変貌

「どう言う経緯であんたが盗賊団の頭に身をやつしたのかは知らないが、女だてらに盗賊を従えるのはさぞ難儀なことだろうよ。だからあんたは、どこぞで手に入れた指輪の力で男に化けた。それで舐められることも、男共から襲われる心配もしなくて済むからな」


 森田は続ける。


「どんだけ血眼になって探しても、そりゃ変身者が見つからないわけだ。だってあんたは元々女で、元奴隷だ。だから焼印も体に捺されたものをそのまま流用できるし、傷跡の工作も完璧だった。ただ一つ、痣だけはどうしようもなかった。残念だったな、後一歩だったってのに。その一つのミスが命取りだ」


 そして女に向かって、森田は一言言い放つ。


「もう終わりにしよう。あんたを逮捕する」


「フ、フフフ、アハハハハハハ!!」


 女は笑う、諦めたように。


「あーあ、あんたのせいでこれまで積み上げてきたものが全部台無し! 盗賊団もおしまい、か。あんな奴らでも、結構気に入ってたのよ? あたしは。こんなことなら洞窟の中で無理矢理にでも殺しておけば良かった」


 頭目が捕まれば、集団は統率を失う。特にこの盗賊団は、彼女の持つ変身の能力に依るところが大きかったようだ。楽に潜入し、楽に殺し、楽に奪う。そんな集団に集まってくるのもまた、そういった類の人間だ。自堕落に慣れきった者が、それを失った時にどうなるかなど分かりきっている。


「そりゃ無理だな。お前は巨漢二人に比べりゃ数段劣る力しか持っていない。気を張っていた俺の不意を突けるだけの実力が無きゃ、俺を殺すなんて、とてもとても」


「分かってるわよ。負け惜しみよ、負け惜しみ。いいじゃない、こんな時くらい。ようやく奴隷から解放されたと思ったのに。今度はあたしが奴隷を売っ払ってやる側の人間になってやろうって、思った矢先にこれか。バッカみたい」


「すまんが、自分語りはよしてくれ。どんなに同情的な背景があろうと、あんたのやったことは赦す余地も無いんだよ」


 そう言う森田だが、その拳は硬く、強く握られている。指輪で変身していないにも関わらず、女の肌には痛々しい烙印が刻まれていた。身体中に遺された無数の傷跡も全て本物だったのだ。


 何も思わない訳ではない。

 何も感じない訳がないのだ。


 それでも。


「あんたの過去に何があろうと、それを他人に押し付けていい理由なんて、どこにもありゃしないんだよ」


 森田は綺麗事を言う。言わなければならないと思ったから。

 虐げられ、搾取された者がそこから抜け出しても、待っているのは非情な現実だけ。それに抗うために悪党に身を堕とし、他の者を搾取する。向こうの世界にも、この世界にも当たり前のように存在する悲劇。変え難い現実。


 それでも、森田は抗う。託された約束を守るため、正義の味方で居続けるために。


 女は観念したのか、その場でくずおれて、肩を震わせて涙を流す。


「ウゥッ、うぁ、ウゥアアアアァァァあああ!!」


 ああ、女の涙は反則だ。


 許されざる行いをした彼女を、俺はもう憎めないでいる。


「あ、ああ、あああああ、あああははははははははははははははははははは!!」


 突然、女の雰囲気が変わった。


「ハハ、相変わらず《》エゴイストだね、君は」


「何?」


 唐突に、女の口調が変わる。先ほどまでの諦観が滲んだ声色ではない。親しげな、馴れ馴れしいまでの砕けた響き。あまりの変貌ぶりに森田は思わず眉根を寄せた。


 それでも女は構わず続ける。


「この子の境遇を考えたら仕方ないじゃあないか、このくらいのこと。君は一元的過ぎるんだよ。セイギの味方気取りも、その歳になったら痛々しくて見てらんないよ? 森田修二君。三谷雫の呪縛はまだ解けないのかい?」


 まるで他人事のような物言い。

 以前から森田を見知ったような言動。


 三谷雫の名前。


 モルジアナが知っているはずはない。知り得るはずがないのだ。前の世界で殺された、森田の婚約者のことなど。


 知っている者が居るとすれば、森田自身と。


「おい……、テメェ、ウソだろ……、そんな、まさか!? なぁ、おい、待ってくれよ、そんなはず……」


 森田は狼狽する。一つの結論が浮かんで、あり得ないと掻き消す。信じられないのではなく、信じたくなかったのだ。


 知っている者が居るとすれば、森田自身と。


 この身体の元の持ち主だけだという事実を。


 あり得ない! 奴は死刑を免れるために自分の身体を捨てて、どこかへ消えたはずなのだ。追い詰められて、全てをかなぐり捨てて、尻尾を巻いて逃げ出した臆病者のはずだ!


 だって、ここに居るってことは、奴は俺の中にずっと居て、力を使って逃げ出すでもなく、ただ死を受け入れたことになる。


 何のために!


 死を受け入れているのならば、俺を道連れにした意味は何だ!


