Ⅹ.凶弾

 セルゲイの家を後にした一行は、『電力の節約の為』と電源を落とし姿を消したラススヴィエートのデバイスを身に付け、島の電力設備へと向かった。


「……『デウス・エクス・マキナ』」


 歩みを進める中で、不意に未夜が呟いた。


「なんだって?」


「『デウス・エクス・マキナ』。ラテン語で『機械仕掛けの神』を意味する言葉で古代ギリシャの演劇を発祥とし、現代にまで引き継がれる演出方法の一つを指すんだ。風呂敷を畳まず、ぶちまける様な荒唐無稽な解決方法で結末を良くそう呼ぶね」


「聞いたことはある。そうか、『マキナ』の正体か」


 未夜の言わんとしていることを鋭く察した加賀美が確認する様に言葉を返した。


「そう。あくまで由来だろうけれど、今ある情報を組み立てていくとラススヴィエート同様にマキナも人ではなく機械ーー人工知能ではないだろうか? 島や設備を単独で支配下に置くなんて所業も、ラススヴィエートと同等以上の精度を持つ人工知能とネットワークがあれば可能だからね」


「眠っているというのも、メンテナンスの為にプログラムを休眠状態にさせていると取れるな」


 未夜の推理は傍から見たら現実味のない空想だろう。しかしイリア島で見て来た事実を元にした場合、それはかなり真実味のある推理に聴こえた。


「てことは『マキナ』と発するとラススヴィエートが答えないのは……」


「マキナによる干渉を受けているのかも知れない」


 加賀美達も納得出来る論旨であるが疑問は残った。


「だが、眠っている筈だろう。それにラススヴィエートが接続されていたのは、そこだけで完結しているセルゲイ邸のネットワークだ。実際にはイリア島内のネットワークは繋がっているということか?」


「推測の域を出ないけれど、逃走前に既に干渉を受けていたと私は考えているよ」


 加賀美と郷本が首を傾げるのを見て、未夜は自身の頭の中で描いている、自身が持つコンピュータの知識を最大限可動させた図面を口頭でアウトプットする。


「例えば、私達が使っているコンピュータがインターネット上でウィルスに感染したとして、ネットとの接続を切ってもコンピュータ上には残るでしょう。そして駆除しない限りは、動作を重くしたり、ネットに再び接続した時に侵入する為の経路を残したり、入力されたクレジットカードの情報を抜き取ったりする」


「つまり、ラススヴィエートはウィルスに感染している?」


 未夜は頷く。『マキナ』が人類にとって悪意のある人工知能であると仮定した突拍子のない可能性を前提とした推論ではあるが、自信のある仮設であった。


「それをウィルスと呼ぶのかは知らないけれどそれに近いもの……『マキナ』という単語に対して自動的に妨害するプログラムがラススヴィエートに組み込まれているのかもしれない」


「機械が自らプログラムを組んで別の機械を侵食するってか。恐ろしいとかそんな度合いの話じゃねぇ、機械に人間が支配される社会も遠くない未来に思えてくる」


 映画やドラマの世界だ。フィクションで溢れかえる世界に育ち、なおかつ科学技術が短い期間で大躍進をしていたからこそ受け入れられる事実。誰もが心の何処かで、スペース・ファンタジーは遠くない未来の世界であると考えているのだ。


「あくまで仮設だけど、もし正しければ彼女も助ける必要がある。だから共有しておきたかった。ラススヴィエートが起動している時に話すと、またアナログテレビの様に砂嵐になってしまうからね」


「助ける……ワクチンでも作るのか」


「そういうこと」


 冗談めかして言い放った加賀美は、小気味良く指を鳴らして肯定する未夜に呆気に取られた。


「ラススヴィエートやマキナが人工知能なのだとしたら製作者がいる。プログラム技術に長けた人物だ。所長のセルゲイ氏は脳神経医学者と言っていたから除外した場合、今この島にいるのが確実で、機械系の技術に長けていそうなのは……」


「七々扇博士か。しかし人工知能は脳科学の分野か?」


「あれ? 実は脳科学者のお仕事については全然詳しくなかったり」


「締まらんねぇ」


 未夜達が互いに小さく笑い合うと、未夜の肩掛け鞄から淡い光が漏れ出す。それはラススヴィエートがインストールされたデバイスが起動した合図だ。素早く気が付いた未夜はデバイスを取り出した。


「ラススヴィエート。丁度良かった、今施設の目の前にいるよ」


 どちらが前面でどちらが背面か判らず上下を入れ替えたりしていると、中空にラススヴィエートのマテリアルが浮かび上がった。


 ラススヴィエートが見易い様に、中規模の電気設備に向けてデバイスを掲げる。立体映像である彼女がどの様にして周囲をしているのかは不明だったが、マテリアル体が振り返ってコンクリートの塔を眺めているのを見る限り意味はあった様だ。


「演算通りね。これくらいで移動すると思ってたわ、未夜」


 誇らしげな表情を浮かべるラススヴィエートの様子に、セルゲイの邸宅で起きた様なおかしなところはない。自己紹介を済ませてから少々親しみを感じる接し方になった程度だ。『マキナ』に携わる考察を繰り広げていた未夜はホッとその豊満な胸を撫で下ろした。


