第2話

  髪の毛にうんこがついていた。鳥の糞だった。


 ほぼ真上から落とされたのだろう。真ん中から垂れ下がるように、白いドロドロとした液状と個体の混ざったものがついていた。


こいつの自慢の髪になんてことしやがるんだ。


「里運、悪い、少しだけ髪切るからな」


 風呂場に入った俺は、里運の服を脱がせて、彼女の髪を切るため、散髪用のハサミを棚から取り出した。おっちょこちょいで、すぐ泥まみれになるのは日常茶飯事。もう裸は見慣れていた。


「蒼太くん、運を――」


 里運が何か言った気がするが、まずはビニール袋で糞を取り除いていく。できるだけ広がらず、隙間に入り込まないよう丁寧に。


「よし、ひとまずは大丈夫だな」


 少しはついているだろうが、目で見て分かる程度には取り除けた。


「あとは髪を、っと」


お風呂マットに置いていたハサミを手に取り、チョキチョキと匂いがついていそうなところを切っていく。


「まってろよ、もうすぐで終わるからな」


 できるだけ丁寧に優しく、ただ時間をとられないようにスピーディに。それがこいつと付き合うため考えた唯一の方法。


「運を――」

「……? なんか言ったか? って、おいコラ、暴れるんじゃない!」


 里運がその場で手足をバタバタと動かしてくる。ふざけんな。目に入ったらどうするんだ。そう思いながらも、口には出さず、髪を切ろうとした瞬間だった。


「運を切らないで!」


 ハサミを持った手を叩かれた。


「…………」


 一瞬のことで何が起こったか分からなかったが、冷静になって、落ちたハサミをゆっくりと拾う。


「……はぁ」


 つい、ため息が出てしまう。ああ、またでたよ。こいつの悪い癖が。運を切らないでだと? ふざけるなよ。本当はこいつのために、悪いところが傷まないように、今後に響かないように切ってやりたい。


 ただこいつ、運を切ったりするとすぐ拗ねるんだよな。


 前にも同じことがあった。そのときも髪を切ったが、二日以上顔を合わせず、拗ねたままだった。彼女の家に行き、謝ってどうにか機嫌が直ったくらいだ。今回も切りすぎたりしたら拗ねるんだろうな。


「ああもう、しょうがないやつだな。できるだけ切らずにしておいてやるから、暴れるなよ」


 里運がこくんと頷いたのを目にし、切るのを再開する。これくらいでいいか。ついてしまってたところの毛先を切り終えた。里運の要求にはもちろん応えている。鏡でもついているのが見えないくらい短くではあるけどな。


「あとは洗うだけだから」


毛先を整えながらシャワーをかけていく。重要なのはついていたものが無くなること。取り除いたとは思うが、万が一に備えておく。目で見て分からないくらいにはしておきたい。


「ここはちょっと匂うな」


 匂いが残りそうと思ったところも切った。これも重要。後で何か言われたら、面倒を見切れない。そしてここからはシャンプー。シャンプーを泡立てて、1本1本で軽く洗った後は、もう一回、流して――。


「よし、終わったぞ」


 完璧だ。もうちょっとバランスを整えてやりたかったが、里運にまた「運を切らないで」と言われる可能性もある、まぁそこは良いだろう。ブルブルと首を振る、里運の攻撃を受けながら、風呂場を出て洗面台で手を洗う。チェストに入れていたバスタオルを一枚取り出し、彼女の肩に乗せた。


「あとはできるだろ? 俺は玄関で待ってるから」


 見慣れているとはいえ、見られたくないものもあるだろう。そう判断して、風呂場の扉を閉める。玄関に行こうとした瞬間、里運の声が聞こえた。


「ありがとう、蒼太くん」


 ……くそっ。少しだけドキッとしてしまった。運なんて言葉を知らなかったら、可愛かっただろうに。本当にどうしてこうなってしまったんだろうか。初めて彼女に会ってから、運命とやらに付き合わされてばかりだ。もう慣れてしまったけれど。


「……はぁ、今何時だ?」 


 玄関に着いて、スマホで時間を確認する。


「遅刻だよ」


 八時二十分。ホームルームは八時三十五分。学校までは徒歩ニ十分の距離。俺だけだったら走れば間に合う。とはいえ、


「置いていけないよな」


 彼女を一人にできなかった俺は、当然のように遅刻した。里運が風呂場から玄関に来たのは十分後だった。

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