ドアが開いた。主の母だ。いつもこれくらいの時間帯に、掃除機をかけに来る。

 丁度良い。これで、しばらくはゆっくりできる。


「あら、やだ」

 掃除機が棚にぶつかった衝撃と棚のぐらつきで、俺は落っこちてしまった。

 主母あるじははは、俺をさらに下の段に差し込んだ。向かって最左の位置だ。

 掃除を済ませた主母は、部屋を出ていった。


「勘弁してくれよ……」

「おじさん、だあれ」

 児童向けの隣本だ。

「何でもないですよ~」

 平静を取り戻せ。自分にそう言い聞かせた。

「おじさん、なんでここに来たの」

 そんなの俺がきたいぐらいだ。

「なんででしょうね~」

 上を見ながら言った。まったく、天井のしみも相変わらずだ。

「どうして」

「さあね」

「なんで、ここにいるの」

「そんな気分だからかな」

「どうして」

「気が変わったんだ」

「なんで?」

「そういう日だったの」

「どうして?」

 だんだんがみじかくなる。

「ツイてなかったんだね」

「ツイてないってなぁに」

「運がないってことだよ」

「運がないってなに」

「悪いってことだよ」

「なんで悪かったの」

 なんだ、これは。もう、辞書に聞けと言いたくなる。

 よく見れば、この子の名前『なぜ?どうして?大百科!』じゃないか。

 かの有名な有善書房出版だ。しかも、帯に推薦文まで載ってやがる。

 子どもの、なんで、なんで、には懲りごりだ。

「ねぇ、しりとりしよう?」

「しません」

「おじさんからね」

「しません」

「リンゴでもいいよ」

「……はいはい、リンゴぉ~」

 気のない返事をした。

「……ゴールデンゲートハイランドこくりつこうえん」

「は~い、”ん” ついたぁ~」

 ここぞとばかりに声を上げた。


「……ひっ……ひっ」

 百科ちゃんの目に涙が溜まる。

 やっちまった、と思った。

「うぅ~わぁ~あ」

 号泣。


 下の階の本からたちまち苦情が入る。

 なんとかして泣き止ませねばならない。

「す、すいません、はい、泣かないよー」

「うわ~」

 号泣。


 あちらこちらから苦情が入る。

「すいません、すいません、はいはいごめんねー大丈夫ですよー」


「もう、いっ、かい」

「うん、もう一回しようね~」

 次はちゃんと負けてあげようと思った。

「はい、リンゴ~」

「……ごーやちゃんぷる」

「る? る……ルーマニア」

「あい、てぃ、ばぶる」

「る? る……留守」

「……すこーる」

 なんと、『る攻め』である。なかなかやる百科だ。

 というよりも、なぜこんなに小さい子がITやら、ゴールデンゲートハイランド国立公園やら知ってるのか。

 るで始まって、んで終わる言葉……。



 そこで初めてしりとりが途切れた。

 恐るべし、有善書房。


「えーと、る……あぁ、そう、ルパン!」

 俺は、ひねり出した。

「アルセーヌ・ルパン?それとも、ルパン三世?」

「……ごめんね」

 めまいがしてきた。

 




























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