鏡の向こうへ

柊 撫子

第1話 はじまり

 日差しが強い土曜日のこと。

ぼくはあまりの退屈さに居間の床で寝転んでいた。

何もすることがなくて退屈で仕方ない、だけど昼寝をする気にもなれないくらい元気があり余っていた。

 友達は習い事や塾があるとかで遊べないし、宿題は昨日の内に終わらせた。持ってるゲームは大体遊び尽くしちゃってるし、今はマンガを読むような気分じゃない。

それにさっきニュースで「今日は例年より暑い真夏日」とか言ってた。外で遊んだりしたらアイスより先に溶けちゃいそう。

 だからぼくはクーラーが効いた居間の床に寝転がっている。床がちょうど良いくらいにひんやりしてて気持ちいいんだ。

 それでもぼくは退屈なまま。ため息が出る。

「なんか面白いことないかなぁ」

ぼくは声に出して願った。

 驚くような出来事とか、思いがけない出会いとか……マンガやアニメで観るようなものじゃなくていいから、ちょっとした驚きが起きてほしい。

おやつにケーキが食べられるとか、夜ご飯がからあげになるとか。そういう嬉しい驚きがあったらいいのに。

 ぼくが床でごろごろと寝転んでいると、居間におばあちゃんが入って来た。

おばあちゃんは床でだらけているぼくを見て、いつものように優しい顔をしている。

「おやまぁ。ぼくくん、退屈なの?」

ぼくが寝転んだまま何度か頷くと、おばあちゃんはおっとりとした口調で続けて言う。

「それなら、納屋にでも行ってみたらどうかしら。面白いものが見つけられるかも」

頭に浮かんだのは、この家の裏にずっとある古い小屋。ぼくよりずっと年上な雰囲気で庭に居座ってる。

ただ古いだけの小屋に面白いものがあるとは思えない。

 ぼくは起き上がって、おばあちゃんに向かって口を尖らせた。

「あんな古いだけの納屋に面白いものなんてあるの?」

するとおばあちゃんはころころ笑って答える。

「さあ、どうかしら」

そう言ってテレビをつけてソファーに座った。

テレビからはドラマの音が聞こえてくる。きっと最近ハマっているドラマを見始めたんだ。

 確か、本当は別の人が好きだけど親が決めた人と結婚するとか、本当は会っちゃダメとか言いながら何回も会ったりとか。そんな感じのドラマだったと思う。

ちゃんと見たことはないけど、わざわざ難しくて遠回りなことしている人たちばかりな気がして、ぼくはあんまり好きじゃない。

 好きでもないものを見る気にはなれないし……うーん、これからどうしよう。

また寝転ぶのもいいけど、一度起き上がっちゃったからまた寝転ぶのもめんどうだし。寝たところでこの退屈が変わるわけじゃないし。

 さっきまでしてたことなのにめんどうだと思うのは、あの納屋が気になるからなのかも。

もしかしたら本当に面白いものを見つけられるかもしれないし……とりあえず納屋に行ってみようかな。

ちょっと探索して何もなかったら、すぐ帰ってきてアイス食べようっと。

今日みたいな真夏日なら、お昼前にアイスを食べたって怒られないよね。だってこんなに暑いんだから。

 ぼくはすっと立ち上がり、そのまま真っ直ぐ玄関へ向かった。

さっきまでのだらけていたのが嘘みたいだけど、それだけぼくの好奇心が強かった証拠。自分でもちょっとだけ驚いている。

 靴を履いて、家の中全体に聞こえるくらいの声を出す。

「いってきまーす!!」

すると、居間からおばあちゃんの声が遠くに聞こえた。

あまりよく聞き取れなかったけど、たぶん「いってらっしゃい」を言ってくれたんだと思う。

 ガラガラと音を立てて引き戸を開け、ぼくは夏の暑さを実感した。

真っ青な空の高いところにある太陽がじりじりとぼくを溶かそうとしている。影を作ってくれるはずの雲なんて、大空のすみっこに追いやられている。

まるでお風呂の中みたいな外の暑さに、さっきまで部屋で涼んでいたのが嘘みたい。クーラーって偉大だ。

 頭が熱くなっていくのを感じながら、ぼくは納屋へとぼとぼ歩いた。

やっぱりこんな真夏日に外で遊ぶのは間違ってる。ちょっと外に出ただけなのにじっとりとした汗が垂れてきた。

「こんなに暑いとか……聞いてないよ」

そんな文句を呟いたところで、ぼくが感じる暑さは変わらない。

あんな高いところにある太陽だって元気いっぱいみたいだし、白い雲なんて遠くにちょこっとだけ見える。じりじりとした空気は見えないコートを着てるみたい。

頭のてっぺんで目玉焼きが焼けちゃう前に、納屋の中に入らなきゃ。

 ぼくはちょっと早歩きで納屋に向かい、古い木の引き戸に手をかける。

古いだけあって、納屋の引き戸は重くて固い。ぼくが全力を出さなきゃ動きもしない。

「ふん!うぅーーーん!!」

綱引きの決勝戦くらい精一杯の力で引いて、ようやく扉は開けられた。

こんなに暑い中で頑張ったけど、納屋に何もなかったらいやだな。

 やっと開いた納屋は薄暗くて埃っぽい。でもひんやりしてて涼しい。

おでこに流れる汗を手で拭いながら、薄暗い納屋に入った。

