Ⅵ.孤独な脳科学者
家屋が立ち並ぶ集落を後にして無機質な鉄と石の建物を目指すと、程なくして輪郭のみであったそれが姿を現す。身長の二倍以上はある重厚な門扉の隙間から見える、集落の広さの半分程度の敷地を惜しげもなく使う研究者達の無骨な要塞からは、村の建物と同様に灯りがまるで漏れていなかった。否、ただ灯りが漏れていないだけではない。窓硝子全てに堅牢な黒塗りのシャッターが降りているのである。
「なんだこりゃ」
郷本が眉根を寄せて訝しむのも当然な筆舌に尽くしがたい異様さである。
「防火訓練、という感じではなさそう。島の外壁といい厳重過ぎるよね」
「情報の秘匿の為か? 歩いた距離を考えると、ポートアイランド以上の広さはある大きな人工島だ。今まで一度も人目に付かなかったとは思えんが、どこまで徹底した情報統制が行われているのか予想も出来ん」
島の大小は世界を見れば様々だが、こと人工となればこの島は決して小さくない。建設の過程も情報の秘匿手段も、この場にいる誰にも想像の付かなかった。
「研究所のシャッターは情報漏洩を狙ったものではないと思う。この島に住む者は全員研究の関係者であると考えた方が自然だし、その彼らに対して情報を秘匿する理由はない」
「すると、あれは何の為に建物を覆っている? この門や外壁も明らかに外からの侵入を防ぐ為のものだろ」
郷本は漆黒の門の支柱を叩く。どの様な素材を用いているかは想像に難いが、とにかく頑丈で金槌どころか金属加工用の鋸でも傷が付くとは思えず、実際、叩いた手の方が強い衝撃を味わい苦悶した。
「さて。私にも判らないし訊いてみる方が早いね」
「誰にだ?」
未夜は滑らかな動きで外壁の一部を指差す。示す先には外壁の色と同化している何かが突出していた。
「インターフォンか」
「ああ、そういうこと……」
加賀美と郷本は外観の異様さにとらわれ、当たり前の存在を見逃していた。
加賀美が呼び出しボタンを押すとチープな機械音が鳴り響き、暫く無音の間が続いた。返事がないと諦めもう一度呼び出しボタンを押そうとした時、スピーカーからノイズ混じりの声が聴こえて来た。
「誰?」
女性の声だ。驚きと恐れの交じる声に感じ取れるそれは、第一声で来訪者へと問いかける。指を伸ばし硬直する加賀美が返答に悩むと、未夜が素早く傍らに立ちインターフォンへと顔を近付けた。
「突然の来訪をお許しください。私立探偵の三日月未夜です。それから知人が二人。人を探してやって来ましたが、七々扇舞夜とラススヴィエートという方をご存知ありませんか?」
未夜は落ち着いた口調で通話越しの相手に語りかける。勝手に話し始めた彼女を咎めようと加賀美は口を開くが、未夜が口元に人差し指を当てた為、何か考えがあるのだろうと思い直し渋々口を噤む。通話相手から声が返って来ない為、未夜はもう一度同じトーンで語りかけた。
「もしもし、私の声は届いていますか?」
「……聴こえてる」
するとゆっくりだが返事があった。
「舞夜は私。ラススヴィエートが今どこにいるのかは私も知りたい。そして貴方達は一体どうやってこの島へ入って来たの? 今この島は『マキナ』によって外部からの侵入は不可能になっている筈なのに」
自身を舞夜と断言した彼女には焦りと翳りが感じ取れた。ただ事ではない様子を察した三人は顔を見合わせ、郷本が懐から取り出した手紙を指差すのを見た未夜が頷き、再び語りかける。
「舞夜さん、無事で良かった。私達はラススヴィエートからの手紙を受け取り、そこに記されたあなたの救助を願う言葉に従いここへやって来ました。十月十日の十一時丁度に島への出入りが可能と書かれていて、事実、巨大な黒い扉は自動的に開かれ私達はここへ踏み入ることが出来ました」
「ラススヴィエートの、手紙?」
「ボトルメールという前時代の方法による、ね」
未夜は手紙をウィスキーのボトルごと取り出して機械へ向けて見せた。相手の映像は見えていないが、話しかけている機器にはカメラのレンズらしきものがあり、舞夜には映像が見えているのではと察しての行動だった。
「それ、『セルゲイ』のお気に入りのボトル……そういうこと。通信も掌握されているのにどうやってメールをと思ったけれど、こういう時は原始的な方法が有効なんだ。それに、いつの間にかもう十月だったのね。今日は『マキナ』の自己メンテナンスの日、か」
舞夜には映像が見えている様だ。
立て続けに聞き馴染みのない単語を発する舞夜に対し、頃合いを見計らい未夜は質問を投げかける。
「『セルゲイ』というのはこの島に?」
