リーマンズロック

藤咲 ぐ実

第1話

路上に座り、ギターを鳴らし歌っている青年がいる。

その目の前に、ゴミ袋を抱えた浮浪者がたたずみ歌を聞いている。

それを遠くから外国人旅行客がスマホで動画に撮っている。

その様子を、僕は仕事帰りのバスの中からぼーっと眺めていた。

バスの中だから、彼がどんな歌声でどんなことを歌っているのかは分からない。

そんなに大声を張り上げて、一体なにを伝えようとしているのだろう。

たった1人の観客は、そこから一体なにを感じ取るのだろう。

それをなぜ動画に撮るのだろう。

バスが動き出し、ふと目線を彼らから自分の足元に移したとき、そこにまっくろくろすけがいた。


正確に言えば、まっくろくろすけの人形が、落ちていた。

まっくろくろすけはそのつぶらな瞳で僕をじっとみている。

よく見ると薄汚れていて、そこを居場所にしてからしばらく経っているようだった。

きみはいつからそこにいるの?

何を伝えようとしているの?

きっとそこには何もない。

理由なんてない。

歌を歌うのも、それを聴くのも、それを撮るのも、きっと深刻な意味なんてない。

だけど僕は、そこに意味づけをしないと気が済まないのだ。

無意味なんて思いたくない。

同じことの繰り返しの毎日を、きっと意味があるものなんだと思いたい。

会社に出勤して、パソコンと何時間も向かい合い、上司に怒鳴り散らされ、取引先に頭を下げ、残業して深夜に家に帰る。食事をとる気にもならず、いつの間にか朝になって、そしてまた重い足を引きずりながらぎゅうぎゅうのバスで会社へと向かう。悲しくもないのに涙が出て来て、吐き気がするけど何も食べてないから胃液だけが込み上げてくる。

そんな毎日を、いっそのこと終わりにしてしまいたいような毎日を、無意味だなんて、絶対に思いたくない。

僕は足元のまっくろくろすけを拾い上げた。

薄汚れているそいつは、何かを僕に訴えかけているような気がした。

バスを降りて、僕は来た道を走って戻った。

歌っていた彼が、ギターをしまい込んでいるところだった。

運動不足のせいで、たった100メートルほどの距離を走っただけで喉がひゅうひゅうと鳴った。

息を整えて、僕は彼に言った。

「がんばってください」

彼は驚いたような顔を見せ、次の瞬間には笑顔になった。

目が糸のように細くなってとても可愛らしかった。

その笑顔を見て、僕は、彼の歌に、彼が路上で歌を歌うことに、意味を与えることができたかな、と思った。

ゴミ袋を抱えた浮浪者が拍手をしていた。

外国人旅行客はもういなかった。

彼は、自作のCDを僕にくれた。

買います、と言ったけれど、お金を受け取ってくれなかった。

代わりに、そのまっくろくろすけをください、と言われたのであげた。

家に帰って、CDプレーヤーでそれを再生してみた。

それは全て英語で歌われていた。

どんな意味の歌なのかは分からなかった。

バラード調のロックで、彼の力強い歌声がよく合っていた。

目を閉じて、歌に聴き入る。

きっと応援ソングなんじゃないかな、と想像してみる。

何度か、ラブ、という単語が聴こえた気がしたから、ラブソングかもしれない。

けれど僕は、この歌は応援ソングだと思う。

僕が彼に「がんばってください」と言ったように、この歌は僕に「がんばれ」と言っているのではないかな。

そんなふうに聴こえた。

歌詞カードが入っていなかったので(しかも僕は英語が全くできないので)、正確な歌詞はわからず、想像するしかなかった。


次の日の朝、僕はその歌を口ずさみながら会社に向かった。

こんな最悪な毎日にも、意味があるように思えた。

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