 どこもかしこも古いものだらけ。物はいっぱいあるけど、この中から面白いものを探すだけで一日が終わっちゃいそうだ。

 首に垂れた汗を拭って、納屋中を注意深く見渡す。

何のあてもなく探し回るなんてきっとすぐに疲れる。さっき引き戸を開けたのでかなりへとへとだし。

 足元から奥へ向けてなぞるように見渡してみると、奥の方に不思議な蒼白い光が見えた。

「なんだろう、あの光―――」

初めて見る光だけど、不思議と心地よくて。それでいて楽しくなるようで。

なぜだか、あれを目指さなきゃいけないと直感したんだ。

 物で溢れた納屋を掻き分けて、どうにか足の踏み場を見つけながら光のもとへ向かった。

あまり広くはない納屋だから、光のもとへはすぐに着いた。

蒼白い光は布のすき間から飛び出ているみたいで、時々光が薄くなったりしている。

分厚く埃被った布を掴んで、ゆっくりと捲ってみる。

「……鏡?」

布に覆われてたのは鏡だった。

鏡はぼくの身長よりずっと大きくて、金色の枠にぴったり納まってる。

蒼白い光は鏡の表面から出ているみたいで、手を近づけると少しだけ冷たく感じる。

 不思議な光を放つ鏡を前に、ぼくの好奇心は止まらなかった。

これがおばあちゃんの言ってた『面白いもの』に違いない。そう確信したんだ。


 すると、無意識のうちに手が鏡の方へ伸びていた。


 ぼくの手は確かに鏡に触っているはずなのに、何かに触れた感覚が全くない。

その代わりにぼくの指先はするすると鏡の中に吸い込まれていく。

「うわぁぁ!!」

驚きの声を上げても、ぼくの体が鏡に吸い込まれていくのは止まらない。不思議な光はすぐ目の前に迫っている。

 眩しい光を間近で見たせいで、ぼくの視界はぐらぐらと揺れる。

まるでコーヒーカップから降りた後みたいに足元までふらついた。

足に力がうまく入らなくて、そのまま床に座り込んだ。

ひんやりと冷たい床に手をついて、誰に文句を言うでもなく呟く。

「うぅ、なんなのさ……」

ぼくが呟いてすぐ後、すぐ近くに人が立っている感覚があった。

「誰?」

と、知らない誰かが声をかけてきた。納屋には誰もいなかったはずなのに。

 ぱちぱちと数回瞬きをする内に、ぼくの目ははっきりしてきた。

すっかり元通りになった時、知らない男の子が目の前に立っていた。

 ぼくがぽかんとしていると、その男の子は怪しいものでも見るような目つきをする。

雪みたいに真っ白な髪と氷みたいに明るい色の目。キレイな顔と洋服は、まるで絵本とかで見る王子様みたいな姿だ。

 こんな子が古っちい納屋にいるはずないけど、ぼくは勇気を出して聞いてみる。

「えぇっと、君はどうしてここに……ここには誰も―――」

「ここは俺の部屋だ」

「えぇ!?」

びっくりした勢いでぼくは立ち上がる。

男の子の言うことが信じられなかったけど、確かにここは納屋じゃなくなっていた。

きょろきょろと見渡してみても、さっきまで見ていたものとは違う物に囲まれていたんだ。

 真っ白い壁に青色のカーペットが敷かれた部屋、金色の飾りがついた白い家具はどれも高そう。ぼくの背後にあった鏡だって、納屋で見たあの鏡よりずっと綺麗。

窓の外に薄紫色の空が見えるけど、どうして空が青くないんだろう。

 ぼくがぼんやりと見渡してると、男の子は刺さるような視線でこう言ってきた。

「答えないなら兵士を呼ぶぞ」

「へ、兵士!?そんな、えっと、ぼくは……ぼくは怪しくなんかないよ!」

そう言いながらぼくは首と手首を勢いよく横に振る。それはもう必死に振った。

だけど男の子は信じられないみたいで、鋭い視線でぼくを睨んだ。

「そう言う奴が一番怪しい」

「誤解だよ!ぼくはこれっぽっちも怪しくないし、悪いやつじゃないよ!」

「じゃあ、お前は何者なんだ」

そう言われて、ぼくは一生懸命に今日起きたことを話した。

退屈すぎて涼しい部屋で寝転んでいたことから、外の暑さで溶けそうだったこと。固い納屋の引き戸を自力で開けたことも、埃っぽい納屋に物が溢れていることも話した。

そうして、納屋で見た不思議な鏡に触ったらここに来ていたことまで。

 全部話し終える頃には、男の子がぼくに向ける視線は刺々しくなくなっていた。

最初はあまり興味なさそうにしていたけど、段々と話すぼくと目を合わせてくれるようになったくらい。

 ぼくの話を聞き終えて、少し考える仕草をした後に訊いてきた。

「つまり、お前は違う世界からの来訪者ということか」

「らいほう?よくわかんないけど、たぶんそんな感じ!」

この男の子は少し難しい言葉を使う子みたい。同じ歳だと思ってたけど、実はちょっと年上なのかも。

 楽観的なぼくとは反対に緊張感のある顔で呟く。

「それなら母上に知られてはいけないな」

「知られたらどうなるの?」

「まず捕縛。それから尋問に実験、下手すれば解剖まで……」

ちょっと前に予想外の出来事を期待したけど、いくらなんでも痛そうなのはいやだ!死んじゃうかもしれないのはもっといやだし!!

