決着
「『ブラスト』!!」
突風が吹いて、森田の横を何かの塊が通り抜ける。
黒髪の少女だ。
彼女が剣を携えて聖に向かって行くのが見える。エルフの魔法を追い風に使い、高速で剣を突き立てる。
「おっとぉ!!」
聖が身を捩って事もなげにそれを躱す。少女は地面を滑りながらも、身体を即座に反転させて追撃する。
「話はすっかり聞かせてもらったぞ、マレビト! 何をそんなに気に病んでいるのか知らないが、奴らの死は君の所為などでは断じてない!」
エルフ、エルエンドは叫ぶ。声と共に不思議な響きが辺りに広がる。安心するような、包み込まれるような暖かな音だった。
「ハッ!?」
心を蝕んでいた黒いモヤが晴れ渡っていく。視界がクリアになって、次第に冷静さを取り戻していく。
どうして俺は、奴のあんな暴論を受け入れてしまっていたのだろう。俺が殺せと命じたから、俺が彼らを殺した? 元はと言えば奴の仕業だというのに?
「そんな訳あるか! メチャクチャ言いやがってこの野郎!」
【思想統制】による思考誘導。聖は森田の心の中にある罪悪感を刺激して、増幅させたのだ。普段ならば突っぱねるような言い掛かりに近い極論すら、自然に受け入れてしまうほど心を衰弱させられたのだ。
「良かった、マレビトよ。何やら精神系の魔法をかけられていたように見受けたのでな」
「助かりましたエルエンドさん! 申し訳ない、大口を叩いておいてこの有様じゃ……」
彼女には、犯人を捕まえるので洞窟内で待っていてほしいと頼んでいたのだ。人質に取られる可能性があったため、大事をとっての措置だったが、この有様では言い訳もない。
「そんなことより、まずはアレをどうにかしよう。巨漢の盗賊を二人も倒したマレビトが手こずる程の相手ならば、彼女だけでは無理だ」
「分かりました! 出来れば、なるべく殺さずにお願いします! まだ聞きたいことがあるんです!」
エルエンドは聖の【思想統制】に対抗する力を持っている。ならば能力を封じて捕縛は可能だ。
だがエルフは、
「それは承知しかねる。こちらも命は惜しいのでな」
と、一言で切り捨てた。無論、森田の要求はこの場では非常識。相手の力量が判明していない現段階では、その願いはただ単にリスクを増やすだけである。
「……すみません。我儘を言いました。忘れてください」
森田と聖との因縁は、このエルフには全く関係がないことなのだ。彼女に対して、彼を生け取りにしろなど筋違いにも程がある要求だ。
「っし!」
森田は頬を叩いて気合いを入れ直す。こうなった以上、覚悟を決めなければならない。殺しても死なないような奴を相手にするのだ、こんな心持ちのままでは戦えない。
「囲むぞ! マレビトはそちらから行けっ!」
エルエンドの叫びと共に森田と彼女は左右に分かれて、聖を挟むように近づいていく。森田、エルエンド、それから先行している少女で三角形を作る形だ。
「『ウィンドカッター』!」
少女の剣が空を切り、エルエンドの射線から外れた瞬間、魔法が放たれる。空間が歪んで透明な何かが高速で打ち出されるのがはっきりと見える。
「よっ!」
聖はそれを、上半身を後ろに倒して回避する。空気の塊は後方の木々を薙ぎ倒して、そのまま消滅する。
「オラァッ!!」
聖が体勢を崩した隙を突いて、森田は剣を振るう。狙いは足元。大きくバランスを崩した格好の聖には、不可避の一撃だ。
そのはずだった。
聖の身体が錐揉みしながら宙に舞う。崩した体勢から無理矢理跳躍したのだ。森田の攻撃は空振り、聖は悠然と笑っている。
おかしい。
いくらなんでも身体能力が高すぎる。
いくらモルジアナの身体が身軽だとはいえ、これは人間の範疇を超えているのではないか。
黒髪の少女にしたってそうだ。いくら魔法で追い風に乗ったとはいえ、あんなに早く走ることができるのか。目測でも時速七、八十キロはあったように思えた。そのスピードをすんなり御して攻撃に転用する。果たして普通の人間にそんなことが出来るのか。
聖は三方向からくる苛烈な攻撃の波をいとも容易く捌き切っていく。殆ど同時に繰り出された三点攻撃も、死角から放たれた一撃さえ、彼の肌を傷つけることさえ叶わない。
「んー、もう飽きたなぁ」
聖がそうぽつりと呟いた。
その直後、森田の視界は一瞬で反転する。
「!? ガハッ!!」
聖が腕を振るっただけで、森田は一回転させられ数メートル吹き飛ばされたのだ。他の二人も同様に地に伏して、何が起こったのか理解できない、といったような顔をしていた。
「あ、ごめんごめん! そこまでやるつもりはなかったんだ! どうもこっちの体にはまだ慣れてなくて!」
