第1章 運命って大変です
第1話
「運命だよ!」
……また始まったよ。
靴を履き、玄関を開けようとした矢先のこと、「行ってきます」と母さんに告げた瞬間にそれは起きた。いや、起きてしまったと言う方が絶対に正しい。
絶対に、だ。
もちろん声の正体は分かっている。隣に住んでいるあいつだ。
小鳥遊里運。
五年前にお隣さんになった同級生であり、「運命」とほざく運命論者。
「何回目だよ」
はぁ、と深いため息を吐く。彼女と初めて会ってから五年。中学二年生になった今でも、俺は彼女に、「運命」と叫ぶ彼女に、毎日振り回され続けている。
ある時はこんなことがあった。友達から貰った、大事なサッカーボールがいきなり爆ぜた日だ。
そのとき、あいつはなんて言ったと思う?
「運命だよ!」と「運命」と言いやがったんだ。
その日は、大会で負けて帰ってきた日だった。決勝戦までいってゴールを決め、後半の数秒でゴールを決められて、PK戦までもつれ込んでの敗北。ショックだった。一日中落ち込んだのを覚えている。そんな日に、昔の友達が大事にしていた宝物だったボールが爆ぜた。パーンッと大きな音がして、母さんがものすごい勢いで駆け上がってきていたのは言うまでもない。
そんなとき、隣に住む彼女たち家族が驚いて見に来て、いきなり目の前で告げてきたのがこれだ。まぁ、確かに運命と、不運といっても過言ではないかもしれない。ただ、大会で負けて落ち込んでるときに言うことか? 疎遠になった友人から貰ったボールが爆ぜた時にいうことか?
そんなわけがない!
もっと、アニメの幼馴染のような、心配して声をかけて、優しく抱きしめてくれてもいいじゃないか。それが「運命」? ほんと馬鹿げている。
他にもこんなことがあった。あれはもっと忘れられない。一年前、中学の入学式の日だ。
父さんと母さんと、あいつの両親と一緒に中学へ行った。それだけならよかった。本当にそれだけならな。クラス分けの紙を上級生から手渡されて、あいつはそれを見てなんて言ったと思う? もう言わなくても分かるだろう。あいつはその場で元気な声で、壇上で返事をするように「運命だよ!」と言いやがった。
隣の家に住む男の子と同じクラスになったんだ。間違いなく運命と言えるだろう。ただ、その言葉だけは、あそこで言って欲しくなかった。
その場にどれだけの生徒やその家族がいたことか。俺やあいつの両親が、どれだけ顔を真っ赤にしていたか。その後、クラスメイトになんて言われ続けたか。恥ずかしくて思い返したくもない。
他にも――と、言ったらキリがないのでやめておくが、偶然でも、必然でもあいつは、不運や幸運なことがあれば、必ずと言っていいほど「運命」と言い出す。本当に、やめてほしい。
お隣さんになってからというもの不幸でしかない。彼女の両親から、何度謝られたことか。あいつ自身はそれを知っているのか? ずっと振り回され続けているんだ、きっと知っているわけないだろう。
ただ俺も俺だ。彼女の両親から「里運をよろしくね」と言われているので、仕方なく付き合っている面はある。本当に仕方なく。
さて、話を戻そう。今日もあいつは「運命」と言った。言いやがった。学校でもない、登校直前のこの時間に、だ。つまり、今日の俺は――
「……遅刻確定か」
あいつのせいで遅刻回数を十は余裕で越えている。もちろん先生たちは、あいつの行動を知っている。それを俺が付き合ってやっているのも知っている。それでも遅刻は遅刻。反省文や補習を受けさせられているのだ。
「ふざけんなよ」
さて、今日はどんな不幸が待っているのか。扉を開けた先ではどうせ、キラキラした瞳を浮かべた、あいつが待っているんだろう。「運命」なんて叫び、運命に左右されなければ、美少女なあいつが。
「いくか」
ゆっくりと扉を開ける。そこには当然のように彼女がいた。チェック柄のスカート。半袖の制服に青いリボン、透けるような白い肌、手入れの行き届いた艶やかな黒髪。黒髪――
「運命だ――」
「運命じゃない!」
言葉を遮り、里運の腕をつかみながら告げる。そのまま家に入り、靴も脱がず、お風呂場へと直行した。見てしまった。朝から嫌なものを見せられた。これがこいつにとって運命?
大半の人は間違いなく不幸だって言うぞ。お気に入りのものだったら、泣くかもしれない。今回は髪だ。まだ許せる――いや、俺が女子だったら泣くな。それくらい、今回のものは不幸だった。
何せ今回は――
髪の毛にう○こがついていた。
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