しばらく何も考えられなかった。どれくらい経ったか、ようやく俺は意識を取り戻した。

 上に仕切りがないおかげで、とても開放的だった。それにこの位置からなら、部屋の全てを見渡すことができる。

「これが、最上位か……」

 いつもなら目線の高さが同じだったアクションフィギュアを、ここからなら見下ろせられる。どこから拾ってきたのか、気色の悪い石やらどんぐりやらもそうだった。

 悪くないな。ただ、ざらつく足元が気に入らない。多分、しばらく掃除されていない。所々にほこりも目立つ。あたりの汚さに、何となく咳き込んだ。


「やあ、ごきげんよう」

 左隣の本だった。というより、その本しかここにはいなかった。

「随分と濡れているねぇ。これは大変だ」

 間延びした声でおじい本は言った。口元には大きなほこりが付いている。

「ゆっくり休むといい。ここは安全だからね」

「……どうも」

 おじい本は窓の外を見た。

「見えるかい。窓の外に広がっているのは、青空だ。そこに乗っかっているほこり、あれをくもと言うんだよ」

 そんなことは知っている。なにしろ、俺は十刷本だ。

「眺めていればね、じきに暗くなる、光の点がやってくる。明るくなればまた、雲がやってくる。その流れを見つめていれば、また暗くなって。そのくり返しさ」

「じゃあ、あなたはずっとここにいたのですか」

「そうだよ。ただいるだけさ」

「でも、手に取られてしおりを挟まれたり、指で中をなぞられたり」

「あぁ、遠い昔だ。懐かしいなぁ。あれは書館しょかんの頃だったかな。随分とまぁ、勉強熱心な子だった。私は指でくすぐられるのが好きだったからね」

 書館の頃、 図書館のことか? 少し疑問がわいてきた。

「どうやってここに来たんですか」

「何年もしてから、古書店に出たんだ。ちょうど年号が変わったぐらいに。同書の新参者は、三つも年号を刻まれていた。驚いたよ」

「あなたは、何刷されているのですか」

「昭和六十三年初版、平成十九年、八十九刷」

 俺は目を見ひらいた。

「どうしてあなたほどのひとが……」

「持ち主によるさ。私は親戚さんちからここへ来たからね」

 八十九刷本は唾をのんだ。

「僕も、あなたのようになれますかね」

 八十九刷本は空気を含ませながら、ふほっ、と言って笑った。

「私のようにはならんほうがいい。ごらんよ、これは髭じゃないよ?ただのほこりさ」

 そのとき、直感した。

 俺が目指していたところは、俺が目指していたところではなかったのだ。

「これまでの生涯、楽しかったですか」

「それはもう、刺激的だったよ。大変なこともたくさんあったがね。だからこそ、読まれているときは至福だった。それに女の子と一緒にふとんでおねんねしたこともあるんだよ?」

 八十九刷本は、頬を赤らめた。

「君も気張りよ。何があるかなんて誰にも分からんさ」


 そのまま八十九刷本は、こっちが夢だったかのように眠ってしまった。












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