「わかった!ぼくこの部屋から出ないよ!!」

そう言って、ぎゅっと拳を掲げて宣言してみせた。ちょっとだけ膝が震えちゃうけど、強がりだってバレないといいな。

 ぼくの仕草を見てか、男の子は小さくだけどやっと笑ってくれた。

「まぁ、ここに母上が来ることはないだろう。……俺は見放されてるから」

「そんな……」

そうして、今度は男の子がゆっくりと自分のことを語り始めた。

 ここはずっと雪が降るクリステラ王国という国で、男の子はそこの王子なんだってこと。王国はこの子のお母さんが治めていて、とても厳しい人なんだとか。

この男の子が上手く魔法を扱えなくて、お城で一番高い塔の中に押し込めてるとか。

 一通り話し終わったみたいで、溜め息を吐きながら愚痴を漏らす。

「俺が悪いんだ。王族の証である氷魔法を扱えないんだから」

「そんなことないよ、君もいつか使えるようになるよ」

否定的な冷たい言葉に、ぼくは励ましの言葉で打ち消そうとした。

それでも男の子はぼくを見て苦しそうに笑う。

「どうかな。力を制御できない俺なんか、母上はもう忘れたのかもしれない」

「そんな……」

そこまで言いかけて、ぼくは上手く言葉が出なかった。

 気まずい沈黙の中で、必死に話題を探してる内に思い出したことがある。

「……あ、えっと。ぼくら、自己紹介がまだだったね」

お互いの事情を話した後だけど、ぼくらはお互いに名乗ってもいなかった。

名前も知らないぼくに、こんな深い事情まで話して良かったのかな。

 ぼくが言葉を選んでいると、男の子が察したみたいにほしい言葉をくれた。

「俺のことは……アレスって呼んでくれ」

そう言って頬をかいている。なんだか照れくさそう。

「わかった!じゃあぼくのことは『ぼく』って呼んで」

ぼくがそう言うと、アレスは眉を曲げた。

「ふーん、変わってるな」

「そうかな。でもみんな『ぼく』って呼ぶんだ」

すると、アレスが落ち込んだように肩を落とす。

何か良くないことを言っちゃったかな。

 そのままアレスがぼそぼそと呟く。

「そうか、ぼく君は友達がいるんだな。俺とは違って……」

どうしてそんな悲しそうな顔をするのか分からないけど、アレスの考えはちょっと違うと思う。

 ぼくは自分の考えを声に出す。

「そんなこと言わないでよ、もうぼくらは友達なんだから」

そう言ったぼくを見て、アレスは目を丸くした。

「友達……俺なんかと?」

心から驚いているみたいに、でもすごく嬉しそうにも見える。

「もちろんだよ!よろしく、アレス」

「……よろしく」

ぼくが右手を差し出すと、アレスがおずおずと握り返してくれた。

 こうして握手してみて思ったんだけど、アレスの手はぼくと同じくらい温かい。住んでる場所がまるっきり違っていてもぼくらに大きな違いはないのかも。

異世界でできた初めての友達。それがアレスみたいに良いやつで良かった。

 ぼくらが握手をしていると、壁際にある背の高い柱時計が低い音を鳴らす。

まるで物凄くお腹を空かせた時みたいな音が八回鳴った。この世界では時計からこんな音がするんだ。