「私達はどうすればいい?」


「裏口から入ってもらえれば管制室へ直行する通路があるわ。裏口の扉まで回ってもらえる?」


 未夜達は頷き、ラススヴィエートが指差ししながら誘導する場所まで向かう。すると、開かれたままのフェンスがあり、フェンスの内側には建物へ続く鉄扉があった。


 扉に手を掛けると、抵抗なく蝶番が軋む音と共に開かれる。


「鍵は掛かっていないね。セルゲイ氏が開けたのだろうか」


「きっとそうね。この扉は電子ロックだから、解除したまま施錠していないのであれば彼が中にいるということになる。勿論、電力を落としていたのであればそもそも施錠出来ないけれど、通電してる様子だしね」


「……一ヶ月も、か?」


 一ヶ月の間ここにセルゲイがいるという事実は即ち、最悪の状態を想像させる。


「安否を決めつけるのはまだ早い。とにかく入ろう」


 加賀美が未夜に代わり扉を開き先行する。薄暗い蛍光灯に照らされる無機質な通路を注意深く観察し、異常がないことを確認すると二人を招き寄せた。


「管制室はどの部屋だ?」


「真っ直ぐ行った奥を左、その更に奥を右に行って突き当たりにある扉の部屋。気をつけて。セルゲイが戻ってない事を考えると危険が無いとは言えない」


 加賀美は頷き、コートの内側に手を伸ばすとそこに収納していた一挺のオートマティック拳銃を取り出す。口径の小さい九ミリ拳銃だ。


「持っていたのですね」


「ああ。何があるか予想も着かなかったからな」


 安全装置を外しスライドを引くと、銃を構えながら移動を開始する。続く二人も自然と緊張に身を引き締める。設備の稼働音より大きな音を立てない様、静かな足取りで耳を済ませ通路を進む。そして一つ目の丁字に到着し左右の通路を確認すると、加賀美は「あれは」と声を上げた。


「加賀美さん?」


「三日月さん、ラススヴィエートを」


 問いかける未夜に答えるより先に加賀美は彼女へ指示を出すと、素直に従ってデバイスを通路の先へ差し出した。 


「見えるか? 通路の奥で倒れている男がいる」


「……セルゲイよ」


 加賀美が「やはりか」と呟く。


「やっぱりいたんだね。様子は?」


「壁に寄りかかり微動だにしていない。遠目にも判るほど白衣が広く変色しているところを見ると恐らくは……」


 一般人である二人のことを慮りその先を口にはしなかったが、察した未夜は悲しげな顔で目を伏せ、郷本は苦い顔で舌打ちをした。


「私が様子を見て来る。二人はここに」


 未夜達が返事をするより早く、加賀美は通路の先にいるセルゲイの下へ素早く慎重に駆け寄り、彼の周囲に危険が無い事を確認するとその身体を観察し始める。容態は火を見るより明らかだった。


 酷い鉄の匂いに胸元から腹部にかけて黒く変色した白衣、床にも同様に液体が凝固した痕跡。激しい出血の末、命を落としたことが誰の目にも見て取れる。口元から血液を流した痕を見て内蔵を傷付けられた事を察した加賀美は、白衣の内側を見た。


「……銃創だと?」


 セルゲイの傷は銃弾によるものであることを自衛官である加賀美は理解する。咄嗟に付近の壁面を見やると、幾つもの弾痕がある。小口径の拳銃で穿たれたものではない、もっと連射力があり破壊力のある火器だ。ここにはがいるということだった。


 一度引き返そうとする加賀美は、ラススヴィエートと何かを話す未夜達の後方に見慣れない機械を捉え、その粗悪なキャタピラを大きく震わせながら彼女達に迫る鉄の分銅が持つに驚愕し目を見開き力強く叫んだ。


「後ろだっ!」


 突如届いた大声に「え?」と抜けた声と共に顔を上げる未夜に対し、郷本は弾かれる様に後ろを見た。すると、丁字路の奥から迫る存在を目にし咄嗟に身体が動いた。


「嬢ちゃん!」


「きゃあっ」


 郷本が未夜を抱えるように飛び退くと同時、分銅型の機械の砲身が火を吹く。そこから轟音と共に繰り出される凶弾が集中豪雨の様に郷本の背中へと浴びせられ、彼の背に血しぶきが舞い、未夜は目を見開きながら何が起きたのかを察した。


 二人は来た道を戻る様に通路へ倒れ込む。そのお陰で射線が開け、身を深く伏せていた加賀美が手元の拳銃を機械に向けて何度も発砲した。機械が加賀美の姿を捉えたのか再び射撃を行おうとモーター音を立てるが、射撃が行われる直前に加賀美の弾丸が砲身とキャタピラに吸い込まれた。分銅型の機械は衝撃で横倒しになり、折れた砲身から射撃を行おうとし弾丸が詰まり、激しい破裂音を立てながら自らの砲身を砕いた。