明らかに人間の枠を軽々と超えた力を、しかし聖は歯牙にもかけずただ泰然としていた。さもそれが当然と言わんばかりに、彼の態度はあまりにも自然だった。
勝てない。
森田はようやく理解した。絶対的な彼我の差を。彼女らもそれを理解したようだ。聖を睨み付けるその瞳の中には、憎悪と、それ以上の絶望の色が見てとれた。
その様子を見て、聖はキョトンとして、
「えぇ、なんでこんなに睨まれてるの、僕? 森田君には恨まれるのは分かるけど、君達が僕にそんな感情をぶつけてくるのは違うくない?」
そんなことを
「ふざ––––っけるな!! お前が盗賊の頭だろ! お前が私たちにしたことを忘れたか!」
少女の咆哮。
「殺す! 殺す! 殺すッ!! この世にある全ての苦痛を味わわせてから、虫ケラのように殺してやるッ!! あの子たちのためにッ!!」
握られた剣を頼りによろよろと立ち上がりながら、彼女は怨嗟を叫ぶ。尋常でない憎悪。
「えー、怖! 怖すぎるんだけど! ねぇ、森田君説明してあげてよ! 僕は僕であって、盗賊の頭領じゃないってさ! 他人の罪を引き受けるほど僕はお人好しじゃないよ、森田君みたいにさぁ!」
少女は痛めた足を引き摺りながら聖へと向かっていく。誰がどう見ても満身創痍だ。森田は彼女を止めようと懸命に起き上がる。が、ダメージを受けた身体は言うことを聞かず、ただその場でそれを見ていることしか出来なかった。
「うわぁあああああああ!!」
少女の一振り。力なく放たれた一撃は、終ぞ彼に触れることはなかった。
「あー、なんて言うか、その、ご愁傷様? 僕も身に覚えのない罪で殺されるのは勘弁してもらいたいし? いや、同情はするけどさぁ。君の家族も、幼馴染も、村の全員が殺されて、さぞ辛いだろうさ。特に君のお姉さんは悲惨だよねぇ、君の目の前で大勢の男に犯されて、殴られ続けて殺されたんだろ?」
聖がゆっくりと少女に近づく。手の甲を踏み抜き、少女の手から剣を取り上げる。
「もう生きててもしょうがないでしょ? 不幸な人間には、もう幸せなんか訪れないんだよね。ここで死んでおいた方がマシだよ? 僕はとっても親切だから、殺してあげるね?」
「待て! 辞めろっ! お前の狙いは俺のはずだろっ! 殺すなら俺を殺せっ! 新治聖ぃぃいいいいい!!」
森田は体を引きずりながら叫ぶ。もう目の前で誰かが殺されるところなど、見たくはなかった。聖の握る白刃が、鈍く光る。瞬間、黒髪の少女と、かつての最愛の彼女との姿が重なって見えた。
雫。
「––––––––俺を」
聖は剣を彼女に振り下ろそうとして。
「俺を殺せぇぇぇえええ!!」
止まった。
「……ちょっと待って、僕メチャクチャ悪者みたいになってない? え待って、理解できないんだけど! ただ彼女が死にたがってるからお手伝いしてあげようとしただけじゃん! それを極悪人みたいに……、はぁ? 普通に萎えたんだけど」
あまりの突然の展開に、その場にいるもの全てが固まった。
お前が、お前がそれを言うのか。
森田は反射的にそう考えたが、言葉にはしない。どのみち聖には思考は筒抜けだが。
「僕には僕の殺しのルールがある。それを捻じ曲げてまで、どうして彼女を殺してあげなくちゃならないんだ? そうだよ、誰かのために殺すなんて、僕の美学に反する。うん、やっぱ殺さない。君達もまだ生かしておいてあげるよ。見逃してあげる。僕もこの世界でやりたい事もあるしね」
そう言うなり、聖は剣を放り投げて、踵を返して立ち去っていく。森田はただ指を咥えてそれを見守ることしか出来ない。殺さない、と宣言した聖を刺激せずに、嵐が過ぎ去るのを待つことしか許されていないのだ。
恋人の仇が、目の前から消え去ろうとしていると言うのに。
「じゃあ、またね森田君。近いうちにまた会おうねー。バイバイ」
やがて彼の姿は林の中へと見えなくなった。
森田はただそれを見送ることしかできなかった。世界で一番殺してやりたいと願った奴が目の前にいたというのに、命を捨ててでも奴を殺すと誓ったというのに、争うことすらできなかった。
「クソッ!」
森田は拳を硬い地面へと打ち付ける。
悔しかった。無力な自分が。何も出来ない自分が。
「クソォおおおおおおお!!」
死刑台から始まる異世界事件簿〜名探偵なんて小説の中だけにしかいない、所詮ファンタジーな存在です〜 髭眼鏡 @HIGEMEGANE
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