Ⅲ.静寂の海の真ん中で②

「突然申し訳ありません。私、海上自衛隊・第十二潜水隊所属、加賀美かがみ多嘉良たから一等海曹と申します。失礼ながら、港から大きく離れた海上でお見かけした為、保安の為お声掛けをさせていただきました!」


「……こりゃ、ハリウッドの撮影かい?」


 隆二郎は抜けそうになった腰を手で抑えながら、わけもわからず釣られるようにして右手で敬礼を返した。


 二人の目の前に現れたのは、キャビン・クルーザーの何倍もの大きさを持つ潜水艦で、艦上のハッチから姿を見せたのは海上自衛隊の自衛官である。未夜は冷静さを保っている様に表面上は見せていたが、内心では予想外の出来事に鼓動が早鐘を打っていた。


「ご安心下さい。この海域近辺の天候が急に悪化し、その中でクルーザーを見かけたので心配でお声掛けしただけです。二、三質問したいことがありますので、よろしければそちらのクルーザーへの乗船を許可していただけないでしょうか?」


「あ、あぁ。構いませんよ。船、寄せます」


 これが正規の手順を踏まれて行われているのかどうか考える間もなく、隆二郎は頷きクルーザーを潜水艦へと寄せた。すると加賀美と名乗った男は器用に艦上を降りてクルーザーへと乗り継いだ。未夜は静かに成り行きを見守る。


「失礼ですが、操縦者の方は船舶免許をお持ちですか?」


 加賀美は黒い手帳の背面を二人に向けて見せた。手帳背面に加工されたビニールの窓口から見えるのは、『海上自衛官身分証明証』である。


「ああ、持ってますよ」


 隆二郎はポケットの中のパスケースから手の平サイズの厚紙を差し出した。加賀美は丁重に両手で受け取ると紙面を流し見た後、笑顔で隆二郎へと返す。


「有難うございます。お二人はクルージングでここに?」


「そうです。この子は私が以前お世話になった友人でして、一度クルーザーで海を遊覧してみたいというのでこうして一緒にクルージングを楽しんでるんですわ」


「おや、親子ではなくご友人でしたか。立派なキャビン・クルーザーですからね、私も知り合いがこんなもの持っていたら乗せてほしいと言うでしょう」


 かちっと引き締まった肉体を更に引き締めて見せる黒が基調の制服を着こなす男にしては、気さくな態度で加賀美は雑談に応じていた。隆二郎は目の前の青年を“真面目な好青年”と評し、本来の目的を伏せクルージングと断言したことに微かに罪悪感を抱いたが、手紙の話が伝わればどう面倒事に転ぶか分からないと判断し伏せ続けることにした。


「ええ、こいつぁローンこさえてまでうちに来てもらった大事な相棒でしてね。そりゃもう色んなやつから羨まれてますよ」


「そうでしょうね。それでしたら尚の事、今日はお帰り頂いた方が良いと存じます。この視界の悪さと気温の低さでは、海難事故に遭う可能性は決して低くありません」


「仰る通りです。今、引き返すべきか相談していたんですわ」


 隆二郎が未夜を振り返ると、加賀美も視線の先を追った。未夜は加賀美と視線が合うと一歩前に進み出た。


「三日月未夜と申します」


 帽子を一瞬だけ取り名乗り上げると、徐に鞄の中のボトルメールを取り出した。隆二郎はぎょっと目を見開き声をあげようとするが、未夜が左手でそれを制した。


「クルージングに行きたいと言ったのは本当です。なので隆二郎さんはそう思い込んでいますが、実は私の目的は他にありまして」


 瓶から取り出した『地図』を取り出して加賀美に見せた。


「この場所にあると言われているを探しています。都市伝説を目にしましてね、かつての海賊の秘宝だとかなんとか」


 未夜はとんでもない法螺話ほらばなしを流暢に語ってみせた。隆二郎は呆気にとられているが彼の様子を気にする素振りも見せない。地図を差し出したまま、綺麗なカールを描く長い睫毛の瞼を伏せ気味に、加賀美の様子を窺った。


「この赤い丸のところですか? この様な場所に島があるのは見たことがありませんが、どの様な都市伝説がそこに書かれていたのでしょう?」


「《そこ》というのは?」


「そちらの瓶に入っているもう一枚の紙……ああ、いえ、その紙に書かれているわけではないのですね」


 加賀美は先程までの柔和な笑顔を潜め、真剣な面持ちで瓶の中身を指し示したが、何かに気が付いた様に手を引っ込め、そのまま行き場を失った指で帽子のバイザーを掴み表情を隠す様に深く被り直した。彼の挙動を見てある確信を得た未夜は更に言葉を続ける。


