XI.宵の魔術師

 加賀美が郷本を連れ施設を出た後、慎重に歩みを進めた未夜は何事もなく管制室へと辿り着く。しかし、扉が開かず僅かに焦りを見せるも、ラススヴィエートの指示に従いセルゲイの持つカードキーを回収しカードリーダーへ通すと難なく解錠された。かなりの緊張だった為に多少の肩透かしを食らった形だが、無事でいられた事に安堵し、扉を開け室内へ滑り込むと一気に脱力し壁を滑るようにして床へとへたり込んだ。


 同時に、熱に浮かされた頭が急速に冷え、一度に舞い込んで来た様々な情報が脳内のホワイトボードで整理されていく。


「……ラススヴィエート」


 未夜は暫く呼吸を整えて落ち着くと、デバイスを目の前に掲げて少女のマテリアル体に語りかけた。


「どうしたの、未夜」


 相変わらず口元は流暢に動き、瞬きこそするものの、表情は大きく変化を見せない。人間の様でもあり、矢張りどこか人ならざる様相に、未夜は漸く彼女が人工的に生み出された電子の妖精なのだと受け入れられた。


「君を創ったのは、誰だい?」


 その問いに、ラススヴィエートは目を逸らす事はなかったが、僅かに逡巡するように口を開いたかと思えば一瞬何かを言い淀み、目を伏せて言葉を選ぶ様子を見せた。


「プログラム技術に長けた、ある人物だけれど。それを知ってどうするの」


 明確な答えは返って来なかったが、『マキナ』について問いかけた時の様に姿を消すことはなかった。その事実は未夜の抱いていたある疑問を解消した。


「それなら、探偵らしく推理しよう。君はプログラム技術に長けた者、と言った。少なくともこの島ーーいや、あの研究所にいた人物ならば該当する者は少なくないだろう。しかし驚くほど“精巧な頭脳”だ。並の人間では生み出せない。そこで別の視点から可能性を見ていくと、君がマテリアルと呼ぶその姿は、舞夜の妹に似せて組み上げられたと言った。では、何故彼女の妹に似せたのか。君の存在理由をあるものに仮定した時、その答えは自ずと見えて来た」


 ラススヴィエートは特に返事をするでもなく、未夜が筋道を立てた物語を黙って聞き入っていた。


「君は、舞夜のサポートとして生み出された存在なのではないだろうか。だからこそ親しみ深い姉妹の姿を模して創られた。その『妹自身』の手によって」


「面白いわ。あなたの中で、妹さんは何者なの?」


「ラススヴィエート。実は私のスマートフォンの中にも、翻訳アプリがあるんだ。君の名前の綴りは手紙に三つの言語で記されていた。翻訳に掛けると意味は日本語でーー『夜明け』だ。面白いことに、舞夜の家である文書を見つけてね。君の名前の意味に親しい、ある名前を見たんだ。『宵』を意味する、ある魔法使いのコードネーム……『ランニィ・ヴェーチェル』」


 大仰な語り口調で告げた事実にもラススヴィエートは表情を変えず黙していたが、構わず未夜は続ける。


「ネーミングセンスというものは人により強い個性となり得る。酷似した姿、名付けのセンス、そしてあの妹に対して強い情愛を持っていそうな舞夜が、この島で妹の事を気にかけている様子が無かったこと。それはつまり妹ーー即ちウィザード級ハッカー『ランニィ・ヴェーチェル』はこの島にはおらず、遠方で研究に勤しむ舞夜の為に自らを模したサポート役を送り込んだと考えた。君の創造主は世界を股にかける天才ハッカー……違うかな?」


 目を細め、口元を釣り上げて自信満々に微笑む未夜に対し、ラススヴィエートはやがて、肩を竦めるような動作を見せた後、ポツポツと語り始める。


「マラジェッツ(素晴らしい)、未夜。あなたの推測は正しい。私は舞夜の妹、通称『ランニィ・ヴェーチェル』の手で生み出された人工知能。舞夜専用に、ランニィ・ヴェーチェル本人の性格・思考・知識をベースにインプットしたプログラムで構成されているわ」


