、残り一部屋を㓛刀の自室としている。

 だが書斎も母の寝室も、警察が入った後は、㓛刀は扉を開けてもいない。理性では遺品の整理をしたほうがいいことはわかっているが、まだとてもそんな気持ちにはなれないのだ。

 それに、㓛刀の母の服の趣味は、神様に着せるには少々大人向けすぎる気がした。いかにも上等だと言わんばかりの戦闘的なオーダーメイドのスーツや、女性らしい体のラインを引き立てる深い色のワンピースドレス、ぴったりと体に貼りつき肌が透けるレースのカットソーなどは、とても似合いそうもない。それどころか、神様にそれら色気マシマシ衣料を着せるのは、何やら冒涜的ですらある。


 㓛刀が困っていると、

「オマエが今着てるやつ、そういうのはないのか」

 と神様から提案があった。

「いや、あるにはありますが……男ものですし、安物ですよ」

「おかしくないなら、それでいい」

「おかしくない、ですかね?」

「少なくとも人間が着ているものだ。今の姿よりはマシだろう」


 㓛刀はただの大学生だ。学校に通うだけだからと服装に頓着していない。

 母親からはたまに『ちゃんとした服』を買ってやると言われたが、母好みのいかにも高価で気取った服を着るのは気恥ずかしくもあって、結局そういった対外的に見栄えのする服は一着も持っていない。

 今となれば小綺麗なシャツの一枚でも買ってもらっておくべきだった。そう後悔しながらクローゼットから、なるべく色の褪せていないデニムパンツと、まだ比較的新しいチェックのシャツを取り出して渡した。


 着用した神様の姿は、近頃の流行がオーバーサイズなこともあって、想像よりは酷い状態にはならなかったが、あまりかっこのいいものでもない。

 それなのに神様は、

「うん、これで完璧だな」

 と鏡を見て満足げだ。

 神様も服装にあまり頓着なさそうだ。

 輝くばかり、実際に発光しているとばかり見えたその尊いお姿も、㓛刀のくたびれた服を着れば、少々落ち着いてしまったようだ。強く惹きつけられるオーラがあるのは変わらないが、さすがに事実光っているとは見えなくなった。

 けれど、サイズが合わな過ぎる。


「……少しだけ失礼しますね」

 仕方なく㓛刀はベルトでウエストを絞ってやった。シワだらけになって折り畳まれたウエスト周りがみっともないので、シャツを被せて隠すことにした。時代劇の将軍のように裾が長すぎるので、折りたたんでやった。

 そうやって何とか体裁を保とうと苦心しているうちに、インターホンが鳴る。連絡をくれていた刑事だ。一階のオートロックを解除し、部屋まで上がってきてもらった。


 刑事は一人でおとずれた。細身のスーツを隙なく着こなし、姿勢の良い、三十前後の年齢に見える男だ。表情に乏しく、チタンフレームのメガネのせいもあって神経質そうに見える。両手に持っているのが『警視庁』と書かれたものものしい段ボールで、そこはあまり似付かわしくない。

「あなたが担当の刑事さん?」

 きちんと両足で床の上に立った神様が、愛想の良い笑顔を満面にしたまま、㓛刀より先に刑事に声をかけた。口調や表情は、彼女なりのヨソイキなのだろう、まるで普通の少女のように、いや少々あざといほどに可愛らしく振る舞っている。


「どうも。㓛刀君、この方は?」

「あ、えーっと、友人……です」

 見た目を取り繕うことばかり気にしていてどう紹介するのかさっぱり打ち合わせをしていなかった。勝手に友人などと言ってしまったが、神様に対してあまりに馴れ馴れしいのではないか。そういえば稲荷神社の神ならば、人を祟ることもあると聞く。不敬極まりないと逆鱗に触れでもしたらどうしたらいいのか。


 㓛刀は肝を冷やしたが、神様はまったく焦る様子もなく余裕綽々で、

「初めまして。私、千石千早です」

 と自己紹介をする。

 名前、初めて聞いたんですけど?