 あり得ない。


 こんなことはあってはならない。


「おいおい、なんだよ〜その反応! 折角再会出来たってのにリアクション薄いよー! 僕傷ついちゃうよ?」


 森田は答えない。現実を受け入れない。頭では結論を出しているのに、心が拒絶する。


 奴の存在を。


 そんな森田を見た彼は、それまで湛えていた笑みをふっと消した。


「あ、ムカついた。中の奴を殺す。全員殺す。君の所為だ。可哀想だが、女を一人ずつ君の前で殺す。三谷雫のように」


 森田の頭の中で、何かが壊れた。


「新治、聖ぃぃぃいい!!」


 森田は弾かれたように駆け出した。明確な殺意と憎悪を胸に抱えて。


「わお、凄い殺意! さっきあれだけ偉そうに説教垂れてたのと同一人物とは思えないね!」


 森田は隠し持っていた剣を振り上げた。


「他人には正道を説くくせに、自分の私怨を晴らすのには躊躇がない。やっぱり君は、最高だよ!」


「テメェが生きてちゃ! 世界に悪が蔓延る! お前は世界の平和を脅かす! だからここで殺さなくちゃなんねぇんだよ!!」


 存在するだけで死を撒き散らす。悪意を振り撒かねばいられない。そんな存在の禍根を断つには、もはや手段など選んではいられなかった。


 自身が悪に堕ちようとも。


「はぁ、仕方がないなぁ。『止まれ』」


 しかし、彼は何でもないことように力を振るった。【思想統制】による強制停止を、身体に触れることもなく。


「!?」


「何を驚く? 元々僕の力だ。僕が使うのが道理だろう? これが本来の僕の力だ! 君に貸してやった力の片鱗とは比べものにならない、神に与えられた僕の力さ!」


 さっき突然使えなくなったのも、お前の仕業か!


 口にしようとした言葉は、しかし音になることは無かった。聖の命令は既に受諾されて、口を開くことさえ叶わない。


「その通り!」


 しかし聖は森田の問いを肯定した。頭の中を覗いたのだ。


「僕が君の中から彼女の中に移ったからね。僕が居ないんじゃ使えなくなるのは当然!」


 聖は挑発するように、森田の眼前へと迫る。森田は必死に身体を動かそうと抗うが、脳からの命令はしかし身体には届かない。剣を振り上げたままの格好で、滔々と語る彼をただ見つめることしか出来なかった。


 そんな反応を見て、聖は笑みを濃くした。それから森田の耳元で囁く。


「ついでに教えといてあげよう。盗賊たちを殺し合わせたのは僕さ。君が彼らに命令を下した時、僕は彼らに殺せと命じた。正確に言うと、君が『捕らえろ』と発した言葉はね、実は『殺せ』だったのさ」


 どういう、意味だ?


 森田は聖をジロリと睨む。


「君の頭をちょっと弄らせてもらってさ? 言語野に介入して『捕える』と『殺す』の意味を君の中で入れ替えたのさ。君が捕らえろと発していると認識していても、口から出力される言葉は殺せになるようにね。あ、そういう意味じゃ、彼らを殺したのは君でもあるんだよね。どうだい? 殺人処女を喪失した感想は?」


 言葉を失う森田に構わず、聖は語る。


「これで、共犯だね?」


 そして悪戯に笑う。


 殺した?

 俺が?

 彼らを?

 俺の、命令で?


 首を刎ねられ、ぐちゃぐちゃの肉塊になった彼らの姿が脳裏に浮かぶ。さっきまで命だったものが、森田の命令一つで動かない屍へと変わり果てた。


 俺の、所為で。


 胃酸が罪の意識と共に胸の奥から迫り上がってくる。吐き出してしまって楽になろうにも、身体が動かない。溜まった酸性の液が口内を灼いていく。


 違う! 

 俺の所為じゃあない!

 奴が彼らを殺したんだ!


 いくらそう思ったところで、胸の内は黒く滲んでいく。罪悪感が、後悔の念が、己の中の核を揺るがしていく。殺せと命じた、という客観的な事実が、森田の持つ正義を粉々にしていく。


 足元から、体温が失われていく。まるで何かが追い縋るように足に絡みついているようだった。彼らの怨嗟が耳につんざいて、平衡感覚すら無くなっていく。


 ごめん、雫。

 俺は、正義の味方にはなれなかった。

 君のような正義の味方には。


 絶望が、森田を襲う。

 ただ一つ、大切な人との最期の約束さえ守れなかったのだ。


 もう、何のために生きているのか。それすら分からなくなって。


 森田は聖の目を見つめ返す。諦観と虚無に染まった瞳で。


 殺せ。

 殺してくれ。


「頼むから俺を殺してくれ!」


 ふっ、と縛り付けられていた身体が解放される。力なく膝を突き、吐瀉物と共に懇願を吐き出した。

 森田はもう、生きていく意味を無くしてしまった。支えにしていたたった一つの彼女の言葉さえ失ってしまった彼には、この世界は辛すぎた。


「やっと、折れてくれたね」


 聖は満足げに、絶望に染まる森田を見つめる。


「これでようやく––––」


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