Ⅷ.電脳の海に佇む妖精
舞夜が所長だと説明した人物ーー『セルゲイ』の本名は『セルゲイ・ヴェルシーニナ』という。未夜達は他の家屋と異なり表札が立てられていた村で最も大きな屋敷を前にしてその名を知る。キリル文字を用いフルネームで記されていた名前を翻訳に当てると読み方が表示され、初めてセルゲイの綴りを目にしたのである。
背の高い鉄格子の門扉は施錠されておらず、あっさりと彼らを受け入れる。敷地内に足を踏み入れてすぐに、未夜はあることに気が付き歩みを止めた。白い絨毯が音を包み込む世界に心地良い河川のせせらぎが聴こえ音のする方へ目を向けると、敷地の堀の内側を小川が緩やかに通っており、下流へ向かって視線を動かすと、堀の下を潜り外へ向かっていることが判った。
「三日月さん?」
呼び掛ける声に振り返ると、加賀美が屋敷の扉に手を掛けていた。河川に気を取られいつの間にか距離が空いていたのだ。
未夜は「失礼」と返し、加賀美達の下へ向かった。
「ノックもインターフォンも反応がないが、ラススヴィエートがいる可能性が高い以上は踏み込まないわけにはいかないな」
「もう何軒も土足で踏み込んでますし、今更でさ」
加賀美と郷本が扉を開け先に屋敷へ踏み入り、続く形で未夜も踏み込んだ。他の建物と異なり、玄関口の先は六畳程度の玄関ホールだった。
華美な装飾はないものの、美しい風景画や味のある古びた骨董品で彩られた部屋からは五つの部屋に繋がる扉があった。加賀美が早々に入って正面の扉をノックするが、数秒待って返事が無かった為にそのまま扉を開けた部屋はダイニングキッチンで人の姿は見受けられず、左手の扉を郷本が観察していたが、シャワールームとお手洗いであること確認すると開けるのを躊躇った。
自然と流れで未夜は右手の部屋を確認する。片方は寝室であり人の姿がないのを確認すると残された扉をノックして殆ど間を置かずに扉を押し込んだ。すると、家の中とは思えない、外と同じ冷気が肌を貫いた。
「窓が割れている……?」
複数枚ある小洒落た出窓が、どれも無残に、食べ滓の如く硝子片を撒き散らし砕け散っていた。
即座に人の姿がないか部屋中を隈なく探すも、家主の執務室と応接室を兼ねた様な部屋には人が入り込める場所は執務デスクの裏か応接セットのテーブルの真下しかなく、人影は見受けられない。妙なのは、空っぽの棚が一つあることだけだ。
硝子で傷つけない様に窓の外を覗くと目の前に外で見かけた河川があるが、人が雪を踏み荒らした痕跡はなかった。
少しの間を置いて、加賀美と郷本が未夜に続き部屋に入り、当然のことながら割れた窓に意識が向いた。
「なんだなんだ、バイクで爆走しながらバットで窓を叩き割ったやつでもいんのか?」
「古いね。でも、不良はともかくラススヴィエートはここに居たみたいだ」
未夜は何も並べられていない奇妙な棚の足元に屈み込み、絨毯を見つめて言った。絨毯は一部分が大きく変色していた。
「何故わかる?」
加賀美の疑問に、未夜は窓の外を指差した。示す先には、雪に埋もれほんの僅かに先端を覗かせる何かが三つあった。
「あれは、コルク栓に硝子……ということは、ボトルか? 何故あんなところに」
「河川だよ。ラススヴィエートはここから、海へ流す為のボトルメールを投げて河川に放り込もうとしたのだろう。狙いが逸れ、河川に落ちなかったボトルが雪に埋もれ、あの様な状態になっているんだと思う。ボトルが並んでいたと思しき棚は空っぽだし、足元の絨毯には染みが大きく広がっている。中身を捨てて手紙を詰めた痕跡だ。外のボトルを拾ってみて中身を見てみれば、きっと同じ内容の筈だ」
「投げ入れるって、なんだってそんな手間の掛かることしたんだ。別に自らの手で海に流せばいいだろうに」
郷本の疑問はもっともで、未夜もその理由を考えていた。投げる以外の動作に制限が掛かっている状態だったと仮定して、どの様な経緯を経てそこに至るのかの方程式が導けていなかった。
加賀美はここまでの同行の中で未夜の洞察力を高く評価しつつあり、思考する役割は未夜に任せ、自らは身体を動かし調査を進めようと方針を定めることにした。彼女が割れた窓の原因について考えを巡らせている内に、部屋の中にラススヴィエートやセルゲイの残した情報がないかを探し始めた。すると、いの一番に目に付いたのは執務デスク上に置かれた機械の板ーー即ち『タブレット端末』だった。
タブレット端末は市場に出回っている物と大きくデザインが異なる。どこの面を見ても電源スイッチや音量調節が存在せず、端末の前面及び背面共にサファイアの如く碧く透き通っている。底部の充電用の端子とスピーカー部が辛うじて量産品と同じデザインをしていた。
加賀美は何度か前面と背面に指先で触れた。二、三度連続して叩くと、不意に端末全体が光を発し、幾重にもキューブが折り重なった映像が浮かび上がる。起動したのかと思っていると、更に端末から流暢でありながらどこか機械的な音声が流れ始めた。
「ゴートゥ・システム・ブート・シークエンス。サクセス。ビルド・マテリアル。サクセス。システムナンバー『フォー・ワン・エイト』ーー『ラススヴィエート』、スタート」
「ラススヴィエート?」
部屋中に響く独特な英語の音声に、未夜と郷本も振り返る。同時に、加賀美が持つ端末の上に三十センチから四十センチ程度の縮尺された人の姿が浮かび上がった。
「ホログラム映像……!」
「訂正。疑似ホログラム、よ」
先刻の英語音声とは異なり、流暢な日本語の音声が端末から聴こえて来る。音声に合わせて、中空に浮かび上がった映像の人物の口元が動いていた。
映像に映ったのは女性だ。黒く長い、癖の強い髪にエメラルドの瞳を持つ、気怠げな表情で加賀美を見返す細身の女性。白に緑のグラデーションが掛かったローブにショートパンツとブーツ、右手には先端に赤い宝石が収められた杖を持っており、掌に乗るサイズと浮かび上がる映像のせいかまるで西洋神話の妖精に見えた。
端末から照らされた光の舞台に浮遊する彼女は周囲を見渡す。そして三人の姿を確認すると穏やかな笑顔を浮かべた。
「全員、日本人かな。演算結果通り、手紙は殆ど日本へ到着したのね」
未夜達は思わず女性の映像を凝視する。この、人の姿でありながらどこか人間離れした存在感のある人物は何者なのか。何故、映像の彼女がこの場にいる三人の姿を認識出来るのか。あまりにも疑問が多かった。
「お前は、誰だ? どこから我々を観察している?」
戸惑いながらも加賀美は訊ねる。すると女性は「失礼」と小さく会釈した。
「私は『自立学習型AI・Code.418』ーープログラム・ネーム『ラススヴィエート』。貴方達を島へ招いた存在よ」
漸く、未夜達は理解する。この仕事に今までの常識は通用しない。自分達は日常を超越した世界へ足を踏み入れていたのだと。
依頼主は、人間ではなかったのであった。
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