第16話 十年の虚飾

 ◇◇◇


 朔灯は飛び掛かってきたぬえを斬りはらい、首を落とした。

 これで四体。今夜は数が多い。


 いつもなら日をまたいだあと、速やかに夜警の前線を交代している。特に十二月の夜は、退妖師の消耗が早く、細かな交代を挟まなければ保たないのだ。

 だがその隙がない。朔灯も康史郎も夜告げの大鐘楼が鳴ってからずっと出づっぱりでいる。


 康史郎が口笛で自身の遣いを呼び寄せる。上空を旋回していた大鴉おおがらすが、滑空しながら男の人型に形を変え、主の元へ降り立った。康史郎のいちの遣い、刻射こくいだ。


「気をつけな。狙われているのはきみらのようだから」

「心得た」


 本来なら人を狙うはずのあやかしが、同じあやかしである遣いを狙う。明らかに意図されたその動きが不気味に夜を騒がせる。


 康史郎は飛び掛かってきた狒々ひひを一刀で仕留めると、雑に蹴り飛ばす。彼の背を守りながら、朔灯は隙をみて懐中時計を取り出した。


 交代の時間はとうに過ぎている。

 ここにも応援が来るはずが、声すら届いていない。


「おかしいね。そろそろほかの隊がきてもいいころなのに」

「確かめに行く。任せるぞ」


 指揮権を康史郎に渡し、朔灯は屋根を駆け上がった。


「善!」

「なんだい、主殿」

「遣いを刻射に預けろ。俺と来い」


 善は屋根を軽やかに飛び回り、志貴の遣いたちに手振りひとつで指示を飛ばす。それを横目に、朔灯は屋根から通りへと跳び下りた。

 駆け出す朔灯の隣に、追いついた善がぴたりと並ぶ。


「妙な夜だ。嫌な気配がしやがる」

「あやかしか?」

「そういうことじゃねぇ。何か、そう……悪意がある」


 そこで善がすん、と鼻を鳴らした。


「主殿。人の血だ」


 善の声を聞き、朔灯は舌打ちで応じた。

 近頃は時をわきまえず夜の帝都を歩く輩も増えている。瓦斯灯の明かりは、人の恐怖心を照らしてぼやかすのだ。


 先行する善の背中を追い、路地裏へ駆け込む。

 暗がりの中にへたり込んでいる男。男の前には、のそりと立つ狒々ひひ


「あ、ぁ……助け……」


 男の震え声が呼ぶ。

 善が飛び出し、右足で狒々を蹴り飛ばした。

 狒々の躰がごろりと闇に転がる。


 朔灯は震える男に駆け寄りながらも、その狒々に引っ掛かりを覚えた。

 ――あまりにも、殺気がない。


「ありがたや……退妖師さま」


 男が両手をすり合わせ、朔灯を拝む。男の腕にはごく小さな切り傷がある。狒々がつけたにしては、ずいぶんきれいな傷だ。


「主! 違う!」


 善が叫ぶ。


 朔灯が振り向いた瞬間、雲の切れ間から月が顔をのぞかせた。狒々の躰が月光にさらされる。

 倒れた狒々の胸に、べとりと血がついている。とうに事切れたあとだ。


 気を取られた朔灯の右脇に、男が飛びかかってきた。だが、善のほうが早い。狒々の遺骸を離れ、すぐさま男と朔灯の間に割って入る。


 男に殴りかかろうとした善は、「あ?」と声を上げた。


 かかってきた男は、面隠しをつけていた。

 咄嗟に腕を引いた善の顔面に、男が短刀を振るう。

 