 口には出さずに㓛刀がツッコむと、なぜかしっかり聞こえたらしい神様は

「今、考えた」

 とドヤ顔だ。得意満面だ。

 続けて、刑事のほうにはしおらしい顔を向け、

「㓛刀達矢君とは、以前からお付き合いをしていまして、結婚も考えている間柄です」

 と、勝手に作った設定を滔々と口にする。

「それもあって、今回のことは私も、とても無念を感じておりまして……。なにせ、義母になるはずだった方を亡くしてしまったことになりますから。ですから、刑事さん、お母様のことをいろいろ聞かせていただけませんか……。今日はそう思って、お待ちしていたんです。ぜひお願いします」

 神という尊いお立場で、実に堂々と嘘八百を並べていらっしゃる。


 背の高い刑事は、しばらく戸惑った顔で、㓛刀と千石の顔をしげしげと眺めた。あきらかに、不審がられている。

 しかし、それが済むと、手に持った段ボールをリビングのテーブルの上に置いて、

「まあいいか」

 と、何を考えたのか何がいいのか、そんな独り言を口に登らせた。

 それから、

「どうも。警視庁刑事部捜査一課の数橋凛太郎。㓛刀英玲奈殺害事件を担当している。よろしく」

 と、改めて千石へと自己紹介をしてくれる。

 どうやら同意を得られたようだ。


「もちろん捜査上教えられないことも多いが、事件の概要程度なら俺から説明しても問題ないだろうしな。だが先にこちらの用事を済まさせてもらうぞ。これ、こないだ借りていった英玲奈さんの私物だ。証拠品になりそうな捜査資料はまだほとんど返せないままで悪いんだが、こっちはすぐに必要そうだから先に持ってきた」

「ありがとうございます」

「一応、中身確認してもらえるかな。身分証とか、通帳、印鑑。あと保険の契約書……」

 おそらく返却の際に確認作業が必要なのだろう。㓛刀は上の空に、数橋が物品名を上げていくのを聞いていた。

 殺人事件の可能性があるからと部屋中から洗いざらいといった調子で私物を持っていったときには確認なんてなかったのだ。そんな成り行きなのに、どれが戻ってきて何がまだなのかなんて、㓛刀にはわかるはずもない。


 そういう態度は数橋には透けて見えていたのだろう、一通り終わった後に、

「まあ、そういう気にはなれないかもしれないけど、保険や役所の書類や金関係のことは、早い目にちゃんとやっておいたほうがいいぞ。手続きとかわからないなら、聞いてくれれば知っていることなら教えるし、知らなくても公的機関の担当か、相談を請け負う窓口に繋ぐぐらいはできる」

 と意外にも親身なセリフを言われてしまった。

「はい、ありがとうございます」

 そうなのだ。家族を亡くすなんて初めてのことで、親類もいないものだから、どんな手続きが必要で、何をしなければいけないのかも、㓛刀にはわからないのだ。


「それで、数橋さん」

 やらなきゃいけないだろうことは、実際は山積みなのだろう。

 けれど今の㓛刀には、目の前の通帳や書類などよりも、ずっと、頭を占めている問題がある。

 母親に包丁を突き刺したのは、誰なのか。

 何があればそんなことを、人に対してできるのか。

「実際、母さんって、殺されたんですか?」

 どうして母は死んだのか。

 わからないままあの日からずっと、現実的な処理には手をつけられないまま、ここで立ち止まっている。


 数橋は首を傾げた。

「自殺の線が消えたわけじゃないが、一応はそう見て捜査している」

「犯人の目星とか、ついていたりしますか?」

「それは、もしわかっていても言えないな。わかっていなくても言えないが」

「……そりゃ、そうですよね」

 警察が誰を疑っているのかなんて、逮捕より前に一般人たる㓛刀に情報を漏らすわけがないのだ。そう、実母が被害者であっても、警察にとっては㓛刀達矢も一般人の範疇なのだから。

「で、千石さん、事件の概要だったな。まああんまり詳しいことは話せないから、㓛刀君から聞いている話とたいして変わらないと思うぞ」

 実は㓛刀からもまだまったく事件の話はしていないのだが、そこは指摘するようなところではないので㓛刀も千石も黙ってうなずいた。

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