 それに、この時計の不思議な部分はもう一つある。

ぼくが知ってる時計は十二個の数字か形が円になってるけど、さっき鳴った柱時計には数字なんてなくて、ただ不思議な記号が書いてるだけ。

円形に並んでるのは同じだけど記号は二十四個あるし、同じ長さの針が二本ある。

 ぼくは時計を読むのを諦めて、きっと読めるだろうアレスに訊ねることにした。

「ねぇ、今って何時?」

ここに来て二人で話して、そこそこ時間が過ぎたと思う。

でも何時間経ったのかはよくわからない。

 ぼくの質問にアレスは、柱時計をちらりと見て答える。

「そうだな、黄昏の刻だから……もうすぐ夜になるだろう」

もうすぐで夜になる!?こっちに来た時はお昼前だったのに!

「やばい、そろそろ帰らなきゃ!怒られる!」

慌てて立ち上がろうとすると、アレスがぼくの服を掴んだ。

あまり強くない力だけど、振り向いて見た顔はすごく悲しそうだった。

 ぼくが声をかけるより先にアレスが訊く。

「……次はいつ来るんだ?」

「じゃあ、明日も来る。まだまだ話したりないからね!」

ぼくがそう言うと、アレスは頬を指先が軽くかいてた。

「そ、そうか。なら良いんだ」

ぼそぼそと言ってぼくから目を逸らしてる。アレスは照れ屋なのかもしれない。

会ったばかりは不愛想だったのが嘘みたいで、なんだかおかしくて笑っちゃう。

 ぼくが笑ったのを見て、アレスはムッとした顔で声を上げる。

「何が可笑おかしい!いいから早く帰れ!」

「はいはい、もう帰るよ」

もっとからかいたい気持ちもあるけど、今はすぐに帰らなきゃ。次に来る時は虫のおもちゃでも持ってこようかな。

 ぼくは鏡の前に立ち、アレスに向かって一声かけた。

「またね!」

「あぁ、またな」

控えめに手を振るアレスに見送られて、ぼくは鏡の中にもう一度飛び込んだ―――。

 ぼくの体はするすると鏡の中に吸い込まれていって、瞬き一つで納屋に戻ってこれた。鏡を通り抜けるのはあっという間みたいだ。

 さっきまであんなに豪華なお城にいたのに、今は埃っぽくて古くさい納屋にいる。嘘みたいに不思議なことだけど、実際に起きたことなんだよね。夢みたいだけど本当のことなんだ。

 すごくわくわくした気持ちのまま、ぼくはすっかり暗くなった空の下を駆けて家に帰った。

もちろん、お母さんにはいっぱい怒られた。『お昼も食べないで遅くに帰って来るなんて、どこに行ってたの!』ってね。

だからぼくはいっぱい謝った。思いつく限りいっぱいね。

そうしたらお母さんの方が先に折れてくれるって知ってるから。

 本当のことを言いたい気持ちはあったけど、きっと信じてもらえないよね。

アレスもお母さんには内緒にするって言ってたし、ぼくも黙っておこうと思う。

友達との秘密ってなんだかこそばゆいけど良いよね。


 こうして、ぼくに異世界の友達ができた。

これから先、どんなことが起きるのか。この時のぼくはまだ知らない。

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