後編

 ふと目を開けると、目の前には変わらずレイがいた。

 でも、何か様子が違う。


 先ほどまでの虚ろな目の彼ではなく、そう、植物園で久々に会った時のような美しい目をしている。


「どうしたんだい、フィッシェル」

「……え?」


 よくまわりを見渡すと、そこは確かにヴェルン家の植物園で自分の服装も目の前にいる彼の服装もあの日のもの。

 そう、マリーが死んだあの日の……。


「もしかして、やっぱり驚かせたかな? 僕がいきなり好きなんて言うから」

「え? あの、その、え? 好き?」


 あの時と同じ景色、同じセリフ、同じ状況……。

 その様子にフィッシェルは頭をフル回転させて、そして彼女はレイの手を掴んで走り出した。


「フィッシェル?!」

「マリーが危ないんですっ! 急いでください!!!」


 自分には何もできないかもしれない、けれども今ならまだ間に合うかもしれない。

 彼の人生を狂わせて、そして歪ませてしまった原因であるマリーの死を回避して助けられるかもしれない。

 走りながら自分の置かれた状況を整理しつつも、もう頭の中はマリーの命を救うこと、そしてレイの心を救うことで一杯になっていた。


 森の入り口に差し掛かった瞬間に案の定、魔物の気配を感じて二人は一気に身体をこわばらせる。

 視線の先にはマリーの馬車の奥の方に魔物が勢いよく向かってきており、馬は必死に御者の命に従い、そして命の危機を感じて息を切らせながら駆けている。


「レイ様、ここは私が防御魔法で馬車を守りますので魔物をお願いできますかっ?!」

「でも、フィッシェル、君は魔力が……」

「少ないかもしれませんは、ここで親友を見逃せるほど落ちぶれてはいませんっ!!」

「わかった、頼んだ」


 防御魔法は上位魔法であり、フィッシェルの魔力では発動はできてもすぐに魔力が尽きてしまい、最悪の場合生命力を犠牲にすることもある。

 しかし、フィッシェルの中で今できることをしない理由はなかった。


(もう死なせないっ! マリーも、そしてレイ様も救いたいっ!! あんな苦しそうに私にすがるレイ様を見たくないっ!!!)


 フィッシェルが教科書でしか習ったことのない発動呪文を唱えると、彼女の周りにあたたかく、そして白く輝く魔法陣が現れる。


「フィッシェル……まさか……?」


 高等魔術も使える一級魔術師であるレイは、瞬時に気づいてしまった。

 そう、彼女こそ数百年に一度現れる防御に特化した魔術師である『守護の女神』であると──


 そんなこととはつゆ知らずに魔法陣を馬車へ向けて放ち、両手で自身の魔力を最大限込めるフィッシェル。


「お願い、マリーを守ってっ!!」


 レイは魔法陣の発動を確認すると、すぐさま冷気をふうっと魔物へと吐き出す。

 冷気は魔物にまとわりつき、そしてその足を段々鈍らせて動けなくさせる。

 間髪入れずに氷柱をつくり上げると、そのまま魔物へと解き放って、攻撃をした。


「ぐあああああああああああああーーーー」


 魔物はものすごい勢いで倒れ、そして断末魔を上げて動かなくなっていく。

 瘴気のような禍々しい煙が一瞬ふくれあがり、そしてそのまま消えていった。


「レイ様……」

「フィッシェルっ!!」


 フィッシェルは慣れない防御魔法を使って魔力が尽き、そのまま彼の腕に倒れ込む。


「フィッシェルっ! お兄様っ!!」


 マリーが傷一つない様子で馬車から降りて二人に駆け寄るが、もうフィッシェルは意識を手放していた──




◇◆◇




「フィッシェル、ほんとにありがとう」

「いいえ、あなたが無事でよかった」


 すっかり回復したフィッシェルとマリーは、無事の再会を喜び合っていた。

 すると、マリーがそういえばといった様子で人差し指を頬にあてて、斜め上を見ながら言う。


「お兄様が植物園で待ってるって言ってたわ」

「レイ様が……?」


 その言葉を聞いてフィッシェルはマリーに別れを告げて植物園へと向かおうとしたところで、マリーが声をかける。


「そうそう、フィッシェルを婚約破棄したあいつ、ジュリア様に振られたらしいわよ」

「え?」

「なんか勝手に自分のことが好きなんだーとか思い込んでジュリア様に告白して、それで鼻で笑われたらしいわ」


 フィッシェルはもう気持ちも冷めた元婚約者の行く末を聞いて、そっかとしか思わなかった。

 自分でも不思議に思ったが、もう心も痛まないし、傷つかない。

 ただの他人だ、としか思わなくなっていた。


 実際にはこの後、レイが学園に乗り込んでハエルの胸倉をつかんでフィッシェルに土下座させたのだが、それは後日のお話──




 そんな元婚約者の話を聞いた後で急ぎめに植物園に入ると、植木鉢に小さな淡いピンクの花を咲かせているのをしゃがんで覗き込んでいるレイの姿が目に入った。


「レイ様?」

「フィッシェル」


 彼はフィッシェルの訪問を笑顔で迎えると、再び目の前に咲いている淡いピンクの花に目を遣ってその花びらを愛おしそうになでる。


「これは一年に一度しか咲かないと言われている幻の花なんだ」

「そうなんですか?」

「ああ、それが今朝咲いた」


 ゆっくりとフィッシェルは花を愛でる彼に近づいていくと、彼はその気配を感じて立ち上がる。

 身長差がかなりある二人であるので、必然的にフィッシェルが見上げる形になった。


「マリーを助けてくれてありがとう」

「いいえ、私は何も。魔物を倒したのはレイ様です」

「いや、フィッシェルがいなかったら僕は制御ピアスを取って戦っていた。もしかしたら、マリーを救うこともできなかったかもしれない」


 フィッシェルの脳内にマリーを救えなかった時の惨劇の様子が思い浮かぶ。

 ふるふるとその悲劇を振り払うようにして、フィッシェルは頭を振ってそして彼を見る。


「フィッシェル」

「はい」


 少しの沈黙の後に、その言葉は紡がれた。


「僕は君が好きだ。僕の婚約者になってほしい」


 フィッシェルはその言葉をゆっくりと噛みしめ、そして目を閉じて考える。

 もう彼に悲しい思いをさせるのはまっぴら。


(だから……)


 フィッシェルは彼の手を取って、そして笑顔で言った。


「私も、レイ様のお傍にいたいです」



(今は彼に見合う魔力もないし、立派な女性でもないけれど、勉強して強くなって、彼を支えられるようになりたい)


 そんな風に思うフィッシェルは、彼に「頑張りますので、よろしくお願いします!」と伝えようとしたが、伝えられなかった。

 彼女の唇はもう、彼に塞がれてしまっていた──

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【書籍原案版】氷の魔術師様は、婚約破棄された私を愛し尽くす~バッドエンドからループして、今度こそ彼に溺愛される~ 八重 @yae_sakurairo

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