XII.チクタク、チクタク
三日月未夜と、彼女に抱えられたラススヴィエートは、道中障害に阻まれることも無く無事にハーバート研究所の正門へと再び辿り着く。先刻とは異なり所内の敷地のどこを見ても灯りの一つもなく、元々薄暗かった曇天も陽が落ち更に暗闇を増して来ており、焦燥感を煽った。
辺りを見渡し加賀美の姿が確認出来ず待機の選択が思考を過ったが、すぐに駆け足で誰かが近付いて来る音が聴こえて来る。振り返ると加賀美の姿があった。
「加賀美さん。郷本さんの様子は?」
「七々扇博士の家で眠っている。止血を施し鎮静剤を飲ませてからは落ち着いたが、明日の朝まで保つかは本人の気力次第だ……」
加賀美は声の声に翳りが見える。予断を許さない状況であると未夜は悟った。
「島の電力は落とせたのだな。無事で何よりだ」
「加賀美さんがあのロボットを破壊してくれたお陰ですよ。銃はお返しします」
懐から取り出した拳銃の銃口を掴み差し出すと、受け取った加賀美は自らのコートに銃を戻す。そして空を見上げ、陽が落ち暗闇が訪れ始めていることに気が付き、急ぎ足でインターフォンの前に立つ。呼び出しボタンは一切の反応がなかった。
「当然か。柵を超えて入るしかないな」
「その前に念の為、と」
加賀美の提案を前に、未夜は手頃な石ころを拾って敷地内に見える外灯付近へと投げ入れる。石ころは石畳を無機質な音を立てながら転がった。恐ろしい針のアームは出て来なかった。
「止まっていますね」
「有難う。行こうか」
器用に柵を超える加賀美の手を借りながら未夜も乗り越える。研究所の正面入口の扉は厳重なシャッターで覆われていたが、電力が停止していた為か手動で持ち上げることが出来て難なく硝子のスライドドアをかち割り、二人は躊躇いなく設備へと忍び行った。
電力の供給を落とした為、当然ではあるが所内は暗闇に包まれている。加賀美は支給されているタクティカルライトを構え前方を照らし、未夜は再び起動させたラススヴィエートの端末の灯りを頼りにゆっくりと歩を進める。
「舞夜の研究室は地下一階。階段は西と東の両方にあるけれど、地下へ降りる階段があるのは西だけ」
というラススヴィエートの案内に従い、西の階段を目指す。
「これだけ真っ暗だとそれだけで恐怖だね。シャッターがなくても、もうじき夜だし変わらないか」
普段ホラージャンルのフィクションを恐れることのない未夜だが、無機質な壁や床に光源を動かした時に物体の影が伸びるだけでも身構えてしまう。探偵らしく深夜の張り込みをする時はこの様な気持ちにはならないが、孤島の人がいない研究所というシチュエーションが彼女の心に陰鬱な翳りを落としていた。
「そういうものなのね」
ラススヴィエートが興味深げに言葉を発した。
「君は怖くないの?」
「喜怒哀楽といった感情をプログラムはされてないから。学習プログラムのお陰で、人がどの様な場面で喜び、怒り、悲しみ、恐怖するかというのは理解してるわ」
未夜は珍しく機械らしい意見を飛ばすラススヴィエートに困惑した。すっかり人間の友人と話している気分だった。
改めて人にプログラムされた存在であることを認識させられるが、同時に、「舞夜を助けたい」という意思は舞夜を想う感情による行動ではないのだろうか、と疑問を覚えた。
「ラススヴィエート、君はーー」
その疑問を投げかけようとした刹那、未夜の前にゴツゴツとした男の手が視界にスライドして来る。前を往く加賀美の手だった。
「シッ。何か聴こえないか?」
「え?」
訊かれて咄嗟に耳を澄ませる。辺りを見渡すと未夜達はいつの間にか階段の目の前まで来ていた。シンと静まり返った廊下の真ん中でやがて聴こえて来たのは、階下から床や壁を這う様に届いてくる、低い唸り声だった。
「まさか、他にも人がいる?」
「……男の声の様だな。七々扇博士の声ではなさそうだが」
二人は顔を見合わせる。未夜は目線で加賀美に状況判断を委ねる事を訴え、加賀美もそれを悟り頷き、ラススヴィエートに向き直った
「ラススヴィエート。今更だが、この島の人間は皆どこに行った?」
「研究所の地下の一室」
殆ど間を置かず、いつもの調子で彼女は答える。
「その部屋は何の部屋だ?」
「…………」
それまで、砂嵐の如く消えた時以外、一度も返答を拒まなかったラススヴィエートが無表情のまま口を噤んだ。
「ラススヴィエート?」
未夜が心配そうに問いかけると、ラススヴィエートのマテリアルの瞳から光が消え失せ、途端に今まで以上に平坦な音声が流れる。
「ワード・コントロールシステム。この単語はアウトプット出来ません」
「なんだと?」
「これは……あの時とは異なるけど、また妨害されている? 『マキナ』と違って特定の名詞を口にしていないから消えてないけど、彼女自身が何か重要な名称を発しようとしたのか?」
未夜は咄嗟に状況を分析すると、加賀美も素早く納得した。
「つまり、その部屋には『マキナ』に関する何かがあるかもしれないということか」
「かもしれない」
二人は覚悟を決めて階段を降り始める。すると、ラススヴィエートのマテリアルが通常通りに戻った。
「あれ、私何か訊かれた?」
「いや、なんでもないよ。舞夜さんの研究室に行く前に、調べたい部屋があるだけさ」
