第9話 身に巣食う
帝都の昼は人間のもの。
夜はあやかしが
妙江が透緒子の髪型を工夫して、できるだけ痣を隠してくれた。それでも、ひたいから左目、頬、口の際まで広がる青黒い痣はどうしても目立つ。
「ねぇ、見て」
「本当だ、志貴のご当主様が女の人を連れてるなんて初めて」
「でも……お連れのかた、ねぇ」
「縁あって面倒をみているだけでなくて?」
全部、聞こえている。
透緒子の前を歩く美丈夫は、和装でもぱっと華やかだ。四大家筆頭当主の顔は帝都で知れ渡っていて、着物姿で歩いていても簡単に気づかれる。ただでさえ異様な透緒子と、帝都一の退妖師の組み合わせに、遠巻きな観客がどんどん増えていく。
さすが帝都の中心部。人が途切れない。
「そろそろ今日の目的を教えてくださいませんか」
「駄目だ。言えばあなたは逃げ出してしまいそうだからな」
「そう……ですか」
言われずとも、すでに逃げ出したい。
朔灯の後を付いて、うなだれて歩く。すると、ふいに手を引かれた。
つんのめりそうになった透緒子を、朔灯は自分の右横にぴたりと立たせる。
「隣を歩け。使用人じゃあるまいし」
「抱え組師だって使用人です」
「違う。そも、俺は今の屋敷にいるものを使用人と思わん。それは透緒子どのに対しても同じことだ」
「……はぁ」
こうして並んで歩けば、透緒子の左半身が朔灯に隠される。
どこまでも気遣いが重い雇い主だ。
表には「帝設 瑞代医院」と看板が掛けられている。
「
「四大家、
はっとして、透緒子は足を一歩下がらせた。
「わ、私、別に」
「大丈夫だ。瑞代の中でも頼れる御仁に会わせる。明慈帝の頃に大陸を西洋まで渡り歩いたかただ。患者を無意味にひん剥いたりはしない」
「ひんっ……!!」
「そら。ここで立ち往生していたら、糸屋に行く時間が無くなるぞ」
「え!?」
糸屋という言葉に気を取られている間に、透緒子はまたも俵担ぎで朔灯の肩にいた。
「透緒子どの、組紐におびき寄せられすぎだろう」
「うぅ……」
はっはと軽快な笑い声とともに、院内に入る。
退妖師と思しき人たちが朔灯を見て襟を正し、礼のために立ち止まる。そして、肩上の透緒子を珍妙な顔で見る。
肩に担がれている自分が無様に思えて、透緒子は朔灯の背中をぽんぽんと叩いた。
「逃げないから。下ろしてください」
「よしよし」
軽い返事をしておきながら、彼は透緒子を肩に担いだまま診察室の扉を開けてしまった。
おかげで透緒子は、情けない状態で医師と対面を果たす羽目になる。しかも後ろ向きで担がれているのだから、顔ではなく、
「ぷ、ははははは! 女性の扱いがなってないよ、朔灯」
予想外に若い男の声がしたかと思うと、渋面になった朔灯に肩から下ろされた。担ぐときはぞんざいなのに、下ろすときは丁寧だ。
室内には洋式寝台、硝子扉のついた棚、薬箪笥が置かれている。大きな硝子窓から日が入って明るい。
机の前で椅子に腰かけ、ふくくと笑う壮年の医師。それから、けたけたと腹を抱えている軍服の若い男がいる。
「なぜ
「そりゃあ、うちにおもしろい伝令が届いたものだからさ。これは何としても近日中にお目にかからねばと思っていたら、
「……雪柳の古狸か」
「どこの家でも騒ぎになってるよ。まさか筆頭が外から組師を雇うなんて」
盛大にため息をついた朔灯が、透緒子の背中を押して一歩前へとうながした。
「透緒子どの、こちらが瑞代 良弦医師だ。それから、若いほうは石ころと思ってくれ」
「ひどい! これでも
「これ、ふたりとも。わたしの患者を戸惑わせるな」
良弦はふたりをいさめ、椅子にかけるよう透緒子にすすめてきた。朔灯にうなずきで後押しされ、おずおずとその椅子に落ち着く。
「まぁ
「……は、い」
返答に困りながら透緒子があいづちで返すと、良弦は「ほお」と感嘆を発した。紙に何か書きつけて、卓上の小さな薬箱から包みを引き出す。
「康史郎、水をもってきてやりなさい」
「えぇー、僕が?」
「せっかく来たんだ。それぐらい手伝っても罰は当たらん」
ぶつぶつと文句を言いながら、康史郎が部屋を出る。
次に良弦は透緒子の顔を見て、すっと首の痣に触れた。
「だめ!」
思わず良弦の手を払いのけて身を縮めた。そんな透緒子の両肩を、落ち着けと朔灯がさする。
さらに良弦は透緒子の左手を取ると「失礼するよ」と着物の袖を肘まで捲り上げた。青黒い痣で埋めつくされた自分の左腕から、透緒子はふぃと顔を背ける。
「伝染る痣だと誰かに言われたかね。忘れなさい、そんなものは前時代の悪習だ」
忘れろと言われたところで、身体のこわばりは止められない。良弦から逃げるように上体を引くと、透緒子の背中は朔灯の腹に寄り掛かる格好になった。どうしても雇い主が逃がしてくれない。
「この痣は、身体にもあるかね?」
「……左の、全部……腰まであります」
「それは念入りな。では何がそこに隠れたものか、見せてもらうとしようか」
康史郎が湯呑を手に戻ってきた。
良弦は透緒子の手の平に、折りたたんだ小さな紙を乗せる。
「飲んでごらん」
「この紙を、ですか?」
どう見ても、折りたたまれた小さな紙だ。困惑して尋ねると、男三人が顔を見合わせた。
朔灯は透緒子の横にしゃがんで、小さな紙を摘まむ。
「まさか、薬を飲んだことがないのか? 病のときはどうしていた」
「病はみんなこの痣のせいだから、水を飲んで寝るほかないと」
「瀬田に引き取られる前は?」
「ですから、それより以前は覚えていないのです」
透緒子が覚えているのは、組紐の手ほどきをする母の言葉だけだ。どんな家で、どのように暮らしていたか、ぼんやりとすら思い出せない。
朔灯が眉間をこんこんと指の関節で小突き、それから立ち上がった。小さな紙を広げて三角に折ると、透緒子のあごに手を添え、くっと上向かせる。
「口を開けてくれ。俺が粉をふくませたら、すぐに水で飲み込む。できそうか」
「やってみます」
目を閉じて口を開くと、さらさらとしたものが舌の上に流れてくる。口いっぱいに苦みが広がって顔をしかめると、すかさず康史郎から湯呑を渡された。
苦いものを奥へ奥へと押し流す。こくりと飲み干して、はっと息をついた。
途端、腹から何かが
「っ!」
両手で口を押え、背を丸くして身をかがめる。
「大丈夫、そのまま吐き出しなさい」
良弦に背中をとんと叩かれる。その弾みで口を開けると、どろりと黒く粘りのある何かが、透緒子の中から這い出した。床にべしゃりと落ちるなり、両側にわらわらと生えた短い足をばたつかせ、けたたましい金切声を上げる。声は硝子窓をびりびりと震わせた。
朔灯が腰に手をやり、はっとして舌打ちする。今日の和装では、さすがに
「康史郎!」
「はいはい」
康史郎が軍服の腰に佩いていた刀を抜き 黒い粘りのかたまりに突き立てる。ぎぃぃと耳障りな悲鳴を上げ、かたまりはびくびくと
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