 朔灯の頭に、警鐘が響く。


 遣いは得物を持たない。身技にけたあやかしにとっては、邪魔にしかならないからだ。


 しかも、それが明らかに面隠しを狙うなど。

 面隠しには退妖師の呪がかかっている。あやかしだろうが遣いだろうが、封じ布も組紐も断つことはできない。


 そう。断てるはずがない。

 その短刀を振るうのが、同じ退妖師でないかぎり。


 善の組紐に、短刀の切っ先がかかる。それが、糸の幾つかを分断した。


「善!」


 やられたとようやく気付いた。


 掛け替えたばかりで突然切れた妙江の組紐。追い出した腕の悪い組師。そうして滞った面隠しの新調。

 時間を過ぎても届かない控えの隊。来るはずだったのは、雪柳の退妖師だ。


 助けたはずの男がいつの間にか消えている。善に気を取られている隙に、面隠しの男も逃げた。


 ふぅぅと大きな息遣いが、夜の路地裏にやたらに響く。


 朔灯の壱の遣い、善童鬼ぜんどうきの封じが解ける。

 初めから、狙われていたのは志貴だ。



 ◇◇◇



 尨狐の背を飛び降りて、透緒子は地面に転げた。手は砂利にまみれたが、かまわず立ち上がる。


「誰か! 透緒子です! 開けてください」


 表の板戸を叩き、大声を張る。それほど待たず、血相を変えた義母が飛び出してきた。


「しっ! なんです、こんな夜半に!」


 義母は苛立ちながらも、ささやき声で透緒子を叱る。透緒子の存在は、向こう三軒両隣すら知らない、瀬田にいるはずのない存在だからだ。


 そんな義母を押しのけて、透緒子は店の奥にある箪笥に飛びつく。片端から出来合いの紐を引きずりだし、これという色を探していくつか懐に押し込む。


 瀬田の家は外にもいくらか組師を抱えていて、透緒子がいなくとも紐は絶えず納められているはずだ。けれど、折り悪く青糸の組紐が底を尽きていた。


「青紐はないのですか」

「あ、お、ひも? 透緒子、あなたいったい何を」

「いいから早く!」


 走ってきた義父が部屋の惨状に目を剥き、沙夏が息を飲む。

 透緒子は三人の顔を順に見て、一番話が早そうな沙夏を選んだ。


「姉様、志貴様からの急ぎの御用です。青紐は届いておりませんか」

「あ……それなら……蔵だわ!」


 沙夏が乱れた髪をなでつけながら草履を引っ掛ける。透緒子も後を追い、店から一度表へ出て、裏木戸から庭に入った。


「組師から上がったばかりの箱があるはずなの。志貴様のお務めは近くて?」

「今は神楽淵かぐらぶちのあたりらしいので」


 ここへ来るまでに茜里がたどってくれた、善の気の在処ありか。瀬田からそれほど離れていない。尨狐なら、ほんのひと駆けでたどり着ける。


 蔵の鍵を開けたところで、あ、と沙夏は声を上げて踵を返した。


「明かりを取ってくるわ」


 蔵の中は真っ暗だが、扉のすぐそばにだけ月明かりが差し込んでいる。透緒子は蔵に入り、見える範囲にある箱を開いて確かめていった。仕上がったばかりの箱なら、そう奥にしまうことはないはずだ。


 すると、唐突に蔵の戸が閉まった。

 ギギと古めかしい錆びた音を蔵に響かせ、次いで、かこんという鍵の音がする。


 真っ暗な中、透緒子は手探りで扉の取っ手を探り当てた。ぐっと身体を押し付けるがびくともしない。


「透緒子?」


 沙夏の声と、金物をがしゃがしゃといじるような音が、厚い扉の向こうから聞こえる。


「ごめんなさい、このごろ鍵の具合が良くないのよ。待っていてちょうだい」


 こんなときも、穏やかな声だ。沙夏が声を荒らげるところを透緒子は知らない。

 きっと今も口元には笑みを浮かべている。透緒子のような呪い子にも、沙夏は微笑みを絶やさない。くたびれた羽織を下げ渡してくるときも、冷たい夕餉を届けるときも、義母が厳しく透緒子をいさめるときにも。

 

「姉様……ここを開けてください」


 朔灯と向き合って食事をいただき、茅弥と目を合わせて言葉を交わしたから。十年かけて、やっとわかった。


 沙夏の目が透緒子に笑いかけたことは一度もない。


「……駄目よ。透緒子ばかりずるいんだもの。志貴様のお屋敷に行くのがあなただなんて、おかしいでしょう」

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