 未夜は苦笑した。まさか都市伝説をこの様な形で実在したと証明される事になるとは、と。そして脱力した身体を奮い立たせ身を起こし、電力の制御装置と思しき機械の前へと立った。


「設備はどうすればいい。こんな物をいじった事はないからね」


「一切の干渉が行えない様に島全体の電力を一度落とすわ。手順はーー」


 ラススヴィエートの指示通り、未夜は端末を操作する。


「この事態を引き起こしたのが君でなくて良かった」


 作業を進めながら、不意にそう漏らす。無意識に口を突いて出た、心からの言葉だった。


「私にそうするメリットがある?」


「そう、ないんだよ。外部の不特定多数の私達を招いて罠に陥れる理由が。だから君の不穏な行動の原因を探りたかった」


「不穏な行動?」


 言葉の意図を察せないといった様子で、ラススヴィエートは鸚鵡返しに訊ねる。問題はこの部分だ。彼女に自覚はないが、なんらかの妨害を受けているのは明白だった。


「……ラススヴィエート。もし君がウィルスに侵されたとして、それを取り除くのはヴェーチェルにしか出来ないだろうか」


「ウィルス? 私の応答に問題があった?」


「可能性の話さ。もし君のプログラムを書き換えるとしたら、君自身に気付かれない様に行われている筈なんだ。舞夜さんを助ける為に出来る限りの事はしておきたい」


 前例を考え敢えて問題があるとは断言せず、迂遠な言い回しと舞夜の名前でお茶を濁す。


「そうね。もし不安なら、舞夜に預けてある『診断プログラム』を私に掛けるといいわ。彼女に預けてある記憶媒体をコネクタに差し込んでくれればいいから」


「え、そんなものがあるのかい」


「あるわ。どれだけ完璧なプログラムを構築しようと想定外のエラーは起こり得るし、外部からの干渉を完全に断つことは出来ない。自己メンテナンスでバックアップデータとの不整合をチェックをする事もあるけれどバックアップが壊れてしまうこともあるの。だから外部に回復手段を残してるわ」


 それは未夜にとって予想外で僥倖な答えである。連絡が取れるかどうか不明なランニィ・ヴェーチェルに頼らずとも『マキナ』による干渉を取り除くことが出来る希望が見えた。


「それなら舞夜の下へ辿り着いたら、君にその診断プログラムを掛けたい。構わないかな?」


「ええ。未夜、私はあなたの事を信頼する。それであなたが『真実』に到達して全てを解決出来るのであれば、気の済むように行動して」


「おや、随分と買ってくれるね」


「そうね。私は賢い人が好きなの」


 まさか人生で人工知能に好かれる日が来るとは、と未夜は奇妙な感慨深さを覚えた。


「それはどうも。ところで、あとはこれを押すだけで電力が落ちるけど、君はあとどれだけ稼働できるのかな?」


「演算結果では、移動中の稼働を抑えれば約十時間程度」


「それは凄い。消費も激しそうなものなのに」


「端末も特別製なのよ」


 変わらぬ表情とは裏腹にどこか誇らしげな様子のラススヴィエートに微笑み、未夜は電力の供給を止める為の決定キーに指を置いた。


「それでは……」


 キーが沈み、メカニカルで小気味の良い音が響くと同時、窓もなく一片の光も差し込まない部屋が闇に落ち、ラススヴィエートの端末から溢れる青白い光のみが煌々と輝く空間となる。


「よし。これで研究所の中へ入れる」


「ええ。急ぎましょう」


 二人は互いに頷き合い、加賀美から預かった拳銃を構えつつ、急ぎ足で施設を後にするのだった。

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