「そう。気を付けてね」
マテリアルごと姿を消した時と同様、何事もなかったかの如く平然とした様子のラススヴィエートに、未夜は必要以上の事を伝えなかった。
階段を降り地下一階の踊り場に出ると、声は一層大きく聴こえた。降りてすぐの部屋の観音開きの扉が堂々と開かれていた。
加賀美はライトを持つ手と逆の手で銃を構え、壁を沿い慎重に扉の向こうをタクティカルライトで照らし覗き見る。そして光が横切る瞬間に映った光景に思わず魚の様に目を見開いた。
ライトを戻して照らされたそれを観察する。
「確かに人だ。だが……」
目の前の異様な光景は筆舌に尽くし難く、加賀美は嫌な脂汗を流す。
ライトの先では、人が電気椅子の様に無骨な椅子の上で、頭部に村で見たヘッドギアを装着していた。だがそれは、一人ではなく見える範囲で十人以上いたのである。
未夜は続く言葉を待ったが、加賀美の様子から異常な光景を察し押し黙った。
「動く人影は見えない。とにかく、入ってみよう」
加賀美は部屋へ突入する。
人が座る椅子は、妖しい儀式を彷彿とさせる円陣の形で配置され、足元を良く見ると太いケーブルが椅子から床を這い、壁を沿って天井に向かっている。更にケーブルの先を追いライトを動かすと、巨大な球体の影が突如として現れた。ケーブルは全てその巨大な球体に向かって接続されていたのだ。
「…………まさかこれも、機械なのか?」
黒光りする重厚な塊は大きさにすれば気球程度はある。材質がいかなるものなのかは想像も着かないが、ケーブルの存在が辛うじて巨大なコンピュータを想像させた。
「……村で見たヘッドギアだ。島中の人達がここに集まっていそうだけれど、一体何をしていたんだろう?」
遅れて入って来た未夜が部屋の光景を見て顔を顰める。病院の患者が着る様な服に身を包む、椅子の上に微動だにせずに座る人達を不気味に感じながらも、適当に近くの人の手を取った。
「脈がないし、呼吸もしていない。亡くなっているみたいだ」
顔の上半分はヘッドギアに覆われており表情の判別は難しく、無数の針が突き出しているそれを脱着するのも躊躇われたが、口元は少なくとも苦痛に歪んではいない。亡くなった時の状況は如何様なものなのか。未夜は想像しながらも、心の中で彼らを弔った。
「そうか……声の主はどいつだ?」
理外の存在である球体の機械からは意識を外し、加賀美は自身を導いた声の主を探す。すると、僅かに身じろぎをする人物を見つけ、咄嗟に駆け寄った。
「大丈夫ですか。話せますか?」
加賀美が問いかけると、身じろぎをする人物ーー身体付き男だーーは、うめき声を上げ続けた。顔に光を当てると、口元から涎を垂れ流しているのが見て取れた。しかし、もっと恐ろしいものが視界に飛び込んで来る。
「なっ、なんだこれは」
男の全身に光を当てると、未夜も駆け寄って来る。そして目にした男の姿に、思わず口元を抑えた。
ーーチクタク。チクタク。チクタク。チクタク。
胸、腕、腹、腿。至る部位に彫り込まれた、荒々しい四文字の疵痕。時を刻むオノマトペが、男の身に狂気を刻んでいたのだ。
「おぇ……」
引き千切る様な痛々しい裂傷は鋭利な刃物によるものではない。未夜は吐き気を堪えながら男の指を観察すると、両手全ての爪がボロボロになっているのを見た。男は自身の爪で自身の身体に文字を刻み込んだのだ。背中に一つも傷が無いのもそれが理由だろう。
加賀美は男の意識が朦朧としていると考え、眼を見て様子を確認しようとヘッドギアに手を掛ける。すると未夜はその手を抑えた。
「ダメだ、加賀美さん。取ってはいけない」
「何故だ?」
「……脳科学と脳医学の研究者。コンピュータに接続されたヘッドギア。私の推測が正しければ、彼らの脳はコンピュータへ接続されている。データの転送中に記憶媒体の接続を解除するとデータが破損する様に、今ヘッドギアを取ったら彼の脳は助からなくなるかもしれない」
「そんな、馬鹿な」
未夜の説明に、加賀美は「まさか」と思いラススヴィエートを見つめるが、「どうしたの?」と言い出しそうなラススヴィエートと目が合うと直前の出来事を思い出して言葉に詰まった。
「彼らが亡くなったのは我々が電源を落としたから、か?」
「……行こう。それを考えるのは、舞夜さんから詳細を聞いてからでも遅くはない」
震える声と放心した様子で呟く加賀美の背中を、未夜は軽く掌で叩く。彼女もまた同じ自責の年に囚われかけたが、今更引き返せない事だと思い直し、振り返ることを止めた。そして別の事を考えた。
ーー「チクタク」が意味することとは?
男の身体に刻まれた文字は、荒々しいが確かにローマ字で「チクタク」と記されていた。爪がひび割れるまで全身を傷付ける程の狂気に苛まれた原因をダイイングメッセージの様に記したのか、或いは宗教に傾倒した者が聖痕を刻む様な所業だったのか。頭の中を、時が刻まれる音が支配していたのか。『チクタク』という何かが存在しうるのか。
幾ら思考しても答えは出ないまま、やがて加賀美が重い足取りで歩き出し部屋を出ようとしていた事に気が付き、未夜は慌てて彼の後を追ったのだった。
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