「ところで加賀美さん。私が探しているのはであってではありません。案外、島に埋められているのではなく、海底に眠っているのかもしれませんよ」


 加賀美は目を見開き、帽子の影から未夜を力強く見つめる。我が意を得たりといった様子で未夜は手紙を瓶から取り出して差し出した。


「加賀美さん。率直に訊ねますが、同様のボトルメールに見覚えがありませんか?」


 目の前に開かれた手紙から目を逸らすことなく、問いかけに対し加賀美は暫く沈黙を保っていたが、やがて深い溜め息を吐きゆっくりと懐から紙面を取り出し未夜の目の前に開いた。用紙は二枚、どちらも陽に焼けた後がくっきり残るそれには、一言一句変わりない文章と赤い印があった。


「恐れ知らずですね。私がこの手紙にある『イリア島』を秘匿している立場にある人間だった場合、どうされるつもりだったのでしょう?」


「賭けではありました。もしそちら側の人間であるならばお一人で降りて来るのも妙ですし、うっかりとは口にしないでしょう」


 加賀美は再び溜め息を吐いた。国防を担う者としてあまりにも軽率な発言であったと反省した。


「ところで加賀美一等海曹、お願いしたいことがあります。実は島を探すにはクルーザーの燃料が限界でして、そちらの艦に乗せていただけないでしょうか?」


「正気か未夜ちゃん!?」


 黙ってやり取りを聞いていた隆二郎が驚きの声を上げ、彼の言葉に同意する様に加賀美が言葉を続ける。


「三日月さん。私は上官にこの事を相談し、極秘の指令として今回赴いております。それ故にこの潜水艦のみ、乗組員は船を動かす最低限の人数で、上陸後は私一人で調査する上で船には一時帰投の命令を出す予定です」


 淡々と語られる内容に、未夜は思いの外加賀美の上官が事の重要さを認識しているのだと感嘆した。


「極秘の任務の内容を話したのは、このまま放っておくと貴女は危険を犯して島を探しかねないからです。民間人が手を出すべき内容ではありません。その為、如何にこの手紙の真偽が重要なことかを理解していただく為、お話しました。他言無用でお願い致します」


 正論だ。真偽の是非はさておき、民間人が介入する事態ではないことが明白であることは未夜も重々承知。しかし唯々諾々と引き下がるつもりもなかった。


「納得はしますが、こちらも仕事なのです。私は三日月探偵事務所の所長、即ち私立探偵で、この手紙は『依頼』です。依頼をこなせる可能性があるなら放棄したくはない」


 それは未夜にとって嘘偽りない純度百パーセントの本音である。理路整然とした言い訳ではなく単なる感情論だったが、加賀美は気迫に僅かに気圧され押し黙った。


「自分で言うのはお恥ずかしながら、私はそこそこ頭が切れる方です。護身程度の技術も身に付けています。何故、現場での調査がお一人なのかは存じ上げませんが、人命救助の可能性があるのならば猫の手も必要ではないですか?」


「……この艦は、哨戒任務という名目で海上に出ていますが、そこに私はいないことになっています。休暇で帰省しているという形でね。つまり、仮に島が実在して私が上陸し、その先で生死に関わる事態が起きたとしても本部は対応しません」


 脅す様な内容ではあるが加賀美に他意はなく、民間人である未夜の身を案じて発言していた。


「艦が帰投したら、迎えが来るのは明日の同じ時刻。なにが起こり得ようとその時間以外で彼らは来ません。それでも乗りたいですか?」


 猛禽類もうきんるいの瞳で、長身で精悍な加賀美が未夜を見下ろした。未夜も女性の中では比較的背の高い方ではあるが、二人の間には頭一つ分くらいの身長差があった。それでも穏やかながら芯のある面持ちで強く頷いた。


「公的な任務ではないのでしょう? 私に何かあっても責任を問われることもありませんよ。『ラススヴィエート』と『七々扇舞夜』を救いましょう」


 加賀美は深い溜め息を吐いたが、未夜の言葉には同意して首を縦に振った。密かにと未夜を評した彼の感情は複雑だ。


 自衛官の立場としては送り返すべきだったが、任務の内容を鑑み、本人の意志を尊重する意味も含めて協力する方が懸命であるとも考えられる。“人の命を守りたい”という理由から自衛官を目指した真っ当な人柄の彼にとってこれは苦渋の選択だった。


「荷物を持ってこちらへ。私が支えますので足元に気をつけてお移り下さい」


「有難うございます。隆二郎さん、ここまで本当に有難う」


 未夜は自分の鞄を手に取り、隆二郎へ向き直ると深々と帽子を取って頭を下げた。


「未夜ちゃんには世話になったから気にしないでくれ。でも、本当に行くんかい」


「ええ。私は探偵としてこの依頼をきっちりやりきりたいんだ」


 曇天の中で太陽の笑顔を見せて言ってのける未夜に、隆二郎は苦笑した。


「そうかい。それなら行ってきな! 命だけは落とすんじゃねぇぞ」


「長生きしますよ。行ってきます、隆二郎さんも帰り道お気をつけて」


 そして未夜は、人生で初めて潜水艦へと乗艦することになった

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