 安全を確保した事で素早く倒れる二人の下へ駆け寄る加賀美だが、未夜の上に重なるようにして倒れる郷本の背中を見て息を呑んだ。


「郷本さん……」


 思わず名を呟いた加賀美の声に導かれる様に、郷本は身体を震わせゆっくりと上体を起こそうとし、しかし体勢保てず今度は仰向けに倒れ込む。開放された未夜は起き上がるとすぐに郷本の顔を心配そうに覗き込んだ。幸いな事に、郷本が身を挺した事で未夜には掠り傷程度の傷しか無かった。


「郷本さん! 私を庇って、そんな……なんて怪我を!」


「仰向けはまずい、血が流れる。うつ伏せにするんだ!」


 加賀美の声に未夜は素早く指示に従い郷本の身体をうつ伏せにする。コートを剥ぎ取るとシャツ一面が血液に晒されるほど酷い出血で、傷の状態を急いで確認する為にシャツを容赦なく破り去り、加賀美は頭部から順番にどれだけの銃創があるかを確認した。そして、ゆっくりと溜め息を漏らし破ったシャツを加工し始めた。


「加賀美さん、郷本さんの容態は!」


「少し距離があったのと射撃精度が低かったのか、銃創自体は多くない。内蔵も避けている様子だ。急いで止血の処置をすればまだ助かるが、ここに道具がない。村に戻って止血だけでも済ませなければ」


「捨て、置きな。加賀美さん」


 うつ伏せに、腕を力なく伸ばす郷本が呻き声と共に言った。


「良かった、意識があるのか。そのまま気を強く保ってくれ、郷本さん」


「いい、って。それより嬢ちゃん、怪我、ないか?」


「はい。郷本さんのお陰で……私が呆けていた所為で貴方が」


「そりゃ、普通のことさ。たまたま、俺が素早く動けただけでよ」


 郷本の焦点は、二人のどちらにも合っておらず意識が朦朧としていることが見て取れた。その様子に加賀美は焦りを覚えながら、郷本の身体をゆっくりと抱きかかえた。


「すまない、痛くても我慢してくれ」


「……置いてけってのに」


 言葉とは裏腹に抵抗する力さえ残っていないことが、振り子の様にだらりと降ろされた両腕から伺えた。


「一度村に戻ろう」


 加賀美は未夜に同意を求めるが、未夜は黙って成り行きを見守っていたラススヴィエートに向かって声を掛ける。


「ラススヴィエート。あれは例の眠っているやつの妨害だろうか?」


「恐らく。眠っている間は防衛システムを直接可動出来ないから、自立型の兵器を放っておいたのだと思う。ごめんなさい、私のデータでは想定出来ない可能性だった」


 ラススヴィエートはいつもの表情で、平坦な声音で答えた。


「そういうことか。セルゲイを襲った銃創はもっと正確かつ凶暴な兵器によるものだと思われたが、あの自立型砲台は粗末な銃撃だった。防衛システムは別にあるのか」


 セルゲイの遺体はもっと激しい損傷があった事を思い返して加賀美は言う。ラススヴィエートはそれを肯定する様に「ええ」と答えた。


「……加賀美さん、貴方は戻って郷本さんの手当を。私はこのまま、ラススヴィエートと電力を止めて来る」


「正気か? まだあれが潜んでいないとは限らないぞ」


 倒れ伏したままキャタピラを密かに回転させていた機械を指差す。


「ええ。しかし、逆を言えば今は沈黙している。今進んでも、後から戻って来ても対して危険度は変わらないさ」


 未夜は鋭い瞳で機械を睨んだ。それは、自らの愚かさと郷本の命を脅かした凶弾に対する怒りによるものだった。加賀美は彼女の意思を理解し、引き止めることを諦めることにした。


「そうだな。先にも言ったが時間があるわけではない。急げるなら急いだ方がいい」


 加賀美は右手に持ったままだった拳銃を未夜に向けて差し出す。未夜は思わず苦笑いを漏らした。


「冗談でしょう。民間人ですよ?」


「緊急避難だ。使い方はーー」


「いえ、この銃なら知ってます。ドラマ知識だけれどね」


 互いに急いでいること理解している未夜は強くは拒否せず拳銃を受け取り、コートの内側に締まった。


「ここを出たら研究所へ向かってくれ。私も郷本さんの手当を終えたらすぐに向かう」


「ええ。お気をつけて」


 加賀美は頷くと、郷本を振り落とさない程度に駆け出す。その時、郷本の胸元から床に何かが滑り落ちた。加賀美は気が付かず、止める間もなく走り去ってしまった為、未夜はそれを拾い上げた。


「郷本さんのボイスレコーダーだ」


 金色の装飾が施されたペン型のボイスレコーダーを見つめ、郷本の仕事が真実の記録であった事を思い出し、強く握り込んだ。彼の仕事を引き継ごうという意志の現れだった。


 加賀美達を見送った未夜は施設の奥へ進む為に歩み出す。そしてセルゲイの前で足を止めると、静かに黙祷を捧げるのであった。

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