「この研究所の所長。ロシアから派遣されて来ている『脳神経医学』の権威の一人。彼と、日本から派遣された『脳科学者』であり研究主任である私がここの責任者」
振り返ると加賀美が得心した顔で頷く。舞夜は事前に得ていた情報通りの人物であることが証明された。
「きっと、ラススヴィエートはセルゲイの家にいるのね。それなら貴方達にお願いがあるの。ラススヴィエートを連れてこの島を出て」
「それはどういうことでしょう? 私達は貴女が危険な状態にあるという報せでやって来たのです。ここを開けていただけますか? とても厳重に門やシャッターを降ろしているので、入ることも難しいのです。他の職員がいるならその方に出ていただいても構わない」
舞夜の声からは必死さが伝わって来るが納得の出来る内容ではない。いつまでも機械越しで話しているのもおかしな話だと感じた未夜は門を開けてもらう様に差し向けた。しかし、彼女からの返事は芳しいものではなかった。
「無理なの。もうこの研究所の門は誰にも開けられない。ここには私以外、人として残っている者は誰もいない。『マキナ』の支配下にあるこの島には誰も手を出す事が出来ない。恐ろしく頑丈なシャッターも外壁も彼による施策。彼をメンテナンス出来る私はここで死ぬまでそれを続けさせられる」
「『マキナ』……それはなんなんだ。ここで行っている研究の成れの果てか?」
痺れを切らした加賀美が会話に割り込み、二度に渡り挙がった単語の正体を問いただす。
「ダメ、話せない。『マキナ』は世に混沌を齎す、人類の先を行く存在。その正体はやがて伝播する。だから何も知らないままラススヴィエートを連れて帰って。彼は私が生きている内になんとかするから」
「なんだそりゃ。一体この姉ちゃんは何を言ってるんだ?」
郷本は混乱した。まるで神話の詩の一説を聴かされている気分だ。未夜達も同様だったが、互いに一つだけ共通する認識がある。それは、“未知の脅威存在が実在し直面している”ということだ。
「門を乗り越えシャッターを破れば入れるだろう。時間はかかるやもしれんが、村に使えそうな工具や農具がある筈だ」
真っ先に強硬手段を提案したのは加賀美だ。彼の任務の目的からすると研究所への進入は再優先事項の為、当然と言える。しかし通話の音声が彼の行動を制止する。
「敷地内には『マキナ』が用意した防衛装置が働いている。シャッターを破壊する間に貴方達の命が失われるかもしれない」
「おいおい、えらく物騒な話だな」
郷本が恐怖に青褪め背筋を震わせる傍らで、加賀美は門の向こうを注意深く観察する。そして門の向こうから建物までの道行きに建った一本の柱を見上げると、徐に足元から小石を一つ拾い上げ柱の付近へと放物線を描く投擲をした。
小石は、突如として柱から甲高い耳鳴りの様な音を立てて現れた鋭い針の様な『アーム』によって貫かれ粉々に砕けた。
「ひぃっ」
「……洒落になんねぇぞ」
未夜がか細い悲鳴を上げ、郷本が目を見開いて一歩後ずさった。その恐怖はさながら蛇に睨まれた蛙。加賀美も同様、冷静さを保ちながらも冷や汗を垂らしていた。
「見たこともない機械だ。目的ははっきりとしているが、一体誰が設計した?」
「全て『マキナ』よ。島の外壁、門、シャッター、電気設備、そして住民の生活家電に至るまで、ね。『マキナ』が現れるまではもっと普通の景色だったのにね」
「現れるまでということは、突如この島を訪れたということですか?」
「…………」
未夜が言葉の端々を掴み取り問いかけるが、それきり舞夜からの返事はなくなる。これ以上『マキナ』という存在について話すつもりはないという、強い意志を感じさせた。
「解りました。舞夜さんの望みに従いラススヴィエートを探して来ましょう。島を出るかどうかは見つけた時に検討します」
「……そんな時間はないと思うから、見つけ次第すぐに島を出る手段を探して」
にべもない言葉に聞こえるが、全ては未夜達の身を案じてのことなのだろうと三人は悟った。
「とにかく、一度失礼します」
「三日月さん、有難う。ラススヴィエートのことを、宜しくお願いします」
通話が途切れた音が一瞬だけ響き、未夜達の間を重い沈黙が支配する。現実感のない未知の脅威が、闇夜に広がる濃霧の如く纏わり付いてくる奇妙な感覚があった。
郷本は電源を入れたまま握りしめたペン型レコーダーを困惑しながら見つめ、加賀美は恐ろしい凶器を繰り出す支柱を睨みつけた。
未夜は舞夜の怯え小さく蹲る姿を想像し、彼女の身を案じながら研究所を見つめ続けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます